次の停車駅は内船 [鉄路と風景]

電車内でいつの間にか眠ってしまったらしい。
今、どの辺りだ?
車窓から見たら今まで見たことない風景のようだ。
車両内に電光で表示されている次の止まり駅を見て愕然とした。
内船だと!!!
シマッタ!!寝過ごしたか!!
富士山と富士宮市街が斜め左方向に見えてどんどん遠ざかっていくじゃないか。
そして視界が途切れた。沼久保駅付近の竹藪の山に入ったのである。
JR清水駅から11:49発JR特急ワイドビューふじがわ5号に飛び乗った。自由席にいた。車掌さんに行って富士宮までの特急券を購入しています。
すんなり行って12:22に富士宮駅に着く筈だった。富士駅までは起きていたのですが、スイッチバックで方向転換して身延線に入った途端にスッと落ちてぐっすり寝てしまった。
写真の時刻データを見たら12:28だったから、西富士宮駅を過ぎてから目覚めたというわけだ。やっちまった。次の駅の内船は船山温泉の玄関口だが、そこまで行ってタクシーで戻るかい?莫大な料金がかかるだろうな。
船山温泉の215号室にあったブラックノートにファイルされた身延線のダイヤを思い出した。確か1時間に2本ぐらいだった筈だ。
次にスマホに搭載されてる駅すぱあとアプリで検索したら、この特急は内船駅に12:52に着いて、そこで12:53発の富士行きの普通電車と列車交換することがわかった。
急いで後部車両へ歩んだ。
さっき車内で特急券を売り買いした車掌さんともうひとりいた。運転手と併せてJR東海職員がローカル電車に3人搭乗しているのは珍しい。

私は切り出した。相手も「あれこの人?富士宮までじゃなかったかな?」というカオである。
「ゴメン、乗り過ごした」
「え?」
「寝ちまってさぁ」
「確か富士宮駅までですよね」
「そう。で、次の内船駅に12:53分頃に着いて、そこで富士方面の電車と交換するでしょう。それに乗ってリターンできないかなぁ」
そう無理難題?を持ちかけたのである。
私は10数年前、船山温泉に一度だけ身延線で行ったことがある。内船駅で下車して宿の送迎バンに乗ってます。
これは2009年2月に身延線で船山温泉に行った際の内船駅構内、ホームは1面2線です。

10年前の写真ですが、今もそう変わってないと思いますよ。何で電車で行ったか。確か前々日にウチの支店で転んで肩を痛めたからじゃなかったかな。


「内船駅って島式ホーム1面2線だよね」
島式ホーム1面2線なんて鉄道好きしか知らないマニア用語でもある。
「ハイそうです。う~ん、上り下りどちらかが着いた時点で発車するのですが」
「そこを何とかならんかな。向こうの運転士にサイン送れないかな」
無理難題を追加してみた。
「わかりました。やってみます。ではその辺りの座席にいてくれますか?」
もう眠ることはないけれど「近くにいてくれ」と言われたのは、引き受けて安心したらまた眠っちゃうんじゃないかと危惧したに違いない。
その後、車掌さんは相方と喋っていたが、おそらく無線で遣り取りしたと思います。
「では内船までは誤乗車ということにして、内船から富士宮までの料金を精算お願いできますか?」
ということは甲府方面から内船に向かっている電車と繋ぎがついたに違いない。

ホントならもう着いている筈の支店のリーダー(A子、女性)に電話したの。
「ゴメン、寝ちまって乗り過ごした」
「ええっ」
「特急でさ。内船まで止まらないんだよ。内船で上り電車で折り返せるよう車掌に交渉したから多分、大丈夫だと思うが。」
相手の女性はくるま通勤だが地元静岡の人間なので身延線がどういう電車かは知っている。後で聞いた話では現場ではちょっとした騒ぎになったらしい。「身延線は単線だよ」「あっちの方は本数少なくね?」「戻って来れるのかな?」みたいにね。
戻って来れるのかなって私は子供じゃないが、その仲間ウチに草の者13号がいて、私は彼女に用事があるのですが、草13号は「なぁにやってんですかあの人!!」
せっかくだからネタにしてやろうと適当に写真を撮ってみた。芝川駅です。

何故か芝川には信長公の首塚があります。次に芝川駅その2、写真にバスが写っているでしょう。でも芝川駅からの路線バスは1日に1本か2本しかないらしいぞ。路線免許を維持する為だと思うな。

芝川駅を過ぎたところ。富士川に注ぐ支流らしい。


富士川に沿って走って行く。向こうに遠望される山は白鳥山(城取山?)だと思う。中世に烽火台があった。武田と今川の国境緩衝地帯だからです。
一度だけジャン妻と山頂まで登ったことがある。くるまで途中まで行けます。



十島駅です。

十島の万栄橋が見えます。こっちから見て富士川の対岸を国道52号線、身延街道が通っている。いつも船山温泉に行く時はあの道を走ってるんだな。


あのシェッドを潜ってるわけか。あんなカタチをしてるんだ。
何だか妙な気分である。知らない場所や風景ではないが、いつもと違って対岸から見てるから、知ってるけど初めて見る風景?
いや、そんなこともないのだ。先に述べたように一度、身延線で船山温泉に行ってるし、内船駅まで往復しているのです。
建設中の中部横断自動車道が見える。

『富沢ICから南部IC間は令和元年11月17日(日)15時に部分開通しました。
新東名経由でお越しのお客様は、船山温泉までの所要時間がさらに短くなりました。』
私らはあまり恩恵無いなぁ。
富士川SAから身延街道を北上するルートなので、富沢ICから南部ICだけ利用しても、南部ICから数100m戻って来なくちゃいけないのだ。そういうルート嫌いだし。
またシェッドがある。雪対策ではなく落石対策らしい。

赤い南部橋が見えてきたぞ。内船はもうすぐだ。ソワソワして落ち着かなくなってきたがそこは平静を装った。

12:50分過ぎたら「まもなく内船」のアナウンス、ここで「いっそ有休取って船山温泉に行っちまうか」と邪(ヨコシマ)な気持ちが頭をもたげてきたが、もう現場のリーダーに連絡しちゃったし。
電車は内船駅構内を減速していく。内船駅ホームには既に富士方面の上り電車が入線していた。
身延線は途中駅によって乗車できる扉が限られているし開閉はボタン式です。さて、どのドアから乗り込めばいいのかな。
脱兎の如く走りださんと身構えてたら、車掌さんが「大丈夫ですよ。先導しますから」
「ありがとう。でもまぁ普段見たことない沿線風景を堪能できたよ」
負け惜しみと失敗を誤魔化すように言った嘘、大嘘ですよね。船山温泉に行く為に、電車から見て富士川の対岸に見える身延街道、国道52号線を走ってるんだから。
「普通の人は富士宮止まりの方が多いですからね」
そう、富士宮から先、内船まで通しで来る人は普通じゃないのだ。
車掌が先導してくれた。再度礼を言って富士行の普通電車に飛び乗った。

折り返し乗車成功です。私が乗ってきた特急を見たところ。
上り線車内、乗客は少なかったが、甲府行の特急からこっちに移った私を一瞥して、この男は富士宮辺りで乗り過ごしたか、特急と普通を間違えて乗車したに違いないと。バレバレである。
富士駅方面へリターンが始まった。

そういえば、12:53分だと、13時チェックインの船山温泉送迎バンは駅に来てたのだろうか。
それを確認する余裕は無かったな。
仮に列車交換が無かったら駅でポツンと待つしかなかったか。時間を潰す飲食店もなさそうだし。バカにするわけではないが南部町に喫茶店やファミレスなんかもないしな。そうなったらなったで半休取って船山温泉へ行くか?

リターンズの風景です。
井出駅、リターンズ

十島駅、リターンズ


稲子駅、稲子は平家落ち武者伝説がある村です。維盛公の廟がある。


芝川駅リターンズ、この辺りで考えたのですが、私は特急に乗ったが為に内船駅まで行くハメになったのだが、もし普通電車だったら内船駅まで行く必要はないよな。
だが芝川駅で待ったら待ったで今折り返している上り普通電車を待たなきゃならないから同じことか。
ではタクシーはどうか。
内船駅からタクシーで折り返すのは金額的にシンドい。他の駅ではどうか。タクシーを呼べるとしたらどの駅だろう。
沿線風景を見る限り、寄畑、井出、十島、稲子、沼久保では厳しそうだな。工場に面している芝川なら呼べるかもしれない。営業マンも来るだろうし。
もちろんそんな実験をする気はサラサラないが、机上で仮検索してみたらこう出た。

内船駅からだとこんな金額に。

この金額プラス、タクシーを呼んだ分の距離、金額が加算される筈だ。
身延線も一般道も富士川に沿って同じように走ってるから、おおよそ駅から駅までの距離で試算してみたが、これだけでは足りない。私が向かわなきゃならないウチの現場は富士宮市内だが、富士宮駅からかなり離れている。駅から1時間に1本だけバスがあるが見たことないし乗ったこともない。いっつもタクシーです。その分も加算しなくちゃならない。


さっき目覚めた辺り、沼久保駅、この辺りで変なメールが来た。
「今どの辺ですか?今度は寝ちゃダメですよ」(草の者13号)
寝ないよ。ここで寝てまた富士宮駅を寝過ごしたらアホだぜ。
西富士宮駅、この駅はあまり記憶に残らない駅ですね。富士方面から来た電車の殆どがこの駅で折り返しになるらしい。

富士宮駅着は13:33、下りたら脱兎の如くダッシュしてタクシーに乗り込んだので富士宮駅の写真は無しです。
現場、支店に着いたのが14時前、
「お帰りなさ~い」の合唱で迎えられた。


「お昼は?」(A子)
「来る途中、駅でサンドイッチだけ買ってあったの」
「それだけで足ります?マイサイズ(大塚食品)がありますよ。カレーと麻婆豆腐と」
「カレーにする。でもどうやって喰えばいいんだ?」
姐さんA子は若い子に指示を出した。
「ホラ、〇〇さん(私のこと)のカレー電子レンジで温めてあげてっ」
甲斐甲斐しく世話を焼いて貰ったが、13号はやや白い目で私を凝視している。「このドジ」と言った視線である。
せっかく最寄駅まで行ったので、船山温泉のT館長に事の次第をメールした。
館長の返信は以下のようなものであった。
「ヘマしましたね。身延線の乗り過ごしはきついですよ。人によってはタクシーで戻るって話も聞きます。でも少しは睡眠を取れたのと・・・」
「ネタが出来て良かったですね」
2019-12-28 10:12
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夜の群馬八幡駅 [鉄路と風景]

昨日は旅人の惑星ショウ旦那とこの店を同日Upしましたね。あっちは遅い時間、こっちは早い時間でしたが。
さて店を出る時刻がやってきました。
出る際、常連さん(社長さん)に言われた。
「今日は帰るの?」
「帰る。帰ります」
「19時14分で?」
それを過ぎると19時56分になってしまうのだ。
「19時14分に間に合わなかったらまた戻ってきますよ」
「だったら戻っておいで」のように言われたのは県外人として嬉しいね。
別の社長さんに言ったのは、
「群馬八幡駅って、電車が来てもホームアナウンスが無いんですよ。『まもなく上り方面の電車がまいります』って放送が流れないんです。気が付いたらいつの間にか電車が来てたりするんで」
こうも言ったな。
「踏切の音で、あ、電車が来るってわかるんですよ」
そうなんですよ。アナウンスが無いの。
駅舎に駅員いるんですよ。いない時間帯もあるけど。
19時56分の電車の頃にはカーテンが閉められて駅員不在だったような。
小走りで駅に着いたら駅に駅員さんはまだいた。
ヒマそうにしてた。常勤ではなく高崎駅からきている非常勤、交代でしょう。


群馬八幡駅は高崎市ではいちばん西にある駅です。
駅名の由来は、旧碓井群八幡村、八幡村の由来は、駅から西へ500mにある上野國一社八幡宮からきているのか。
他、少林山達磨寺の最寄り駅でもある。離れているけど。
私は達磨寺には行ったことないが、一社八幡宮には行ったことがある。
https://funayama-shika-2.blog.ss-blog.jp/2013-01-13
2013年だから数年経ったのか。
参拝に行ったのではなく、裏山にある土塁痕と濠跡を見に行ったのだが。
ホーム、安中方面へ歩いてみた。
編成は短いので、車掌が乗っている最後尾車両の止まる辺りから先は草が生えていた。

高崎方面を振り返ってみる。

この駅は地元の住民が駅の誘致、設置運動が実ってできた駅らしい。高崎~横川が開通した当初は駅は無かったそうです。それでも大正13年(1924年)開設だから令和になった現在からだと遠い時代に開業した駅です。
現在は単式ホーム2面2線、上り方面1番線と下り方面3番線だけだが、駅構内を見るとかつては2番線もあって、単式、島式ホーム2面3線だったのがうかがえる。

少林山方面は漆黒の闇に覆われて見えない。
少林山達磨寺は毎年開催される達磨市で有名で、山の周辺にも高崎達磨を製造、販売している業者が多い。
昭和の頃、達磨市を訪れる客、参拝客、観光客でこの駅で下車する客は多かったそうだが、現在はこの駅で下車して観光、参拝に向かう客なんて見たことない。くるまで訪れるでしょう。
もっとも少林山は高崎市商工会か何かと屋台の出店費用でモメたらしく(TBS噂の東京マガジン噂の現場で放映していた。)その後関係が改善されたのかどうかわからない。



駅前ロータリーには駐輪場があり、学生さんの親が運転する送迎カーが停車しています。現在この駅を利用する客は近隣の住宅地の住民、学生、駅周辺に点在する八幡工業団地の従業員です。送迎カーは駅に電車が到着して、改札を出てきた息子さん娘さんを乗せて、信号が青になったらロータリー内を車懸りの陣のようにぐるっと回転して公道に出て走り去っていく。

工場の灯が見える。
あれはP&G高崎工場だな。アリエール、ジョイ、ファブリーズなんかを製造している会社だ。ドラッグストア部門があった頃、私も店頭に立って品出し、陳列、レジ打ちをしたものです。
ちょっと話が逸れますが、
「ファブリーズ使えばいいじゃないですか」
そう言って来たのは草の者12号、12号(女性、35歳?)が会社に申請して活動している社内レクリエーションの一環で「BBQ、カラオケとかするんですけど」
ただそれだけの為に、稟申、案内、開催、そして活動報告をあげなくてはならないのだが。
「あれは年間会費がウン千円しか出ないんだろ」
「そうなんです。もう少し増やして欲しいですよね」
「そんな金額で何ができるんだっつーの」
クサしてしまったが、社内でそういうのを開催しようという気になるのは悪いことじゃない。いいことだと思う。
私は何処にも何も参加していません。12号は私のシンパでもあるので、私なんかをそのレクリエーショングループに勧誘してきたのだが断りました。アウトドア嫌いだし、BBQも嫌いだからです。
「着る服が無いし、履く靴もないよ」
「ユニクロで買ってください」
「何で屋外で肉を焼いて酒を飲まなきゃならんのか理解できないし」
「服にニオイが付くのがイヤなんですか?」
「まぁそうだね」
「だったらファブリーズ使えばいいじゃないですか?」
そう言われたのです。でも嫌いなものは嫌いなの。嫌いというか苦手なんだよね。結局は台風で流れて居酒屋になったらしいが。
話が逸れた。そろそろ上り電車が来る頃合いだが。
1時間に1本か2本なので、横川方面へ下った電車が折り返してくるのです。それが遅れると若干ダイヤに支障をきたすことがある。のんびりしたものです。



踏切音が鳴り始めた。もうすぐ上り電車が来る。
鳴ってるのは八幡踏切。今鳴ってる踏切を渡らないとバイパス方面へ抜けられないらしい。
この踏切の音があるだけマシかもしれない。ホントに構内アナウンス無かったですから。
灯が迫ってきた。










群馬八幡駅の平成30年(2018年)の1日の乗降客数は1208人とあった。
私は撮影してから慌てたようにドアボタンを押して飛び乗った。学生さんが下車している。
だけど学校から帰ってきて、いつも降りてる駅が無人駅だったとしたら寂しいだろうな。
昔のローカル駅(失礼)は、声かけしてくれた駅員さんがいた筈である。この駅入口には「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と彫られた達磨モニュメントがあるけどね。
群馬八幡駅はいつかは終日無人駅になるのかも知れない。JR東日本の駅合理化の一環である。都会の乗降客の多い駅のコンコースに売店やら食堂を賑やかに設けて儲けるものいいけど、地方の(失礼)駅の削減、合理化は目を覆うものがあるのだ。
吾妻線の終着駅までの路盤もいつ復活することやら。
2019-12-17 06:52
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荒川線ガッタンゴー [鉄路と風景]
ゲーリー氏を店に残して先にお暇して、二丁目停車場へ小走りに急いだら、途中でカナカン鳴る警報器の音がしたので歩みを遅くした。
三ノ輪橋方面への単行が行ってしまうところだよ。






やれやれ。逃しちまったか。この踏切から停車場までは距離があるので走っても間に合わなかったな。

気を取り直して二丁目停車場へ歩きます。他、誰も誰も歩いていない。右手には前に取り上げた三河島水再生センターと、日本最初の下水処理施設、旧三河島汚水処分場喞筒場がある。
https://funayama-shika-3.blog.ss-blog.jp/2015-10-26

二丁目停車場でひとりポツンと佇む私。
沿線の家々には明かりが灯っているが、この辺りは道路も家々に隠れているので、時折くるまが走り去る気配がするだけで、人っ子ひとり歩いてないのだ。犬の散歩や子供の送り迎えママチャリも走ってない。
なかなか来ない。時刻を見たら10分くらいに1本の感覚になっていた。

荒川二丁目停車場は、これまで日中なら何回も乗ったり下りたりしていますが夜は初めてですな。夜にひとりポツンといると若干の寂寥感を感じた。
若干ですよ。ついさっきまでゲーリー氏といたんだから。


踏切が鳴った。三ノ輪橋方面から町屋方面へ向かう単行がやってきた。










あれに乗って町屋で千代田線に乗り換え、西日暮里でJRに乗り継いでもよかったかな。
三ノ輪橋方面を待ちます。幸い熱燗が効いてそんなに寒くはない。それよりこれから三ノ輪橋から歩いて三ノ輪で日比谷線、上野でJRに乗り換え、家に着くまでに酔いが回りそうだ。
待ってる間、荒川線コラムを少々綴ります。
ご存じだと思いますが私は都民じゃないです。神奈川県から通勤電車で週に2日か3日通っているだけですが、荒川線に初めて乗車したのが確か、群馬から戻された平成25年のいつだったか。その関係で荒川二丁目で乗ったり下りたりするようになり、さっきまでいたドカ盛中華屋も知ることになるのだ。
で、他県民だし、ケチをつけたくないのだが、
東京さくらトラムって何?
いつの間にか、いつからそんな名前に?
(東京都交通局が2017年4月28日に決定)
また踏切が鳴った。三ノ輪橋方面の単行がやってくる。早く来い来い。








ようやく乗れたぞ。後は電車運行に任せて帰るのみだ。で、何でさくらトラムなんだろ。トラムはTram、路面電車のことです。私は都内の公園や神社仏閣をよく知らないのだが、沿線には王子の飛鳥山とか、春になれば桜が咲く名所があるんですかね。
でも桜ってずーっと長い期間咲いてないでしょう。
「潔く散るからいいのよ」(ジャン妻)
江ノ電や箱根登山鉄道を季節だけ「あじさい電車」というのと違うからね。
あるサイトからこんなのを見つけましたよ。

https://togetter.com/li/1181608
さくらトラムが普及しているのかというと私にはそうは見えない。各停車場にはその銘記はあるが、京成線&千代田線の町屋駅や日比谷線の三ノ輪駅に、「さくらトラム乗り換え」案内なんかあったかな?JR大塚駅にもなくはないか。
別に桜が嫌いってわけじゃないけど昨今流行りのキラキラネームにするのは鼻白む。私は都電荒川線でいいじゃんかよって思うのである。長年慣れ親しんだ名前を敢えて無理して変えようとする意図は、要はこれから益々増えるであろう、いや、増やそうとしている外国人観光客に分かりやすいようにしたんだよ。
東急世田谷線にもヘンなキラキラネーム付けるんじゃないだろうな。江ノ電や箱根登山鉄道もヘンにいじらないでくれよ。
三ノ輪橋停車場に着いたところ。

ホームの先で折り返す。










大通りへ出て三ノ輪駅で地下に潜って日比谷線へ。
往路は都内の移動だったが、帰るに1時間半を超え、ちょっとした小旅行になった感があるな。
三ノ輪橋方面への単行が行ってしまうところだよ。






やれやれ。逃しちまったか。この踏切から停車場までは距離があるので走っても間に合わなかったな。

気を取り直して二丁目停車場へ歩きます。他、誰も誰も歩いていない。右手には前に取り上げた三河島水再生センターと、日本最初の下水処理施設、旧三河島汚水処分場喞筒場がある。
https://funayama-shika-3.blog.ss-blog.jp/2015-10-26

二丁目停車場でひとりポツンと佇む私。
沿線の家々には明かりが灯っているが、この辺りは道路も家々に隠れているので、時折くるまが走り去る気配がするだけで、人っ子ひとり歩いてないのだ。犬の散歩や子供の送り迎えママチャリも走ってない。
なかなか来ない。時刻を見たら10分くらいに1本の感覚になっていた。

荒川二丁目停車場は、これまで日中なら何回も乗ったり下りたりしていますが夜は初めてですな。夜にひとりポツンといると若干の寂寥感を感じた。
若干ですよ。ついさっきまでゲーリー氏といたんだから。


踏切が鳴った。三ノ輪橋方面から町屋方面へ向かう単行がやってきた。










あれに乗って町屋で千代田線に乗り換え、西日暮里でJRに乗り継いでもよかったかな。
三ノ輪橋方面を待ちます。幸い熱燗が効いてそんなに寒くはない。それよりこれから三ノ輪橋から歩いて三ノ輪で日比谷線、上野でJRに乗り換え、家に着くまでに酔いが回りそうだ。
待ってる間、荒川線コラムを少々綴ります。
ご存じだと思いますが私は都民じゃないです。神奈川県から通勤電車で週に2日か3日通っているだけですが、荒川線に初めて乗車したのが確か、群馬から戻された平成25年のいつだったか。その関係で荒川二丁目で乗ったり下りたりするようになり、さっきまでいたドカ盛中華屋も知ることになるのだ。
で、他県民だし、ケチをつけたくないのだが、
東京さくらトラムって何?
いつの間にか、いつからそんな名前に?
(東京都交通局が2017年4月28日に決定)
また踏切が鳴った。三ノ輪橋方面の単行がやってくる。早く来い来い。








ようやく乗れたぞ。後は電車運行に任せて帰るのみだ。で、何でさくらトラムなんだろ。トラムはTram、路面電車のことです。私は都内の公園や神社仏閣をよく知らないのだが、沿線には王子の飛鳥山とか、春になれば桜が咲く名所があるんですかね。
でも桜ってずーっと長い期間咲いてないでしょう。
「潔く散るからいいのよ」(ジャン妻)
江ノ電や箱根登山鉄道を季節だけ「あじさい電車」というのと違うからね。
あるサイトからこんなのを見つけましたよ。

https://togetter.com/li/1181608
さくらトラムが普及しているのかというと私にはそうは見えない。各停車場にはその銘記はあるが、京成線&千代田線の町屋駅や日比谷線の三ノ輪駅に、「さくらトラム乗り換え」案内なんかあったかな?JR大塚駅にもなくはないか。
別に桜が嫌いってわけじゃないけど昨今流行りのキラキラネームにするのは鼻白む。私は都電荒川線でいいじゃんかよって思うのである。長年慣れ親しんだ名前を敢えて無理して変えようとする意図は、要はこれから益々増えるであろう、いや、増やそうとしている外国人観光客に分かりやすいようにしたんだよ。
東急世田谷線にもヘンなキラキラネーム付けるんじゃないだろうな。江ノ電や箱根登山鉄道もヘンにいじらないでくれよ。
三ノ輪橋停車場に着いたところ。

ホームの先で折り返す。










大通りへ出て三ノ輪駅で地下に潜って日比谷線へ。
往路は都内の移動だったが、帰るに1時間半を超え、ちょっとした小旅行になった感があるな。
2019-12-14 16:53
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モグラ駅外伝 [鉄路と風景]
写真右上、山に突っ込んでいる地下駅への通路を辿って地上に戻ってきました。


地中の駅から転じて地上駅の上りホームです。
高崎駅構内にあった張り紙には上越線水上駅から湯檜曽駅までの何処かで架線が切れて運休しているとあった。でも土合駅には何処にもそんな通知はなかったな。
今日は電車は来ないかもしれないのに。
でもロクすっぽ走ってないのに何故架線が切れたのだろうか。

地上だから明るいし開放的だし、さっきの地下ホームの後だから目にも体にも安心、安堵感で見学できますが、こう言っちゃ悪いけどツマンないですね。

この上りホーム今は単式1面1線だが、複線化される前は上下線で共有する島式ホームだったようだ。複線化したことで旧下り線は待避線になり通過待ちに使われた。その後1面1線になった。

上りホームに立って改めて駅周辺を見たが、人が住んでる家、気配は見つからなかった。朽ちかかった廃屋が散見された。裏手にある土合山の家も営っているのかどうかわからない。
さっき地下の空間で共に同じ空気を呼吸した人たちも、一応見にきた感覚で見に来てたが、地中ホームほどのインパクトはない。何だ普通の駅じゃんてなもんです。

でもせっかくだからホーム先端まで歩いてみる。
ホームの縁にトンボがた~くさん羽を休めていたのですが、私が歩を進めると安息をじゃましされたトンボたちが次々に飛び立っていく。

駅ホームにはスピーカーがあった。列車が近づいたら急を警告するかのようなヒステリックなアナウンスが流れるに違いない。



同じ駅だけど地上と地下で全く別の駅の感があるね。普通の駅でした。


では引き上げよう。ガレた駅前広場を歩いてレンタカーへ戻るところ。

バス停です。谷川岳方面へのバスを2台見ました。


名残惜し気に振り返ったところ。おそらくもう来ることはないと思いますが。一度見れば充分かな。またいつか来てあの要塞地下ホームに下りることはないだろう。

上越新幹線開業(1982年)と関越自動車道開通(1985年)後、土合駅は無人化され、水上駅~長岡駅のローカル電車の駅になった。
信越線の横川~軽井沢間のように廃止されなかったのが幸いだが。
土合駅からの観光スポットは谷川岳登山、谷川岳ロープウェイ、12月初旬にOPENして翌年5月まで春スキーが出来る天神平スキー場だが、上越新幹線上毛高原駅や上越線水上駅からも関越交通バスが出ています。私もレンタカーで関越自動車道水上ICから下を走ってきた。机上で1日に5本しかないダイヤを使って訪駅できるか試算もしたのですが、待ち時間が長過ぎるのと、どうも絶食になりそうなので止めてくるまにしたのです。
登山客、天神平へのスキー客、そしてモグラ駅を見学するだけのヒマ人たちが訪れる。
そこへは電車よりくるまの方が近くて早いのだ。
JRの駅なのに。
では来た道を戻って、水上ICから沼田に向かって、ASLIマスターおススメの蕎麦屋に向かうことにしたが、おそらく今直行したら混んでるだろうと推測、ひと駅前へ立ち寄ってみた。

スピンオフの湯檜曽駅、これは複線化された時にできた新駅で、単線時代の湯檜曽駅は別の場所にあった。上りホームから見える現在の上り線ループのどっかにあったらしい。(有名なサイト、山いがに旧駅レポがあります。)
ここも1日に5本しかない。あたりまえだよな。さっきのモグラ駅のひとつ手前の普通駅なんだから。


運賃というか入場料入れましたよ。140円でいいよね。

まず下りホームへ向かう。

またトンネルかよ。でも地下に潜るトンネルというよりも、ほとんど傾斜が無く、そのまま真っすぐに歩くトンネルです。


さっきのモグラ駅に繋がる長大トンネルの一端であります。

新清水トンネル開口部が見えます。トンネルの入口から外光が入っている。ここから長大トンネルがスタートしてさっきの地中駅に繋がるのだ。

このまま延々歩いたらさっきのモグラ駅に至るわけだが。そんなイベントはないです。


モグラ駅ほどのインパクトはない。都心にある普通の地下鉄の駅のようだった。いったん来たルートを戻って、階段で地上駅へ。



上りホームは駅舎より一段高い築堤上にあります。単式ホーム1面1線。





上りホームから山の斜面にループ線が望める。上り線の架線柱が並んでいる。あの辺りのどこかに旧湯檜曽駅があったらしいが、湯檜曽温泉や住民の生活圏からかなり離れているね。

現在の湯檜曽駅はもとはスキーシーズン時に仮営業した臨時駅だったそうです。近くにある大穴スキー場への最寄駅。
臨時駅の開業期間は12月20日~3月10日、昭和38年(1963年)まで運営された。同年9月28日に新清水トンネルが開通したことで湯檜曽~土樽間が複線化され、旧湯檜曽駅と仮停車場が廃止され、この地に新駅が開業した。
見ての通り、上りホームは地上駅、下りホームは新清水トンネル内に設けられたわけです。

MAPで見ると別個の単線に見えるね。


平成10年(1998年)8月29日、集中豪雨による土砂崩れで上り線構内が土砂で被災、復旧作業に1か月かかり、水上から土樽間は下り線で単線運行したそうです。今の運行本数なら複線にしなくてもよかったんじゃね?と思わないでもないが。
今日、この路線で電車を見ることはなかった。


地中の駅から転じて地上駅の上りホームです。
高崎駅構内にあった張り紙には上越線水上駅から湯檜曽駅までの何処かで架線が切れて運休しているとあった。でも土合駅には何処にもそんな通知はなかったな。
今日は電車は来ないかもしれないのに。
でもロクすっぽ走ってないのに何故架線が切れたのだろうか。

地上だから明るいし開放的だし、さっきの地下ホームの後だから目にも体にも安心、安堵感で見学できますが、こう言っちゃ悪いけどツマンないですね。

この上りホーム今は単式1面1線だが、複線化される前は上下線で共有する島式ホームだったようだ。複線化したことで旧下り線は待避線になり通過待ちに使われた。その後1面1線になった。

上りホームに立って改めて駅周辺を見たが、人が住んでる家、気配は見つからなかった。朽ちかかった廃屋が散見された。裏手にある土合山の家も営っているのかどうかわからない。
さっき地下の空間で共に同じ空気を呼吸した人たちも、一応見にきた感覚で見に来てたが、地中ホームほどのインパクトはない。何だ普通の駅じゃんてなもんです。

でもせっかくだからホーム先端まで歩いてみる。
ホームの縁にトンボがた~くさん羽を休めていたのですが、私が歩を進めると安息をじゃましされたトンボたちが次々に飛び立っていく。

駅ホームにはスピーカーがあった。列車が近づいたら急を警告するかのようなヒステリックなアナウンスが流れるに違いない。



同じ駅だけど地上と地下で全く別の駅の感があるね。普通の駅でした。


では引き上げよう。ガレた駅前広場を歩いてレンタカーへ戻るところ。

バス停です。谷川岳方面へのバスを2台見ました。


名残惜し気に振り返ったところ。おそらくもう来ることはないと思いますが。一度見れば充分かな。またいつか来てあの要塞地下ホームに下りることはないだろう。

上越新幹線開業(1982年)と関越自動車道開通(1985年)後、土合駅は無人化され、水上駅~長岡駅のローカル電車の駅になった。
信越線の横川~軽井沢間のように廃止されなかったのが幸いだが。
土合駅からの観光スポットは谷川岳登山、谷川岳ロープウェイ、12月初旬にOPENして翌年5月まで春スキーが出来る天神平スキー場だが、上越新幹線上毛高原駅や上越線水上駅からも関越交通バスが出ています。私もレンタカーで関越自動車道水上ICから下を走ってきた。机上で1日に5本しかないダイヤを使って訪駅できるか試算もしたのですが、待ち時間が長過ぎるのと、どうも絶食になりそうなので止めてくるまにしたのです。
登山客、天神平へのスキー客、そしてモグラ駅を見学するだけのヒマ人たちが訪れる。
そこへは電車よりくるまの方が近くて早いのだ。
JRの駅なのに。
では来た道を戻って、水上ICから沼田に向かって、ASLIマスターおススメの蕎麦屋に向かうことにしたが、おそらく今直行したら混んでるだろうと推測、ひと駅前へ立ち寄ってみた。

スピンオフの湯檜曽駅、これは複線化された時にできた新駅で、単線時代の湯檜曽駅は別の場所にあった。上りホームから見える現在の上り線ループのどっかにあったらしい。(有名なサイト、山いがに旧駅レポがあります。)
ここも1日に5本しかない。あたりまえだよな。さっきのモグラ駅のひとつ手前の普通駅なんだから。


