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宴 [居酒屋]

これでも居酒屋ネタが減ったのですよ。群馬にまだ行ってないのが記事が減った要因ですよ。
今は飲み会なんてトンでもない風潮になっているのよウチの会社は。ジャン妻は身内だからいいのだけど。
なので昨年のネタを掘り出します。昨年11月半ば、宣言もマンボウも解除され、会社内のお触れ「会食は自粛するように」も解除され、おしっ、今しかないと決断、佐奈田堂氏と会食した場所がこれで、東西線は行徳駅チカの・・・
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コンビニですっ!
ではなくって、コンビニの上、2階です。今は改装中らしいが。
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「お二階までお上り頂きありがとうございます」とある。2階の店は路地に面した1階より集客ハンデがあるのです。
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テーブル席について2年振りの再会に乾杯!「何にしましょうか」とメニューを広げて私が「上大岡の串焼き屋がなくなって(正確には移転だが)串焼きに飢えてるんだよなぁ」と呟いたら氏の眼光がギラッと光った。
「〇〇さん!」
氏は私を本名でお呼びになった。
私は身構えた。何か火を点けてしまったらいしな。
「この串メニュー、全部いきましょうっ」
ゲッ!シマッタ!
そうきたか。自分はもう齢がここまできて、それは到底無理ってもんなんだけど。まぁ持ち帰ればいいだろって。
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おとおし、何でしたかね。忘れた。これだけ刺身、房総レジェンドである氏はあまり刺身は召し上がらないらしい。やっぱり肉なんだな。
佐奈田堂氏は普段の日常ではそんなことないと仰ってるが、ある日あるとき突然に、何かに取り憑かれたかのように大食いのスイッチが入るのだ。
氏のBlogで確認すると「餃子の王将」、
餃子定食ノーマル餃子ダブルに1人前追加、ノーマル餃子合3人前、プラス、ニンニクゼロ生姜餃子3人前、ニンニク激マシ餃子2人前、計8人前、
テイクアウトと店内オーダーでいつも提供が遅いのは氏の無茶振りオーダーのせいかもしれない。
次に「すき家」、
牛丼並を3丼、そして牛皿2倍盛、紅生姜を山のように盛る、
2人掛けテーブルを縦に2人分占拠することになる。
うな丼も、前は鰻4枚盛りだったらしいが、6枚盛で、特うな丼プラス、特うな皿を2枚、計6枚盛りだから、おそらく鰻3匹分?
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さぁキタキタ、串焼きが並んだぞ、こんなに食べれるか。こんなに食べたことないけど。氏と2人だけのテーブル席じゃないみたいだ。もう一人ないし二人いて計4人の宴会コースみたいだな。
肉々しい串の数々です。火加減が強めで生っぽい焼き方ではないね。若いアンちゃんだけで営ってるチェーン居酒屋の串焼きはどうしても火を強く通す傾向にあるな。
店名のとおり肉が渦を巻いています。
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サラダ、野菜類はこれだけ。氏はあまり野菜を食べないと聞き及ぶが。餃子に混じってるキャベツとニラぐらいじゃないかな。
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時間が経ってしまったので、氏を何を話したのか記憶が定かではないが。
「今度の大河、佐奈田氏は出ますかねぇ」
「いやぁ、出ないと思います」
コメディ大河の石橋山は終わっています。氏は岡崎史郎義実の嫡男、佐奈田与一義忠の直系・・・に近いのですか?相模国岡崎郷佐奈田村(真田)から浦賀水道を渡って安房国に土着した豪族の末裔であります。

氏のBlogで知り得たドカ盛り光栄軒、行かれてます?
氏は行ってないそうです。私も行ってない。もうあの量は入らないと思う。
これまた氏から知り得た名店、長寿庵も?
一度、行きましたがそれきり、
いちど気持ちが離れてしまうと、前にいた場所にはそうそう戻らない、戻る気にならないものだよ。それは理解できますね。
氏のBlogにもありましたが、2016年に氏の人生を左右する事件があったのだ。そのせいで氏いわく「愛おしいスタンド蕎麦が外で全く食べれなくなった」というんだな。
起業された現在はその頃ほど外食されてないみたい。なので自分で作るしかない。氏のBlogをどーぞ。

氏は人懐こい。初めての相手でもすぐに打ち解ける。己の懐に取り込んでしまうのである。さすが営業を兼ねた代表さんである。
氏1-1.jpg氏3店員さんを手懐ける-1.jpg
氏5-1.jpgどっかの雇われ店長らしい-1.jpg
この店のスタッフや、隣席にいた地元の「それゆけ鶏ヤロー」の雇われ店長さん、その席にいた若い女性さんとか。ぜぇんぶ自分のシンパにしちゃうんだよ。天性のものといっていい。
相手と打ち解け、励まし、盛り上げる、さすれば地元飲食店がもっともっと盛んになる。人が来る。
ダメオシにオーダーした唐揚げ、ブ厚い衣で覆われていた。
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この店はおひとり様向には向いてない。2人かそれ以上で宴会向けだと思う。スタッフも若く、ここでバイトして他へ移ってを繰り返して、いつか独立開業する為の試金石のような店だった。
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階段に佇む佐奈田堂氏、お腹いっぱい、
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氏が乗ったであろう東西線、氏は東へ、私は西、都内へ。食い足りなくてどっかラーメン屋でも入ったのではないか。
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そして年が明けて第6波、オミクロン株が猛威を奮っている。この時に会っといてよかったですよ。
氏も55歳になられたけど起業家だから定年なんてない。羨ましくもあるが氏はそうなる為に努力を重ねて来られた。書けないネタの方が多いのだ。氏が目指すところへ邁進して繁栄され、今後も健勝であることを願っています。
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コメント 4

