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体温超過日の散策 [隠れ郷土史&ラーメン]

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上野東京ライン宇都宮行で小山駅まで来たところ。
腰が痛い。横浜駅で座れた時は「ラッキー」と思ったが、延々2時間弱のJRシート着座は腰がキツくなる。
日中の東京~小山停車の新幹線は本数が少ない。検索してみたら東京駅で新幹線に乗り換えた方が20分ほど早く着くのだが、その差20分程度だとお得感が少ないので、座れたのをいいことに乗り換えないでそのまま来てしまった。
途中2回ほど寝落ちして、間々田駅を出てから小山駅に着く車内アナウンス。「間もなく小山、小山です。乗り換えのご案内です。新幹線・・・、水戸線・・・、両毛線・・・」
水戸線はまだしも両毛線は高崎行が1時間待ちだったな。
下車しようと立ち上がった。立ち上がる前、前回のように書類を忘れてないかカバンの中を見た。大丈夫。書類があるある。
今頃確認してもどうかと思うが。
前回は大宮駅で反転してジャン妻に改札まで書類を持って来て貰ったからね。今日は大丈夫です。
ホームに下りるべくドアの前に立った。そしたら、「ドアはボタンを押してお開けください」の車内アナウンスが流れたもんだからまたぞろ、「お前はまだグンマを知らない」、のを思い出したよ。「グンマに向かうJR高崎線は籠原駅以降ドアが開かなくなる」のあれです。
だけど小山はグンマじゃないぞ。この先、小金井、自治医大、石橋、宇都宮と、ドアは自動で開かなくなるけどここから栃木県です。
小山駅は籠原駅と違って15両編成を10両に切り離したりしないけど。
ドアボタンの「開」が光ったら、すかさずボタンを押してホームに下りた。
自動で開くのと乗客がボタンを押す、そのボーダーライン(線引き)は何だろう。
栃木県だって小山から先はボタン開閉だよ。グンマだけじゃないんだ。プンプン。
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階段を駆け上がる。
東側にある上り12番線ホームへ下りる。
改札へ向かわないのは冒頭写真にあるように、小山駅の有名な立ち食いスタンド「きそば」に寄るのです。
JR東日本お抱え子会社のお定まりの味とは違います。
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ベチャベチャのかき揚げ。
濃~いお汁。
黒っぽいお蕎麦。
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今日、オバちゃんは2人いた。
ひとりは大柄でお声が太い。背丈がスタンドギリギリ。
相方の女性はミニサイズで甲高い声。早口。何を喋ってんのかワカラン。
この狭いスタンドに2人要らないよ。
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そしてレンタカーをチャーターして小山市内の某行政へ向かった。
「13時~14時にお伺いします」と伝えてありますが、12時~13時は窓口がお休みで、30分ほど時間があるのでちょっと寄り道した。
公用目的の行政を通りすぎて東へ走ると、南北に走る4号線のバイパスがあります。それに入ろうとして偶然発見したもの。
しっかり案内版も立っている。
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この案内版の裏に土塁と物見台があって、水戸線の方に伸びている。
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城域は東西に走る水戸線に分断されており、実際の主郭は線路の向こう側なのです。
でも向こう側へは渡れない。線路を越えて向こう側に行っても入れるのかどうか。
何処かに南北を結ぶ踏切があるという情報もあったが何処にあるのか見つからなかった。
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4月にもここへ来てるので、写真は春のものと夏場の草青々のものとごっちゃになっています。。
こんな平坦な微高地に何で城があるのか。天正年間、小山駅の西方にある有名な祇園城にいた小山秀綱と、秀綱の実弟で、ここから西にあった結城城にいた結城晴朝という人。
この兄弟は仲が悪かった。
性格の不一致で不仲とかではなく、それぞれの家の存続を賭けた結果そうなってしまった。小田原北条氏、反北条勢力(佐竹、宇都宮、那須)、越後から長尾景虎、いろいろ絡んでいますがややこしいので割愛します。要は実家の小山氏VS、実弟が養子に入った結城氏の抗争です。
この2人は長年に渡って不和で、常陸の佐竹氏が仲裁しようとして兄弟がカタチの上で和解したこともあったらしい。4号線バイパスに向かう左手の田んぼのあたりにその標柱が立っていたが走行中だったので撮れず。
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兄貴の小山秀綱は祇園城を北条氏照に明け渡す。北条氏に従属する条件で返還されたが、それには北条家の家臣が目付の如く滞在していた。
おそらく高橋一生さんが演じる小野但馬守のような者がベッタリ監視していたのではないか。
だけどそのおかげで秀吉の小田原征伐の時にはしっかり北条家の被官だったので改易された。
弟の結城晴朝はしっかり秀吉の下へ参陣している。小山氏の所領は結城晴朝に安堵され、兄貴の秀綱は不仲だった晴朝を頼ったかどうかわからない。
晴朝は結城家を残そうと頑張る。結城家に徳川家康の次男、秀康が迎えられる。秀康の長男・忠直は御乱行で取り潰されるが、晴朝は秀康の五男の直基に結城家を継承させることに成功している。越前大野藩から始まる松平家である。
晴朝はこの中久喜城で隠居生活に入ったか。この地を去って越前に行ったか。2説あるようです。実家の小山家より結城家の方に愛着、執着があったようです。
小山氏と結城氏がどれだけ長い間不仲だったのか、詳しくは知らないが、この2人の兄弟喧嘩の境目が、私が今いる中久喜で、今は長閑な風景だが、祇園(北条)VS中久喜(結城)の最前線だった。
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青々した稲穂。田んぼは沼だったのかも知れない。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-07-31でUpした伊勢崎の毒島(ぶすしま)城のような浮き城だったのかな。
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この線路を強行突破して向こう側の主郭に行ってみたいよ。
でも本数少ないとはいえ、線路に無断で立ち入る訳にはいかない。踏切、何処にあんのかな。

余湖先生作成の縄張り図です。
中久喜縄張り.jpg
http://yogokun.my.coocan.jp/totigi/gionoyama.htm#nakakuki

12時44分にくるまに戻り、公務先に向かった。くるまの中の温度計を見たら外気温は36度。。。
暑いったらありゃしねぇ。台風5号が去った後で今年一番の猛暑だったこの日、群馬県館林市で38.8度を観測、体温を超過して発熱したに等しい。
他、埼玉県の越谷で38.1度、東京都府中市で37.6度、山梨県甲府市で37.5度、茨城県古河市でも37.5度、栃木県佐野市で37.2度、都心で37.1度、書いててイヤになる。
今年最高気温のこんな日に城域散策などしないように。
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