運賃というか入場料入れましたよ。140円でいいよね。

まず下りホームへ向かう。

またトンネルかよ。でも地下に潜るトンネルというよりも、ほとんど傾斜が無く、そのまま真っすぐに歩くトンネルです。


さっきのモグラ駅に繋がる長大トンネルの一端であります。

新清水トンネル開口部が見えます。トンネルの入口から外光が入っている。ここから長大トンネルがスタートしてさっきの地中駅に繋がるのだ。

このまま延々歩いたらさっきのモグラ駅に至るわけだが。そんなイベントはないです。


モグラ駅ほどのインパクトはない。都心にある普通の地下鉄の駅のようだった。いったん来たルートを戻って、階段で地上駅へ。



上りホームは駅舎より一段高い築堤上にあります。単式ホーム1面1線。





上りホームから山の斜面にループ線が望める。上り線の架線柱が並んでいる。あの辺りのどこかに旧湯檜曽駅があったらしいが、湯檜曽温泉や住民の生活圏からかなり離れているね。

現在の湯檜曽駅はもとはスキーシーズン時に仮営業した臨時駅だったそうです。近くにある大穴スキー場への最寄駅。
臨時駅の開業期間は12月20日~3月10日、昭和38年(1963年)まで運営された。同年9月28日に新清水トンネルが開通したことで湯檜曽~土樽間が複線化され、旧湯檜曽駅と仮停車場が廃止され、この地に新駅が開業した。
見ての通り、上りホームは地上駅、下りホームは新清水トンネル内に設けられたわけです。

MAPで見ると別個の単線に見えるね。


平成10年(1998年)8月29日、集中豪雨による土砂崩れで上り線構内が土砂で被災、復旧作業に1か月かかり、水上から土樽間は下り線で単線運行したそうです。今の運行本数なら複線にしなくてもよかったんじゃね?と思わないでもないが。
今日、この路線で電車を見ることはなかった。
2019-08-18 07:40
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モグラ駅 [鉄路と風景]

東京と新潟方面を結ぶ鉄道を敷設するには、群馬県と新潟県の間に聳える谷川岳の中腹をトンネルで貫かなくてはならなかった。
それが清水トンネルです。まず単線の上越本線が開通、それは高低差を稼ぐ為にループ線で建設された。単線だからその頃の土合駅は上り線と下り線も地上駅で共通だったのです。
ぐるっと曲がったトンネルを掘るのも凄い技術だが、それは先に開業していた信越本線が碓氷峠越の際に、ラックレールやら機関車の増結や付け替え等の時間ロスがあったことがあげられる。なので上越線は多少の急こう配であっても短い路線で建設したから現在のループ線形になった。
次に上越線を複線化することになり、ループ線に沿って複線トンネルを掘るのではなく、もとは信号場だった現在の湯檜曽駅手前からなるべく真っすぐに長大トンネルを掘削しようと。それが新清水トンネルです。
今いるモグラ駅はその途中に設けてある。
知らないと、水上(高崎)方面、越後湯沢(新潟)方面、どちらが上り下りなのかわからんが、整理すると、
ループ線、清水トンネル、地上ホーム(2番線)が水上、高崎方面の上り線です。次の駅は湯檜曽駅。
新清水トンネル、地下ホーム(1番線)が越後湯沢、長岡方面の下り線です。次の駅は土樽駅。

地上の土合駅は水上、高崎方面の上り線ホームだけになり、後から掘られた新清水トンネルの地下ホームは下り線になったので、同じ駅なんだけど上りと下りのホームが離れたのです。

駅舎、改札は同じ地上にあるが、土合駅から越後湯沢方面へ行くには、改札から歩いて湯檜曽川と国道291号線を跨ぐのに143m、階段24段、そこから更に長さ338m、463段もの階段を下りていく。(高低差は約80m)
逆に言えば、土合駅で下車した場合、長さ338m、463段の階段を上がり、湯檜曽川と国道291号線を跨ぐ為に143m、階段24段を上がらないと駅の外に出られないのだ。
東洋いちのモグラ駅、土合駅地下ホーム上です。土樽、越後湯沢方面を見てみる。


反対側、湯檜曽、水上方面を見てみる。


坑道内は凄い湿気で、信号灯と軌道を照らす照明が不気味に光っているだけである。
寒いけど蒸し寒い?変な表現ですがそんな空気です。上着を脱いだら寒いけど、着たままだと汗がにじんでくるのだ。
先端まで歩いてみる。
トンネルの壁に消火器と退避場があった。


反対側の先端まで行ってみる。
光や闇の向こう側から何かが現れそうである。世紀末映画でクリーチャーに襲われるのはこういうロケシーンかもしれない。

ジャン父方の本家は新潟県の柿崎という地ですが、まだ上越新幹線が無いころ、上野駅から上越線でとことこ新潟まで行ったことがある。
なので途中この新清水トンネルや土合駅も通った筈だがあまり記憶にない。ただ、やけに長いトンネルを走ったのと、車内が暑かったのを覚えている。
トンネルというものはあまり長いと子供にとってはつまらないものなのだ。それは帰途、上り線でループの清水トンネルを通った時もそうだったと思う。トンネルの暗い壁を延々眺めても、真っすぐなのか曲がっているのか車窓からはわからない。

何と下りホームにも待合、WCがあったのです。首都圏の地下鉄駅のホームに待合はまず無いじゃないですか。WCも改札内のコンコースにあるし。
この待合は、停車する列車よりも通過する列車の方が多いので、風圧と走行音と、これだけの湿気が吹き付けるのを避ける為だそうです。それには貨物列車も含まれる。そっちの方が多いのではないか。
トンネル内だからエコー効果がある。ここで1曲歌ったら下手でも地上で歌うよりは上手く聞こえるかもしれないが、WCで用を足すとなると排泄音が駅中に響き渡るに違いない。WCを利用したら生涯の思い出になるのは必定だが止めといた。
管轄している水上駅の職員が掃除に来るなら結構な運動量になるな。
さっきのモグラ漫画の解説で「この下りホームの標高は、海抜583メートル、駅舎の標高は653.7メートルあり、駅舎と下りホームの標高差は70.7メートルあります」とあった。
細かいことを言うと都内の地下鉄の地下駅とは違います。山中の地中駅なのです。


下りホームは単式1面1線だが、よく目を凝らして見ると軌道を外してホームをズラしたのがわかる。これも通過列車の風圧と騒音を避ける為にズラしたと聞き及ぶ。
上越新幹線の開通前は今より遥かに多く電車が走り、土合駅にも停車したが、現在はさっき見たように上下線とも1日に5本しか土合駅に停車しない。最大4時間電車が来ない時間帯もある。
このダイヤだけなら単線だけで交互に行き違い運用ができそうでだが、実際は貨物列車が走る。
地下にいるのも飽いたので、戻ることにしたが。
「やれやれ、今度はこの階段を上がるのか」
私は周囲に聞かせるように呟いたが、他の客、誰も反応せずスルーされただけだった。

上り階段はキツイ。普段の日常生活で460もの階段を上がったりしない。メトロ南北線や副都心線は場所によっては相当深い地底にあるが、エスカレーターが必ずあるからね。
無言で上がった。100段、

200段、だんだん息が上がってきた。

300段、ここで振り返った。



ベンチで休んだ。エスカレーターがあればいいのに。でもさっき言ったようにこの湿気では設置は無理だろう。メンテナンスもタイヘンだ。
高齢ペア客、家族連れが後から上がってきてる。
疲れてきたので集中力が薄れ、写真もボケてきた。



400段、もう少しだ。
私は年齢的に今以上になると厳しいかも。今日この年齢だから今しか来れなかったと思うが、この駅の真っ当な利用客は谷川岳他、付近の山々を登る登山客なので、この程度の階段では何とでもないのだろう。
これも他で聞いた話ですが、土合駅で越後湯沢方面へ向かう際、改札は列車が到着する定刻の10分前に締め切られたそうです。

462段、改札までまだあるが、これでひと段落、無事に生還したといっていい。



明かりを見た安堵感、地下駅を振り返る。
名残惜しいような。それでいて地上に生還しつつある安ど感というか。


階段を登り終えたら、残りの距離数と階段の表示が。


「お疲れ様でした。
階段数462段、改札出口まで143メートル
階段2か所で24段です。がんばってください。JR土合駅」
頑張らなくてはいけないのか。
この駅は体育会系か。
何かの苦行を課してるのか。

下る時は気が付かなかった段数、474段です。


いよいよラスト、486段、そして改札口まで17メートル、


地上に生還しました。
有人駅で職員が在駐していた時代、あの階段を1日に何往復したのだろう。
何かやらかすと懲罰人事でこの駅に廻されたりしなかったかな。
日ごろ何かと不平不満の多い社員はこの駅に飛ばせばいい。少しはおとなしくなるだろう。
いや、今の時代はすぐ辞めちゃうかな。

せっかく来たのだから、上りホームも見てみましょう。
2019-08-17 07:26
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モグラ駅 [鉄路と風景]

水上から一般道で新潟県との県境に向かっていますが、この道は谷川岳麓の一ノ倉沢で行き止まりになる。
このまま走って越えることはできない。新潟県へ行くなら水上ICに戻って関越自動車道を走ることにになる。
上越線もこの山の何処かを長大地下トンネルで抜いているがその本数は短い。上越新幹線に取って代わられたからです。

湯檜曽を過ぎた辺りです。鄙びた湯檜曽温泉街を過ぎたところ。老夫婦が浴衣に手ぬぐい持ってスタスタ歩いていた。
会社携帯が鳴ったので途中で止めて「後で折り返す」と返信。
だけどこの先、電波繋がるのかな。山の途中から土の中に入るのですよ。

着きました。今回の群馬ディスカバー最大の目的地がここJR上越線の土合駅、群馬県内の北の端、新潟県境の手前にある駅です。
駅なのにくるまで来ました。

これは駅前広場といっていいのだろうか。舗装されていない。ガレて大石が転がっている。
レンタカーのボディに石跳ねして傷つけたくないので、くるまは道路に近いスペースに停め、徒歩で駅舎に向かった。
この土合駅、秘境駅のようにも言われているが、登山シーズンには谷川岳への登山客が下車するそうです。他にも今回の私のように、東洋一のモグラ駅と呼称される下り線地下ホームを見に訪れる観光客が少なくないらしい。
駅前広場もシーズンになると谷川岳への登山客で満車になるそうです。今日は夏休み前の平日なのでこんな感じですが、来たのは私だけではなかった。私と同じような酔狂な見学者が10人くらいいた。皆、誰もいない改札を自由に出入りして、自己責任で見学していた。

廃駅には見えない。旧いだけで現役の駅です。
だけど1日に5本しか停車しないのか。
駅なのにくるまで来た理由は本数が少なすぎるからです。電車で来るとかなりの時間ロスになる。






こんな張り紙が至る所に貼ってあるのは、山間の無人駅なのを幸い、この駅の待合室内で寝泊まりする登山客がいて、寝るだけならまだしも火器を使って調理を行う輩がいるらしいんだな。
無人駅ですが駅舎内に自動販売機があるにはあった。誰かが在庫を補充、売り上げ金を回収しに来るのだろう。ご苦労様です。
立派な改札があったんだな。



さて、どっちを先に行くか。
当然モグラになって下り線地下ホームが先だな。
改札というか、殆ど跡といっていいが、そこから入って左へ歩いた。

子供の頃に通った小学校のボロい連絡通路のようなニオイがする。




そして半円形のスノーシェッドを歩く。国道と湯檜曽川を渡る為のものです。
汚れた窓から覗いた湯檜曽川はキレイな清流ですね。船山川よりキレイだ。

これは無事に帰還して外から撮影したスノーシェッドです。わざわざ対岸に渡って、山のドテっ腹に突っ込んでいますね。



さぁそこから先が地下への入り口です。
魔界か迷宮に誘うかのようだが現役の駅ホームへの階段なのです。ゆっくり下りていく。

アヤしいトンネル階段です。
要塞地下トンネル?核シェルター?
人類が核戦争かウィスル蔓延で死滅して自分だけ生き残ったような感じだ。脇からクリーチャーが現れそうである。
幸いこの地下世界にいるのは自分ひとりだけではなく、自分より先にどっかのオジさんがひとりで歩いて見学している。壁から異生物が現れて犠牲になるのは私より彼の方が先だなと思った。
そういうバカな妄想よりも、今、たった今、ここにいて大地震があったらどうするのか。ホントのシェルターになってしまうじゃないか。崩落さえなければ、豊富な湧き水でしのげるだろうか。
下りにくい階段である。どっかの神社の参道にこういう階段があったかも知れない。
階段ひとつひとつの段差は高くないが、5段下りて踊り場、また5段下りて踊り場、このパターンを繰り返して下りていくのである。
下りていく階段右横には空いたスペースの幅が続いている。
これはエスカレーターを設置しようと設けたスペースらしい。

湿気がすごいです。壁から谷川岳の湧き水がしみでている。
下りていけばいくほど湧き出る水量が多くなり、水音が大きくなってくる。

途中で気が付いた。階段の段数が表示されているのです。ここまでは無意識に闇雲に撮影してきたのですが、どれも同じような単調で薄暗い風景なので、100段ごとに下方向と振り向いて見上げて上方向を撮ることにした。






階段の途中には休憩用のベンチが設置されている。途中で一息いれる為です。
ビルの階段のように一気に下りないで途中にこういう踊り場を設けたのは、地上から今向かっている下り線ホームまでの距離、高低差、階段の角度を計算したのだと思います。高度成長期にできたトンネルだが、まだ関越自動車道は開通してない頃に完成したで、人が物資を運んでいた筈だし。
だけどさすがにこのベンチに座って弁当広げる気にはならないね。
下りていく階段右横、エスカレーターを設置しようと設けたスペースは途中から川になって水が流れていた。トンネル壁の隙間から流れ出す湧き水が注いで浸食されて小川のようになっていた。この川も下るほど水量が多く、流れる音が大きくなっていく。
今後もエスカレーターを設置する予定は全く無いそうだが、設置してもこの湿度では錆びて故障するだろう。

地下ホームが見えそうで見えない。先に行く人が時折振り向いて私を見たりする。
私も来た方向を振り返ると2家族が5人、後からペア客が2人、私が潜って戻って地上に出るまでに計10人の見物客がいたのを確認した。
残り100段を切ったところでようやく地下ホームが見えてきた。





先に下りたどっかのオヤっさんがこっちを見上げてる。
ここまで10分ちょいかかった。もっと時間が経ったような気はしたが意外に短い時間だった。でも帰りは上りだからそれ以上の時間がかかるだろう。

下りたところにこんなマンガがあって、
「ようこそ日本一のモグラ駅へ
この階段は、338メートル、462段あります。
階段を上り、143メートル(階段24段)の道路通路を経て改札口になります。
また、この下りホームの標高は、海抜583メートル、駅舎の標高は653.7メートルあり、駅舎と下りホームの標高差は70.7メートルあります。
改札口までの所要時間は約10分要します。
足元にご注意してお上がり下さい。
土合駅」

注意してお上がりくださいだって??
そうか、下りてきたからにはあれだけの階段を今度は上らないといけないのか。やれやれと思ったよ。この説明はホームに下りた客に注意喚起していて、地上からはるばる下りてきた見学者対象ではないのです。そりゃ運賃払って下車した客にそう労うのは当然ですけど。
そういえば、私もそうですが誰も入場券払ってないようだな。運賃箱あったかな~。
私は今回のディスカバー群馬で、吾妻線の万座・鹿沢口駅、この後で立ち寄る湯檜曽駅では入場券というか入場料140円を小銭で支払っています。
万座・鹿沢駅ではWC借りたし、湯檜曽駅にも運賃箱があったのです。吾妻線の大前駅ではそういうBOXは無かった。ここ土合駅にあったかな~。

ホームに立ってみる。
地底の底に降り立った感がする。
では何でこんなモグラホームになったのだろうか?
2019-08-16 05:57
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終着駅に行ってきた [鉄路と風景]

自室にある昭和60年刊行の書籍はまだJRが旧国鉄だった頃のものです。
前年度に会津喜多方の日中線が廃止になっています。今からだと30年前の写真集で、監修や文章は宮脇俊三氏(故人)です。(民営化は昭和62年です。)
終着駅は10のカテゴリに分けられ、上州では、
上信電鉄下仁田駅「婚約不履行型」
吾妻線の大前駅「山の彼方の・・・型」
栃木だけど足尾線の間藤駅が「トロッコ接続型」
に分類されて載っていた。

上信電鉄は上州下仁田から信州佐久辺りを結ぶ予定で免許失効したと聞き及ぶ。吾妻線も菅平方面に向かって更にその先、延伸する計画があったらしい。
鎌原村の嬬恋郷土資料館、観音堂の後、小雨がパラつくなか、ナビにジャンル、駅、大前、を設定してたどり着いたところ。

吾妻線と吾妻川に沿ってそのまま走ると信州菅平に行ってしまうところを、嬬恋村役場を右手に見て吾妻川へ下り、欄干が石でできた橋を渡るのです。
下り坂は泥水が流れた跡、水たまりがあり、レンタカーに泥が撥ねた。
吾妻川を渡る狭い橋は橋上では行き違いができなさそうなので、お互い譲り合って対岸で退避する。
駅はその先にポツンとあった。
ホームに上がる。

吾妻線の終着駅ですが、殆どの列車はひとつ手前、さっき昼を喰った万座・鹿沢口駅で折り返してしまう気の毒な駅です。
ホームは単式1面1線。
Suicaは使えないです。自動券売機も無いからここから乗るなら自己申告制か?
駅に人気はないが、猫の額ほどの駅前広場に2台停車していた。うち1台は駅前の自販機にドリンクを補充するドリンクメーカーの搬送車だった。自販機の扉を開けてガラガラ補充している。売上どれだけあるのか聞いてみたい気がする。
踏切を通るくるまは意外に多い。ドライバーはホームに立つ私に一瞥をくれるだけ。




簡易的な待合がある。WCも併設されている。
待合の中です。


待合にあった時刻表には1時間に5本だけだしかない。
7:27
8:35(新前橋行)
11:00(新前橋行)
17:29(新前橋行)
20:14
少ねぇなぁ。行き先が書いてないのは他は高崎行だろうか。

ぐんまちゃんは1日僅か5本の終着駅にもいるのだ。

群馬県内では最も西にある駅で標高は840m、上越線から分岐する渋川駅が186mだから、650m登って来たことになる。なので宮脇氏の「山の彼方の・・・型」のとおりである。
だがその先、もっと西、更に山の彼方までは行けなかった。大前駅ホームは4両編成分の長さがあって、その先線路はホーム端からどれくらいか。まだ線路が延びて架線も張られ、終端部でくるま止めになっているようで、そこから先に尚も進みたがっているように見えるぞ。

終着駅には何かしら因縁話があるものだ。この駅も終着駅になりたくてなったわけではない。この先も延伸計画があった・・・らしい。
嬬恋、大笹、田代、そして菅平、アタマの中で架空の駅を想像してみるのも楽しいが、その先の信越線(現在はしなの鉄道北しなの線)豊野駅(飯山線の起点でもある)までのルートは想像できなかった。
少なくとも菅平高原までは無理なく敷設できたようにも思えるが。そうなったらなったで現在万座・鹿沢口止まりの列車の殆どが菅平まで乗り入れるだろうから、大前駅は今ほど注目されたかったかもしれない。
もっとも莫大なカネかけて開通させても、北陸新幹線の開業と同時に、信越線と同様の運命を辿るのではないだろうか。

大前から先を断念せざるを得なかったとはいえ、1日に普通列車が僅か5本しか来ないのは殆どの列車が、私がさっき昼を喰った万座・鹿沢口駅で折り返してしまうからです。だからこの駅、有名になったともいえる。
廃止されないのは何か理由がありそうだ。
もしかして・・・。
万座鹿沢口駅はホームが1面1線だった。折り返しができないのです。何かあった時、車両を退避する鉄路はこの大前駅ホームから先に伸びている区間しかないのだ。
ホームから先のレールは錆びてません。光っている。時折入線していると思います。
そこから先へ進みたがっているのではないか。でもそれは叶わないまま、入線してまた戻ってくる往復運動を繰り返しているのだろう。

前述の宮脇氏は文庫版も刊行されています。それには下仁田駅と大前駅は載っていなかったのです。収録されてないだけかもしれないが、旅紀行で載っていなかった。
何処にも泊まらなかったことはないと思うな。あの時代でも日帰りは厳しい。駅周辺で何もドラマが無かったのかも知れない。

これは後日、高崎駅で偶然でくわした吾妻線大前行です。
私はこの日、渋川で下りてますが、このままのんびりコトコト揺られて行けばあの寂しい大前駅に到達するのか。





氏は他界され、昭和は平成になり、令和になった。
そして現在も大前駅は終着駅のままになっている。
この先もそうだろう。
昨日の校正段階でここまでだったのですが。
昨夜、帰宅途中の車内でこんなテロップが。









時刻は20:11分でした。20:14発高崎行が運休になったらしい。
ひとつ手前の万座・鹿沢口で折り返したのだろうか。
2019-08-09 08:50
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蕎麦宿連泊 日がな一日 [鉄路と風景]
10時、いつもはチェックアウト時の風呂にいたら会津田島方面が走り去っていった。くるまで来なかったらそれに乗って帰京する列車です。



駐車場は私のくるまだけになっている。
宿内に静けさが戻った。女将さんと長男さんが各部屋を掃除しているようだ。
2階からの撮り鉄、枕元の窓から撮るとこんな感じで、葉っぱに遮られて列車が見えない。


これはお隣、更級庵側の窓から撮ったところ。向かいの家の白壁から光が反射して白っぽくなってしまった。






過去に2回連泊したことがあります。
その頃はまだ若かった旦那さんから「同じ料理でいいですか?」と言われたな。
日中は退屈だった。更級庵で寝てたら午後になって岩魚を配達する業社さんが来たのを覚えている。養鱒公園と表記してあったような。
電話も2回鳴りましたね。出なかったけどね。何処へも出なかったので、宿内で留守番していたような感じだった。
リンクしている十兵衛さんから「何で連泊しないの?」と聞かれたことがあります。う~ん、何でだろ。自分らは2泊が限度なんですよ。3泊すると逆に疲れちゃうんだよな。
距離や場所に関係なく旅は日常からの脱却ですが、やはり俗世とどっかで繋がっていたいんだろうね自分は。となると2泊が限度なんですよ。
遠方に行くわけじゃないし海外にも興味無いし。
「何で海外に行かないんですか?」と部下の女性に聞かれたが、
「興味ねぇよ」
「何でですか?」
私はうるさくなってきた。
「海外に行かなきゃいけないのか?」
そう返したら絶句され「じゃぁいいです」それでおしまいになった。
2階で寝てたら階下から女将さんの声が聞こえた。
「失礼しまぁす。バスタオル取り換えま~す」
「お願いしまぁす」
取り換えると仰ってましたが、昨夜使ったタオルもそのまま置きっ放し。
「新しいタオル使いなさい」
「ヤダもったいない」
(-”-;)

湯野上温泉は天然かけ流しです。
いつの季節でも昼と夜の温度差があって、それを調整する方法を初めて知りました。
「このバルブは?」
「床暖房です。この奥にある水道の蛇口で調整するんです」(女将さん)


蛇口を絞ると注がれる湯の量が減るから自然に冷める。熱くしたい時は蛇口を心持ち開いて給湯の量を増やすのです。全開にしたら熱湯になりますよ。
「温泉って使った量でお金がかかるんだよね」
父親が不動産業者だったジャン妻はそう言う。
「基本料金が決まっていて、それプラス使った量で支払うんだよ」
だからさらの木は食事中と深更から早朝まで湯を止めるのか。特異知識をひけらかして自信満々のジャン妻だが、床暖房のバルブをバブルと言い間違え、プチ公に突っ込まれる始末である。
「泡(バブル)か」(プチ)
「うっさいっ」
何もしないです。TVも観ない。
宿でTV見たことないんじゃないか私ら。この部屋もそうですが、どこでも点けた記憶がない。
ジャン妻はPADで読書中。電子書籍というヤツを眺めてたらそのうち寝てしまった。
私はまた撮り鉄に出かけた。
湯野上温泉大4ポンプ脇のオンボロガーダー橋を渡っているところ、









このアングルに飽きてきた。大川の対岸に行ってやろう。
そしたら12時にサイレンが鳴った。
朝5時(だったかな)のサイレンは「牧場の朝」夕方5時に「夕焼け小焼け」昼のサイレンは初めて聞いたね。
連泊してもどっかへ出かけちゃったら昼のサイレンを耳にすることも無かった筈だ。何処へも行かず、宿にいるか宿周辺にいるからこそ聞けたその曲名は忘れた。


ホテル大阪家の脇にある白岩踏切からワイヤーのつり橋(くるまも走行できます)で大川の対岸へ渡り、舘の湯の前を通る旧道(347号線)を歩いて撮影場所へ。
旧道から見たガッタンゴー





旧道の下1軒の民家があって、作業者が河川工事の為に河原に下る坂があります。
河原の手前から見上げたガッタンゴー







その先、旧道に沿って走るガッタンゴー、





宿に戻って予め用意しておいたランチ。
インスタントのスープとクロワッサン、塩パン、インスタントコーヒー
来る前、昼は下郷町物産館近くにある喫茶店マザーリップに行こうか、な~んて言ってたのですが。夕餉が入らなくなりそうなので止めました。
で、またヒマにも撮りに行ったりして。











午後3時になった。通常チェックインの時間です。
夕方にかけて今宵泊まるチェックインしてくる。
「そういえば」(ジャン妻)
「???」
「若、いないね」
若とは次男さんのことです。前回復帰した筈だが昨日今日と見てない。
厨房には長男さんがいて蕎麦を打ってたし、旦那さんと料理の仕込みをしてた。女将さんと手分けして掃除してたりしてたし。
「ま~たどっか行っちゃったのかな」
「これだけの施設があるのにね」
若(次男さん)はああ見えて激しい性格なのかな、兄弟で継ぐとなると空気が微妙なのかな、そんなことを喋ってた。
「常時2名は要らないんじゃないのか?」
「でも満室だよ」
満室とはいえ4室だからなぁ。

空模様がアヤしくなってきた。


そして夕方、湯野上一帯に「夕焼け小焼け」のサイレンが流れた。チェックイン客も揃いつつある。夕餉時に若は現れるだろうか。
もっともこの時点で旦那さんも私らの前に現れてないのである。



駐車場は私のくるまだけになっている。
宿内に静けさが戻った。女将さんと長男さんが各部屋を掃除しているようだ。
2階からの撮り鉄、枕元の窓から撮るとこんな感じで、葉っぱに遮られて列車が見えない。


これはお隣、更級庵側の窓から撮ったところ。向かいの家の白壁から光が反射して白っぽくなってしまった。






過去に2回連泊したことがあります。
その頃はまだ若かった旦那さんから「同じ料理でいいですか?」と言われたな。
日中は退屈だった。更級庵で寝てたら午後になって岩魚を配達する業社さんが来たのを覚えている。養鱒公園と表記してあったような。
電話も2回鳴りましたね。出なかったけどね。何処へも出なかったので、宿内で留守番していたような感じだった。
リンクしている十兵衛さんから「何で連泊しないの?」と聞かれたことがあります。う~ん、何でだろ。自分らは2泊が限度なんですよ。3泊すると逆に疲れちゃうんだよな。
距離や場所に関係なく旅は日常からの脱却ですが、やはり俗世とどっかで繋がっていたいんだろうね自分は。となると2泊が限度なんですよ。
遠方に行くわけじゃないし海外にも興味無いし。
「何で海外に行かないんですか?」と部下の女性に聞かれたが、
「興味ねぇよ」
「何でですか?」
私はうるさくなってきた。
「海外に行かなきゃいけないのか?」
そう返したら絶句され「じゃぁいいです」それでおしまいになった。
2階で寝てたら階下から女将さんの声が聞こえた。
「失礼しまぁす。バスタオル取り換えま~す」
「お願いしまぁす」
取り換えると仰ってましたが、昨夜使ったタオルもそのまま置きっ放し。
「新しいタオル使いなさい」
「ヤダもったいない」
(-”-;)

湯野上温泉は天然かけ流しです。
いつの季節でも昼と夜の温度差があって、それを調整する方法を初めて知りました。
「このバルブは?」
「床暖房です。この奥にある水道の蛇口で調整するんです」(女将さん)


蛇口を絞ると注がれる湯の量が減るから自然に冷める。熱くしたい時は蛇口を心持ち開いて給湯の量を増やすのです。全開にしたら熱湯になりますよ。
「温泉って使った量でお金がかかるんだよね」
父親が不動産業者だったジャン妻はそう言う。
「基本料金が決まっていて、それプラス使った量で支払うんだよ」
だからさらの木は食事中と深更から早朝まで湯を止めるのか。特異知識をひけらかして自信満々のジャン妻だが、床暖房のバルブをバブルと言い間違え、プチ公に突っ込まれる始末である。
「泡(バブル)か」(プチ)
「うっさいっ」
何もしないです。TVも観ない。
宿でTV見たことないんじゃないか私ら。この部屋もそうですが、どこでも点けた記憶がない。
ジャン妻はPADで読書中。電子書籍というヤツを眺めてたらそのうち寝てしまった。
私はまた撮り鉄に出かけた。
湯野上温泉大4ポンプ脇のオンボロガーダー橋を渡っているところ、









このアングルに飽きてきた。大川の対岸に行ってやろう。
そしたら12時にサイレンが鳴った。
朝5時(だったかな)のサイレンは「牧場の朝」夕方5時に「夕焼け小焼け」昼のサイレンは初めて聞いたね。
連泊してもどっかへ出かけちゃったら昼のサイレンを耳にすることも無かった筈だ。何処へも行かず、宿にいるか宿周辺にいるからこそ聞けたその曲名は忘れた。


ホテル大阪家の脇にある白岩踏切からワイヤーのつり橋(くるまも走行できます)で大川の対岸へ渡り、舘の湯の前を通る旧道(347号線)を歩いて撮影場所へ。
旧道から見たガッタンゴー





旧道の下1軒の民家があって、作業者が河川工事の為に河原に下る坂があります。
河原の手前から見上げたガッタンゴー







その先、旧道に沿って走るガッタンゴー、





宿に戻って予め用意しておいたランチ。
インスタントのスープとクロワッサン、塩パン、インスタントコーヒー
来る前、昼は下郷町物産館近くにある喫茶店マザーリップに行こうか、な~んて言ってたのですが。夕餉が入らなくなりそうなので止めました。
で、またヒマにも撮りに行ったりして。











午後3時になった。通常チェックインの時間です。
夕方にかけて今宵泊まるチェックインしてくる。
「そういえば」(ジャン妻)
「???」
「若、いないね」
若とは次男さんのことです。前回復帰した筈だが昨日今日と見てない。
厨房には長男さんがいて蕎麦を打ってたし、旦那さんと料理の仕込みをしてた。女将さんと手分けして掃除してたりしてたし。
「ま~たどっか行っちゃったのかな」
「これだけの施設があるのにね」
若(次男さん)はああ見えて激しい性格なのかな、兄弟で継ぐとなると空気が微妙なのかな、そんなことを喋ってた。
「常時2名は要らないんじゃないのか?」
「でも満室だよ」
満室とはいえ4室だからなぁ。

空模様がアヤしくなってきた。


そして夕方、湯野上一帯に「夕焼け小焼け」のサイレンが流れた。チェックイン客も揃いつつある。夕餉時に若は現れるだろうか。
もっともこの時点で旦那さんも私らの前に現れてないのである。
2019-07-28 10:18
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蕎麦宿連泊 朝撮鉄 [鉄路と風景]
早朝の山霧に覆われた湯野上温泉


踏切の音
ヒョッと鳴る汽笛
5:52着の始発がやってきたところ。













この後、湯野上一帯に朝のサイレンミュージックが流れる。
牧場の朝
ただ一面に 立ちこめた
牧場の朝の 霧の海。
ポプラ並木の うっすりと
黒い底から 勇ましく
鐘が鳴る鳴る かんかんと。


源泉4号ポンプ脇の崖に架かるボロガーダー橋をゆっくり渡るところ。








同じ宿の別室のペア客がボロ鉄橋を背景に自撮りして引き上げようとしたので「もうちょいしたら電車来ますよ」と教えてあげた。
彼らも写ってしまうのでスマホを縦にして撮影したのです。
裏手の踏切、宿対岸の家の前から