佐奈田堂

おぉ!!もう随分昔のことのように思います!
でもホント、尾身株ヤヴァイですねぇ、特にその変異株が宜しくありません、あの時行っておいてよかったです。。
ぜひこの尾身株あけて穏やかな日が戻ってきましたら、次はゲーリーさん交え、行徳のソウル大ちゃん、どさんこ娘のハシゴをいたしましょう!!
ところで大河、やはり見事に佐奈田与一さんは綺麗に最初から最後まで端折られてしまいましたw
彼はウチの直系ではありませんが先祖の一人、親族、一族の一人って感じです、でもまぁ存在を完全に否定された形でちょっと無念でございます
(´Д⊂ヽ
しかし当時の先祖に近しい人々の名前、三浦義澄さんや三浦 義村さん、岡崎義実さん(三浦悪四郎)、安房の安西さんや上総さん、敵だった長狭さんも出てきたのでワタシは満足です
あとは、、神余さん、丸さんも出てこないかな
'`,、('∀`) '`,、
by 佐奈田堂 (2022-02-21 11:50) 

船山史家

佐奈田堂さんこんにちは。
11月でしたね。あれから早く日々が過ぎましたね。昨年のうちにUpしとけばよかったのですがズルズル先伸ばしになって、年が明けたら第6波マンボウになって、身内(ジャン妻)以外の飲みネタUpを遠慮してたってのもあります。ゴメンなさいです。
自分はゲーリー氏とは携帯やメールとかの通信手段の繋がりはないので、時節到来時にはよろしくお願いします。
尾身株。。。ウチの会社でも毎日のように感染者が出てます。もういちいち発表もしないです。昨日もとある支店に行ったらそこでイチバンの美人が「実は昨日まで自宅療養でした。今日から復帰です」。。。
帰社したらしたで私のシマ(部署)の女性社員が感染して10日間出て来れなくなってました。
佐奈田与一さん登場しませんでしたが、最後の紀行コーナーで取り上げられましたね。史料はもっぱら吾妻鑑(焼酎の銘柄にありますが)しかないわけで、石橋山のハイライトやエピソードってそれしかないようですな。
現地を見るとミカン山なので、3000騎もひしめき合えないですよ。運動会みたいな合戦ができそうに見えないです。
コメディ色が強くて観ても記憶に残らないんですよ。「草燃える」の方が重厚でしたな。
by 船山史家 (2022-02-22 08:32) 

佐奈田堂

もう普通に風邪の症状の人は九割がた変異型の尾身株なんじゃないかとさえ言われていますよね、私自身もこの一週間ちょいはずっと鼻がカピカピで、風邪薬を呑んでも中々治まらず・・、最近ようやく少しずつ治ってきたかな?って塩梅です、船山史家さんもお気を付けください。。
ゲーリーさんの件は承知しました、でも前にお二人でお会いした際はどうやって連絡つけたのですか?まさかこのコメント欄とかですか??
:(;゙゚'ω゚'):
ところで吾妻鏡、あれも昨今では正確さ、公正さの面で色々云われていますね、あれも所謂あの時代の『勝者の歴史』なんでしょうね
ウチの家系の話は、実はウチの先代達や遠縁達複数人からの口伝や、その裏付けとして地元に昔から伝わる郷土史などであります
父が無くなる前までは家系話に全く興味がなかったのですが、私に代替わりした途端にドバッと私に情報が飛び込んできたような、そんな感じです
by 佐奈田堂 (2022-02-22 16:01) 

船山史家

佐奈田堂さんこんにちは。
オミ株蔓延してますね。次はステルスオミクロン?何でまたそんなネーミングに誰がしたんだろうか。
ずーっとそうですが下手に風邪もひけないです。ウチの社では本人も家族も37.5度以上発熱すると出社停止ですからね。
鼻がカピカピ?自分は耳鼻科で受診したことはありませんが、鼻炎の時期に入ると私みたいな原始人でも鼻と目がムズムズするときがあります。でもうっかりクシャミもできないです。お互い気を付けましょう。
ゲーリー氏とは2回お会いしましたが、先方のコメに書き込んだんじゃなかったかなぁ。「いついつ行きます○○軒へ」、みたいにね。予約もしていません。行ったら「あ、この人だ」、タイミングよく席が空いたのもあってね。あの頃のゲーリー氏は殆ど毎夜行かれてたので、行けばいつでもお会いできたんですよ。
吾妻鏡は聞いたところによると、頼朝公が落馬して亡くなって、頼家公が征夷大将軍に就くまでの頁が破られて存在しないって。まぁ勝者が、得宗家のお抱えが編纂したのでしょう。京の朝廷や寺社の記録の方が信用できるとも聞き及びますな。
細かい郷土史は地元に行って実地調査と古老に聞かなきゃわからないところもありますよね。長狭氏なんて知らなかったです。
by 船山史家 (2022-02-23 09:26) 

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