同じく踏切を望む。宿側から。











宿の厨房から炊ぎの香りがする



炊ぎの香りを嗅ぎながら朝湯へ。


撮り鉄後の朝風呂
湯温が昨晩より下がっている。湯野上は夏場でも夜はグッと気温が下がるので、地熱から湧き出る豊富な湯量も若干温度が下がる。

散歩して、撮り鉄して、湯に入って、すっかり身体が目覚めたら腹の虫が泣くわけですよ。昨夜の夕餉が済んだのが19時半で、二次会終わったのが20時半、そりゃ腹が減ります。宿に夜食は無いし、近隣にコンビニも無いからね。

やや置き方がたどたどしい女将さん。納豆を左に置いたり、こっちかしら?と右に置き直したり。
ジャン妻は、「置いといてくれればこっちでやりますよ」と言いかけたそうです。
「あ、玉子焼きだ」
「連泊ですから・・・。連泊って初めてでしたっけ?」(女将さん)











「あ、フルーツ食べてるじゃん」
「それが何か?」
「Mさん(さらの木)に言いつけてやろ。他の宿ではデザート食べてますよって」
「ここはちょうどいい大きさなんよ。さらの木のデザートはゴテゴテし過ぎだよ」
何故この宿でさらの木が引き合いに出されるか。
「ミカンもメロンも皮が剥いてあって食べやすい?」
「そう」
「実も無いし?」
「実?」
「あ、間違えた。種も取ってあるし。食べやすいからでしょ」
横からプチ公がクチバシを挟んだ。
「実の無い果物なんてあんのか?」
「るさい」
陽が出て来た頃の朝湯。


朝餉の後、いつもは10時のチェックアウトまで僅かな時間を惜しみながら過ごすのですが、私らは連泊なので今日の今だけは余裕な気分だ。
くるまのドアが閉まる音が聞こえる。他室の客が1台、また1台と出ていく。
「俺らはもう1泊するんだヘッヘッヘ(笑)」
「・・・」

私らのくるまだけ残った。贅沢で退屈な1日が始まった。


踏切の音
ヒョッと鳴る汽笛
5:52着の始発がやってきたところ。













この後、湯野上一帯に朝のサイレンミュージックが流れる。
牧場の朝
ただ一面に 立ちこめた
牧場の朝の 霧の海。
ポプラ並木の うっすりと
黒い底から 勇ましく
鐘が鳴る鳴る かんかんと。


源泉4号ポンプ脇の崖に架かるボロガーダー橋をゆっくり渡るところ。








同じ宿の別室のペア客がボロ鉄橋を背景に自撮りして引き上げようとしたので「もうちょいしたら電車来ますよ」と教えてあげた。
彼らも写ってしまうのでスマホを縦にして撮影したのです。
裏手の踏切、宿対岸の家の前から














同じく踏切を望む。宿側から。











宿の厨房から炊ぎの香りがする



炊ぎの香りを嗅ぎながら朝湯へ。


撮り鉄後の朝風呂
湯温が昨晩より下がっている。湯野上は夏場でも夜はグッと気温が下がるので、地熱から湧き出る豊富な湯量も若干温度が下がる。

散歩して、撮り鉄して、湯に入って、すっかり身体が目覚めたら腹の虫が泣くわけですよ。昨夜の夕餉が済んだのが19時半で、二次会終わったのが20時半、そりゃ腹が減ります。宿に夜食は無いし、近隣にコンビニも無いからね。

やや置き方がたどたどしい女将さん。納豆を左に置いたり、こっちかしら?と右に置き直したり。
ジャン妻は、「置いといてくれればこっちでやりますよ」と言いかけたそうです。
「あ、玉子焼きだ」
「連泊ですから・・・。連泊って初めてでしたっけ?」(女将さん)











「あ、フルーツ食べてるじゃん」
「それが何か?」
「Mさん(さらの木)に言いつけてやろ。他の宿ではデザート食べてますよって」
「ここはちょうどいい大きさなんよ。さらの木のデザートはゴテゴテし過ぎだよ」
何故この宿でさらの木が引き合いに出されるか。
「ミカンもメロンも皮が剥いてあって食べやすい?」
「そう」
「実も無いし?」
「実?」
「あ、間違えた。種も取ってあるし。食べやすいからでしょ」
横からプチ公がクチバシを挟んだ。
「実の無い果物なんてあんのか?」
「るさい」
陽が出て来た頃の朝湯。


朝餉の後、いつもは10時のチェックアウトまで僅かな時間を惜しみながら過ごすのですが、私らは連泊なので今日の今だけは余裕な気分だ。
くるまのドアが閉まる音が聞こえる。他室の客が1台、また1台と出ていく。
「俺らはもう1泊するんだヘッヘッヘ(笑)」
「・・・」

私らのくるまだけ残った。贅沢で退屈な1日が始まった。
2019-07-27 06:28
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おさがり電車 [鉄路と風景]


群馬に戻ります。今回は未Upだった3月の散策記です。船山温泉に泊まった翌朝から腰を痛めた後(宿のせいではない。原因不明です。)群馬主張を1回延期したり、泊まるところを日帰りにしてその日のうちに帰京したりしていました。ビジホのベッドは腰に負担かけるからです。この日も日帰りです。さいたま市内の某所へ立ち寄って大宮から新幹線できました。ランチは浦和です。こんなものを食べました。

野菜たっぷりタンメン、麺すくなめというもの。

野菜(主に芯の部分)をたっぷり摂取しましたよ。麺は少なめですが野菜が多いから、野菜と格闘していると麺がどんどん伸びてきて、まぁそこそこいいボリュームでしたよ。










チャーハンはハッキリ言って不味いですね。(苦笑)


今年になってから?井森美幸さんの群馬誘致ポスターが新しくなっています。
トシとらないねこの方は。いつもお若い。
美幸さん、アナタがケンミンショーでデカい口開けてコメンテーターした伊勢崎のスフィンクスは解体されちゃったですよ。

こんにちはぐんまちゃん。

JR改札を出て下に下りて上信電鉄ホームへ。新幹線の車内アナウンスは「上信電鉄線は改札を出てお乗換えください」だけで、ホームの番線も言わないんですよ。
JR車内アナウンスはローカル私鉄に冷たいよな。世界遺産富岡製糸場の玄関口なのにさ。

改札でキップを買ってホームに入るところ。ここにも親善大使、井森美幸さんがいた。

新型車両が発車を待っていた。
はて?
何処かで見たことあるような。

塗装や模様じゃないです。フェイスの造り、造作ですよ。カオと表情。
もしかして、前に信越線で走っていた100系か107系かな??
JRの100系、107系が平成28年(2016年)から徐々に定期運行を終了して他車両に置き換えられ、2017年(平成28年)には16両が廃車、8月に4両、10月に8両、計12両が上信電鉄へ譲渡された筈だ。
平成最後の31年(2019年)、3月10日に上信電鉄700型に生まれ変わって運行を開始したのです。
これはJRの頃、両毛線です。

で、現在、今から乗る上信電鉄です。

ここでセリフを入れると、前にUPした大井川鐡道みたいな変なファンタジーになっちまいますが。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2019-03-28-2
女性の声がした。
「アナタ久しぶりね・・・」
・・・??
「アタシよアタシ。JRにいた頃、磯部駅や群馬八幡駅から乗せたことあるわ」
・・・??
磯部駅だとNaSuBiになる前のなすび、群馬八幡は例のヘンな居酒屋に違いない。
私は逆らわずに応えた。
生まれ変わってこっちに来たんか?
「ええ、でもアタシの他には数台だけなの。他の仲間はいなくなっちゃったの・・・」
そう寂しそうに言うなよ。
JRから上信電鉄におさがりしたんだ。
でもまだまだ頑張れるさと言おうとしたのだが、
「おさがりとはなによっ!!」
・・・
だってそうじゃねぇかよ。
「LADYに向かってそういうことを言うのね。会社でもそうなんでしょ」
そうムキにならんでもいいのに。そうつっかかるなよ。
じゃぁ第二の人生だね。
「ふんっ、まだまだこれからよっ」
ああ、そうかい。
ツンデレしやがって。

ドアは開いています。JR時代は手動ドアだった。右肩が50肩以上の私は、重たいドアを右手で無理やり開いて少し半開きになった状態で、蝶野正洋のヤクザキックのように靴裏で蹴り開けてたからね。

JRの頃のボディ塗装はクリーム色の下地にピンクとグリーンのラインが帯のように描かれていた。
他の車両のようにやれ製糸場だの、サファリパークだの、こんにゃく云々だの、そういうマンガは描かれてません。いずれそういうのが描かれるのかも知れないが、私はこのデザインでもいいと思う。
発車時刻になったら自動で閉まりました。南高崎駅に着いたら自動で開きましたよ。手動じゃなかった。
JR時代はロングシート座席で座り心地が深かった。首都圏のシートよりもケツが下にめりこむタイプ(ブリッジシートひとり分の座席利用区画を明確にして、座席の定員乗車を促す効果を狙った)だったが、その頃より座り心地が浅いが、ケツに優しい座り心地です。
ドアは自動になり、シートも取り換えられ、ボディも塗り直された。でも相変わらず揺れるね。佐野わたし駅前で列車交換する佐野信号所に入る前、減速しているのに左にガクンと揺れたし、その先、烏川鉄橋に向かうカーヴでも左に引っ張られた。
これはもう車両がボロいのではなく、軌道がヒョロヒョロしてるからだろうな。
また車両の声が聞こえた。
「アタシはボロじゃないわよっ」
どうもお転婆だなお前さんは。
佐野わたし駅は無人駅なので、運賃を前方車両で運転手さんに支払ってから下車するのですが、その際、
「この電車はJRからのおさがりだろ?」
「・・・ハイ・・・」
この言い方、ここだけ見ると難癖つけてるみたいですが。穏やかに言ってますよ私。
そしたらまた電車の声が・・・
「また言ったわね。失礼ね」
プンプン!!





去っていくところ。
無視して踵を返そうとしたら声が聞こえた。
「じゃぁまたね・・・」
ああ、またいつか頼むよ。


ダイヤは1時間に2本、会津鉄道より多いです。
高崎市内某所でのアポが「16時以降に来てください」だったのです。それまで調査に出てるんだって。
それまでの時間を利用して見に来たものはというと・・・。
(続く、明日明後日は飲み食いの内容無しです。)
2019-05-20 05:47
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廃車体の慟哭 [鉄路と風景]

今日は晴れていたのに北風が強く、体感温度が低い1日だった。そろそろ陽が西に傾きかける頃合いである。
遠州諏訪原城の段丘向こう側に陽が落ちようとする少し前、私の前に鉄道車両の台車、動輪、その他の部品が再利用されないまま、赤錆びた状態で積まれていた。
強い風に砂埃が舞い、部品に吹き付けていた。
この部品は何から外したのだろうか?



振り向いて陽が落ちようとしている西に目を向けると軌道があり、留置線の上にSLが置かれている。

「あれ、撮りに行ってもいいかなぁ」
「いやぁ、ここ立ち入り禁止なんでぇ」
「じゃぁここ(公道)からなら撮っていい?」
大井川鐡道の社員さんは不承不承頷いて、社用車ワンボックスに乗って去っていった。

誰もいなければ、聞かなければ近くまで見に行って機種を確認したかも知れない。でも目の前に敷設されたレールは錆びてはいるものの廃止路線ではないのです。本線とはいえないが現役なのです。迂闊に跨ぐべきじゃない。

私は何処にいるのか。
陽が西に傾きかけた頃、静岡県島田市金谷の大井川沿いにいます。
大井川鉄道のSL発着基地でもある新金谷駅から、川の土手の方向に分岐する引込み線があって、その先に役目を終えた廃車置き場があるのですよ。
そこには現役を終えて廃車となったSLや客車、貨車などが野晒らしに置かれている。公園や新橋駅西口にあるような静態保存ではなく、解体されるまで、鉄屑になるまでそこに置き晒したままなのです。
下のMAPで、本線から川の方に向かって1本の支線がヒョロ~ッと分れた先にあります。

大井川鐵道本線は沿線人口の減少によりダイヤを大幅に減らし、現在で9割方はSL列車を利用する観光客が主体になっている。経営再建に必死です。
現在在籍している電車は全て大手私鉄の車両で、他社から譲渡を受けたものばかりです。自社製は無いと思う。それはそれで様々な車種が見れるから鉄道博物館の様相を呈しているし、観光客やファンには受けているらしいですが、他所から貰った中古車両だからいずれあちこち故障する。現在運行しているSLや車両を修理する際に部品交換が必要となった場合、部品ストックがあればいいが無ければどうするか。
自社で製作したり、全国にある静態保存中のSLの部品を譲り受けたりする。あるいはこの廃車置き場の車両たちからも使えるものは外して使うのだという。

そうやって部品をどんどん外してけばいつかは役立つ部品が無くなる訳だが、そうなる前、部品確保用のために置かれているものだと聞き及ぶ。
ある意味で残酷ではある。解体するならすぐに解体すればいいのにと思ったりする。他からの貰い物だからだろうか。
でも大井川鐡道は経営が厳しいので解体する費用も捻出できず、こうして置いておくことしかできないのではないだろうか。
社員さんたちもホントはいたたまれない気持ちなんだと思いますよ。一部を取り外す時の音は車両の悲鳴に聞こえるでしょう。

SLは横を向いているので機種や表情がわからない。歩み寄って見てみたい気もする。
その時、声が聞こえたのです。女性の声だった。
「来ちゃだめ」
何だって?
「私を見に来ないで・・・こっちに来ないで・・・」
えっ?君か?
声は、目の前のSLからだった。
そっちへは行けないよ。入っちゃいけないって言われたし。言われなかったらそっち行って撮ったかもしれないけど。
「見ないで・・・立ち去って・・・撮ったのっ!!!」
強い口調になった。
すすり泣く声に変わった。
「撮ったのね・・・」
この距離で横から撮ったよ。それはさっきの作業員に許可取ったぜ。
「あなたも私を撮ったのね。私はもう本線を走ってた頃の私じゃないのよ。こんな私を撮ってどーするの」
責めるような口調になった。
「そうやってこれまでも何人か来て私を撮ったわ。アナタも私を撮って、誰かに見せて嗤いものにするんでしょう・・・」
嗤いもの?
そんなつもりはないぞ。
「でもネットに載せるんでしょう?」
う~ん、そうだなぁ。
ちょっと返事に困った。この場をどう切り抜けようか。
しばしその場で泣きやむのを待った。
わかったよ。消すよ。
「・・・」
消せばいいんだろ。今消すから。
「待って・・・」
???
今度は何だ?
「消さなくてもいいわ」
いいのか?消さなくていいのか?
「撮ってしまったんですものね。その代わり、私の気持ちを、心の叫びもそのままUpして載せてちょーだい」
それでいいのか?
「アナタだけじゃないし。そうしてくださるなら」
わかった。そうする。
「・・・」
いずれ彼女の美しいボディからも動輪や連結棒、台車などの部分が剥がされ、原型を留めなくなる運命が待っている。
だが残酷なことにそうなるまでにはまだ時間がかかる。彼女の再利用できる部品が無くなるまでです。


この日、線路上には廃SLが2台、車両は2列で数台、無蓋車2台が静かに置かれていた。
この無蓋者、さっきの従業員さんには悪いけど、侵入禁止のロープが無い箇所があったのです。跨いだんじゃないですよ。ギリギリお許しください。


その先には客車が2列、留置されていた。屋根があるだけマシですね。まだまだ走れそうですが。





このSLは各方面のサイトに載ってますね。相当長くここに置かれて晒されていると思う。
もう軌道上を引っ張って行くこともできないのではないか。引っ張ったら割れて崩れそうだ。

荒れるに任せています。これが夏場だと草木や蔓、蔦が伸びて凄い光景になるらしいですよ。

このSLは、後からこの場所に来て解体されてった後輩たちを今日まで見てきたのだろうか。
また声が聞こえた。今度は男の声だった。
「俺を、俺を解体してくれないか・・・」
私はギョッとした。
君か?
今のは君が言ったのか。さっきの彼女のように。
どうしろって?
「俺を早く解体して欲しいんだ・・・」
いや、そう言われても。悪いが私は君を解体することはできないよ。
「俺はもう何年もこのままの状態なんだよ」
それは知っている。君は有名だからね。さっきの彼女(SL)や貨車、客車たちより前からここにいるのだろ。
「知ってるのか。なら尚のこと早く解体してくれないか・・・」
それは私ではなく大井川鐡道の社員さんに言うんだね。
そう突き離したら彼も男泣きに慟哭し始めたのである。
「これまでも俺を見に来たヤツらに言ったんだが、皆、無理だ、できないって言うんだ。お前は・・・お前も・・・この俺を見て何とも思わないのかよ」
何を言ってやがる。何とも思わないわけないだろ。心ある者なら誰でも打たれるさ。
「俺はいつまでこんな状態でここに晒されてなきゃならないんだ・・・」
・・・
気持ちはわかるが。できないものはできないんだよっ。
慟哭が止んだ。
悪いな。そういうことだ。
「ああ、君にあたってすまなかった。俺を見て気が済んだのならもうここから立ち去ってくれないか」
立ち去るさ。このままいたらこっちまで気が滅入ってきそうだ。
くるまに戻りかけたらまた彼の声が聞こえた。
「向こうにまだ、彼女はいるのか?」
彼女?まだ新しいSLのことか?
いた。泣いてたよ。
「彼女には、俺がまだこの姿でここにいることは黙っててくれないか・・・」
わかった。それは約束する。
別に言う必要なんてないよ。

JRと接続する金谷駅は寂れていましたが、SLの基地である新金谷駅はそこそこお客がいました。そこを起点に本線上をカッコよく走っているSL車両は花形である。
だが今は花形でもいつかはこうなります。旧くなった中古車両の行く末がこれなのです。ここに搬入されたら最後なのです。解体され、使えるものが無くなれば、後は風雨に晒され錆びて朽ちていく。
もうひとつ聞いた話。ここは解体前に留置される場所だけではなく、修理できる車両はここで修理するのですが、他社から譲渡される車両もこの場所から搬入されるそうです。
他所から来た車両に意志があればこの廃景を見てどう思うだろうか。留置されている先達の車両たちから「いずれお前さんもこうなるんだよ」と言われて怖気をふるうだろう。
他所から来た車両はこの地から始まり、いずれこの地で終焉を迎える、そういう場所でもあるのですね。

かつては子供たちを、観光客を喜ばせたであろうSLや客車たち。
それらを支えた裏方で、資材を運んだであろう無蓋貨車たち。
既に現役を終えた彼らはもう本線上を走ることはない。走れない。
車籍を奪われ、ボディの至る所から部品を取り払われ、最終的にはさっき見たような鉄屑になる運命なのだ。鉄道車両の墓場といっていい。だが墓標はない。
今ある光景が明日もある保証もないのです。
あ、別に私、この置き場を、再利用の仕方を非難しているんじゃないですからね。

鉄道廃景の場所としてマニアに知られるこの場所はかつては大井川の砂利採取線の跡だといいますが、現在はこのような場所です。新金谷駅で明るい表情でいる観光客やチビっ子には見せない方がいいかもね。私も二度と来ないと思う。
というのは、去り際にまたさっきの彼女、SLの声が聞こえたのです。
「まだいたの?」
ええっと・・・さっき見た彼のことは言えないし。約束だし。
もう引き上げるよ・・・。
「あなたに小さいお子さんがいるなら、この場所は見せない方がいいわ・・・」
・・・
「夢を壊すだけですもの・・・見せないでね」
そうだな・・・。いないけどな。
「ここから立ち去って・・・そのまま行ってちょーだい」
・・・
「もう振り返らないで・・・戻らないでね。」
・・・
陽はさっきよりも更に西に傾いている。彼女のシルエットが逆光で眩しい。
私は赤錆びた彼との約束を守ってその場を急ぎ立ち去りました。瞳孔が涙でにじむ前に。
2019-03-29 06:42
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沿線風景 [鉄路と風景]

ローカルムード満点の上州一ノ宮駅。
改札に家族連れがいて、お父さん、お母さん、お子さん4人、おとーさんが駅員さんに割引乗車券が使えるか使えないか交渉中。
駅員さんは常勤ではないようです。時間限定で非常勤勤務している駅員さんは、おとーさんが取り出した割引券が使えるのか使えないのかがわからないらしい。

自動券売機が無いので、こちらは問い合わせてる間ずーっと待ってたんですよ。割引が使える使えないの判断、決済ができない係員を無人駅に置くんじゃないよ。
結局割引は使えなかったらしく、諦めて改札を抜けて駅ホームに上がってった後で「上州富岡まで・・・」(ボソッ)
「お待たせしました」も何も言わなかったな。上信電鉄の駅員は愛想のある無しが人によってハッキリしているんです。まだJR高崎駅の職員さんの方が愛想いいですもの。
上信電鉄は券売機が高崎駅、吉井駅、上州富岡駅、下仁田駅にしか設置されていません。高崎駅と上州富岡は軟券(薄い紙の券)で、ここ上州一ノ宮駅は硬い厚紙の券です。いわゆる昔ながらのキップで硬券といいます。それにこれまた昔ながらのパンチでプチッと切るんです。
前に吉井駅で「上信電鉄さんは自動改札導入しないのか?」と聞いたら「いやぁ~・・・」・・・トテモトテモと言いたそうで煙に撒かれた。「言わないでくださいよお客さん」みたいでしたね。全駅に導入する費用対効果が無いということだろう。



やって来た電車は往路で乗車した電車が折り返してきた車両だった。
BOX席ではなくて2両編成のつなぎ、連結部に近いシート席に座ったら、車両と車両を渡る板が上下左右にガシャガシャ揺れている。

上信電鉄は揺れる電車で有名です。高崎駅を出て鏑川を渡り、根小屋駅に至るまでのカーヴ、山名駅辺りのカーヴで左右に揺れるのは仕方がないが、そこから先の西山名駅~馬庭駅~吉井駅に至るまでの直線区間でも左右に揺れるし、下手すると上下に揺れる時がある。座っていても揺れでシートから落ちそうです。いやいやそれはオーバーですが、身体がガクンガクンするのです。馬に乗ってるみたいに。(乗ったことないけど。)
何かのバラエティ番組で上信電鉄車内に台を設置し、終点下仁田駅までずーっと落ちなかったら賞金100万円獲得するという企画でも賞金GETできたタレントはいなかったそうで。
上信電鉄もよくそんなバカげた企画を受け入れたよね。それだけ車内に余裕があるということ。
この日に自分が往路に乗り、そして今折り返してきて乗ってる車両は新車なので左右の揺れはさすがに少なく感じたが、車両と車両を繋ぐ連結部は、レールの繋ぎ部分を走る度に多少は上下にガシャガシャ動いていた。こうなるともう幾ら新車を導入しても台車を付け替えても、JRで引退した107系車両を塗り替えて走らせても、細くてヒョロヒョロしているレールの規格をUpしない限り揺れは続くだろう。


東富岡駅で下りて、富岡製糸場の街を歩き、上州富岡駅に歩いってきてWCを借りたら・・・。

WC入口前に飲料自販機があるのです。入口隣の壁にも。WCの壁にくっついている。飲むものと出す場所が併設されていたのです。
不衛生にどうなのかと思わないのだろうか。業社が納入する際、床に落としたりはしないと思いますが、WCを使う側も落ち着かないし、WCにくっついた自販機で飲み物を買う気になるかね。近代的に立て替えた駅構内で何でこんな配置にしたのか。このセンスの無さ。首都圏のJR駅でこういうの見たことないですよ。WCからどれだけ距離を置かないといけないのような規定はないのだろうか。他にも置き場所あるのに。センスを疑う。
「見てよこれ」
「???」
「WCの前に自販機があるんだよ」
「・・・あまり気にしないんだろうね。衛生上どうなのかってこと?」
「それもある」
「アナタ意外とそういうの気にするよね」
「意外と・・・??」
意外で悪うござんしたね。
その場を離れて待合へ。上州富岡駅には最新式の券売機があった。さっきの固い紙キップではなくて薄くてペラペラの券が出てきた。



待合で二町通りは遊郭街だったのか?の質問をして満足する回答を得られず、高崎駅上り電車を待ったのですが。
電光掲示板に「当駅始発」のような表示が点いたのですよ。何人かの客が次の上り電車16:22を上州富岡駅始発と勘違いしていた。

待機している電車、これが次の16:50始発だと思いますが。
「こっちホームじゃないの?」
「いえ、踏切を渡ってホームへ」
「なぁんだ、始発じゃねぇのかよぉ、座れねぇかもしれねぇじゃぁん」
そう言ったのは私じゃない。どっかの家族連れのおとーさん。大丈夫だよ座れますよと思いながら上り線ホームに渡ったら、駅構内踏切右手にこんなデカい資材がデンと鎮座している。

ポイント分岐部のレールと枕木が一体になっているぞ。
この見慣れない枕木は木材ではなくFFU枕木というそうです。
FFUとは、ガラス長繊維と強化(硬化)プラスチック発泡体(ウレタン樹脂)を合成した素材。見た目が木材に似ていますが違うそうです。
そうですというのは他、複数からの転載だからです。自分は前職で20数年前、FRPというこれまた軽量で強度の高い繊維強化プラスチックの計算に携わったことがあり、モノも見たことがあるので。確か立駐のパレットだったと思いますが。この枕木にもちょっと興味があります。

木材より強い強度を持ち、加工し易く吸水性も低いので、木材のように歳月を経て腐食したりしない合成素材らしいのだ。それは表面を塗装することで、自然の環境下で劣化、腐朽することがなく、疲労寿命も長い。電気絶縁抵抗も高いという。
工法は木製枕木と同様に加工できるし、工業用製品なので、オーダーさえあれば大量生産も可能。
主に分岐部分(ポイント)、最新式の橋梁(振動や騒音を抑える)、高架の駅構内に敷設したレールの枕木といった工法が単純でない箇所に利用されます。キーワードでFFU素材 枕木で検索すると表示されるから見て下さい。枕木でなくても意外に日常、木材だと思っていたのがFFUなのもあるかも知れない。腐食しないというのが凄いです。
ただ、それだけに高いそうです。最新素材の高級品の枕木といっていい。
そんな高級なものを!!
それほどの高級素材がここ上州富岡駅構内にデンと鎮座しているのか。それもポイント分岐レールの分だけ。そこだけ取り換えるのだろうね。
断面を見ると何となくレール規格も大きい。測ったことがないので上信電鉄のレール規格がわからないのですが、現状は30kg(高さ108mm)レールか37kg(高さ122mm)レールクラスでしょう。だからあんなに揺れるんだと思う。ローカル線の40kgレール(高さ140mm)までいかないんじゃないかな。
駅構内にデンと鎮座しているあの規格、レールも枕木もですが、全線あれに取り換えたら揺れは相当収まるんじゃないかな~。

ホームから見下ろしたら、本線レールの脇に交換用のレールが置かれていた。さっきの踏切脇に鎮座してあった製品と併せて敷設しなおすのでしょうか。


高崎行上り電車がきた。さっき「始発じゃねぇのか」とボヤいたおとーさんも娘さんと席確保できたし、平日のこの時間は学生が多いが満席になるほどじゃないです。自分は最後部車両へ歩いて座ったら寝てしまった。

散策中に左足の甲を痛めたので、最後の写真を撮ってからゆ~っくりホームを歩いたら、駅舎に戻りかけた改札の駅員が慌てたように憮然として戻ってきた。多胡碑の最寄駅である吉井駅や、製糸場の上州富岡駅の駅員さんは愛想がいいが、高崎駅の駅員さんは女性も含めていまいち素っ気ない。
上信電鉄は気になる調査テーマがあるのです。遺構は無さそうですがいつか調査に着手したい。
では夜の街へ。
2019-02-09 08:23
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枕木音の正体 [鉄路と風景]
コン・・・
コン・・・
一晩中、枕木を転がす音が響いていた。
犬釘を打つ音かも知れない。
それでも眠りに落ちたのだが、翌朝4:40頃、起きてしまったんですよ。何やらモーター音がしたのです。
明るくなりかけた蕎麦宿の裏手の線路上を昨夜の作業車が引き上げていくところだった。
台車には数人の作業員が載っていた。グッタリしていましたね。



まだ始発(5:53)まで時間がある。それまでに間に合ったようである。
おそらく作業車は湯野上温泉駅の側線に入り、何処かの車両基地に引き上げるに違いない。




やれやれお疲れ様。だが、メゾネットの2階寝室に戻ろうとしたら、また無粋な機械音が聞こえてきたのだ。
ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ・・・
何だよ今度は?

まった覗いてみたら、作業トラックが宿裏の細い坂をバックで下っている音だった。


うるっせぇなこのヤロォ。
他の客室(更級、長寿)の客人は何とも思わないのかな。
そのうち誰かが気付いたらしく、音が消えた代わりに、「ゆ~っくりゆっくり、ハンドル切って・・・」指示が聞こえた。
もういいっ!!寝なおすの止めたっ!!
また外に出たんですよ。
ネタにしてやるからなっ。


昨夜問答した若くて恰幅のいい作業員がいるじゃないか。
「あ・・・」
私に気付いた。また何か文句を言いに来たかと思ったのではないか。
「お疲れ。終わったんか?」
「ハイ終了しました。・・・もしかして・・・起こして・・・」
「そうだよっ。そのトラックのバックの音でなっ」
「ああ、すみません。」
夜通し作業していた彼らに向かって怒ったりしないけどさ。私は作務衣の袖で目をこすりながらボヤくように言った。
「一晩中、枕木を転がす音がコンコン響いてたぜ」
「え、そんなに響きましたか」
「あたりめぇだ。ここら辺りはいつもは静かで音なんかしねぇモン。これが大都会だったら気になんねぇよ」
鉄橋は渓谷の上を跨いでいるわけで周囲の山々に反響するに決まってら。都会はくるまの走行音とか、生活上の暗騒音があるから気にならないものだよ。

トラックは荷台を踏切に向けている。作業員たちが計器その他を積んでいた。

まだ軌道上に手押しの台車が3台ある。
「この台車は手で押していくのかい?」
「???」
「このまま押してったらそのうち始発と衝突しちゃうじゃんか」
「いえいえ、今から荷台に積むんですよ」
さすがに手押しで湯野上温泉駅に引き上げるのではないらしい。台車を荷台に積む作業が始まった。かなり重そうで5人がかりで積み上げてましたね。



何でこの場所で撤収作業をするのか事情が何となくわかったぞ。夜通し作業した第四大川鉄橋近くにトラックを寄せる場所は、ここ蕎麦宿の裏にある小さい踏切しかないのである。
会津若松方面の次の踏切は湯野上温泉駅街の外れにある「大阪屋」近くにある白岩踏切(大きいつり橋を渡って対岸に渡る道で、確か一般車両は渡れない筈)だが、そこまで台車を押して行くには後で述べるボロい枕木の4連ガーダー橋上を手押ししなきゃならないからアブないのだ。
では反対側の会津田島方面はどうか。そっちの人家の無い場所で積み下ろしをやればいいのにと思ったが、塔のへつり駅の沿線は森林と農地で、トラックを横付けする道路が無いのである。
塔のへつり駅近くに踏切があるが、そこまで押して行くには昨夜作業した第四大川橋梁ともうひとつ、98mの第五大川橋梁も渡らないといけない。ちょっと手押しで行くには距離があり過ぎだし、転落する危険も伴うし、時間がかかったら始発とぶつかってしまうだろう。
作業員が安全に撤収できる場所はこの踏切しかないのである。たまたま蕎麦宿の裏手にあり、私みたいなウルさい宿泊客とぶつかっただけである。
「よく来られるんですか?」
「年に3回かな・・・」
「工事することはその辺の人(蕎麦宿その他、崖上の家々を指しながら)に言ってあったのですが」
「宿のおやじは何も言ってねぇよ。会津人は寡黙だし。余計なことは喋らねぇし」
だけど喋らな過ぎである。昨夜初めて泊まった客は宿の印象をどう思うかね。「作業音がうるさかった」って思うだろう。宿泊体験の第一印象が悪くなりかねない。「工事をします」そういう御触れも無かったしね。
足元にボードがあるぞ。

工事番号 30会鉄工第12号
作業種別 橋マクラギ交換
駅間 湯野上温泉~塔のへつり
(判読不能) 23大960m~24大070m
記事 施行後 本線夜
そして施行した会社名が記されている。会社名でHPを検索したら本社は仙台市。東北地方を中心に土木工事・建築工事・軌道敷設・軌道整備などをおこなう総合建設会社とあった。
様々な施行業務の中に、線路施行とメンテナンス部門があって、
「世界一時間に正確で世界一安全といわれている日本の鉄道。その鉄道を支え安全を守っているのが私たちの仕事です。
社会になくてはならない鉄道を守る、そんな大きなやりがいのある仕事の喜びとプライドをあなたにも味わってほしいと思っています。
鉄道は通勤、通学、その他様々な場面で利用されています。私たちは、利用されるお客様が安心して目的地まで辿り着けるよう、列車と列車の合間の限られた時間の中で、線路のメンテナンス工事を日々行っています。」
仕事の喜びとプライドをあなたにも味わってほしいって?
「充分に味わったよ。お蔭さまで眠くてしょーがねぇよ」と言いたいところだが、この会社はおそらく2011年のあの大震災以降、鉄道の復旧に携わって東北地方の至る所を廻っているに違いない。それも一般人が利用しない夜間に。

私は湯野上温泉駅の方角を指して、
「で、あっちの橋の枕木も早くやらなきゃ。いつやんのさ?」
「ええ・・・来年の・・・ちょうど今頃・・・」
「なにっ。来年の今日だってか?」
「多分・・・」
でもお盆の大渋滞で懲りたので、来年の泊まり日が施行日と再びかちあうのは考え難いけどな。
ではあのボロい4連ガーダー橋の枕木交換工事は、あの辺りにある民宿平野屋さんに泊まる客が眩しくてうるさくて眠れない経験をするのだろうよ。

トラックが引き上げていくところ。
私と若い作業員もその後に続いて歩いた。
坂を上がってから気が付いたのだが、蕎麦宿の前、湯の道に作業員の社用車が路駐していた。

「じゃぁな。お疲れ」
私は宿に入った。作業員は私に無言で頭を下げてワンボックスカーに乗り込んだ。彼はほうぼうの夜間工事で私みたいないいがかり人に頭を下げて廻っているに違いない。
これから作業報告をして、日誌に記載して、どっかで爆睡するのだろうか。これが都会だったら朝から営ってる居酒屋があるのに。

昨年2017年1月、和歌山県御坊市の紀州鉄道で単行車両が左カーブ走行中に脱線している。
木製の枕木の腐食と割れが原因である。
犬釘でレールを固定する力が弱まって外側にレールが傾き、2本の軌道(レール)の間が広がってしまい、その間に車輪がストンと落ち込んだのである。
同年2月には熊本電気鉄道でも2両編成が右カーブ走行中に脱線。紀州鉄道と同様の原因である。同年5月にも群馬県桐生市のわたらせ渓谷鉄道(旧足尾鉄道)でも同様の事故が起きている。地方鉄道ばかりではないか。
原因はいずれも木製の枕木の腐食、割れによるもので、運輸安全委員会は枕木をコンクリート製に交換していくことを推奨してはいる。耐久性が高く、レースを固定する力が強いからである。
この案は石井啓一国交相大臣(カジノ他、統合型リゾート施設(IR)法案のあの人)にも伝わっているそうだが、JRや大手私鉄はどもかく、厳しい経営状況の地方私鉄まで普及していないようである。
そこで問題の4連ガーダーがこれである。
湯の道、民宿ひらの屋前の鉄橋です。


ボロボロじゃないか。早く取り換えろよ。
このせいで会津鉄道が運休になったら困るんだよ。さっさとやれって。


そして5:53の始発が走っていった。取り換えたばかりの枕木の上を走って。
(この写真は始発ではありません。)





恵明庵に戻ってしばらく寝てたらジャン妻が目を覚ました。
「何してたの?」
私が朝っぱらからゴソゴソ動いていたのは何となく気配で気付いていたらしい。
「実はな・ぁ・・」
昨夜と未明に起こった椿事を話した。
「アナタ夜間に働いている作業員さんにそんなことを言ったの?」
「お前さんは寝てたからそう言うけどさ」
「ちゃんとお疲れ様、ご苦労様って言った?」
「言った・・・と思う」
「・・・」
「いいんだよ。ああいう連中は近隣住民のクレームなんかしょっちゅう受けてるんだからさ」
「・・・」


朝湯してしばらく寝ていたらまだコンコン音がする。
一晩鳴っていた枕木を転がす音がまだ鳴っているのか?
一定間隔でコンコン音がするのだ。コン・・・しばらく間が開いてまた、コン・・・。
オカシイぞ。作業は終了して撤収した筈だが。既に始発が走り去っていったし。
何が鳴っているのか部屋を見渡した。部屋の扇風機がゆっくり回転して、その風がロールカーテンに吹き付けて、カーテンの棒が柱に当っていたのである。
もしかして昨夜遠くから、鉄橋の作業現場から聞こえた?あのコンコン鳴る音は、自分が寝ている部屋のロールカーテンの音だったのだろうか?
コン・・・
一晩中、枕木を転がす音が響いていた。
犬釘を打つ音かも知れない。
それでも眠りに落ちたのだが、翌朝4:40頃、起きてしまったんですよ。何やらモーター音がしたのです。
明るくなりかけた蕎麦宿の裏手の線路上を昨夜の作業車が引き上げていくところだった。
台車には数人の作業員が載っていた。グッタリしていましたね。



まだ始発(5:53)まで時間がある。それまでに間に合ったようである。
おそらく作業車は湯野上温泉駅の側線に入り、何処かの車両基地に引き上げるに違いない。




やれやれお疲れ様。だが、メゾネットの2階寝室に戻ろうとしたら、また無粋な機械音が聞こえてきたのだ。
ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ・・・
何だよ今度は?

まった覗いてみたら、作業トラックが宿裏の細い坂をバックで下っている音だった。


うるっせぇなこのヤロォ。
他の客室(更級、長寿)の客人は何とも思わないのかな。
そのうち誰かが気付いたらしく、音が消えた代わりに、「ゆ~っくりゆっくり、ハンドル切って・・・」指示が聞こえた。
もういいっ!!寝なおすの止めたっ!!
また外に出たんですよ。
ネタにしてやるからなっ。


昨夜問答した若くて恰幅のいい作業員がいるじゃないか。
「あ・・・」
私に気付いた。また何か文句を言いに来たかと思ったのではないか。
「お疲れ。終わったんか?」
「ハイ終了しました。・・・もしかして・・・起こして・・・」
「そうだよっ。そのトラックのバックの音でなっ」
「ああ、すみません。」
夜通し作業していた彼らに向かって怒ったりしないけどさ。私は作務衣の袖で目をこすりながらボヤくように言った。
「一晩中、枕木を転がす音がコンコン響いてたぜ」
「え、そんなに響きましたか」
「あたりめぇだ。ここら辺りはいつもは静かで音なんかしねぇモン。これが大都会だったら気になんねぇよ」
鉄橋は渓谷の上を跨いでいるわけで周囲の山々に反響するに決まってら。都会はくるまの走行音とか、生活上の暗騒音があるから気にならないものだよ。

トラックは荷台を踏切に向けている。作業員たちが計器その他を積んでいた。

まだ軌道上に手押しの台車が3台ある。
「この台車は手で押していくのかい?」
「???」
「このまま押してったらそのうち始発と衝突しちゃうじゃんか」
「いえいえ、今から荷台に積むんですよ」
さすがに手押しで湯野上温泉駅に引き上げるのではないらしい。台車を荷台に積む作業が始まった。かなり重そうで5人がかりで積み上げてましたね。



何でこの場所で撤収作業をするのか事情が何となくわかったぞ。夜通し作業した第四大川鉄橋近くにトラックを寄せる場所は、ここ蕎麦宿の裏にある小さい踏切しかないのである。
会津若松方面の次の踏切は湯野上温泉駅街の外れにある「大阪屋」近くにある白岩踏切(大きいつり橋を渡って対岸に渡る道で、確か一般車両は渡れない筈)だが、そこまで台車を押して行くには後で述べるボロい枕木の4連ガーダー橋上を手押ししなきゃならないからアブないのだ。
では反対側の会津田島方面はどうか。そっちの人家の無い場所で積み下ろしをやればいいのにと思ったが、塔のへつり駅の沿線は森林と農地で、トラックを横付けする道路が無いのである。
塔のへつり駅近くに踏切があるが、そこまで押して行くには昨夜作業した第四大川橋梁ともうひとつ、98mの第五大川橋梁も渡らないといけない。ちょっと手押しで行くには距離があり過ぎだし、転落する危険も伴うし、時間がかかったら始発とぶつかってしまうだろう。
作業員が安全に撤収できる場所はこの踏切しかないのである。たまたま蕎麦宿の裏手にあり、私みたいなウルさい宿泊客とぶつかっただけである。
「よく来られるんですか?」
「年に3回かな・・・」
「工事することはその辺の人(蕎麦宿その他、崖上の家々を指しながら)に言ってあったのですが」
「宿のおやじは何も言ってねぇよ。会津人は寡黙だし。余計なことは喋らねぇし」
だけど喋らな過ぎである。昨夜初めて泊まった客は宿の印象をどう思うかね。「作業音がうるさかった」って思うだろう。宿泊体験の第一印象が悪くなりかねない。「工事をします」そういう御触れも無かったしね。
足元にボードがあるぞ。

工事番号 30会鉄工第12号
作業種別 橋マクラギ交換
駅間 湯野上温泉~塔のへつり
(判読不能) 23大960m~24大070m
記事 施行後 本線夜
そして施行した会社名が記されている。会社名でHPを検索したら本社は仙台市。東北地方を中心に土木工事・建築工事・軌道敷設・軌道整備などをおこなう総合建設会社とあった。
様々な施行業務の中に、線路施行とメンテナンス部門があって、
「世界一時間に正確で世界一安全といわれている日本の鉄道。その鉄道を支え安全を守っているのが私たちの仕事です。
社会になくてはならない鉄道を守る、そんな大きなやりがいのある仕事の喜びとプライドをあなたにも味わってほしいと思っています。
鉄道は通勤、通学、その他様々な場面で利用されています。私たちは、利用されるお客様が安心して目的地まで辿り着けるよう、列車と列車の合間の限られた時間の中で、線路のメンテナンス工事を日々行っています。」
仕事の喜びとプライドをあなたにも味わってほしいって?
「充分に味わったよ。お蔭さまで眠くてしょーがねぇよ」と言いたいところだが、この会社はおそらく2011年のあの大震災以降、鉄道の復旧に携わって東北地方の至る所を廻っているに違いない。それも一般人が利用しない夜間に。

私は湯野上温泉駅の方角を指して、
「で、あっちの橋の枕木も早くやらなきゃ。いつやんのさ?」
「ええ・・・来年の・・・ちょうど今頃・・・」
「なにっ。来年の今日だってか?」
「多分・・・」
でもお盆の大渋滞で懲りたので、来年の泊まり日が施行日と再びかちあうのは考え難いけどな。
ではあのボロい4連ガーダー橋の枕木交換工事は、あの辺りにある民宿平野屋さんに泊まる客が眩しくてうるさくて眠れない経験をするのだろうよ。

トラックが引き上げていくところ。
私と若い作業員もその後に続いて歩いた。
坂を上がってから気が付いたのだが、蕎麦宿の前、湯の道に作業員の社用車が路駐していた。

「じゃぁな。お疲れ」
私は宿に入った。作業員は私に無言で頭を下げてワンボックスカーに乗り込んだ。彼はほうぼうの夜間工事で私みたいないいがかり人に頭を下げて廻っているに違いない。
これから作業報告をして、日誌に記載して、どっかで爆睡するのだろうか。これが都会だったら朝から営ってる居酒屋があるのに。

昨年2017年1月、和歌山県御坊市の紀州鉄道で単行車両が左カーブ走行中に脱線している。
木製の枕木の腐食と割れが原因である。
犬釘でレールを固定する力が弱まって外側にレールが傾き、2本の軌道(レール)の間が広がってしまい、その間に車輪がストンと落ち込んだのである。
同年2月には熊本電気鉄道でも2両編成が右カーブ走行中に脱線。紀州鉄道と同様の原因である。同年5月にも群馬県桐生市のわたらせ渓谷鉄道(旧足尾鉄道)でも同様の事故が起きている。地方鉄道ばかりではないか。
原因はいずれも木製の枕木の腐食、割れによるもので、運輸安全委員会は枕木をコンクリート製に交換していくことを推奨してはいる。耐久性が高く、レースを固定する力が強いからである。
この案は石井啓一国交相大臣(カジノ他、統合型リゾート施設(IR)法案のあの人)にも伝わっているそうだが、JRや大手私鉄はどもかく、厳しい経営状況の地方私鉄まで普及していないようである。
そこで問題の4連ガーダーがこれである。
湯の道、民宿ひらの屋前の鉄橋です。


ボロボロじゃないか。早く取り換えろよ。
このせいで会津鉄道が運休になったら困るんだよ。さっさとやれって。


そして5:53の始発が走っていった。取り換えたばかりの枕木の上を走って。
(この写真は始発ではありません。)





恵明庵に戻ってしばらく寝てたらジャン妻が目を覚ました。
「何してたの?」
私が朝っぱらからゴソゴソ動いていたのは何となく気配で気付いていたらしい。
「実はな・ぁ・・」
昨夜と未明に起こった椿事を話した。
「アナタ夜間に働いている作業員さんにそんなことを言ったの?」
「お前さんは寝てたからそう言うけどさ」
「ちゃんとお疲れ様、ご苦労様って言った?」
「言った・・・と思う」
「・・・」
「いいんだよ。ああいう連中は近隣住民のクレームなんかしょっちゅう受けてるんだからさ」
「・・・」


朝湯してしばらく寝ていたらまだコンコン音がする。
一晩鳴っていた枕木を転がす音がまだ鳴っているのか?
一定間隔でコンコン音がするのだ。コン・・・しばらく間が開いてまた、コン・・・。
オカシイぞ。作業は終了して撤収した筈だが。既に始発が走り去っていったし。
何が鳴っているのか部屋を見渡した。部屋の扇風機がゆっくり回転して、その風がロールカーテンに吹き付けて、カーテンの棒が柱に当っていたのである。
もしかして昨夜遠くから、鉄橋の作業現場から聞こえた?あのコンコン鳴る音は、自分が寝ている部屋のロールカーテンの音だったのだろうか?
2018-08-23 07:17
コメント(8)
闇にうごめく者たち [鉄路と風景]
今日の記事は私の日頃の悪い口調がそのまま入っております。
脚色でも何でもなく、ホントその時の情景なのをご了承ください。

蕎麦宿の前、湯の道です。
人は歩いていない。でも寂れた温泉街でもない。
宿や各家々には温泉が引かれ、内湯から人の声が洩れ聞こえ、洗面器を打ちつけるカッコーンという音や、湯を汲んで被る音が響いたりしている。
廃業した宿はなくどこも人の息吹がするのは、そこに住んでいること、昔ながらの豊富な天然湯が湧き出ていてそれの恩恵に預かっているからでしょう。
静かな温泉街です。

静かな温泉街です。



終電(電車ではないが)から3本め、湯野上温泉駅21:00発の会津田島方面下りです。(列車番号2323D)





静かな温泉街です。
1時間に1本ぐらい。過ぎ去った後は静寂が戻り、聞こえるのは大川(阿賀野川)のせせらぎと虫の音。
寝酒も飲んでしまったので、湯に入り、あとは寝るだけ。


静かな温泉街ですっ!!
私は最終の会津田島行(湯野上温泉駅22:42発)の走行音、踏切警報音を聞いた記憶がおぼろげなのだが、最終は1両編成の単行なのでおそらく寝入って気が付かなかったのだと思う。
22:50頃だったと思う。外に人がいる気配で目が覚めた。メゾネット恵明庵2階寝室の窓から覗いたら、宿の裏手の踏切に誰かがいるのです。
そのうち、ピーピーガーガー無線機の音がして何やら指示連絡をしているような会話が洩れ聞こえてきた。
1階に下りてフェイクの囲炉裏から窓を開けたら、やはり誰かが立っている。

ハッキリとは聞こえないが、
「リョーカイ・・・こちら・・・ですどうぞ・・・ハイ・・・ブツクサブツクサ」
その会話の合間にピーピーガガガガとトランシーバーの音がするわけですよ。携帯じゃなかったね。
会津鉄道の保線区員らしい?
蒼白いライトが眩しいじゃないか。客室を照らすんじゃないよ。

何をやってやがんだ?
私は作務衣に着替えて恵明庵を出たんですよ。

宿を出て田んぼを廻り、坂を下って裏手の踏切に向かったら、そこに作業服に身を固めて安全帽(ヘルメット)で完全装備した恰幅のいい若い作業員が踏切脇に立っていた。

私は踏切へ歩み寄り、蕎麦宿を指しながら、
「そこの宿に泊まっているものだが」
「あ、ハイ」
「さっきからピーピーガーガーうるせぇぞ。何をやってやがんだ?」
作業員さんはやや硬直した。
「あ、申し訳ありません」
私は作務衣の袖で眠い目をこすりながら、
「部屋をライトで照らしただろっ」
「すみません。い、今から線路の枕木を取り換えるので」
「この時間にか。この辺りの?」
「いえ?あ・・・こちらへお渡りください」

宿と反対側に渡った次の瞬間、私は「ウオッ」と声をあげた。湯野上温泉駅の方向から強力な前方灯(ライト)が照らし出され、何か巨大な怪物のような重機がこっちへ向けてゆっくり走行してくるのだ。


デカくて無骨な作業者が黄色いフレームで枠を固定された台車をけん引している。台車には資材とヘルメットを被った作業員が数人載っていた。


ゆ~っくり塔のへつり方面へ走り去っていく。
「何だぁ今のはよ?」
「今から鉄橋の上の枕木を交換するんです」
「ああ、そういうことか・・・」
通常ダイヤは終了している。そこへ夜間の作業者が走るので、踏切の警報音をカットした状態で警備していたらしいのだ。
鉄橋の手前で停車したようだ。

会津鉄道は湯野上温泉駅から塔のへつり駅の間に2回大川(阿賀野川)を渡るが、湯野上温泉駅側の大鉄橋を第四大川橋梁といいます。
昭和9年頃、湯野上温泉駅から会津田島駅方面に延伸した際に完成した橋で、全長108m、上路ワーレントラス橋とプレートガーダーで組まれている。昭和初期の旧国鉄時代の橋梁なので溶接ではなくリベットで結合されている。
川床からの高さはわからない。私は大川河川から見上げたことが3回ほどあるが、作業員が退避できる側道(キャットウォーク)や安全帯を引っかける手すりが併設されていたかどうか。
やれやれ、そういう予定で今夜操業するのかよ。
「わかった。それじゃぁしゃーない」
でも言い足りないことがあるぜ。
「ったく起こしてくれてからによぉ・・・」
「・・・」
これぐらい言ってもいいよね。
「こちとら朝5時半に家を出て、東北道の下り大渋滞でそこの宿に着いたのが午後3時前だぜ。寝不足なんだ」
でも大渋滞はこの作業員や夜間作業のせいじゃないけどね。
「じゅ、渋滞、凄かったそうですね。」
「いいよもう。事情はわかった」
そう言い置いてその場を立ち去ろうとしたのだが、ふと気付いたことがある。
旧くなった枕木を交換だと?
私は立ち去りかけた足を戻して、、
「あっちの4号源泉ポンプの前を渡る鉄橋の枕木の方が危なくねぇか」
私は今いる踏切から湯野上温泉駅方面の民宿「ひらの屋」辺りを指していった。そこの崖の斜面を渡る4連ガーダー橋の枕木である。前にUpしたことある。
「あっちなんか腐ってボロボロじゃねぇかよ」
私は自分で言って可笑しくなった。さっきまで「うるせぇな」「起こしやがって」とブツクサ言っていたのに言ってることが変わったからである。「早くあっちを取り換えろよ」って。
夜が明けた明日の記事でUpしますが、大川橋梁と違って私が言った4連ガーダー橋は湯の道に面しているから地元の人の生活道路でもあり、温泉客の目にも触れるのである。素人目でも「何あのボロい枕木?」と気がつくに決まっている。
「自分はこの宿に年3回は来てるんだけど冬場は電車だよ。腐った枕木なんかのせいで運休になっちまったら困るんだよな」
「ハイ・・・」
さっさとやれと言わんばかりだし、こうやって文章にすると殆ど言いがかりというか難癖つけてるみたいですが敢えてそのまま掲載してます。読者の方に誤解されないように言うと、私は伝法な口調で言ってますけど、声音は至って静かに、相手を諭すように、あるいは呟くように言ってるんです。深更だし大きい声をあげてませんから。
「あっちは・・・来年・・・工事する予定です」
「来年?」
「ハイ」
「それまで持てばいいけど」
「・・・」
「じゃぁ寝るワ」
「すみませんでした」
すぐに寝つけるかどうかわからない。

坂を上って部屋に戻る途中、田んぼの向こうに朧気な光が見える。

畝に上ってみた。作業場の光が見える。
都会の夜間保線作業と違って不気味ですらある。
ここで私は、寝てたのを起こされちまった以上は愚痴ったりボヤいたりするより(散々ボヤいたけど)「ネタにしてやる」のヤマッ気がムラムラと持ちあがってきた。もうちょっと現場に近寄ってみるかと。
だが夜間の田んぼの畝は足元がおぼつかない。畝は幅広く足場はしっかりしているが、この時期は草ぼうぼうで、畝と水田の境目が判別つかないのである。
昼間に確認済みなのだが、蕎麦宿の向かいにある水田は2反あって、宿側の1反は苗が植えておらず荒れ地になっていた。稲が植えてあるもう1反の手前まで歩み寄ってみた。


そこだけ照らされている。眩しいくらいである。
そこに作業員がうごめいていた。


会津鉄道は気動車(ディーゼルカー)なので架線がない。橋梁の上は灯を点す電気は何もない筈だ。だからさっきの黄色い無骨な作業者が、強力バッテリーと、塔のへつり側からも自家発電のライトで作業場を煌々と照らしていた。


そのうちコンコン響く音が聞こえてきた。
枕木を橋梁に転がす音か、犬釘(レールと枕木を固定する釘)を打ちつけている音だろうか。

あの大川(阿賀野川)を渡る大鉄橋の枕木を、一晩で全部交換するのだろうか。
会津若松方面行5:53発の始発までに終わるのかな。終わらせなければならないんだろうけど。






部屋に戻った。ジャン妻は寝ている。全く気付かないらしい。

恵明庵のベッドに寝転んだ。
寝てたらある一定の感覚で枕木を転がす音がコンコン聞こえた。あの音は一晩中、湯野上温泉民宿街に響くに違いない。
さっきの作業員とは翌朝にも再会することになる。
それも4:40にですよ。やれやれ。幾ら私がトシのせいで早起きになったと言ってもさ。
脚色でも何でもなく、ホントその時の情景なのをご了承ください。

蕎麦宿の前、湯の道です。
人は歩いていない。でも寂れた温泉街でもない。
宿や各家々には温泉が引かれ、内湯から人の声が洩れ聞こえ、洗面器を打ちつけるカッコーンという音や、湯を汲んで被る音が響いたりしている。
廃業した宿はなくどこも人の息吹がするのは、そこに住んでいること、昔ながらの豊富な天然湯が湧き出ていてそれの恩恵に預かっているからでしょう。
静かな温泉街です。

静かな温泉街です。



終電(電車ではないが)から3本め、湯野上温泉駅21:00発の会津田島方面下りです。(列車番号2323D)





静かな温泉街です。
1時間に1本ぐらい。過ぎ去った後は静寂が戻り、聞こえるのは大川(阿賀野川)のせせらぎと虫の音。
寝酒も飲んでしまったので、湯に入り、あとは寝るだけ。


静かな温泉街ですっ!!
私は最終の会津田島行(湯野上温泉駅22:42発)の走行音、踏切警報音を聞いた記憶がおぼろげなのだが、最終は1両編成の単行なのでおそらく寝入って気が付かなかったのだと思う。
22:50頃だったと思う。外に人がいる気配で目が覚めた。メゾネット恵明庵2階寝室の窓から覗いたら、宿の裏手の踏切に誰かがいるのです。
そのうち、ピーピーガーガー無線機の音がして何やら指示連絡をしているような会話が洩れ聞こえてきた。
1階に下りてフェイクの囲炉裏から窓を開けたら、やはり誰かが立っている。

ハッキリとは聞こえないが、
「リョーカイ・・・こちら・・・ですどうぞ・・・ハイ・・・ブツクサブツクサ」
その会話の合間にピーピーガガガガとトランシーバーの音がするわけですよ。携帯じゃなかったね。
会津鉄道の保線区員らしい?
蒼白いライトが眩しいじゃないか。客室を照らすんじゃないよ。

何をやってやがんだ?
私は作務衣に着替えて恵明庵を出たんですよ。

宿を出て田んぼを廻り、坂を下って裏手の踏切に向かったら、そこに作業服に身を固めて安全帽(ヘルメット)で完全装備した恰幅のいい若い作業員が踏切脇に立っていた。

私は踏切へ歩み寄り、蕎麦宿を指しながら、
「そこの宿に泊まっているものだが」
「あ、ハイ」
「さっきからピーピーガーガーうるせぇぞ。何をやってやがんだ?」
作業員さんはやや硬直した。
「あ、申し訳ありません」
私は作務衣の袖で眠い目をこすりながら、
「部屋をライトで照らしただろっ」
「すみません。い、今から線路の枕木を取り換えるので」
「この時間にか。この辺りの?」
「いえ?あ・・・こちらへお渡りください」

宿と反対側に渡った次の瞬間、私は「ウオッ」と声をあげた。湯野上温泉駅の方向から強力な前方灯(ライト)が照らし出され、何か巨大な怪物のような重機がこっちへ向けてゆっくり走行してくるのだ。


デカくて無骨な作業者が黄色いフレームで枠を固定された台車をけん引している。台車には資材とヘルメットを被った作業員が数人載っていた。


ゆ~っくり塔のへつり方面へ走り去っていく。
「何だぁ今のはよ?」
「今から鉄橋の上の枕木を交換するんです」
「ああ、そういうことか・・・」
通常ダイヤは終了している。そこへ夜間の作業者が走るので、踏切の警報音をカットした状態で警備していたらしいのだ。
鉄橋の手前で停車したようだ。

会津鉄道は湯野上温泉駅から塔のへつり駅の間に2回大川(阿賀野川)を渡るが、湯野上温泉駅側の大鉄橋を第四大川橋梁といいます。
昭和9年頃、湯野上温泉駅から会津田島駅方面に延伸した際に完成した橋で、全長108m、上路ワーレントラス橋とプレートガーダーで組まれている。昭和初期の旧国鉄時代の橋梁なので溶接ではなくリベットで結合されている。
川床からの高さはわからない。私は大川河川から見上げたことが3回ほどあるが、作業員が退避できる側道(キャットウォーク)や安全帯を引っかける手すりが併設されていたかどうか。
やれやれ、そういう予定で今夜操業するのかよ。
「わかった。それじゃぁしゃーない」
でも言い足りないことがあるぜ。
「ったく起こしてくれてからによぉ・・・」
「・・・」
これぐらい言ってもいいよね。
「こちとら朝5時半に家を出て、東北道の下り大渋滞でそこの宿に着いたのが午後3時前だぜ。寝不足なんだ」
でも大渋滞はこの作業員や夜間作業のせいじゃないけどね。
「じゅ、渋滞、凄かったそうですね。」
「いいよもう。事情はわかった」
そう言い置いてその場を立ち去ろうとしたのだが、ふと気付いたことがある。
旧くなった枕木を交換だと?
私は立ち去りかけた足を戻して、、
「あっちの4号源泉ポンプの前を渡る鉄橋の枕木の方が危なくねぇか」
私は今いる踏切から湯野上温泉駅方面の民宿「ひらの屋」辺りを指していった。そこの崖の斜面を渡る4連ガーダー橋の枕木である。前にUpしたことある。
「あっちなんか腐ってボロボロじゃねぇかよ」
私は自分で言って可笑しくなった。さっきまで「うるせぇな」「起こしやがって」とブツクサ言っていたのに言ってることが変わったからである。「早くあっちを取り換えろよ」って。
夜が明けた明日の記事でUpしますが、大川橋梁と違って私が言った4連ガーダー橋は湯の道に面しているから地元の人の生活道路でもあり、温泉客の目にも触れるのである。素人目でも「何あのボロい枕木?」と気がつくに決まっている。
「自分はこの宿に年3回は来てるんだけど冬場は電車だよ。腐った枕木なんかのせいで運休になっちまったら困るんだよな」
「ハイ・・・」
さっさとやれと言わんばかりだし、こうやって文章にすると殆ど言いがかりというか難癖つけてるみたいですが敢えてそのまま掲載してます。読者の方に誤解されないように言うと、私は伝法な口調で言ってますけど、声音は至って静かに、相手を諭すように、あるいは呟くように言ってるんです。深更だし大きい声をあげてませんから。
「あっちは・・・来年・・・工事する予定です」
「来年?」
「ハイ」
「それまで持てばいいけど」
「・・・」
「じゃぁ寝るワ」
「すみませんでした」
すぐに寝つけるかどうかわからない。

坂を上って部屋に戻る途中、田んぼの向こうに朧気な光が見える。

畝に上ってみた。作業場の光が見える。
都会の夜間保線作業と違って不気味ですらある。
ここで私は、寝てたのを起こされちまった以上は愚痴ったりボヤいたりするより(散々ボヤいたけど)「ネタにしてやる」のヤマッ気がムラムラと持ちあがってきた。もうちょっと現場に近寄ってみるかと。
だが夜間の田んぼの畝は足元がおぼつかない。畝は幅広く足場はしっかりしているが、この時期は草ぼうぼうで、畝と水田の境目が判別つかないのである。
昼間に確認済みなのだが、蕎麦宿の向かいにある水田は2反あって、宿側の1反は苗が植えておらず荒れ地になっていた。稲が植えてあるもう1反の手前まで歩み寄ってみた。


そこだけ照らされている。眩しいくらいである。
そこに作業員がうごめいていた。


会津鉄道は気動車(ディーゼルカー)なので架線がない。橋梁の上は灯を点す電気は何もない筈だ。だからさっきの黄色い無骨な作業者が、強力バッテリーと、塔のへつり側からも自家発電のライトで作業場を煌々と照らしていた。


そのうちコンコン響く音が聞こえてきた。
枕木を橋梁に転がす音か、犬釘(レールと枕木を固定する釘)を打ちつけている音だろうか。

あの大川(阿賀野川)を渡る大鉄橋の枕木を、一晩で全部交換するのだろうか。
会津若松方面行5:53発の始発までに終わるのかな。終わらせなければならないんだろうけど。






部屋に戻った。ジャン妻は寝ている。全く気付かないらしい。

恵明庵のベッドに寝転んだ。
寝てたらある一定の感覚で枕木を転がす音がコンコン聞こえた。あの音は一晩中、湯野上温泉民宿街に響くに違いない。
さっきの作業員とは翌朝にも再会することになる。
それも4:40にですよ。やれやれ。幾ら私がトシのせいで早起きになったと言ってもさ。
2018-08-22 06:54
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静鉄 [鉄路と風景]
闇紀尾井さんの悪魔の囁き(昼から飲みましょうよ)を振り切り、静岡鉄道(以下、静鉄、新静岡駅~新清水駅)に乗車しました。
新静岡駅は近代的な複合テナントビルの1階にホームがあり、そこで閉塞していた。

Suicaで乗車できました。静鉄は全駅が磁気カードに対応しているのが凄い。磁気カードに対応しようとする気配すら全く見せない時代遅れ上信電鉄とは雲泥の差である。
(チャージは新静岡、草薙、新清水各駅の有人窓口のみ。)
ホームに近代的な新型車両が停車している。東急車両のボロ車両ではなかった。

今日の記事写真は過去にUPした八高線、上毛電鉄、関東鉄道の記事と同じようなもので、記録の為に車内から1枚ずつ慌て撮りしただけのもので写りが悪い写真ばかりです。沿線ガイドにはなりませんがそこはご容赦下さい。

例によって私は座席に座らず、過去の滅多に乗らない乗車記事のようにずーっと立ちっ放しです。座席は空いてましたけどね。前方車両で沿線風景を観察した。

新静岡駅を出て最初の駅、日吉町です。
前に定宿だったドルフが見える。

ドルフは部屋は狭く、従業員が若くて気が利かないが、朝の手作り惣菜バイキングがサイコーだった。
「ドルフに戻ろうよ」
「気が利かないからヤダ」

次が音羽町駅。音羽?井伊直虎の俗名、若い頃は「おとわどの」だったよな。ここからパクったか。

音羽町駅を過ぎたら国道1号線と並走する。くるまとどっちが早いか。信号が無ければくるまの方が早そうだが。

紀尾井さんで飲んで、泊まって、翌朝国道1号を走ってると、静鉄が割と頻繁に走っているのに出くわす。
現在の静鉄は新静岡駅~新清水駅、およそ11kmを結ぶ地方都市鉄道だが運転本数は多く、平日は朝のラッシュ時にMAX15本、日昼でも9本が運行されています。
複線だし、国道1号と並走していると頻繁に走っているように見えるのです。

春日町駅から柚木駅辺りまでは国道1号線と並走します。そのすぐ向こうには東海道新幹線と東海道線が静鉄より遥かに速いスピードで並走しています。
静鉄もメトロ日比谷線ほど遅くはないが、定義がよくわからないなりにもLT(ライトレール)と評されることもあるので、至ってマイペースで走っている。(東急世田谷線、江ノ島電鉄などもそう。)



柚木駅の近くに護国神社があって、駅の副称として「柚木(護国神社前)」と案内されています。
柚木駅と次の長沼駅とのほぼ中間にJRの東静岡駅があるのですが、乗り換えるとなると柚木駅から400m、長沼駅から500m歩かなくてはならない。乗り換え駅と称するには遠い。

長沼駅には車両基地?が併設されていた。廃車に近い台車や、今は使われてるのかどうかわからない無蓋車(バラスト搬送用だろうか)が2両鎮座していた。


長沼駅から北西にチョイあるくと愛宕山という山、公園、愛宕神社があって、正式名称が不明瞭ながら今川氏が築いた塁があるそうです。寿桂尼のお墓も。

国道1号から離れ、古庄(フルショウ)駅を過ぎると築堤が高くなっていく。右へカーヴを切ると鉄道ファンにとって静鉄のハイライトともいえる高架橋が連続します。


まず1国をオーバークロス。



今度は左に緩いカーヴを切り、

次に東海道新幹線、東海道本線、貨物線や操車場も長大ガーダー橋で一気にオーバークロスします。



意外に思うかも知れませんが、鉄道同士の関係だと、相手路線を跨ぐ(オーバークロス)するのが礼儀だという。目上路線というか格上路線というか、もともとあった鉄路に対して跨いでも失礼でも何でもないそうです。相手が人間だったら跨ぐのは失礼だが鉄道の場合は逆らしい。(故・宮脇俊三氏の著書から。)
でもこれだけオーバークロスするにはお堅いJR側と相当な折衝を重ねたと思われます。担当者の労苦がしのばれるというもの。
効果築堤が下がって、県総合運動場駅、県立美術館駅、と、県の施設に誘致するかのような駅が続きます。



そして草薙駅、JRの草薙駅乗り換えは100m足らず。
草薙駅はJRも静鉄も静岡県立大学の近くと謳っているが、さっきJRをオーバークロスしたのでこっち(静鉄)の方がキャンパスに近いです。
東名高速の日本平PAに入る手前に静岡大学があって、ウチの従業員に「出身は静岡大学かよ?」と聞いたら、返ってきた返事は、
「違いますッ」
あまり機嫌がよくないレスが返ってきた。
「私は静岡・県・立・大・学ですっ。静大は国大ですっ」
知っててからかってるんですか?と言わんばかりのレスが戻ってきたからね。
国大ではなくて私立だと。プライドに触れたか私?
もうひとつ返信があって、
「それと草薙駅前の焼き鳥道場の出身ですっ」

御門台駅、ミカドダイと読みます。駅名の意味、いわれ、由緒はわからない。
最初私はこの駅名を獄門台と読み違え、次にギョモンダイと読み、小さい字の振り仮名を見て納得した。

御門台駅を出ると左手からさっき跨いだJR東海道線がすり寄ってきて静鉄と並走する。
あっち(東海道線)は速い。追い抜いてすぐ先に行ってしまうが、相手は長大路線、こっち(静鉄)は静岡市内近郊の地元客の搬送を担っているわけで存在意義が全く違います。静鉄はある意味バスといっていいと思う。

次が狐ヶ崎駅。
鎌倉幕府の中枢に携わった梶原景時とその一族、一党が、鎌倉からの追手に討たれた際、討手の御家人、吉香友兼という御家人が景時の三男景茂を討ち取った太刀が、名刀・狐ヶ崎だというが・・・。



桜橋駅は上下線のホームが離れていた。線路に沿ってホーム長さの分だけズレているのです。東急世田谷線の髪町駅のようになっていた。
この構造の理由はわからないが、駅を設置するスペースの都合かも知れない。

300mも走らないですぐに入江岡駅。ここから並走してきたJR東海道本線と離れます。
清水入江小学校はちびまる子ちゃんに登場する小学校と同じだが、ここ入江岡駅よりさっきのホームがズレた桜橋駅の方が近いです。

これも静鉄ファンのハイライト。巴川鉄橋です。
巴川をゆ~っくり渡ります。渡ったらすぐに新清水駅なので、あまり速度を上げて渡ると駅のくるま止めに激突大破してしまうからです。




ゆっくりと新清水駅構内へ。




通しで運転してきたワンマン運転手さん。ワンマン運転が車両後方まで遠目に見て乗降客がいるかいないか見なくてはならないのだが、私がずーっと車内で立っていたもんだから時折目が合った。その目は険しかった。
「この野郎は下りるのかな?何だ下りないのか。だったら座りゃいいのに。後ろが見えないじゃないか。じゃますんなよ」がホンネだったに違いない。
清水駅前にはタクシーが1台停まっていた。
歩いて清水区役所へ。JR清水駅から歩くより近かった。
新清水駅近くに、新生丸、かねだ食堂、1回ずつ行ったことがある。今も営っているのかなぁ。
新静岡駅は近代的な複合テナントビルの1階にホームがあり、そこで閉塞していた。

Suicaで乗車できました。静鉄は全駅が磁気カードに対応しているのが凄い。磁気カードに対応しようとする気配すら全く見せない時代遅れ上信電鉄とは雲泥の差である。
(チャージは新静岡、草薙、新清水各駅の有人窓口のみ。)
ホームに近代的な新型車両が停車している。東急車両のボロ車両ではなかった。

今日の記事写真は過去にUPした八高線、上毛電鉄、関東鉄道の記事と同じようなもので、記録の為に車内から1枚ずつ慌て撮りしただけのもので写りが悪い写真ばかりです。沿線ガイドにはなりませんがそこはご容赦下さい。

例によって私は座席に座らず、過去の滅多に乗らない乗車記事のようにずーっと立ちっ放しです。座席は空いてましたけどね。前方車両で沿線風景を観察した。

新静岡駅を出て最初の駅、日吉町です。
前に定宿だったドルフが見える。

ドルフは部屋は狭く、従業員が若くて気が利かないが、朝の手作り惣菜バイキングがサイコーだった。
「ドルフに戻ろうよ」
「気が利かないからヤダ」

次が音羽町駅。音羽?井伊直虎の俗名、若い頃は「おとわどの」だったよな。ここからパクったか。

音羽町駅を過ぎたら国道1号線と並走する。くるまとどっちが早いか。信号が無ければくるまの方が早そうだが。

紀尾井さんで飲んで、泊まって、翌朝国道1号を走ってると、静鉄が割と頻繁に走っているのに出くわす。
現在の静鉄は新静岡駅~新清水駅、およそ11kmを結ぶ地方都市鉄道だが運転本数は多く、平日は朝のラッシュ時にMAX15本、日昼でも9本が運行されています。
複線だし、国道1号と並走していると頻繁に走っているように見えるのです。

春日町駅から柚木駅辺りまでは国道1号線と並走します。そのすぐ向こうには東海道新幹線と東海道線が静鉄より遥かに速いスピードで並走しています。
静鉄もメトロ日比谷線ほど遅くはないが、定義がよくわからないなりにもLT(ライトレール)と評されることもあるので、至ってマイペースで走っている。(東急世田谷線、江ノ島電鉄などもそう。)



柚木駅の近くに護国神社があって、駅の副称として「柚木(護国神社前)」と案内されています。
柚木駅と次の長沼駅とのほぼ中間にJRの東静岡駅があるのですが、乗り換えるとなると柚木駅から400m、長沼駅から500m歩かなくてはならない。乗り換え駅と称するには遠い。

長沼駅には車両基地?が併設されていた。廃車に近い台車や、今は使われてるのかどうかわからない無蓋車(バラスト搬送用だろうか)が2両鎮座していた。


長沼駅から北西にチョイあるくと愛宕山という山、公園、愛宕神社があって、正式名称が不明瞭ながら今川氏が築いた塁があるそうです。寿桂尼のお墓も。

国道1号から離れ、古庄(フルショウ)駅を過ぎると築堤が高くなっていく。右へカーヴを切ると鉄道ファンにとって静鉄のハイライトともいえる高架橋が連続します。


まず1国をオーバークロス。



今度は左に緩いカーヴを切り、

次に東海道新幹線、東海道本線、貨物線や操車場も長大ガーダー橋で一気にオーバークロスします。



意外に思うかも知れませんが、鉄道同士の関係だと、相手路線を跨ぐ(オーバークロス)するのが礼儀だという。目上路線というか格上路線というか、もともとあった鉄路に対して跨いでも失礼でも何でもないそうです。相手が人間だったら跨ぐのは失礼だが鉄道の場合は逆らしい。(故・宮脇俊三氏の著書から。)
でもこれだけオーバークロスするにはお堅いJR側と相当な折衝を重ねたと思われます。担当者の労苦がしのばれるというもの。
効果築堤が下がって、県総合運動場駅、県立美術館駅、と、県の施設に誘致するかのような駅が続きます。



そして草薙駅、JRの草薙駅乗り換えは100m足らず。
草薙駅はJRも静鉄も静岡県立大学の近くと謳っているが、さっきJRをオーバークロスしたのでこっち(静鉄)の方がキャンパスに近いです。
東名高速の日本平PAに入る手前に静岡大学があって、ウチの従業員に「出身は静岡大学かよ?」と聞いたら、返ってきた返事は、
「違いますッ」
あまり機嫌がよくないレスが返ってきた。
「私は静岡・県・立・大・学ですっ。静大は国大ですっ」
知っててからかってるんですか?と言わんばかりのレスが戻ってきたからね。
国大ではなくて私立だと。プライドに触れたか私?
もうひとつ返信があって、
「それと草薙駅前の焼き鳥道場の出身ですっ」

御門台駅、ミカドダイと読みます。駅名の意味、いわれ、由緒はわからない。
最初私はこの駅名を獄門台と読み違え、次にギョモンダイと読み、小さい字の振り仮名を見て納得した。

御門台駅を出ると左手からさっき跨いだJR東海道線がすり寄ってきて静鉄と並走する。
あっち(東海道線)は速い。追い抜いてすぐ先に行ってしまうが、相手は長大路線、こっち(静鉄)は静岡市内近郊の地元客の搬送を担っているわけで存在意義が全く違います。静鉄はある意味バスといっていいと思う。

次が狐ヶ崎駅。
鎌倉幕府の中枢に携わった梶原景時とその一族、一党が、鎌倉からの追手に討たれた際、討手の御家人、吉香友兼という御家人が景時の三男景茂を討ち取った太刀が、名刀・狐ヶ崎だというが・・・。



桜橋駅は上下線のホームが離れていた。線路に沿ってホーム長さの分だけズレているのです。東急世田谷線の髪町駅のようになっていた。
この構造の理由はわからないが、駅を設置するスペースの都合かも知れない。

300mも走らないですぐに入江岡駅。ここから並走してきたJR東海道本線と離れます。
清水入江小学校はちびまる子ちゃんに登場する小学校と同じだが、ここ入江岡駅よりさっきのホームがズレた桜橋駅の方が近いです。

これも静鉄ファンのハイライト。巴川鉄橋です。
巴川をゆ~っくり渡ります。渡ったらすぐに新清水駅なので、あまり速度を上げて渡ると駅のくるま止めに激突大破してしまうからです。




ゆっくりと新清水駅構内へ。




通しで運転してきたワンマン運転手さん。ワンマン運転が車両後方まで遠目に見て乗降客がいるかいないか見なくてはならないのだが、私がずーっと車内で立っていたもんだから時折目が合った。その目は険しかった。
「この野郎は下りるのかな?何だ下りないのか。だったら座りゃいいのに。後ろが見えないじゃないか。じゃますんなよ」がホンネだったに違いない。
清水駅前にはタクシーが1台停まっていた。
歩いて清水区役所へ。JR清水駅から歩くより近かった。
新清水駅近くに、新生丸、かねだ食堂、1回ずつ行ったことがある。今も営っているのかなぁ。
2018-08-04 07:24
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日中に走らなかった日中線記念館 [鉄路と風景]
会津縦貫道を約13km走る。
喜多方ICで121号線に入り、市の東側を北上。
熱塩温泉郵便局近くにそれ日中線記念館はあった。ナビにも表示された。
それまでジャン妻は、
「またヘンな山城や草むらに入るんじゃないでしょうねぇ」危ぶむようなことを言っていたが安堵したようだ。

喜多方市の北、長閑だが、寂しいところに日中線の終着駅だった熱塩駅の跡がある。
駅構内は広く、ホームと整備された駅舎が残っており、駅舎内にそこまで伸びていた現役時代の写真その他が展示されていた。








「ここまで電車(実際は非電化)が来ていた」と言ったらジャン妻は疑わしそうな表情になった。人家があるにはあるが人が全く歩いていなかったのである。
館内には地元の女性がひとりで雪かきやら清掃やらをしていた。駅舎、記念館は地元の有志で管理しているらしい。警備会社も入っているようです。
ジャン妻はこういう博物館的なものは嫌いじゃないらしい。
「解説がしっかりしていればいいのよ。警備会社が入っているのね」
「そうしておかないと心無いマニアが展示物を盗むんだよ」




私をネットの世界に導き船山温泉を紹介してくれた番頭さんという方は喜多方のご出身だが、番頭さんの某サイト掲示板時代に日中線、野岩羽線についてTALkしたことがある。
野岩羽線は構想上の路線で、そのネーミングの野は下野国の野です。では岩、羽は何なのか?
律令制で定められた日本の地理単位区分を「国」というが、越後国や下野国の先の福島県から北は陸奥国と大きく括られ、会津国という単位は存在しなかった。明治新政府が戊辰戦争後に福島県をだいたい真ん中で東西に分割し、東側を磐城国、会津を含む西側を岩代国と定めたのですが、野岩羽線構想は、下野国の野、岩代国の岩、奥羽の羽です。その3文字をくっつけた。
旧国鉄時代の構想だから起点は東武日光線の下今市ではなく日光線の今市。会津若松方面から旧会津線が会津田島まで伸びてきて、会津滝の原(現在の会津高原)まで伸びてきたが、そこから先の野岩線が国鉄再建法で凍結されたのです。


現在は下今市~東武日光線~野岩鉄道~会津田島~会津鉄道~会津若松~磐越東線~喜多方までを大手私鉄、第三セク、JRで結ばれているが、そこから北の山形県米沢までは達しなかった。構想のみで終わった。
今日訪れた日中線記念館(熱塩駅跡)もそれですが、ここ熱塩が終点になったことで典型的なローカル線(盲腸線)で終わった。
昭和55年(1980年)の国鉄再建法施行により、昭和59年(1984年)に全線廃止になった。
そんなローカル路線でも遺失物があったらしいね。
もっとも乗客数が少ないから持ち主はすぐ見つかりそうだがね。

ジャン自室の書棚に昭和61年刊行の故・宮脇俊三氏の著書、「終着駅へ行ってきます」がある。
これに氏が日中線に乗車したレポが載っていた。30年以上経っているから転載しても構わないでしょう。
氏は喜多方発16:10発の熱塩行に乗車されている。喜多方駅1番線ホームの先っぽの方に日中線のホームがあって、そこに追いやられたかのように、DE10型DLに牽引された2両編成の旧型客車2両が停まっていたという。
「レールもホームも駅舎の近くまで伸びてきているのに、そんなはずれに停まっているのは・・・(略)・・・大赤字の日中線のボロ列車なんかあっちへ行ってろと冷たく扱われているようにも見える」
「二両の老車両に乗るのは若い男女高校生で・・・(略)・・・一緒に帰る仲間も座る席も決まっているらしい。本来なら自分たちの座るべき席を見慣れぬ二人組が占拠しているので、心外そうに私たちを眺めている」
長閑な風景が目に浮かぶようである。そして途中の沿線風景が語られるが、途中駅が3つ、わずか12kmを28分もかけて運行されていた。
その途中駅の描写もある。
会津村松駅・・・「腰板や戸がはずれ、窓ガラスもない。廃駅そのもの」
上三宮駅・・・「荒れるに任されていた」
会津加納駅・・・「黒ずみ古びている」
全体的に修繕や手入れをしてなかったらしいですね。そして終着の熱塩駅は、
「10数人の高校生と一緒に砂利の敷かれた片面ホームに下り立った」
地元の学生さんの通学客が主で、熱塩温泉への湯治客が輸送対象ではなかったらしいのだ。
だから朝1往復、夕方2往復、1日3往復、日中線なのに日中は走らず喜多方駅で日向ぼっこをしているだけだったという。


氏の描写、続く。
「日中線熱塩駅。いい駅である。北欧の民家を想わせる屋根の反りが美しい。瀟洒という語がぴったりする建物だ。ホームから見ても、駅前から眺めても、横へ回っても、どこからでも形がよい」
とベタ褒めした後で、
「もっともそれは離れて眺めた場合であって、近づけば漆喰は剥落し窓枠ははずれ、かつては駅長以下が颯爽と勤務したであろう屋内は荒れ放題で、錆びた什器や備品が放置され散乱している」
とあるから凄まじい荒廃ぶりであったらしい。


レポの間にDE10型機関車がいったん客車から離れ、側線を通って会津方向側に移動している。
「発車時刻が近づいても一向に乗ろうともせず、ウロウロしている私たちを心配して・・・」
・・・車掌が迎えにきてくれたそうです。
17時01分、三人の客を乗せて発車した後は、
「熱塩駅は廃駅のようになった」


氏はその晩は熱塩温泉の某旅館に宿泊されている。その名の通り岩塩を含む温泉で、泊まられた宿は今も現役らしいが、検索するとあまりいい口コミは載っていなかった。
日中線は日中に走らないから日中線なのではなくて、ここ熱塩から北の日中温泉まで敷設する予定でそう命名された。
ダム建設で日中温泉は源泉毎湖底(日中ひざわ湖)に沈んだが、平成5年に新たに源泉を掘り、そこには1軒の旅館があります。
http://www.aizu-yumotoya.com/cuisine/index.html
ラッセル車と旧型客車が展示されていた。
座席の椅子が固そうだ。






野岩羽線構想は消えたが、その構想にそって私が走ってきた国道121号が建設されたかのようである。米沢駅までも国道121号線の大峠道路として整備された。ローカルだが長大な路線計画を高い規格の道路で代替しようとしているわけです。
だが日中線廃止後の替輸送手段がよくわからない。会津バスが引き継いだがそれすらも廃止になったとか。公共の乗合タクシー(ワゴン車のようなものか)が運行しているともいうが。
長閑でいいが、自家用車でないと不便な地域である。
だが高齢化して運転できなくなったらどうなるのだろう。
副業に忙しいJRはそこまで考えてないだろう。
昭和60年刊行の「終着駅」から。熱塩駅は「婚約不履行型」という分類の中にあった。名松線の伊勢興津駅、上信電鉄の下仁田駅と一緒に。



喜多方ICで121号線に入り、市の東側を北上。
熱塩温泉郵便局近くにそれ日中線記念館はあった。ナビにも表示された。
それまでジャン妻は、
「またヘンな山城や草むらに入るんじゃないでしょうねぇ」危ぶむようなことを言っていたが安堵したようだ。

喜多方市の北、長閑だが、寂しいところに日中線の終着駅だった熱塩駅の跡がある。
駅構内は広く、ホームと整備された駅舎が残っており、駅舎内にそこまで伸びていた現役時代の写真その他が展示されていた。








「ここまで電車(実際は非電化)が来ていた」と言ったらジャン妻は疑わしそうな表情になった。人家があるにはあるが人が全く歩いていなかったのである。
館内には地元の女性がひとりで雪かきやら清掃やらをしていた。駅舎、記念館は地元の有志で管理しているらしい。警備会社も入っているようです。
ジャン妻はこういう博物館的なものは嫌いじゃないらしい。
「解説がしっかりしていればいいのよ。警備会社が入っているのね」
「そうしておかないと心無いマニアが展示物を盗むんだよ」




私をネットの世界に導き船山温泉を紹介してくれた番頭さんという方は喜多方のご出身だが、番頭さんの某サイト掲示板時代に日中線、野岩羽線についてTALkしたことがある。
野岩羽線は構想上の路線で、そのネーミングの野は下野国の野です。では岩、羽は何なのか?
律令制で定められた日本の地理単位区分を「国」というが、越後国や下野国の先の福島県から北は陸奥国と大きく括られ、会津国という単位は存在しなかった。明治新政府が戊辰戦争後に福島県をだいたい真ん中で東西に分割し、東側を磐城国、会津を含む西側を岩代国と定めたのですが、野岩羽線構想は、下野国の野、岩代国の岩、奥羽の羽です。その3文字をくっつけた。
旧国鉄時代の構想だから起点は東武日光線の下今市ではなく日光線の今市。会津若松方面から旧会津線が会津田島まで伸びてきて、会津滝の原(現在の会津高原)まで伸びてきたが、そこから先の野岩線が国鉄再建法で凍結されたのです。


現在は下今市~東武日光線~野岩鉄道~会津田島~会津鉄道~会津若松~磐越東線~喜多方までを大手私鉄、第三セク、JRで結ばれているが、そこから北の山形県米沢までは達しなかった。構想のみで終わった。
今日訪れた日中線記念館(熱塩駅跡)もそれですが、ここ熱塩が終点になったことで典型的なローカル線(盲腸線)で終わった。
昭和55年(1980年)の国鉄再建法施行により、昭和59年(1984年)に全線廃止になった。
そんなローカル路線でも遺失物があったらしいね。
もっとも乗客数が少ないから持ち主はすぐ見つかりそうだがね。

ジャン自室の書棚に昭和61年刊行の故・宮脇俊三氏の著書、「終着駅へ行ってきます」がある。
これに氏が日中線に乗車したレポが載っていた。30年以上経っているから転載しても構わないでしょう。
氏は喜多方発16:10発の熱塩行に乗車されている。喜多方駅1番線ホームの先っぽの方に日中線のホームがあって、そこに追いやられたかのように、DE10型DLに牽引された2両編成の旧型客車2両が停まっていたという。
「レールもホームも駅舎の近くまで伸びてきているのに、そんなはずれに停まっているのは・・・(略)・・・大赤字の日中線のボロ列車なんかあっちへ行ってろと冷たく扱われているようにも見える」
「二両の老車両に乗るのは若い男女高校生で・・・(略)・・・一緒に帰る仲間も座る席も決まっているらしい。本来なら自分たちの座るべき席を見慣れぬ二人組が占拠しているので、心外そうに私たちを眺めている」
長閑な風景が目に浮かぶようである。そして途中の沿線風景が語られるが、途中駅が3つ、わずか12kmを28分もかけて運行されていた。
その途中駅の描写もある。
会津村松駅・・・「腰板や戸がはずれ、窓ガラスもない。廃駅そのもの」
上三宮駅・・・「荒れるに任されていた」
会津加納駅・・・「黒ずみ古びている」
全体的に修繕や手入れをしてなかったらしいですね。そして終着の熱塩駅は、
「10数人の高校生と一緒に砂利の敷かれた片面ホームに下り立った」
地元の学生さんの通学客が主で、熱塩温泉への湯治客が輸送対象ではなかったらしいのだ。
だから朝1往復、夕方2往復、1日3往復、日中線なのに日中は走らず喜多方駅で日向ぼっこをしているだけだったという。


氏の描写、続く。
「日中線熱塩駅。いい駅である。北欧の民家を想わせる屋根の反りが美しい。瀟洒という語がぴったりする建物だ。ホームから見ても、駅前から眺めても、横へ回っても、どこからでも形がよい」
とベタ褒めした後で、
「もっともそれは離れて眺めた場合であって、近づけば漆喰は剥落し窓枠ははずれ、かつては駅長以下が颯爽と勤務したであろう屋内は荒れ放題で、錆びた什器や備品が放置され散乱している」
とあるから凄まじい荒廃ぶりであったらしい。


レポの間にDE10型機関車がいったん客車から離れ、側線を通って会津方向側に移動している。
「発車時刻が近づいても一向に乗ろうともせず、ウロウロしている私たちを心配して・・・」
・・・車掌が迎えにきてくれたそうです。
17時01分、三人の客を乗せて発車した後は、
「熱塩駅は廃駅のようになった」


氏はその晩は熱塩温泉の某旅館に宿泊されている。その名の通り岩塩を含む温泉で、泊まられた宿は今も現役らしいが、検索するとあまりいい口コミは載っていなかった。
日中線は日中に走らないから日中線なのではなくて、ここ熱塩から北の日中温泉まで敷設する予定でそう命名された。
ダム建設で日中温泉は源泉毎湖底(日中ひざわ湖)に沈んだが、平成5年に新たに源泉を掘り、そこには1軒の旅館があります。
http://www.aizu-yumotoya.com/cuisine/index.html
ラッセル車と旧型客車が展示されていた。
座席の椅子が固そうだ。






野岩羽線構想は消えたが、その構想にそって私が走ってきた国道121号が建設されたかのようである。米沢駅までも国道121号線の大峠道路として整備された。ローカルだが長大な路線計画を高い規格の道路で代替しようとしているわけです。
だが日中線廃止後の替輸送手段がよくわからない。会津バスが引き継いだがそれすらも廃止になったとか。公共の乗合タクシー(ワゴン車のようなものか)が運行しているともいうが。
長閑でいいが、自家用車でないと不便な地域である。
だが高齢化して運転できなくなったらどうなるのだろう。
副業に忙しいJRはそこまで考えてないだろう。
昭和60年刊行の「終着駅」から。熱塩駅は「婚約不履行型」という分類の中にあった。名松線の伊勢興津駅、上信電鉄の下仁田駅と一緒に。



2018-04-27 09:41
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115系、両毛線、荷物室、新駅、きそば [鉄路と風景]

昭和カラーのこの車両が引退カウントダウン。
今年2018年3月末でJR東日本管内を走るこの電車は定期運行を終了した。
私がこの世に生を受けた昭和38年(1963年)にデビューしたので感慨無量です。
緑色とオレンジ、湘南カラーの色合いは、ミカンをイメージしていると聞き及ぶ。
首都圏から消えて久しく見なかったのですが、平成24年に群馬に転勤してきて再会、現役で走っていたが、ドア開閉が手動だったのに驚いたものです。
でも老朽化している。私も車両故障に立ち会ったことがある。渋川から高崎まで戻って安中に向かう途中、新前橋で乗り換えさせられ、高崎駅で安中へ折り返すところをまた降車させられた。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-29
この記事を読んだジャン妻は「ホントにこういう横柄な口を効いたの?」と私に詰め寄ったがホントにそうです。
定期運行終了でも、イベントで走らせることはあるのかな。地方私鉄の譲渡するとか。
先日前橋に行ったら車両基地に留置されていましたね。

9:37の両毛線に乗車したところ。
これで小山まで行くのです。小山着は11:23だったかな。
検索したら「上り新幹線で大宮まで戻って東北新幹線に乗り換えなさい」が表示されたが、私は、戻ってまた進んで、がイヤなのです。
お金の問題じゃないです。戻るのがイヤなの。
東海道新幹線でもそう。静岡出生の際に新横浜で戻って乗り換えるのがイヤで、いつも進行方向である小田原で乗り換えるのです。
ジャン妻は「そういうのは時間の無駄」と言う。でもイヤなものはイヤ。
だから大宮まで戻らないで両毛線で直行したのだがこれがまた時間のかかる路線で、いつまで経っても小山駅に着かないんだよね。車中ヒマでヒマで。

荷物室があった。
私は見るの3回めだが、割と頻繁に稼働しているのだろうか。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-06-20
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-07-2
何を運んでいるのか。新聞その他だと聞き及ぶ。
駅毎に職員が乗り込んでくる。ボタン押してドア開けて、自分とこの駅のずた袋を取り出して、閉じるボタンを押してからホームに下りていた。
職員は100%マスク着用でしたね。群馬だから花粉が凄いんだろう。私は「花粉症は現代人が罹るもので、私のような原始人は罹らない」と豪語して憚らないが、平成25年の初春に甘楽郡の国峰城に登って花粉症に罹った。
でも帰京して翌シーズンは平気だった。治ったらしい。
「花粉症って治るものなんですか?」(群馬の女性社員)
「東京で治ったって・・・(絶句)・・・悪い空気の方が合うんですか?」
どういう意味だ。
その子はいっつもマスクしている。私に言わせりゃマスク着用したまま上役の私と会話するのは非礼と思うのだよ。外しなさいって。
















荷物室の写真を静岡の現場に送信したら、船山温泉に向かう途中の芝川に実家がある社員いわく身延線にも荷物室が設けられたのを見たことがあるそうです。
このどれも同じような連続写真の途中でオカシなことに気付いた。
i-Phoneのシャッタースピードが遅くなり、連写ができなくなったのである。このせいで次の新駅を取り損なった。
いったんOffして再度Onしてみたりしたのだがもとに戻らない。
この現象は夜まで続いた。原因がわかったのは翌々日の朝。何のことはない。写真サイズをデカくしてしまったのである。連写の途中で触れてしまったらしい。
このオカシな現象をジャン妻に話したら「買い換えなさい10に」
現在はi-Phone10になっています。
ヒマな車中でまた妙なことに気付いた。
いつまで経っても小山駅に着かないので腰が痛くなり、立ちあがって伸ばしながら路線MAPを見てたら、

あしかがフラワーパーク駅?
新しい駅ができたんだ。でも足利駅で見たら次の駅表示は富田駅となっていたぞ。開業前らしい。
途中、建設中の駅を見ました。1面1線のホームだった。これは建設中のフラワーパーク駅を過ぎたところ。

あしかがフラワーパークという公園へのアクセス目的らしい。
栃木-毎日新聞サイトから。
「JR両毛線の新駅設置費用について同市が7割、JR東日本が3割の負担割合とする基本協定を結んだ。JR東日本が負担するのは、総事業費15億円のうち、駅舎建設費、JR東日本のICカード「Suica」による改札システムの改修費で、足利市側の負担は建設費5億3900万円、システム改修費2億1000万円、駅前広場整備費4億円と見込んでいる。・・・」
7割方市の負担といっていい。
僅か1面1線の駅なのに随分とお金がかかるのですね。この駅が出来るまでは富田駅から徒歩13分だそうですよ。


フラワーパーク、花には興味ないが、来園者数で採算が取れればいいね。
両毛線の新駅設置は平11年(1999年)の前橋大島駅以来だそうです。
今日開業です。誰か行く人います?
2時間グダグダしてようやく小山駅に着いたところ。
言っちゃ悪いが両毛線の乗車マナーはよくないね。混雑していないとはいえ1人で2人席を占拠するのはザラです。荷物を持って3人席を占拠しているバカもいたからね。


小山駅に着いたらようやく空腹を覚え、食欲が湧いてきた。実は前夜の深酒で遅く起床してアタマと胃が重いので、ルートインの朝食バイキは止めといたのです。
なので、宇都宮線下りホームにあるスタンド駅そば「きそば」へ直行!!





冬風を遮るものがない。椅子もない。天ぷらはヤワいし(一部カリッとしていたが、焦げの香りすらした)お蕎麦はやや伸び気味。おつゆは熱々とはいえない。ネギはやや多い。だがこれらが合わさることでムラがあるにせよ捨てがたい逸品に化ける不思議な駅そば。これぞ昭和の立ち食い蕎麦である。
食べてるうちにグチャグチャになりますが。
替玉もイキました。




日本そば屋で替玉のある店って他にあるか?それも駅スタンドで。
あ、ねぎだくなんてのがある。これも入れればよかった。

JR東日本殿、この店を潰してNREにしたら怒るよ。

小山駅から行政へ往復した地元タクシーは昼なのに何故かライトが点いていた。
「点いてるけどいいの?」
「あ、いいんです。会社の指示で。何でかわかりませんけど」
「ふぅ~ん」
しばし走ってたら、ナビが喋りだした。
「ソロソロニジカンニナリマス。キュウケイサレタライカガデショウカ」
「何か喋ってるけど」
「2時間毎に鳴るんですよ」
「でもナビが休憩ススメても会社は休みなさいなんて言わんでしょ」
「笑」
「最近のナビだと高速入って、速度に注意してください、って話し出すタイプがありますよ」
「へぇ。そんなん言うんですか」
「ナビうるさいって・・・」
「笑」
支払って領収書貰ってタクシーを下りながら、
「じゃぁ休憩してください」
「そうしますワ・・・笑」
引き返すタクシーのランプは回送になっていた。
2018-04-01 06:53
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まぼろしの駅 [鉄路と風景]
明日は3.11ですね。
ちょうどスケジュール的に空いたので近場へ小旅行に行こうかな・・・なんてプランも上がったのですがやはり止めときます。大人しく過ごします。
今日明日はチャラチャラしない記事で行きます。

JR横須賀線、衣笠駅に向かうカーヴ脇に草ぼうぼうのスペースがある。
その区間は単線だが、もう1線敷設できそうなのです。
横須賀市の金谷というところです。

私は坂を上がってきた初老の男性に無粋にも声をかけた。
「すみません聞いていいですか?」
「???」怪訝そうな表情。
「この辺りに駅があったって聞いたものですから・・・」
「衣笠駅ならあっちだよ」
男性は線路に沿って東の方、衣笠駅の方向を指した。
「いえ、そこの草むらが駅の跡だって聞いたものですから」
「ああ、そこの・・・」
買いもの袋を下げたお年寄りは線路を見上げた。

実際はこの草むらというよりも横須賀側の空き地の可能性もあるのだが。
「この辺りには丸木に板を張った駅(ホーム)があってね。工員さんたちがゾロゾロ下りてたんだよ」
お年寄りは南側を指しながら、
「あっちの方にコウショウがあってね」
「コウショウ?」
「工廠、軍の工場」
工廠とは陸軍でも海軍でも直属の軍需工場のことです。武器、弾薬、戦車、軍艦、空母とか。それらを製造、修理、開発する施設。
現在の自衛隊は工廠と呼ぶものは無く民間企業に委託しています。M菱重工業とか。相模原製作所では戦車(特殊車両と言ふ)を製造してますから。
それらは輸送の便がいいところに作られた。本土空襲では標的にされた。

私は群馬転勤が解けてから横須賀市内に公用で来るようになった。行き先はJR横須賀駅南側にそびえる高層タワー内にある行政窓口です。最近は草の者5号(陰の部下)に任せてあまり足を向けなくなりました。
草を率いる前の最初の頃、その高層タワーの窓口と、横須賀市内や三浦半島に少しだけ点在するウチの現場とを行き来するのに衣笠駅や久里浜駅まで出て、そこから京急バスに乗ったりした。だがJR横須賀線で横須賀から先までいく直通電車に乗車できる確率があまりなくて、いちいち逗子での乗り換えがめんどくなったので今は京急に切り替えています。
横須賀駅から先の衣笠・久里浜方面は、①運行本数が激減する、②車両編成が短くなる、③単線になる、私は神奈川県民なので①②③は子供の頃から知っていましたが「何故、複線化しないのかな」と思った時期がある。
その理由は横須賀線最長2km以上ある横須賀トンネルを広げないと複線化できないのと、衣笠と久里浜方面は京急の一人勝ちだから、横須賀線がそこだけ複線化しても需要は無さそうだな、というのが自分なりにわかってきました。
横須賀トンネルさえクリアすれば、衣笠駅まで何とか複線用地が確保できなかったのかな~とずっと思ったのがこの草むらです。
私が呼び止めた初老の男性が言うとおりで、実はこの草むらか、次の写真のアスファルト辺りには太平洋戦争末期頃に駅があった。それは一般乗客が乗り降りできる駅ではなく、海軍工廠に通勤する工員さんのみが利用していた駅で、軍部の為だけの停車場といっていい。
駅の名前は相模金谷駅。
男性は「あの辺りに工廠があって・・・」と言ってたが、この近くに工廠はなく、その工廠に勤務する工員さんの宿舎がこの金谷にあった。そのひとたちの通勤利便を図った駅だったのです。
工廠は横須賀海軍工廠のことで、現在のイオン横須賀市本町にあるイオン横須賀、ショッパーズプラザ横須賀の辺り。前身は幕末の幕臣、小栗上野介が作った横須賀製鉄所です。
これは横須賀トンネル方面ですが、行き止まりに金網フェンスがあって、そこにアスファルトの空き地があった。金網フェンスを乗り越えて撮影したんじゃないですよ。ホームへと続く入口だったと思われる路地があるのですが、そこの突き当りフェンスの隙間から撮ったの。


舗装されている。用地が広いから資材置き場ぐらいにはなるだろう。
次は衣笠方面で、草ぼうぼうなのはホーム跡の土盛りがあるからだろうか。素人目に見ても1面1線でしょうな。



横須賀線が横須賀から久里浜まで延伸したのは昭和19年(1944年)だから太平洋戦争中なのです。全国の鉄道が不要不急路線に指定されてレールが撤去、供給させられた時代の延伸だったのは軍部の意向が強かったからで、この延伸には当時は複線だった御殿場線(国府津~山北~御殿場~沼津)のレールを引きはがして転用したとか。
そして翌年の昭和20年(1945年)4月にここ金谷に駅が設けられた。駅が設けられるまでは工廠までテクテク歩いて通っていたそうです。働いていた工員数はわからないですが、駅を設けるくらいだから相当な数だろう。
だが同年8月に終戦となりそのまま廃止になったらしい。ということは僅か4ヶ月足らずで役目を終えた。
初老の男性が言う。
「一般の乗客は下りちゃダメだったんじゃないかなぁ」
下りちゃダメってことは乗ってもダメってことか?おそらく工員である証明書を提示して乗降したか、朝夕の通勤、または交替時間を狙ってその時だけ停車していたのではないか。鶴見線の海芝浦駅のようなものか。
工員は住みこみだったので、家族が便乗することも想定外だったと思われる。
「久々に思い出したよ」
と言い置いて男性は去っていった。
(本文中では男性と言ってますが、結構な御年と見受けられました。)

これはお年寄りを見送った後、線路の向こう側にあるマンションの坂から見下ろしたもの。
なるほどホーム1面1線のスペースがあるのがわかります。


でもホーム跡の位置はあくまで推測です。現在の鉄路より高く盛ってあるように見えるだけです。何両編成の車両が停まれたのかもわからない。

隣の衣笠駅までは1kmしか離れていない。歩ける距離です。私もこの日の散策で往復歩いていますが、バスの本数も少なくない。
衣笠駅は逗子から先の横須賀線の駅では乗降客が多い駅だそうだが、やはり市内を並行して走る京急には敵わない。
三浦半島某所の社員たちが忘年会か新年会?打ち上げ?衣笠駅近くのアーケード商店街の何処で開催したが帰りがタイヘンだったそうで。次からは京急の横須賀中央駅界隈に鞍替えした。県道26号を走る路線バスは衣笠駅に寄らずにそのまま横須賀中央駅までいっちゃうからね。
さっきの草むらとアスファルトの空き地にあった駅は、太平洋戦争中に軍部の意向で作られたのだが、陸上自衛隊駐屯地のある武山、林方面にも陸軍の施設や駐屯地があったので兵員輸送の必要に迫られ、この衣笠駅経由でそっち方面へ通じる交通手段が必要になった。
京急の前身会社である京浜電気鉄道に「敷設せよ」と指示がいったそうである。それも急ぎで。武山線という。
これも金谷駅と同様で終戦時におジャンになったが、トンネルは掘ったらしい。
(県道26号のトンネル)
武山線の免許は京急に引き継がれたが現在は失効している。



グリーン車に乗ったのは2階からあの草むら、ホーム跡を見てみようかと。
車窓から見たさっきの草ぼうぼうです。この一連の草や土盛りのどの箇所がホームに該当するのかわからない。引込線、留置線の跡にも見えるし。
地上から駅ホームに入れる跡が見当たらない。さっき見た突き当りのフェンスが駅への坂だとしたら、上り電車が緩いカーヴをきって、県道をオーバークロスして横須賀トンネルに入る前のアスファルトの空き地と想定される。







おそらくこの辺りからだろうか。
さっきのご老人はそこの坂を上がっていかれたのです。


陽は西に傾いている。上り電車はあっと言う間に横須賀トンネルに吸い込まれていった。
一気に暗くなり、歩いた疲れもあってそのまま眠ってしまいましたが、現地で話を聞けたのはよかった。こういう記事をUpする場合は第三者の証言が大事なのです。記事内容に裏付け、厚みが加わりますから。
ちょうどスケジュール的に空いたので近場へ小旅行に行こうかな・・・なんてプランも上がったのですがやはり止めときます。大人しく過ごします。
今日明日はチャラチャラしない記事で行きます。

JR横須賀線、衣笠駅に向かうカーヴ脇に草ぼうぼうのスペースがある。
その区間は単線だが、もう1線敷設できそうなのです。
横須賀市の金谷というところです。

私は坂を上がってきた初老の男性に無粋にも声をかけた。
「すみません聞いていいですか?」
「???」怪訝そうな表情。
「この辺りに駅があったって聞いたものですから・・・」
「衣笠駅ならあっちだよ」
男性は線路に沿って東の方、衣笠駅の方向を指した。
「いえ、そこの草むらが駅の跡だって聞いたものですから」
「ああ、そこの・・・」
買いもの袋を下げたお年寄りは線路を見上げた。

実際はこの草むらというよりも横須賀側の空き地の可能性もあるのだが。
「この辺りには丸木に板を張った駅(ホーム)があってね。工員さんたちがゾロゾロ下りてたんだよ」
お年寄りは南側を指しながら、
「あっちの方にコウショウがあってね」
「コウショウ?」
「工廠、軍の工場」
工廠とは陸軍でも海軍でも直属の軍需工場のことです。武器、弾薬、戦車、軍艦、空母とか。それらを製造、修理、開発する施設。
現在の自衛隊は工廠と呼ぶものは無く民間企業に委託しています。M菱重工業とか。相模原製作所では戦車(特殊車両と言ふ)を製造してますから。
それらは輸送の便がいいところに作られた。本土空襲では標的にされた。

私は群馬転勤が解けてから横須賀市内に公用で来るようになった。行き先はJR横須賀駅南側にそびえる高層タワー内にある行政窓口です。最近は草の者5号(陰の部下)に任せてあまり足を向けなくなりました。
草を率いる前の最初の頃、その高層タワーの窓口と、横須賀市内や三浦半島に少しだけ点在するウチの現場とを行き来するのに衣笠駅や久里浜駅まで出て、そこから京急バスに乗ったりした。だがJR横須賀線で横須賀から先までいく直通電車に乗車できる確率があまりなくて、いちいち逗子での乗り換えがめんどくなったので今は京急に切り替えています。
横須賀駅から先の衣笠・久里浜方面は、①運行本数が激減する、②車両編成が短くなる、③単線になる、私は神奈川県民なので①②③は子供の頃から知っていましたが「何故、複線化しないのかな」と思った時期がある。
その理由は横須賀線最長2km以上ある横須賀トンネルを広げないと複線化できないのと、衣笠と久里浜方面は京急の一人勝ちだから、横須賀線がそこだけ複線化しても需要は無さそうだな、というのが自分なりにわかってきました。
横須賀トンネルさえクリアすれば、衣笠駅まで何とか複線用地が確保できなかったのかな~とずっと思ったのがこの草むらです。
私が呼び止めた初老の男性が言うとおりで、実はこの草むらか、次の写真のアスファルト辺りには太平洋戦争末期頃に駅があった。それは一般乗客が乗り降りできる駅ではなく、海軍工廠に通勤する工員さんのみが利用していた駅で、軍部の為だけの停車場といっていい。
駅の名前は相模金谷駅。
男性は「あの辺りに工廠があって・・・」と言ってたが、この近くに工廠はなく、その工廠に勤務する工員さんの宿舎がこの金谷にあった。そのひとたちの通勤利便を図った駅だったのです。
工廠は横須賀海軍工廠のことで、現在のイオン横須賀市本町にあるイオン横須賀、ショッパーズプラザ横須賀の辺り。前身は幕末の幕臣、小栗上野介が作った横須賀製鉄所です。
これは横須賀トンネル方面ですが、行き止まりに金網フェンスがあって、そこにアスファルトの空き地があった。金網フェンスを乗り越えて撮影したんじゃないですよ。ホームへと続く入口だったと思われる路地があるのですが、そこの突き当りフェンスの隙間から撮ったの。


舗装されている。用地が広いから資材置き場ぐらいにはなるだろう。
次は衣笠方面で、草ぼうぼうなのはホーム跡の土盛りがあるからだろうか。素人目に見ても1面1線でしょうな。



横須賀線が横須賀から久里浜まで延伸したのは昭和19年(1944年)だから太平洋戦争中なのです。全国の鉄道が不要不急路線に指定されてレールが撤去、供給させられた時代の延伸だったのは軍部の意向が強かったからで、この延伸には当時は複線だった御殿場線(国府津~山北~御殿場~沼津)のレールを引きはがして転用したとか。
そして翌年の昭和20年(1945年)4月にここ金谷に駅が設けられた。駅が設けられるまでは工廠までテクテク歩いて通っていたそうです。働いていた工員数はわからないですが、駅を設けるくらいだから相当な数だろう。
だが同年8月に終戦となりそのまま廃止になったらしい。ということは僅か4ヶ月足らずで役目を終えた。
初老の男性が言う。
「一般の乗客は下りちゃダメだったんじゃないかなぁ」
下りちゃダメってことは乗ってもダメってことか?おそらく工員である証明書を提示して乗降したか、朝夕の通勤、または交替時間を狙ってその時だけ停車していたのではないか。鶴見線の海芝浦駅のようなものか。
工員は住みこみだったので、家族が便乗することも想定外だったと思われる。
「久々に思い出したよ」
と言い置いて男性は去っていった。
(本文中では男性と言ってますが、結構な御年と見受けられました。)

これはお年寄りを見送った後、線路の向こう側にあるマンションの坂から見下ろしたもの。
なるほどホーム1面1線のスペースがあるのがわかります。


でもホーム跡の位置はあくまで推測です。現在の鉄路より高く盛ってあるように見えるだけです。何両編成の車両が停まれたのかもわからない。

隣の衣笠駅までは1kmしか離れていない。歩ける距離です。私もこの日の散策で往復歩いていますが、バスの本数も少なくない。
衣笠駅は逗子から先の横須賀線の駅では乗降客が多い駅だそうだが、やはり市内を並行して走る京急には敵わない。
三浦半島某所の社員たちが忘年会か新年会?打ち上げ?衣笠駅近くのアーケード商店街の何処で開催したが帰りがタイヘンだったそうで。次からは京急の横須賀中央駅界隈に鞍替えした。県道26号を走る路線バスは衣笠駅に寄らずにそのまま横須賀中央駅までいっちゃうからね。
さっきの草むらとアスファルトの空き地にあった駅は、太平洋戦争中に軍部の意向で作られたのだが、陸上自衛隊駐屯地のある武山、林方面にも陸軍の施設や駐屯地があったので兵員輸送の必要に迫られ、この衣笠駅経由でそっち方面へ通じる交通手段が必要になった。
京急の前身会社である京浜電気鉄道に「敷設せよ」と指示がいったそうである。それも急ぎで。武山線という。
これも金谷駅と同様で終戦時におジャンになったが、トンネルは掘ったらしい。
(県道26号のトンネル)
武山線の免許は京急に引き継がれたが現在は失効している。



グリーン車に乗ったのは2階からあの草むら、ホーム跡を見てみようかと。
車窓から見たさっきの草ぼうぼうです。この一連の草や土盛りのどの箇所がホームに該当するのかわからない。引込線、留置線の跡にも見えるし。
地上から駅ホームに入れる跡が見当たらない。さっき見た突き当りのフェンスが駅への坂だとしたら、上り電車が緩いカーヴをきって、県道をオーバークロスして横須賀トンネルに入る前のアスファルトの空き地と想定される。







おそらくこの辺りからだろうか。
さっきのご老人はそこの坂を上がっていかれたのです。


陽は西に傾いている。上り電車はあっと言う間に横須賀トンネルに吸い込まれていった。
一気に暗くなり、歩いた疲れもあってそのまま眠ってしまいましたが、現地で話を聞けたのはよかった。こういう記事をUpする場合は第三者の証言が大事なのです。記事内容に裏付け、厚みが加わりますから。
2018-03-10 14:55
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リバティ会津 [鉄路と風景]
浅草駅に隣接する地下食品売り場で酒肴を購入しているところです。


昨年(2017年)4月から東武鉄道に新型特急リバティが運行しています。
浅草から会津田島まで1日4往復。会津田島駅までこの特急1本で行けます。蕎麦宿に行くのに途中の鬼怒川温泉駅で乗り換える必要が無くなったのですが。。。

浅草発11:00で会津田島駅着は14:20、僅か5分の待ち合わせで14:25分発の会津鉄道リレー117号に乗り換えます。
特急リバティ117号、浅草11:00~会津田島14:20
リレー117号、会津田島14:25~湯野上温泉14:57
宿入りにちょうどいい時刻といえます。
会津鉄道リレー117号の途中停車駅も会津下郷、塔のへつり、だけです。スムーズに運ばれるといっていい。
これがリバティのカオです。
怪獣と闘うロボットのようなカオをしている。




リバティは途中の下今市駅で分岐します。リバティ会津が1~3号車、リバティけごん(日光方面)が4~6号車です。


ホーム先端が狭過ぎで、写真を1枚2枚撮ってたら足元がアヤしい私を駅係員が2人じーっと見ているんです。線路に落ちかねない私をすかさず助けようと身構えていた。

だけどねぇ、このリバティは昨年まで利用していたスペーシアのような個室車両が無いのです。
1ヶ月前に浅草駅窓口で乗車券と特急券を購入したのですが、窓口の男性に聞いたら「全席指定で個室車両はございません。個室は1本前の10:00丁度発のきぬ115号鬼怒川温泉行になります」
券を購入する際に聞いたの。
「車内、鬼怒川温泉へ向かう婆さん連中がヤカマしいかな?」
「そうです・・・ねぇ・・・」
係員は困った表情だった。そんなん聞かれても。
東武特急の普通座席シート車両は鬼怒川温泉や川治や湯西川へ行く観光行楽客、特にオバちゃんオバァちゃん軍団恐るべしといった感がある。耳が遠くなって大声を発しないと相手の声はおろか自分の声すら聞こえないのか、通勤電車の世界から離れてかなり経っているから周囲への気配りを忘れているからか、くっ喋って笑う声がデカいと決まっている。人数多い方が強い。
仕方がない。長年スペーシアの個室だったのですが、新型車両とはいえ普通乗車席を久しぶりに利用したのです。
何故ここにプチ公がいるっ??

11:00発車と同時に酒肴を並べて乾杯。
私は崎陽軒の幕ノ内&ポケット、そして焼きそば。




ジャン妻は逸品一品が小ロットの幕ノ内。クリームコロッケも。



この焼きそばは失敗だったな。
崎陽軒売店の隣に並んでたのですが、洋食焼きそばを謳ってても単に味が薄いだけ。
オムが載った焼きそばがウリなのですが、オムが載る大きさのパッケージに、オムが無い焼きそばだけ詰めてあるから上がスカスカなんですよ。
私は値段をあまりとやかく言わない方ですが、これで540円は高いなぁと思いました。
ジャン妻もひとくち食べて「アタシが作った方が美味しい」って。

残り物をまとめたところ。

やはりスペーシアの個室の方がいいな。他の一般客がウルサいのだ。
1本早めてスペーシアの個室にすればよかったかな。ウルサいな。年寄りも。子供も。
2人とも途中から耳栓しました。

寝て目覚めたら、前席の女の子が私を興味深気に覗いているところ。

これまで利用していた特急スペーシアだと、鬼怒川温泉駅着が12:00(何故判を押したかのように2時間きっかりなのか)20分待ちで12:20発のAIZUマウントエクスプレス3号に乗り換えて湯野上温泉駅着が13:57、1時間早く着いてしまうのだ。
実は昨年がそうだった。11:00発の特急スペーシア個室が満席で1本早くしたの。
て蕎麦宿に1時間早く宿入りしたのです。1時間増で宿代を清算したかも覚えていません。おそらくしなかったんじゃないかな。「勝手に部屋に入ってください」のように言われたんだったと思う。
浅草発10:00発だと駅地下の食料品店がOPEN前なので、シウマイ弁当その他お惣菜が買えない。昨年はサラダ系とカップ酒を前日に買い置いて、崎陽軒を戸塚駅で購入た。JRの崎陽軒スタンドは7時から開いているからね。浅草駅向いのデイリーヤマザキで缶ビールを。ダメオシにコロッケとマッシュポテトまで購入したもの。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-02-01
リバティは実用性を重視した車内だね。充電用のコンセントも付いているし。ビジネス利用に最適だと思います。
だが、オカしなことに気付いた。
リバティは前述のように6両編成なのが、今市駅で会津方面へ向かう1~3号車と日光方面へ向かう4~6号車に別れるのですが、下今市駅で車内が空かないのはまだしも、鬼怒川温泉を過ぎても空いた感じがしないのです。スペーシアよりも混んでいるのは何故だ。
川治温泉、川治湯本、湯西川温泉を出てようやく車内が閑散としてきたが、それまで浅草からの指定乗車客がいた筈の座席にぜんぜん観光客っぽくない普通の乗客が入れ変わってたりする。
そして川治湯本駅を過ぎてから車内検札が来た。

何故今頃検札が来るかな。浅草を出て北千住辺りかもうちょっと早い辺りで来りゃいいのに。
車内放送では「本日は全て満席になっております」と言っていたので検札は来ないんだなと思い込み、乗車券も特急券もジャン妻のバッグのポケットです。傍らを見たらジャン妻は寝ていた。
私もうとうと寝てたのです。そこへ「恐れ入りますが、車内検札をお願いします」と無粋に起こされ、傍らのジャン妻まで起こすのに忍びないので、私は不機嫌な物言いで「後にしろよ」と言ったら、検札はそれ以上言わずに先へ行った。
だってここまで来ると、もう車内に残っている乗客は殆どが会津田島まで行く客ばかりですよ。座席指定客の検札の意味ないじゃないか。
ここまでの疑問ですが何故だと思います?実はリバティ会津は下今市~会津田島間の利用に限りますが、その区間に限り乗車券のみで利用できる特例が設けられているのですよ。リバティ導入のせいで快速と区間快速が廃止されてしまったからです。
だからリバティ会津はその代替列車の側面もあるのです。普通列車が減ってしまったことへの救済策だね。
川治湯本辺りで検札に来たのは、浅草から乗車した座席指定券や特急券の検札ではなく、下今市から会津田島間の普通乗車券対象の検札なのです。
それに加えて、会津田島駅までは普通列車のようにひと駅ひと駅律儀に停車するんですよ。これではまるで廃止した一般電車と同じです。リバティが廃止してリバティが自ら代行しているのです。
バカにするわけじゃないが、秘境駅と言われる男鹿高原駅にまで停車しなくてもいいのではないか。

この「特急列車雰囲気ぶち壊し」がは帰りのリバティ128号でもっと顕著に出たので後述します。「全車両座席指定」と謳っておきながら、どう見ても特急乗車券を持っていない客が会津田島駅から乗車して借り座りしており、座席指定客が来たら退かなきゃとソワソワしていたものである。
ふて寝しているプチ公。お前はくるまの中でドライブの御守だろうが。

川治湯本から先は乗車下車する客は少なくなり車内は落ち着いた雰囲気になった。さっきまでの婆さんや子供の喧噪は何処に行ったのか。でも明日の帰途にはまた乗り込んで来ることになるのだな。
ジャン妻が目覚めた。2人で顔を見合わせながら、
「耳栓持ってきてよかったねぇ」
そしたらさっき「後にしろよ」と蝿のように追い払った検札が戻って来た。
ジャン妻も目覚めていたので、券を渡したが「今頃来たの?」
そしたら検札が「どうぞ座席を回転させてお楽にしてください」と言ってきたものだよ。私は首都圏の通勤電車で4人BOX座席を好まないし、ロングシートに慣れてしまっているので、あまり「席を回転する」不作法はしたくないのですが。


「優しい検札だね」
「さっき来た時は寝てたから、後にしろよ、って追い払って・・・」
「そんな言い方したのっ」

南会津に入ったらまた速度が格段に落ちた。浅草を出てから下今市までは立派に新型特急だが、ここまで来ると殆ど普通電車といっていい。
リバティのいいところは鬼怒川温泉駅で乗り換えなくていい、会津田島まで1本で行ける、それだけです。それだけでもいいのかも知れないがね。


今いる乗客は終点の会津田島まで乗り通したようである。
会津田島駅で乗り換え中。5分過ぎにすぐ出ます。雪は降ってなかった。この時期の会津にしては残雪も少ないようです。


昨年(2017年)4月から東武鉄道に新型特急リバティが運行しています。
浅草から会津田島まで1日4往復。会津田島駅までこの特急1本で行けます。蕎麦宿に行くのに途中の鬼怒川温泉駅で乗り換える必要が無くなったのですが。。。

浅草発11:00で会津田島駅着は14:20、僅か5分の待ち合わせで14:25分発の会津鉄道リレー117号に乗り換えます。
特急リバティ117号、浅草11:00~会津田島14:20
リレー117号、会津田島14:25~湯野上温泉14:57
宿入りにちょうどいい時刻といえます。
会津鉄道リレー117号の途中停車駅も会津下郷、塔のへつり、だけです。スムーズに運ばれるといっていい。
これがリバティのカオです。
怪獣と闘うロボットのようなカオをしている。




リバティは途中の下今市駅で分岐します。リバティ会津が1~3号車、リバティけごん(日光方面)が4~6号車です。


ホーム先端が狭過ぎで、写真を1枚2枚撮ってたら足元がアヤしい私を駅係員が2人じーっと見ているんです。線路に落ちかねない私をすかさず助けようと身構えていた。

だけどねぇ、このリバティは昨年まで利用していたスペーシアのような個室車両が無いのです。
1ヶ月前に浅草駅窓口で乗車券と特急券を購入したのですが、窓口の男性に聞いたら「全席指定で個室車両はございません。個室は1本前の10:00丁度発のきぬ115号鬼怒川温泉行になります」
券を購入する際に聞いたの。
「車内、鬼怒川温泉へ向かう婆さん連中がヤカマしいかな?」
「そうです・・・ねぇ・・・」
係員は困った表情だった。そんなん聞かれても。
東武特急の普通座席シート車両は鬼怒川温泉や川治や湯西川へ行く観光行楽客、特にオバちゃんオバァちゃん軍団恐るべしといった感がある。耳が遠くなって大声を発しないと相手の声はおろか自分の声すら聞こえないのか、通勤電車の世界から離れてかなり経っているから周囲への気配りを忘れているからか、くっ喋って笑う声がデカいと決まっている。人数多い方が強い。
仕方がない。長年スペーシアの個室だったのですが、新型車両とはいえ普通乗車席を久しぶりに利用したのです。
何故ここにプチ公がいるっ??

11:00発車と同時に酒肴を並べて乾杯。
私は崎陽軒の幕ノ内&ポケット、そして焼きそば。




ジャン妻は逸品一品が小ロットの幕ノ内。クリームコロッケも。



この焼きそばは失敗だったな。
崎陽軒売店の隣に並んでたのですが、洋食焼きそばを謳ってても単に味が薄いだけ。
オムが載った焼きそばがウリなのですが、オムが載る大きさのパッケージに、オムが無い焼きそばだけ詰めてあるから上がスカスカなんですよ。
私は値段をあまりとやかく言わない方ですが、これで540円は高いなぁと思いました。
ジャン妻もひとくち食べて「アタシが作った方が美味しい」って。

残り物をまとめたところ。

やはりスペーシアの個室の方がいいな。他の一般客がウルサいのだ。
1本早めてスペーシアの個室にすればよかったかな。ウルサいな。年寄りも。子供も。
2人とも途中から耳栓しました。

寝て目覚めたら、前席の女の子が私を興味深気に覗いているところ。

これまで利用していた特急スペーシアだと、鬼怒川温泉駅着が12:00(何故判を押したかのように2時間きっかりなのか)20分待ちで12:20発のAIZUマウントエクスプレス3号に乗り換えて湯野上温泉駅着が13:57、1時間早く着いてしまうのだ。
実は昨年がそうだった。11:00発の特急スペーシア個室が満席で1本早くしたの。
て蕎麦宿に1時間早く宿入りしたのです。1時間増で宿代を清算したかも覚えていません。おそらくしなかったんじゃないかな。「勝手に部屋に入ってください」のように言われたんだったと思う。
浅草発10:00発だと駅地下の食料品店がOPEN前なので、シウマイ弁当その他お惣菜が買えない。昨年はサラダ系とカップ酒を前日に買い置いて、崎陽軒を戸塚駅で購入た。JRの崎陽軒スタンドは7時から開いているからね。浅草駅向いのデイリーヤマザキで缶ビールを。ダメオシにコロッケとマッシュポテトまで購入したもの。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-02-01
リバティは実用性を重視した車内だね。充電用のコンセントも付いているし。ビジネス利用に最適だと思います。
だが、オカしなことに気付いた。
リバティは前述のように6両編成なのが、今市駅で会津方面へ向かう1~3号車と日光方面へ向かう4~6号車に別れるのですが、下今市駅で車内が空かないのはまだしも、鬼怒川温泉を過ぎても空いた感じがしないのです。スペーシアよりも混んでいるのは何故だ。
川治温泉、川治湯本、湯西川温泉を出てようやく車内が閑散としてきたが、それまで浅草からの指定乗車客がいた筈の座席にぜんぜん観光客っぽくない普通の乗客が入れ変わってたりする。
そして川治湯本駅を過ぎてから車内検札が来た。

何故今頃検札が来るかな。浅草を出て北千住辺りかもうちょっと早い辺りで来りゃいいのに。
車内放送では「本日は全て満席になっております」と言っていたので検札は来ないんだなと思い込み、乗車券も特急券もジャン妻のバッグのポケットです。傍らを見たらジャン妻は寝ていた。
私もうとうと寝てたのです。そこへ「恐れ入りますが、車内検札をお願いします」と無粋に起こされ、傍らのジャン妻まで起こすのに忍びないので、私は不機嫌な物言いで「後にしろよ」と言ったら、検札はそれ以上言わずに先へ行った。
だってここまで来ると、もう車内に残っている乗客は殆どが会津田島まで行く客ばかりですよ。座席指定客の検札の意味ないじゃないか。
ここまでの疑問ですが何故だと思います?実はリバティ会津は下今市~会津田島間の利用に限りますが、その区間に限り乗車券のみで利用できる特例が設けられているのですよ。リバティ導入のせいで快速と区間快速が廃止されてしまったからです。
だからリバティ会津はその代替列車の側面もあるのです。普通列車が減ってしまったことへの救済策だね。
川治湯本辺りで検札に来たのは、浅草から乗車した座席指定券や特急券の検札ではなく、下今市から会津田島間の普通乗車券対象の検札なのです。
それに加えて、会津田島駅までは普通列車のようにひと駅ひと駅律儀に停車するんですよ。これではまるで廃止した一般電車と同じです。リバティが廃止してリバティが自ら代行しているのです。
バカにするわけじゃないが、秘境駅と言われる男鹿高原駅にまで停車しなくてもいいのではないか。

この「特急列車雰囲気ぶち壊し」がは帰りのリバティ128号でもっと顕著に出たので後述します。「全車両座席指定」と謳っておきながら、どう見ても特急乗車券を持っていない客が会津田島駅から乗車して借り座りしており、座席指定客が来たら退かなきゃとソワソワしていたものである。
ふて寝しているプチ公。お前はくるまの中でドライブの御守だろうが。

川治湯本から先は乗車下車する客は少なくなり車内は落ち着いた雰囲気になった。さっきまでの婆さんや子供の喧噪は何処に行ったのか。でも明日の帰途にはまた乗り込んで来ることになるのだな。
ジャン妻が目覚めた。2人で顔を見合わせながら、
「耳栓持ってきてよかったねぇ」
そしたらさっき「後にしろよ」と蝿のように追い払った検札が戻って来た。
ジャン妻も目覚めていたので、券を渡したが「今頃来たの?」
そしたら検札が「どうぞ座席を回転させてお楽にしてください」と言ってきたものだよ。私は首都圏の通勤電車で4人BOX座席を好まないし、ロングシートに慣れてしまっているので、あまり「席を回転する」不作法はしたくないのですが。


「優しい検札だね」
「さっき来た時は寝てたから、後にしろよ、って追い払って・・・」
「そんな言い方したのっ」

南会津に入ったらまた速度が格段に落ちた。浅草を出てから下今市までは立派に新型特急だが、ここまで来ると殆ど普通電車といっていい。
リバティのいいところは鬼怒川温泉駅で乗り換えなくていい、会津田島まで1本で行ける、それだけです。それだけでもいいのかも知れないがね。


今いる乗客は終点の会津田島まで乗り通したようである。
会津田島駅で乗り換え中。5分過ぎにすぐ出ます。雪は降ってなかった。この時期の会津にしては残雪も少ないようです。
2018-02-27 07:10
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10月23日の東林間駅 [鉄路と風景]
台風が朝の通勤時間帯を直撃した10月23日に目覚めたら、雨も止んで風も吹いてないのに気付いた。
「よ~く眠ってたよ」(ジャン妻)
「???」
「アタシは強風?雨?3時頃に起きちゃって、1時間くらい眠れなかったんだから」
「そうか。全く起きなかったな・・・」
「この人何で起きないんだろうと思った。スー、クァー、スー、クァーって気持ちよさそうに寝てた」
アタシは眠れなかったのに、アナタ自分だけ熟睡してズルいというのかい。
台風は去ったようである。さてどうするか。
どうするかって出勤するしかないんだけど。運行状況はどうか確認。
「平常とおり運いてるんじゃない?」
今日は午後に小山まで行かなきゃならないのだが・・・。
(JR宇都宮線が送電トラブルで全く機能しなくなるのはこの日の午後です。)
前夜、私は上司にCメールで、朝の運行状況次第で判断して良いですか?と伺いを入れてOK貰っている。でも実のところ多忙なので動いてくれなきゃ困るのです。
ダイヤが乱れているであろうJR東海道線で東京本社へ向かうか、私は今日別アポがあって、小田急線沿線にある支店に行かなくてはならない。
横浜市営地下鉄の最寄駅構内で様子をうかがったら、横浜方面の車両はALL混んでいて女性専用車両も開放されていた。相鉄線の運転見合わせによる振り替え輸送客で混んだのです。
午前5時半、相鉄線二俣川駅付近を走行していた横浜行各駅停車の車両内で煙が発生し、車内や周辺区間が停電した。
乗客は徒歩で二俣川駅まで移動したというから線路上を歩いたのかな。落雷があったとの投稿や、情報も寄せられている。運転士が火花を見たらしい。
車両に避雷針とか設置されてないのだろうか。
その振替輸送混雑を見て私はJRで上京するのを止めて湘南台ま経由の小田急線で支店廻りをしようと決めたのです。
車両火災?
そういえば小田急線でも車両火災があったね。9月11日午後、代々木辺りの沿線の建物から出火し、脇を走る8両編成の普通電車の確か2両の車両の屋根に燃え移ったあれですよ。

消防隊からの要請で警察署員が現場近くの踏切非常停止ボタンを押したら走行していた問題の電車が非常ブレーキで自動停止・・・した場所が、火災現場の真ん前でさ。
「運転手開けろ!!燃えてるから開けろよ!!」
消防士が怒声浴びせてましたね。バカかと言わんばかりに。
後で批判するなんて誰でもできますが、停止しないで一気に通過すれば良かったのにとは私も思ったよ。
マニュアル通りにしか対応しない、できないんだろうね。
今日の小田急線は大丈夫だろうか。
小田急線は何年か前は、激しく混む、遅れる、踏切待ちが長い、通勤時間帯なのにロマンスカーが憎らし気に運行する、のように叩かれがちだった。
今でも混雑するし遅れたりするが、登戸から代々木上原までの複々線工事化が進んで、地上高架、地下化による踏切解消等で幾分は改善されたような気はする。今の総スカンは東急田園都市線の方が上をいった感はある。
私は湘南台駅で快速急行新宿行に乗車した。何だ定刻通り運行しているじゃないか。さすがは大手私鉄だな~とこの時は安堵したのだが。。。
中央林間駅を過ぎた辺りから減速した。
止まっちゃった。
車内に流れたアナウンスはというと。
「相模大野駅で人身事故が発生致しました関係で、この電車は東林間駅で運転を見合わせます」というもの。
えぇ~。。。

しばらく停止したままの状態が続く。
なかなか動かない。動こうとしない。
「繰り返しお知らせ致します。相模大野駅で人身事故が発生致しました関係で、この電車は運転を見合わせております。お客様にはご迷惑を・・・」
さっき聞いたよ。またしばらくしてから、
「繰り返しお知らせ致します。相模大野駅で人身事故が発生致しました関係で、この電車は東林間駅で運転を見合わせております。お客様にはご迷惑を・・・」
またかよ。同じようなアナウンスばかりである。新しい情報はないのか。
東林間駅?
駅に着いているのかこの電車?
でも私がいる後ろから3両目の車両はホームにかかっていない。築堤の上に停車している。
何故に東林間駅ホームに全車両滑り込まないのだろうか。そこで乗客を開放できないのか。東林間駅は10両編成に対応していないのだろうか。
「繰り返しお知らせ致します。相模大野駅で・・・」・・・いい加減にしろよと思ったが、今度は別情報があった。
「・・・運転再開は9時50分頃を見込んでいます」という。
9時50分?1時間近くあるぞ。それまずーっとここにいろってか。
窓の外を見た。
ホームが無いぞ。私のいる車両は東林間駅直前の築堤の上にいるのです。前方車両はホームに入っているとみた。それもここからではわからないが。
「繰り返しお知らせします・・・」
・・・私は諦めてアタマを切り替えた。愚痴るよりネタにしちゃえと思い直したのです。するとそれまで苛々してた気分が消えた。
何が起きるか楽しみである。もしかしたら線路の上を歩けるかな?
電車は動かない。
業を煮やしたか。若い学生が2人か3人最後部に歩いて行きましたね。車掌に物言いでもつけにいったのだろうか。試験に間に合わないとか。
行った(言った?)だけの効果があって、その後すぐに、「この電車は東林間駅で運転を打ち切らさせて頂きます。中央中ほどの車両のドアを1箇所開けますので、そこからホームにお降り下さい」という珍しいアナウンスが流れたよ。ということは10両編成の電車は半分ほどは東林間駅ホームに入っているようである。運転打ち切りは無情なようだが、この動かない車両からようやく解放されるというもの。
乗客は諦め顔で通路に立ち並んだ。
だが、立ち並んだだけで全然動かない。そりゃそうだよ。10両編成の真ん中の車両1箇所だけドアを開けたってすぐにドーッと堰を切ったように流れない。

この状態がしばらく続く。
次のアナウンスは、「この電車は東林間駅で運転を打ち切らさせて頂きます。中央中ほどの車両のドアを1箇所開けますので、そこからホームにお降り下さい・・・」・・・同じ内容のアナウンスの後で、「東林間駅から相模大野駅までは徒歩〇分で、中央林間駅までは徒歩〇分です。他社線で振り替え輸送を行っております」というじゃないか。
運転を打ちきって東林間駅ホームに下りてその後は乗客の自己判断に任せると、丸投げしたのです。前後の駅まで歩いて行けと言われたようなものである。

まだ動かないぞ。アナウンスにキレたのか、ひとりの会社員が憤怒の形相で後方車輌に歩いて行った。車掌に喰ってかかりに行ったんだろう。
他社線で振り替え輸送を行っておりますと言われても、中央林間駅から発着する最近評判が悪い東急田園都市線しかない。まさか大和駅まで延々歩いて、動いてるかどうかわからな相鉄線をアテにするのもバカらしい。
相模大野駅まで歩くのが最も距離が短いが、小田急小田原線(本線)が動いてるかどうかわからないが、区間運転を開始しますとか、折り返し運転がどうこうとか断片的なアナウンスがあり、「ホームにお降り下さい。この電車はこの先ご乗車できません」のアナウンスが流れた。
私の業務の一部を委託してある草の者(陰の部下)1号から着信があったが出るに出れない。
「今、小田急線の人身で電車が動かないんだ」と返信した。
小田急線沿線には4号と10号がいるのだが、ヤツらは出勤できただろうか。

野党の牛歩戦術のようにちょっとずつ動き出したが。。。
埒があかない。
さて、ネタを作ろうと私も後方車輌へ歩いたよ。最後部車両は女性専用車だが、乗客は前方部に移動して誰もいなかった。

上記写真の撮影前、さっき憤怒の形相で歩いてった男性がエラい剣幕で若い車掌に詰め寄ってた。
「電車動かせよ」「大野駅まで行けよ」「だったらバス手配しろよ」
車掌は困惑している。今の時間帯の小田急は沿線の客層に女性や学生が多いので、若い車掌は私とその会社員のような男性の執拗なクレームに慣れていないようである。
その男性の要求を理不尽だと思っているか、人身事故は自分のせいじゃないと思っているか、自分の権限外で何もできないのです勘弁して下さいなのか、嵐が過ぎ去るのをひたすら待っているだけなのか。謝り方が中途半端なのは内心でそう思ってるからである。それは乗客側からしたら開き直った態度に見える。だから余計に相手を激高させる。こういう時はひたすらアタマを下げるしかないんだよ。
何で自分がクレーム対応しなきゃならないって後で同僚にボヤくんだろうな。
でも男性が言うバス手配はまず無理だと思う。東林間駅と線路脇の道路は大型バスが入れるだけのスペースはないのだ。でも私も相模大野駅まで行けないのか、行けないならこんな中途半端に停車してないで東林間駅ホームに全車両停車横付けして全てのドアを開放しろよ、とは思っているので口を出した。
「全車両ホームに横付けできないのかよ」
先にクレームつけてた男性は私に譲ってくれたように見えた。
「ハイ。できないんです」
何故できないのかわからない。
「10両編成で前方部のドア1か所だけ開けたって全部の乗客はすぐに下りれないよ。皆通路に立ち止まったままだぜ。動きゃしねぇよ」
「上からの指示でして」
この車掌は最後尾にいるから前方部の車両の状況がわかっていないのか、単にマニュアル通りにしかできないのか。
乗客がホームになかなか下りられないで車内通路に立ち並んだまま行列しているのはドアが1か所しか開放してない為であり、それを把握せずに(または上に報告せずに)「この電車はこの先ご乗車できません」とアナウンスだけして「早く下りてくださいよ」と言ってるだけに等しい。客のせいにしている。
「そうか・・・俺は前の方で並んで立って待つ気はない。乗客が流れ出るまでここにいるからな」
「・・・」
「最後のひとりになったら教えてくれ」
「・・・」
車掌は黙っちゃった。私はさっきまで女性専用車両だったロングシートにふんぞり返った。
それがこの写真。


10分後、ようやく立ち並んだ乗客が少しずつ動き出したように見えた。「最後のひとりになったら教えろ」と言ったが、実際そこまで居座って意地悪するつもりはない。
「動きだしたようだな」
「ハイ・・・」
私は最後の乗客・・・私の後に先にクレーム入れてた男性客を置いて車両通路を歩いた。その男性がその後どうなったか、納得されたかどうかは知らない。
前方部の何両目かわからないが、ドアは1箇所ではなく4か所・・・だったかな。開いてましたね。


東林間駅は相模大野駅に近いのでホームは広くない。そこにこれだけの乗客がいた。私と同じく強制的に下ろされた客である。普段からこの駅を利用している乗降客は、改札から入ってきていつもと違う人の数に驚いたのはないか。

こんな中途半端な停車をしてからに。全車両駅ホームに入ればいいんですよ。

快速急行は回送電車になった。
「回送電車発車します。電車から離れて下さい。白線の内側にお下がりください。さ・が・っ・て・く・だ・さ・い・下がらないと発車できません」
あのな、さがって下さいたって、ホーム上が混雑してる要因は何だ?客のせいにすんなよ。

10両編成の電車は相模大野方面へ去っていった。
だけどおかしなものである。回送電車で相模大野駅に向かうなら、そのまま乗客を降ろさずそのまま行けばいい。相模大野駅で降ろせばいいんだ。東林間駅なんかで1車両だけドア開放するこたぁない。
マニュアル通りに縛られて融通効かないから代々木駅の火災の時のようにネタにされるんだよ。小田急の杓子定規のマニュアルなんて見たことないが、バカですね小田急は。
ところがすぐ後続電車が来るようで、運転再開のアナウンスが流れたものである。
東林間駅から構外へ出た乗客もドドーッと戻って来た。

「上り電車はタイヘンな混雑が予想されます」
ところがドッコイ空いてたぞ。東林間駅から構外へ出て、相模大野駅や中央林間駅まで歩いた乗客は地団太踏んだに違いない。歩かされた客こそいい迷惑である。

そこから多少のノロノロ運転、停止をくり返して相模大野駅に入った。
人身事故現場は何処だ?という悪趣味な視点で構内を見回したが、既に救出活動は済んだようである。
この遅れを取り戻すべく、行政が休憩時間である12時~13時を移動に充てようと目論み、先に昼を食べてやれと。新百合丘駅の箱根そば。

箱根そばの蕎麦は細くてユルいので、ミニカツ丼、ミニカレー、の組み合わせ。
「カレーとカツ丼、同時がよろしいですか?」

こういう邪道セットを食す場合、交互に食べると舌がオカシくなる。
私はカツ丼を先に食べてそれからカレーに移行したが、カツが小さくてカツ丼のご飯が余ってしまい、カレーに移して完食。








この日の午後に幸手市と小山市に重大な案件があり、先週の時点で既にアポも入れてあったのだが、JR宇都宮線の送電トラブルで運転見合わせ。復旧の見通し立たず。
上野駅でそれを知り、すごすご引き返すハメになった。

私は小田急線車内で30分もいなかったが、宇都宮線では埼玉県の東鷲宮駅と栗橋駅間で止まった電車から乗客300人が降ろされ、線路の上を1時間歩いたそうだね。歩く前は車内に3時間か4時間いたというし。バカだねJRも。
でも。。。
線路を歩いてみたかったな。

これで1日のスケジュールが狂い、http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-10-22-1で触れた業務期日に間に合うか微妙になったのですが。辛うじて作日30日に間に合いました。
またしてもこの日の夜にこの店に行ってるのですが、ある淡水魚がテーマになったので日を改めて別項にしたいと思います。

では行ってきます。
「よ~く眠ってたよ」(ジャン妻)
「???」
「アタシは強風?雨?3時頃に起きちゃって、1時間くらい眠れなかったんだから」
「そうか。全く起きなかったな・・・」
「この人何で起きないんだろうと思った。スー、クァー、スー、クァーって気持ちよさそうに寝てた」
アタシは眠れなかったのに、アナタ自分だけ熟睡してズルいというのかい。
台風は去ったようである。さてどうするか。
どうするかって出勤するしかないんだけど。運行状況はどうか確認。
「平常とおり運いてるんじゃない?」
今日は午後に小山まで行かなきゃならないのだが・・・。
(JR宇都宮線が送電トラブルで全く機能しなくなるのはこの日の午後です。)
前夜、私は上司にCメールで、朝の運行状況次第で判断して良いですか?と伺いを入れてOK貰っている。でも実のところ多忙なので動いてくれなきゃ困るのです。
ダイヤが乱れているであろうJR東海道線で東京本社へ向かうか、私は今日別アポがあって、小田急線沿線にある支店に行かなくてはならない。
横浜市営地下鉄の最寄駅構内で様子をうかがったら、横浜方面の車両はALL混んでいて女性専用車両も開放されていた。相鉄線の運転見合わせによる振り替え輸送客で混んだのです。
午前5時半、相鉄線二俣川駅付近を走行していた横浜行各駅停車の車両内で煙が発生し、車内や周辺区間が停電した。
乗客は徒歩で二俣川駅まで移動したというから線路上を歩いたのかな。落雷があったとの投稿や、情報も寄せられている。運転士が火花を見たらしい。
車両に避雷針とか設置されてないのだろうか。
その振替輸送混雑を見て私はJRで上京するのを止めて湘南台ま経由の小田急線で支店廻りをしようと決めたのです。
車両火災?
そういえば小田急線でも車両火災があったね。9月11日午後、代々木辺りの沿線の建物から出火し、脇を走る8両編成の普通電車の確か2両の車両の屋根に燃え移ったあれですよ。

消防隊からの要請で警察署員が現場近くの踏切非常停止ボタンを押したら走行していた問題の電車が非常ブレーキで自動停止・・・した場所が、火災現場の真ん前でさ。
「運転手開けろ!!燃えてるから開けろよ!!」
消防士が怒声浴びせてましたね。バカかと言わんばかりに。
後で批判するなんて誰でもできますが、停止しないで一気に通過すれば良かったのにとは私も思ったよ。
マニュアル通りにしか対応しない、できないんだろうね。
今日の小田急線は大丈夫だろうか。
小田急線は何年か前は、激しく混む、遅れる、踏切待ちが長い、通勤時間帯なのにロマンスカーが憎らし気に運行する、のように叩かれがちだった。
今でも混雑するし遅れたりするが、登戸から代々木上原までの複々線工事化が進んで、地上高架、地下化による踏切解消等で幾分は改善されたような気はする。今の総スカンは東急田園都市線の方が上をいった感はある。
私は湘南台駅で快速急行新宿行に乗車した。何だ定刻通り運行しているじゃないか。さすがは大手私鉄だな~とこの時は安堵したのだが。。。
中央林間駅を過ぎた辺りから減速した。
止まっちゃった。
車内に流れたアナウンスはというと。
「相模大野駅で人身事故が発生致しました関係で、この電車は東林間駅で運転を見合わせます」というもの。
えぇ~。。。

しばらく停止したままの状態が続く。
なかなか動かない。動こうとしない。
「繰り返しお知らせ致します。相模大野駅で人身事故が発生致しました関係で、この電車は運転を見合わせております。お客様にはご迷惑を・・・」
さっき聞いたよ。またしばらくしてから、
「繰り返しお知らせ致します。相模大野駅で人身事故が発生致しました関係で、この電車は東林間駅で運転を見合わせております。お客様にはご迷惑を・・・」
またかよ。同じようなアナウンスばかりである。新しい情報はないのか。
東林間駅?
駅に着いているのかこの電車?
でも私がいる後ろから3両目の車両はホームにかかっていない。築堤の上に停車している。
何故に東林間駅ホームに全車両滑り込まないのだろうか。そこで乗客を開放できないのか。東林間駅は10両編成に対応していないのだろうか。
「繰り返しお知らせ致します。相模大野駅で・・・」・・・いい加減にしろよと思ったが、今度は別情報があった。
「・・・運転再開は9時50分頃を見込んでいます」という。
9時50分?1時間近くあるぞ。それまずーっとここにいろってか。
窓の外を見た。
ホームが無いぞ。私のいる車両は東林間駅直前の築堤の上にいるのです。前方車両はホームに入っているとみた。それもここからではわからないが。
「繰り返しお知らせします・・・」
・・・私は諦めてアタマを切り替えた。愚痴るよりネタにしちゃえと思い直したのです。するとそれまで苛々してた気分が消えた。
何が起きるか楽しみである。もしかしたら線路の上を歩けるかな?
電車は動かない。
業を煮やしたか。若い学生が2人か3人最後部に歩いて行きましたね。車掌に物言いでもつけにいったのだろうか。試験に間に合わないとか。
行った(言った?)だけの効果があって、その後すぐに、「この電車は東林間駅で運転を打ち切らさせて頂きます。中央中ほどの車両のドアを1箇所開けますので、そこからホームにお降り下さい」という珍しいアナウンスが流れたよ。ということは10両編成の電車は半分ほどは東林間駅ホームに入っているようである。運転打ち切りは無情なようだが、この動かない車両からようやく解放されるというもの。
乗客は諦め顔で通路に立ち並んだ。
だが、立ち並んだだけで全然動かない。そりゃそうだよ。10両編成の真ん中の車両1箇所だけドアを開けたってすぐにドーッと堰を切ったように流れない。

この状態がしばらく続く。
次のアナウンスは、「この電車は東林間駅で運転を打ち切らさせて頂きます。中央中ほどの車両のドアを1箇所開けますので、そこからホームにお降り下さい・・・」・・・同じ内容のアナウンスの後で、「東林間駅から相模大野駅までは徒歩〇分で、中央林間駅までは徒歩〇分です。他社線で振り替え輸送を行っております」というじゃないか。
運転を打ちきって東林間駅ホームに下りてその後は乗客の自己判断に任せると、丸投げしたのです。前後の駅まで歩いて行けと言われたようなものである。

まだ動かないぞ。アナウンスにキレたのか、ひとりの会社員が憤怒の形相で後方車輌に歩いて行った。車掌に喰ってかかりに行ったんだろう。
他社線で振り替え輸送を行っておりますと言われても、中央林間駅から発着する最近評判が悪い東急田園都市線しかない。まさか大和駅まで延々歩いて、動いてるかどうかわからな相鉄線をアテにするのもバカらしい。
相模大野駅まで歩くのが最も距離が短いが、小田急小田原線(本線)が動いてるかどうかわからないが、区間運転を開始しますとか、折り返し運転がどうこうとか断片的なアナウンスがあり、「ホームにお降り下さい。この電車はこの先ご乗車できません」のアナウンスが流れた。
私の業務の一部を委託してある草の者(陰の部下)1号から着信があったが出るに出れない。
「今、小田急線の人身で電車が動かないんだ」と返信した。
小田急線沿線には4号と10号がいるのだが、ヤツらは出勤できただろうか。

野党の牛歩戦術のようにちょっとずつ動き出したが。。。
埒があかない。
さて、ネタを作ろうと私も後方車輌へ歩いたよ。最後部車両は女性専用車だが、乗客は前方部に移動して誰もいなかった。

上記写真の撮影前、さっき憤怒の形相で歩いてった男性がエラい剣幕で若い車掌に詰め寄ってた。
「電車動かせよ」「大野駅まで行けよ」「だったらバス手配しろよ」
車掌は困惑している。今の時間帯の小田急は沿線の客層に女性や学生が多いので、若い車掌は私とその会社員のような男性の執拗なクレームに慣れていないようである。
その男性の要求を理不尽だと思っているか、人身事故は自分のせいじゃないと思っているか、自分の権限外で何もできないのです勘弁して下さいなのか、嵐が過ぎ去るのをひたすら待っているだけなのか。謝り方が中途半端なのは内心でそう思ってるからである。それは乗客側からしたら開き直った態度に見える。だから余計に相手を激高させる。こういう時はひたすらアタマを下げるしかないんだよ。
何で自分がクレーム対応しなきゃならないって後で同僚にボヤくんだろうな。
でも男性が言うバス手配はまず無理だと思う。東林間駅と線路脇の道路は大型バスが入れるだけのスペースはないのだ。でも私も相模大野駅まで行けないのか、行けないならこんな中途半端に停車してないで東林間駅ホームに全車両停車横付けして全てのドアを開放しろよ、とは思っているので口を出した。
「全車両ホームに横付けできないのかよ」
先にクレームつけてた男性は私に譲ってくれたように見えた。
「ハイ。できないんです」
何故できないのかわからない。
「10両編成で前方部のドア1か所だけ開けたって全部の乗客はすぐに下りれないよ。皆通路に立ち止まったままだぜ。動きゃしねぇよ」
「上からの指示でして」
この車掌は最後尾にいるから前方部の車両の状況がわかっていないのか、単にマニュアル通りにしかできないのか。
乗客がホームになかなか下りられないで車内通路に立ち並んだまま行列しているのはドアが1か所しか開放してない為であり、それを把握せずに(または上に報告せずに)「この電車はこの先ご乗車できません」とアナウンスだけして「早く下りてくださいよ」と言ってるだけに等しい。客のせいにしている。
「そうか・・・俺は前の方で並んで立って待つ気はない。乗客が流れ出るまでここにいるからな」
「・・・」
「最後のひとりになったら教えてくれ」
「・・・」
車掌は黙っちゃった。私はさっきまで女性専用車両だったロングシートにふんぞり返った。
それがこの写真。


10分後、ようやく立ち並んだ乗客が少しずつ動き出したように見えた。「最後のひとりになったら教えろ」と言ったが、実際そこまで居座って意地悪するつもりはない。
「動きだしたようだな」
「ハイ・・・」
私は最後の乗客・・・私の後に先にクレーム入れてた男性客を置いて車両通路を歩いた。その男性がその後どうなったか、納得されたかどうかは知らない。
前方部の何両目かわからないが、ドアは1箇所ではなく4か所・・・だったかな。開いてましたね。


東林間駅は相模大野駅に近いのでホームは広くない。そこにこれだけの乗客がいた。私と同じく強制的に下ろされた客である。普段からこの駅を利用している乗降客は、改札から入ってきていつもと違う人の数に驚いたのはないか。

こんな中途半端な停車をしてからに。全車両駅ホームに入ればいいんですよ。

快速急行は回送電車になった。
「回送電車発車します。電車から離れて下さい。白線の内側にお下がりください。さ・が・っ・て・く・だ・さ・い・下がらないと発車できません」
あのな、さがって下さいたって、ホーム上が混雑してる要因は何だ?客のせいにすんなよ。

10両編成の電車は相模大野方面へ去っていった。
だけどおかしなものである。回送電車で相模大野駅に向かうなら、そのまま乗客を降ろさずそのまま行けばいい。相模大野駅で降ろせばいいんだ。東林間駅なんかで1車両だけドア開放するこたぁない。
マニュアル通りに縛られて融通効かないから代々木駅の火災の時のようにネタにされるんだよ。小田急の杓子定規のマニュアルなんて見たことないが、バカですね小田急は。
ところがすぐ後続電車が来るようで、運転再開のアナウンスが流れたものである。
東林間駅から構外へ出た乗客もドドーッと戻って来た。

「上り電車はタイヘンな混雑が予想されます」
ところがドッコイ空いてたぞ。東林間駅から構外へ出て、相模大野駅や中央林間駅まで歩いた乗客は地団太踏んだに違いない。歩かされた客こそいい迷惑である。

そこから多少のノロノロ運転、停止をくり返して相模大野駅に入った。
人身事故現場は何処だ?という悪趣味な視点で構内を見回したが、既に救出活動は済んだようである。
この遅れを取り戻すべく、行政が休憩時間である12時~13時を移動に充てようと目論み、先に昼を食べてやれと。新百合丘駅の箱根そば。

箱根そばの蕎麦は細くてユルいので、ミニカツ丼、ミニカレー、の組み合わせ。
「カレーとカツ丼、同時がよろしいですか?」

こういう邪道セットを食す場合、交互に食べると舌がオカシくなる。
私はカツ丼を先に食べてそれからカレーに移行したが、カツが小さくてカツ丼のご飯が余ってしまい、カレーに移して完食。








この日の午後に幸手市と小山市に重大な案件があり、先週の時点で既にアポも入れてあったのだが、JR宇都宮線の送電トラブルで運転見合わせ。復旧の見通し立たず。
上野駅でそれを知り、すごすご引き返すハメになった。

私は小田急線車内で30分もいなかったが、宇都宮線では埼玉県の東鷲宮駅と栗橋駅間で止まった電車から乗客300人が降ろされ、線路の上を1時間歩いたそうだね。歩く前は車内に3時間か4時間いたというし。バカだねJRも。
でも。。。
線路を歩いてみたかったな。

これで1日のスケジュールが狂い、http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-10-22-1で触れた業務期日に間に合うか微妙になったのですが。辛うじて作日30日に間に合いました。
またしてもこの日の夜にこの店に行ってるのですが、ある淡水魚がテーマになったので日を改めて別項にしたいと思います。

では行ってきます。
2017-10-31 06:32
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引き戻される [鉄路と風景]

朝の東京駅新幹線ホームです。
乗客がいませんがこれは回送電車ではない。私が今から乗るのは東京駅発7:24、あさま603号に乗るところです。
603号は上野、大宮、熊谷、本庄早稲田と律儀に停車し、上州玄関口である高崎駅に着いたのが8:22・・・。

これに乗る為に起きたのが5:00で、ジャン家を出たのが5:50ですよ。
私は最近朝早く起きてしまう習慣がついたので(トシのせいか)早朝起床は苦にならなくなったが、朝だけ強いということは、後で眠くなるかもしれない。車内で寝過ごさないようずーっと起きていました。
東京駅では自由席車両に私ひとりだったのが、上野駅でドカドカ乗ってきて、そこらじゅうで駅弁を開封する音がした。
大宮駅辺りで私も腹の虫が泣いたが、朝が早過ぎて、いつもの崎陽軒スタンドが開いてなかったのです。

ぐんまちゃんがお出迎え。

腹が減った。でもここの立ち食いそば屋は止めといた。店員さんがボタンを押すと自動で注がれる汁がイマイチ美味しくない。蕎麦も粉っぽいし。


まだコンコースに鎮座している上州三古碑のレプリカたち。

この時は後バルの時期だったのだです。

新しいビルがカタチになってきた。



あ、まだ営ってたのか。
私が上州に赴任して間もない頃に、このチェーン居酒屋でこっちの社員を集めて飲み会を開催したことがある。
冷凍のポテトフライ、冷凍の枝豆、鮮度がイマイチの刺身、他、暴力的なアイテムに閉口したもの。

1時間に1本のバスまでまだ時間がある。今日は11:30~13:30は移動に充てるので、先に高崎駅のたかべんで立ち喰いになった。

汁が美味しい。熱々です。舌を火傷するくらいに熱々。


かき揚げもガシガシして美味しい。カリッとした部分と汁が浸みてベチャッとした部分が2箇所以上味わえます。

首都圏のそこらじゅうにある同じようなもの、同じ味しかしないJR東の品系スタンド蕎麦とは違うね。
たかべんもその系列会社に吸収されたようだが、母体が変わっても大船軒と同じく汁は独自のものを活かしているんじゃないかな。
熱々の蕎麦を写真撮りながら喰ってたら意外に時間がかかり、立ち喰いスタンドを出た途端、目の前を私が乗る1時間に1本のバスがぐるんと廻って来た。

今回の出張は上州と新潟県の掛け持ちになった。
上州の社員が1名、新潟県内へ期間限定で異動するのでその事前フォローと、上州圏内に新人が数名配属されたのでその手続きに来たの。
新潟県へ赴任する社員の手続きで、現地リーダーが東京本社にいる私の上司(・・・私にも一応は上司がいるにはいるのですが・・・)への連携をミスったせいで私は東京から直接新潟に行けなくなり、一旦高崎で途中下車してその対象社員と会ってから新潟に向かうハメになった。
直接東京から新潟へ行けなかったことで1泊で済むところが2泊になった。最近は上州は出張扱いでなく日帰りが大原則なのですが、さすがにOKが出ました。
OKが出たからにはいろいろ楽しんでやろうと心中期する邪(ヨコシマ)な気持ちがある。文句あっかてなもんです。
群馬県内の某現場から高崎駅に戻ったら、三碑のレプリカが撤去されてるぞ。
かなり長いこと鎮座してたからな。さすがに飽きて他のモノに取り換えるのだろうか。

新潟へ向かう10:26発のMaxとき313号。
終点新潟までなので多少は仮眠した。高崎から浦佐辺りまではトンネルが多く、車窓風景がツマんない。

新潟県内の公用は3箇所。あっさり終了。
そして高崎に戻るMaxとき334号です。
これの1本前は高崎を通過するので要注意。

この2階建車両は2020年までにALL廃車になるそうです。
2階建だけに乗車定員数が多いので、これらが廃車になって全て1階建の車両になると定員数が1634人→924人に減ってしまう。
JR東日本は「輸送力が必要な朝の通勤時間帯に増発するなど対応を検討する」と言っているそうだがどうせ口だけである。今現在は高崎に上越、長野、北陸新幹線がそれほど集中しているように見えないが、大宮~上野~東京間は新幹線本来のスピードは出せないくらいに過密しているし、2階→1階になったら東京駅に積み残し客が出るのではないか。
私の上州移動にも多少影響が出そう。今は自由席で座って楽に移動していますが、座席数多いMAXが廃止になったら指定席で移動するかも。


高崎駅に戻ったら、駅のコンコースの上毛三古碑のあった場所に、何やら木の枠がセットされようとしている。
翌々日の帰京時に撮った写真。高崎祭りだった。

さて、上り新幹線Maxとき334号が新潟駅を出る前、私に1通のメールが届いている。
「お疲れ様です。今日は○○さん(私の本名)の好きなハチビキが入りました。ご都合でお待ちしています(*^ー^)ノ」
私は唖然とした。

何故、私がこっちに来てるのを知ってるんだ?(続く)
2017-07-19 06:41
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サイクルトレイン再び乗車 [鉄路と風景]
JR前橋駅北口のけやき通り沿いにある某行政へ申請を済ませ、そこから歩いてもうひとつの前橋駅、上毛電鉄の中央前橋駅へ向かいます。

両前橋駅は徒歩で10分ほど離れています。
これは帰途に利用した前橋駅と中央前橋駅を結ぶシャトルバス。途中停留所に停まることないピストン輸送。
木製の椅子はクッションがなくて固い。ケツが痛くなるんだよね。


改札からホームに入ったところ。
Suicaには対応していません。券売機で購入するキップです。

上毛電鉄乗車旅は2回目です。前回は2014年の初秋に膳城他を見に行ったんだった。車内に自転車を持ち込んでるのを見て驚愕したものですよ。
中央前橋駅に2両編成の折り返し電車が着いて、20人ほどの乗客が下りてきた。うち2人が車内に持ち込んだ自転車を押して改札外へ出ていく。



出発を待つ700型2両編成。
東急車輛製造で作られた京王電鉄井の頭線のお古で、こちらに譲渡された中古車両です。
車体は旧くてもボディ塗装はハデです。大年増の女性が白昼に無理してゴテゴテに化粧(塗装)した感がある。

上毛電鉄には8本が在籍していますが、この時間帯は1時間に2本、朝の通勤通学時間帯でも1時間に3本です。8セットだと1時間に2本くらいしかダイヤ組めないでしょうな。
上信電鉄は富岡製糸場の世界遺産登録で多少は儲けたのか新型車両を導入したけど、上毛電鉄沿線にはこれといった目玉がないので後塵を拝してる感がある。

9:45発の西桐生行が動き出した。
車体がギシギシゴトゴト鳴る。でも上信電鉄ほど横揺れしない。
車内は老人客ばかり・・・でもなくて、「おや?」と目を見張る美女がいたりする。それだけ総客数が少ないから目立つということですよ。
病院と併設された心臓血管センター駅・・・(人間の内臓が2つも使われた駅名)で、後方車輌から4人もの美女が下り立ったぞ。


大胡駅です。大胡をダイゴと読む人がいますがオオゴと読みます。
駅舎は登録有形文化財&県近代化遺産。
併設されている車両検査庫も登録有形文化財&県近代化遺産。
その車両検査庫は、駅ホームからだと遠くて全体像が把握し難い。
駅舎もいい雰囲気を醸し出していますが、有形文化財&近代化遺産という観点で眺めても価値がよくわからない。
ライバル上信電鉄の吉井駅舎や上州一ノ宮駅舎だって文化財だと思うのだが・・・。・・・さっきからイチイチ上信電鉄と比較してますが別に他意はないよ。

何だろこの模型電車は?



駅北側の法面側に展開したLED電球のイルミネーションイベントらしい。
チョコレート色の模型車両はデハ101・・・らしいです。(私は車量製造番号に疎いので。)
雨や風に打たれて傷まないのだろうか。
大胡駅は無人駅かと思いきや女性職員がいました。地元のボランティアかも知れない。
帰りの電車もチェック。やはり1時間に2本。

ここから目的地への位置関係や距離もだいたい把握しているので駅から歩こうとしたら、何とタクシーが1台待っておった。駅ロータリーに面してタクシー会社があるのです。
無駄な体力を使わず温存しようと思い直した。タクシーのボディを軽くノックしたら運ちゃんは通信機で何やら指示を受けておる。
「あ、すみません、もう1台来ますから」
「もう1台?」
私はひとりだけだぞ。
「今、ちょうど送迎の連絡が来ちゃったんですよ。すぐ1台来ますので」と言ってる間もなく駅前にあるタクシー社務所からもう1台のタクシーがロータリーを時計回りにグルンと走ってきた。
無線で指示を受けた運ちゃんは後から来た運ちゃんに、
「〇〇さん宅って、どこそこをの角だっけか?」
「いんや(違うの意)、〇〇の辺りの角っこを曲がってすぐだよ」
同僚同士の会話の後で乗車。のんびりしたものである。
「お待たせしました」
「大胡城の駐車場まで行ってくれ」
「大胡城の駐車場ね」

そこへ至るまで飲食店が1軒も見当たらなかった。
コンビニもない。そういう事態を見越して水を用意してきた。
寂れた市街地を抜けて川に沿って走り、いきなり左折して急坂を上がり、1台分の四角いトンネルを勢いよく抜けたら視界が広がり、そこが駐車場兼二の郭だった。
「1時間くらいしたら、ここ(駐車場)か近隣の寺で呼ぶから」
タクシーは下っていった。

二の郭には老人がひとりでゴルフの稽古をしとった。私にジロリと一瞥をくれたので私も視線を返したら、そっぽ向いて二の郭の端っこにいっちゃった。
雑草もなくキレイに刈り払われているので練習場にしてるのでしょうな。外部から稽古をじゃましに来た闖入者と思ったに違いない。
村上弘明さんが殺陣してたのはどこだろうか。(続く)

両前橋駅は徒歩で10分ほど離れています。
これは帰途に利用した前橋駅と中央前橋駅を結ぶシャトルバス。途中停留所に停まることないピストン輸送。
木製の椅子はクッションがなくて固い。ケツが痛くなるんだよね。


改札からホームに入ったところ。
Suicaには対応していません。券売機で購入するキップです。

上毛電鉄乗車旅は2回目です。前回は2014年の初秋に膳城他を見に行ったんだった。車内に自転車を持ち込んでるのを見て驚愕したものですよ。
中央前橋駅に2両編成の折り返し電車が着いて、20人ほどの乗客が下りてきた。うち2人が車内に持ち込んだ自転車を押して改札外へ出ていく。



出発を待つ700型2両編成。
東急車輛製造で作られた京王電鉄井の頭線のお古で、こちらに譲渡された中古車両です。
車体は旧くてもボディ塗装はハデです。大年増の女性が白昼に無理してゴテゴテに化粧(塗装)した感がある。

上毛電鉄には8本が在籍していますが、この時間帯は1時間に2本、朝の通勤通学時間帯でも1時間に3本です。8セットだと1時間に2本くらいしかダイヤ組めないでしょうな。
上信電鉄は富岡製糸場の世界遺産登録で多少は儲けたのか新型車両を導入したけど、上毛電鉄沿線にはこれといった目玉がないので後塵を拝してる感がある。

9:45発の西桐生行が動き出した。
車体がギシギシゴトゴト鳴る。でも上信電鉄ほど横揺れしない。
車内は老人客ばかり・・・でもなくて、「おや?」と目を見張る美女がいたりする。それだけ総客数が少ないから目立つということですよ。
病院と併設された心臓血管センター駅・・・(人間の内臓が2つも使われた駅名)で、後方車輌から4人もの美女が下り立ったぞ。


大胡駅です。大胡をダイゴと読む人がいますがオオゴと読みます。
駅舎は登録有形文化財&県近代化遺産。
併設されている車両検査庫も登録有形文化財&県近代化遺産。
その車両検査庫は、駅ホームからだと遠くて全体像が把握し難い。
駅舎もいい雰囲気を醸し出していますが、有形文化財&近代化遺産という観点で眺めても価値がよくわからない。
ライバル上信電鉄の吉井駅舎や上州一ノ宮駅舎だって文化財だと思うのだが・・・。・・・さっきからイチイチ上信電鉄と比較してますが別に他意はないよ。

何だろこの模型電車は?



駅北側の法面側に展開したLED電球のイルミネーションイベントらしい。
チョコレート色の模型車両はデハ101・・・らしいです。(私は車量製造番号に疎いので。)
雨や風に打たれて傷まないのだろうか。
大胡駅は無人駅かと思いきや女性職員がいました。地元のボランティアかも知れない。
帰りの電車もチェック。やはり1時間に2本。

ここから目的地への位置関係や距離もだいたい把握しているので駅から歩こうとしたら、何とタクシーが1台待っておった。駅ロータリーに面してタクシー会社があるのです。
無駄な体力を使わず温存しようと思い直した。タクシーのボディを軽くノックしたら運ちゃんは通信機で何やら指示を受けておる。
「あ、すみません、もう1台来ますから」
「もう1台?」
私はひとりだけだぞ。
「今、ちょうど送迎の連絡が来ちゃったんですよ。すぐ1台来ますので」と言ってる間もなく駅前にあるタクシー社務所からもう1台のタクシーがロータリーを時計回りにグルンと走ってきた。
無線で指示を受けた運ちゃんは後から来た運ちゃんに、
「〇〇さん宅って、どこそこをの角だっけか?」
「いんや(違うの意)、〇〇の辺りの角っこを曲がってすぐだよ」
同僚同士の会話の後で乗車。のんびりしたものである。
「お待たせしました」
「大胡城の駐車場まで行ってくれ」
「大胡城の駐車場ね」

そこへ至るまで飲食店が1軒も見当たらなかった。
コンビニもない。そういう事態を見越して水を用意してきた。
寂れた市街地を抜けて川に沿って走り、いきなり左折して急坂を上がり、1台分の四角いトンネルを勢いよく抜けたら視界が広がり、そこが駐車場兼二の郭だった。
「1時間くらいしたら、ここ(駐車場)か近隣の寺で呼ぶから」
タクシーは下っていった。

二の郭には老人がひとりでゴルフの稽古をしとった。私にジロリと一瞥をくれたので私も視線を返したら、そっぽ向いて二の郭の端っこにいっちゃった。
雑草もなくキレイに刈り払われているので練習場にしてるのでしょうな。外部から稽古をじゃましに来た闖入者と思ったに違いない。
村上弘明さんが殺陣してたのはどこだろうか。(続く)
2017-05-16 07:03
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旅の途中 [鉄路と風景]
JR新幹線Maxとき315号新潟行(東京駅10:16発~高崎着11:05)、新幹線の橋上改札から在来線乗り換え改札を経て在来線ホームへ。

腹の虫が鳴った。
この時はこれから赴く渋川駅近くの飲食店情報が少なかったので、今の内にたかべんの駅そばで済まそうかな~もう何だっていいや~の心境でスタンドへ歩み寄ったら。

!!!
NREになっちゃったのねいつの間にか。
たかべんよお前もか。止~めたっと。
首都圏に氾濫している何処も同じ味のNREをここ群馬で喰わなくてもいいや。渋川駅チカで何処か探そう。何かあるだろ。それにしても時間給800円は安くないか?
群馬県のHPから。平成28年10月6日改訂された群馬県の最低賃金は759円だそうである。

思いとどまって腹の虫を押さえながら、次に来るであろうJR特急草津1号長野原草津口行11:23発を待っていたら、赤いディーゼル機関車がおっそろしくクラシックな旧型車両をこっちに向かって牽引してきた。





高崎車両センターに籍を置く旧型車両たち。
内装や座席は木製で、暖房はSLから供給される蒸気暖房。冷房はないそうです。
カタカナで車籍番号が書いてあるが、私はそういうのよくわからない。
まさか私の立ってるホームに来るのかと思いきや直前に逸れて、八高線の脇を通って1本違いの線路にゆ~っくりゆっくり停車した。
遥か向こうには新型電車の先頭車両フェイスが見える。特急草津に違いない。このイベント旧型車両に入線を譲り赤信号で停車していったようです。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-29でも書いたが高崎駅構内の動線の関係らしい。
私は30数年前、多感な高校生修学旅行が東北地方で、集合場所(宿泊地)に着くまでは日中のフリータイムで幾つかのグループに分かれて行動した。
おそらく今もあるリステル猪苗代に向かう当時の磐越西線のこういう旧型車両に乗って、車両に併設されていた便所を利用した記憶がある。
美しいネタで恐縮ですが。あの時代、線路にそのまま落としたんじゃなかったかな。開放式ですよ。線路上の砂利、バラストに自然に落としていたもの。
確か穴からバラストが見えてた記憶がある。「停車中は使用しないでください」というあれですよ。
私が使用した紙もそのまま落ちていましたが、現物は赤茶けたバラストの色に混じって確認できなかった。白い紙だけ後方車輌のデッキから一瞬見えたものです。
今は信金の支店長になっている友人に冷やかされた。「〇〇(私のこと)が拭いた紙だ」って。そりゃ紙使うさ。「おめぇは使わねぇのか」って返したモン。
今はそこんとこ改造されてる筈。今でも旧タイプで運用していたら環境汚染問題になるからね。
こげ茶色した5両の旧型車両たちは、前方と後方に2両の赤いディーゼル機関車に挟まれていた。前方は引っ張り、後方は押しているのだろうか。
構内を牽引してきた赤いディーゼル機関車は高崎車両センターに配属されている4両(842、888、895、897)です。旧国鉄時代からの古豪だが、貨物輸送が激減した現在は新型機関車を開発することなく部品交換の延命措置で現役生活を送っている。
私が立っている場所まで軽油のニオいがした。
彼らが牽引してきた旧型車両は何かのイベントに違いないので、ホームで所在無げに立っている職員さんに聞いたのよ。
「この旧い客車は現役なの?」
「・・・ハイ。SL列車の車両です」
やはりSLか。SLの汽笛一声は住んでた羅漢町のマンションでもよく聞こえたものです。
でもSLはいないぞ。この後DD51が牽引する水上方面へのお祭り列車に連結されるのか?今日は平日だぞ。



草津が来た。自由席車両に飛び乗った。

こないだ泊まったことあるルートイン高崎。

あ、私が住んでたマンションが見える。

乗車20分。車掌が乗車券特急券の確認に来るかな~。
白状すると、渋川駅で飛び乗った高崎方面の上り特急草津自由席で、高崎に着くまでのおよそ20分、結局社内検札は来なかったことがある。乗車券だけで来てしまった。
その時はそのままスルーして新幹線乗り換え改札に入ったのですが、今回は渋川駅改札でちゃんと自己申告しましたよ。
駅構内で「特急ご利用のお客様は毎札までお申し出ください」ってしっかりアナウンスしとったからね。
特急券だけで510円でした。これは捨てちゃったので社内精算しなかった。
日本の臍(ヘソ)渋川にまたやってきました。

渋川駅前、北に斜めに延びるメインストリートを歩く。
あ、伊藤商店が定休日でやんの。

反対側道路向こう側の中華屋さん(何故かサンマーメンがある)もシャッターが閉まっている。

さて。どうしようか。
あ、薬局の2階に喫茶店が見えるぞ。

腹の虫が鳴った。
この時はこれから赴く渋川駅近くの飲食店情報が少なかったので、今の内にたかべんの駅そばで済まそうかな~もう何だっていいや~の心境でスタンドへ歩み寄ったら。

!!!
NREになっちゃったのねいつの間にか。
たかべんよお前もか。止~めたっと。
首都圏に氾濫している何処も同じ味のNREをここ群馬で喰わなくてもいいや。渋川駅チカで何処か探そう。何かあるだろ。それにしても時間給800円は安くないか?
群馬県のHPから。平成28年10月6日改訂された群馬県の最低賃金は759円だそうである。

思いとどまって腹の虫を押さえながら、次に来るであろうJR特急草津1号長野原草津口行11:23発を待っていたら、赤いディーゼル機関車がおっそろしくクラシックな旧型車両をこっちに向かって牽引してきた。





高崎車両センターに籍を置く旧型車両たち。
内装や座席は木製で、暖房はSLから供給される蒸気暖房。冷房はないそうです。
カタカナで車籍番号が書いてあるが、私はそういうのよくわからない。
まさか私の立ってるホームに来るのかと思いきや直前に逸れて、八高線の脇を通って1本違いの線路にゆ~っくりゆっくり停車した。
遥か向こうには新型電車の先頭車両フェイスが見える。特急草津に違いない。このイベント旧型車両に入線を譲り赤信号で停車していったようです。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-08-29でも書いたが高崎駅構内の動線の関係らしい。
私は30数年前、多感な高校生修学旅行が東北地方で、集合場所(宿泊地)に着くまでは日中のフリータイムで幾つかのグループに分かれて行動した。
おそらく今もあるリステル猪苗代に向かう当時の磐越西線のこういう旧型車両に乗って、車両に併設されていた便所を利用した記憶がある。
美しいネタで恐縮ですが。あの時代、線路にそのまま落としたんじゃなかったかな。開放式ですよ。線路上の砂利、バラストに自然に落としていたもの。
確か穴からバラストが見えてた記憶がある。「停車中は使用しないでください」というあれですよ。
私が使用した紙もそのまま落ちていましたが、現物は赤茶けたバラストの色に混じって確認できなかった。白い紙だけ後方車輌のデッキから一瞬見えたものです。
今は信金の支店長になっている友人に冷やかされた。「〇〇(私のこと)が拭いた紙だ」って。そりゃ紙使うさ。「おめぇは使わねぇのか」って返したモン。
今はそこんとこ改造されてる筈。今でも旧タイプで運用していたら環境汚染問題になるからね。
こげ茶色した5両の旧型車両たちは、前方と後方に2両の赤いディーゼル機関車に挟まれていた。前方は引っ張り、後方は押しているのだろうか。
構内を牽引してきた赤いディーゼル機関車は高崎車両センターに配属されている4両(842、888、895、897)です。旧国鉄時代からの古豪だが、貨物輸送が激減した現在は新型機関車を開発することなく部品交換の延命措置で現役生活を送っている。
私が立っている場所まで軽油のニオいがした。
彼らが牽引してきた旧型車両は何かのイベントに違いないので、ホームで所在無げに立っている職員さんに聞いたのよ。
「この旧い客車は現役なの?」
「・・・ハイ。SL列車の車両です」
やはりSLか。SLの汽笛一声は住んでた羅漢町のマンションでもよく聞こえたものです。
でもSLはいないぞ。この後DD51が牽引する水上方面へのお祭り列車に連結されるのか?今日は平日だぞ。



草津が来た。自由席車両に飛び乗った。

こないだ泊まったことあるルートイン高崎。

あ、私が住んでたマンションが見える。

乗車20分。車掌が乗車券特急券の確認に来るかな~。
白状すると、渋川駅で飛び乗った高崎方面の上り特急草津自由席で、高崎に着くまでのおよそ20分、結局社内検札は来なかったことがある。乗車券だけで来てしまった。
その時はそのままスルーして新幹線乗り換え改札に入ったのですが、今回は渋川駅改札でちゃんと自己申告しましたよ。
駅構内で「特急ご利用のお客様は毎札までお申し出ください」ってしっかりアナウンスしとったからね。
特急券だけで510円でした。これは捨てちゃったので社内精算しなかった。
日本の臍(ヘソ)渋川にまたやってきました。

渋川駅前、北に斜めに延びるメインストリートを歩く。
あ、伊藤商店が定休日でやんの。

反対側道路向こう側の中華屋さん(何故かサンマーメンがある)もシャッターが閉まっている。

さて。どうしようか。
あ、薬局の2階に喫茶店が見えるぞ。
2017-03-14 06:58
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渋川モーニング [鉄路と風景]
朝、窓の外を見たらうっすらと。。。


やれやれ。今日は歩かなきゃならないのだ。
晴れるだろうか。とけるだろうか。
窓の外が薄明るくなり、日が昇りかけて来た頃合いです。



早く目覚めてしまった。
前夜の夕食&晩酌を19時過ぎに終えてホテルチェックインが19時半頃でいつもより寝たのが早かった。
枕元の会社携帯を見たら、ジャン妻からのメールで23時に「帰ります」日付が変わった0時に「家に着きました」午前1時頃に「おやすみなさい」。。。
何か業務上で不測の事態があったらしい。
あまり眠れなかった。
未明、起きる直前の最後の夢で、寝てる私の肩を黒い何者かが上から押さえつけて身動きできなくしてるのです。たまりかねて「ウオッ」と声を上げ、力ずくで振りほどいたら右腕が部屋の壁にぶつかり、ゴツッという鈍い音で目が覚めた。
それから眠れなくなった。
私の部屋は最上階、10階です。
眼下を上越線が走る。
1日が動き出した。







眼下に電車の走行音がするとついつい撮影してしまうんは撮り鉄の性というものか?
私、別に鶏鉄・・・じゃなかった撮り鉄じゃないですよ。どっかの裏手に鉄路が通る宿のクセ、習慣、習性かですよ。
でもその宿のように踏切の音がしないので、走行音だと思って窓辺に立ってもすぐに通り過ぎてしまうのだ。1時間に2本か3本といったところです。
撮り鉄にも飽きて、そろそろ定刻6時半。
例によって無料!!と謳う朝食バイキング会場へ。
朝6時半~ですが、定刻前に下りたら行列ができていた。私が喰い終わって出るまで並んでましたね。
出されるものは安中や藤枝とそう変わらないですな。
バターが大量に入ったスクランブルエッグ。

これまたベーコンがたくさん。

メンチカツと蓮根のはさみ揚げ。まるで子安の市民酒場諸星で出されるような。
夜だったらチョイスしてたかもです。

ポトフ。好きな味ですが、ソーセージを朝に食べると胃にもたれるので野菜だけ拾いました。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、セロリまで入っていた。

椀そば。ザーッと大量に茹でてバサッと置いてある。

これは言っちゃぁ悪いけど、首都圏全域の駅でのさばっている某会社の立ち食いスタンドよりマズいです。出さない方がいい。
ルートインの朝に必ずある丸い揚げ物。
食べたことないです。マッシュポテトかな。揚げ餅かな。

そしてサラダ、というか、生野菜は。。。

ハム、レタス、キュウリ、モヤシ、水菜。
やっぱりキャベツが無いんだな。

焼き魚は鮭と鯖。
藤枝や安中でもそうでしたが、ここでも生卵は無いですね。保健所の指導だろうか。夏場ならわかるけど冬ですよ。

私以外の利用者は屈強の男性ばかりで女性ゼロ。作業員、作業服ばかり。
土木関係者や作業員が多そうなのは渋川市の土地柄でしょうか。
食べたら部屋に戻らず即座に外に出て現場に向かう方もいましたね。



部屋に戻る。
まだ出るには時間がある。
下を走る上越線が気になって。あ、晴れてきたぞ。




おっ、左手から吾妻線が。。。





くるま社会の上州でも本数少ないとはいえ通勤電車だって走るのですよ。概ねダイヤ通りです。
ウチの社員たちは私よりも群馬の電車知らないです。昨夜駅まで送ってうれた陰の部下・草の者6号なんか、吾妻線と上信電鉄の区別がつかなかいからね。







晴れてきた。路上の雪がとけてきた。
まだ撮ってますがこれで終わりです。
部屋で最終チェックしてアポ先へ電話。「1時間早く行ってもいいですか?」






ようやく仕事モードになった私。
晴れてるけど風が冷たい。痛いくらいです。身が引き締まります。
公用圏内まで歩きました。これから今日まで私は日帰り含めて渋川に6回きています。


やれやれ。今日は歩かなきゃならないのだ。
晴れるだろうか。とけるだろうか。
窓の外が薄明るくなり、日が昇りかけて来た頃合いです。



早く目覚めてしまった。
前夜の夕食&晩酌を19時過ぎに終えてホテルチェックインが19時半頃でいつもより寝たのが早かった。
枕元の会社携帯を見たら、ジャン妻からのメールで23時に「帰ります」日付が変わった0時に「家に着きました」午前1時頃に「おやすみなさい」。。。
何か業務上で不測の事態があったらしい。
あまり眠れなかった。
未明、起きる直前の最後の夢で、寝てる私の肩を黒い何者かが上から押さえつけて身動きできなくしてるのです。たまりかねて「ウオッ」と声を上げ、力ずくで振りほどいたら右腕が部屋の壁にぶつかり、ゴツッという鈍い音で目が覚めた。
それから眠れなくなった。
私の部屋は最上階、10階です。
眼下を上越線が走る。
1日が動き出した。







眼下に電車の走行音がするとついつい撮影してしまうんは撮り鉄の性というものか?
私、別に鶏鉄・・・じゃなかった撮り鉄じゃないですよ。どっかの裏手に鉄路が通る宿のクセ、習慣、習性かですよ。
でもその宿のように踏切の音がしないので、走行音だと思って窓辺に立ってもすぐに通り過ぎてしまうのだ。1時間に2本か3本といったところです。
撮り鉄にも飽きて、そろそろ定刻6時半。
例によって無料!!と謳う朝食バイキング会場へ。
朝6時半~ですが、定刻前に下りたら行列ができていた。私が喰い終わって出るまで並んでましたね。
出されるものは安中や藤枝とそう変わらないですな。
バターが大量に入ったスクランブルエッグ。

これまたベーコンがたくさん。

メンチカツと蓮根のはさみ揚げ。まるで子安の市民酒場諸星で出されるような。
夜だったらチョイスしてたかもです。

ポトフ。好きな味ですが、ソーセージを朝に食べると胃にもたれるので野菜だけ拾いました。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、セロリまで入っていた。

椀そば。ザーッと大量に茹でてバサッと置いてある。

これは言っちゃぁ悪いけど、首都圏全域の駅でのさばっている某会社の立ち食いスタンドよりマズいです。出さない方がいい。
ルートインの朝に必ずある丸い揚げ物。
食べたことないです。マッシュポテトかな。揚げ餅かな。

そしてサラダ、というか、生野菜は。。。

ハム、レタス、キュウリ、モヤシ、水菜。
やっぱりキャベツが無いんだな。

焼き魚は鮭と鯖。
藤枝や安中でもそうでしたが、ここでも生卵は無いですね。保健所の指導だろうか。夏場ならわかるけど冬ですよ。

私以外の利用者は屈強の男性ばかりで女性ゼロ。作業員、作業服ばかり。
土木関係者や作業員が多そうなのは渋川市の土地柄でしょうか。
食べたら部屋に戻らず即座に外に出て現場に向かう方もいましたね。



部屋に戻る。
まだ出るには時間がある。
下を走る上越線が気になって。あ、晴れてきたぞ。




おっ、左手から吾妻線が。。。





くるま社会の上州でも本数少ないとはいえ通勤電車だって走るのですよ。概ねダイヤ通りです。
ウチの社員たちは私よりも群馬の電車知らないです。昨夜駅まで送ってうれた陰の部下・草の者6号なんか、吾妻線と上信電鉄の区別がつかなかいからね。







晴れてきた。路上の雪がとけてきた。
まだ撮ってますがこれで終わりです。
部屋で最終チェックしてアポ先へ電話。「1時間早く行ってもいいですか?」






ようやく仕事モードになった私。
晴れてるけど風が冷たい。痛いくらいです。身が引き締まります。
公用圏内まで歩きました。これから今日まで私は日帰り含めて渋川に6回きています。
2017-03-13 06:59
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上信電鉄2017 [鉄路と風景]

高崎駅0番線ホーム。
富岡製糸場が世界遺産登録される以前、JR北陸新幹線が高崎駅に到着する際のアナウンスは上信電鉄を継子扱いするかのように乗り換えアナウンスをしなかったが、世界遺産登録された頃から「上信電鉄は一旦改札を出てお乗換えください」程度のアナウンスはするようになった。
JRから上信電鉄への直接乗り換えはできない。
上信電鉄はSuica Pasmoに対応していません。


ホームの先に併設されている待合室、絲綢之間(シルクのマ)


ちっとも落ち着かないな。
私は平成24年に1年だけ高崎市羅漢町(ラのロの街)に住んでいたが、賃貸物件候補地のもうひとつが上信電鉄車両基地に面したマンションだった。
そこに住んでたら日々車両を眺めて暮したと思う。

ED316。
この機関車は1957年頃に伊那電気鉄道からやってきた。
凸型だった車体を箱形の車体に載せ換え、南高崎駅にあった秩父セメント工場(現在は住宅地)への輸送に使われた。現在でも構内走行は可能らしいが本線走行は難しいという。
何でかというと、上信電鉄は1984年(昭和59年)12月21日、千平~下仁田間の赤津信号所付近で上下線列車の正面衝突事故を起こしているのだが、事故原因は下り列車運転士の居眠り運転と、上下線の列車交換のバラつき、そして当時はATS(自動列車停止装置)が未導入だったせい。
この事故後にATSが導入されたが、この子ED316には装備されなかった。
上州のシーラカンス、あるいはマスコット的な存在のデキ1型は現在でもイベント列車等で本線上を走行するが、ED316君はATSを装備しなかったので本線走行ができなくなった。
車籍は残っているそうだが高崎駅構内の片隅に放置されている。上州のシーラカンスになり損ねたといっていい。


久々に乗車しました。乗ったら。。。


絵手紙列車だった!!
作品出展者515人、作品769点。

絵手紙列車は1日に3~4往復していたらしいが、ダイヤを見てどれが絵手紙ですという案内はないです。
書き手が違うから当然どれも内容が異なっている。主に日々日常の喜びが綴られているが、中には自分の病気を嘆くような内容もある。
幾つか読んだが、正直これだけあるとうるさくもある。
絵手紙列車は上信電鉄だけでなく、湊線(ひたちなか海浜鉄道)、和歌山電鐵貴志川線(猫駅長で有名)にも広がった。


絵手紙は富岡製糸場近くにある洋食堂、新洋亭のママ、Iさんが発起人で公募責任者?

新洋亭は3回くらいしか行かなかった。味とボリュームはかなりいいのだが、鰻の寝床のような細長い店内に地元客と観光客が入り混じり、取材も多いようで何だか落ち着かない。一度NHKの取材とカチ遭ったからね。





そのうち安中の洋食104を知ったのでそっちを利用するようになっちゃった。

しかし揺れるなガタピシと相変わらず。
左右に揺れるだけならまだしも上下に揺れるのはどうしてだ。
レールが細い。だから揺れるのか。
この記事は風ですが、夏場に上信電鉄の踏切に立って線路を見てるとあきらかにヒョロヒョロして見えます。
熱か陽炎のせいかも知れないが、JRや大手私鉄の重量級レールに比べたら明らかに細いです。











上州一ノ宮駅。正面参道からいったん石段を上がって門を潜ったら石段を下ると社殿がある(下り宮)一之宮貫前神社の門前駅です。
私は上から社殿を見下ろしたことはありますが参拝したことはないです。この神社そのものの記事ではないですが、神社に隣接する「あるもの」について近々UPします。
一之宮駅から見えそうで見えない南側にある河川の段丘に公園があって、そこから救急ヘリ「はるな」他が四六時中離着陸を繰り返すのでブルブルボロボロとウルサい時がある。



公用を済ませ、世界遺産の玄関口で途中下車。駅舎は2014年に新しくなった。
ただし駅舎だけです。ホームは旧態依然のまま。

Suicaが使えないので改札で駅員さんにキップを見せなきゃならない。
電車の写真を撮ろうとホームに出かかったら、「下仁田方面ですが。高崎方面は〇〇分までお待ちください」と声が掛かった。
「・・・」
「電車の写真撮られます?」
「うん」
私はヒネクレ者なので正直うるさく思ったが、この辺りが富岡市が推奨しているおもてなし運動のひとつ、商工会議所のおもてなし五カ条の3項、おせっかいが大好きなまちの一端でありましょう。


上州在住のウチの社員たちは誰ひとり富岡製糸場に行ったことがないのです。
製糸場を製紙場と書いた(変換した)子もいた。紙じゃないって。生糸だって。
ある女性社員の家は昔、養蚕農家だったが、廃業した原因は富岡製糸場のせいだとも言ってましたね。
世界遺産登録で喜んでる人ばかりでもないらしいのだ。世界遺産登録のせいで規制や制限が厳しくなったと。
世界遺産ににケチをつけるつもりはないが、その辺りも拾い集めてみたいものである。
で、この日の昼ですが。。。
2017-03-09 08:43
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首都圏JRダイヤ乱れ一要因 [鉄路と風景]
目覚めたら新前橋駅だった。11:40前後だったと思う。
私は両毛線の伊勢崎駅で11:20発の電車に飛び乗っている。この11:20発の電車は定刻を3分ほど遅れた。単線だから行き違いが上手くいかなかったのかも。
乗った車両は旧湘南型の115系昭和タイプ。緑とオレンジの湘南色。4両編成だった。この車両の輝かしい全盛期は昭和の彼方に去っている。私の地元神奈川県の湘南路線を走っていた。
懐かしい車体だが今となっては古い車両。現在JRでの保有率は全盛期の半分もないそうである。
見るからに車体が重そうである。モーター音、空調音、走行中レールの継ぎ目に当る時の騒音がかますびしいのだ。
走行中の車両はギシギシガタピシ鳴る。かつては花形だったのが今は軽快な新型車両に押され地方に追いやられて余生を送っているのだが、ガタが来てるみたい。
それがこの日、立証された。
それも、2回も。。。
高崎駅に11:53に着くまでの短い時間、私はそのガタンガタン鳴る音が逆に心地よくなり、伊勢崎を発車したらすぐに眠ってしまった。駒形、前橋大橋、前橋の記憶がない。
ただ、伊勢崎を出る時、「新前橋で車両の切離しを行います」とかアナウンスがあった記憶がある。
短い4両編成をどう切り離すんだ?と訝しんだが、新前橋で起こされて流れたアナウンスは、
「おそれいりますが、お降りになったホームの向かい、1番線に停車中の電車にお乗換えください」
なんだって?
乗り換えろと??
車輌故障らしい。
高崎駅に着く前に眠りを妨げられた私はダルそうに下りて乗り換えた。
それでも高崎駅に11:53に着いた。停車する前に、「本日に限りまして5番線に停車致します。新前橋駅でのお乗換えにご協力いただきありがとうございました」のアナウンス。
私は12:20発の横川行に乗り換えて安中市の役所に行かなくちゃならないのだが。
アポは13:00過ぎ。一旦、5番線6番線ホームに下りた。
そしたら、「5番線に停車中の電車は12:20発の横川行です。ご乗車になりましてお待ちください」というアナウンスが流れた。
5番線に停車中の電車ったって、それはたった今、私が新前橋で強制的に乗り換えさせられて高崎まで来た車両ですよ。ってことはここからスイッチバックよろしく安中方面へ行く電車になるわけか。だから本日に限り5番線に・・・だったのか。
だったら下りないで乗ってりゃよかったな。発車まで20分弱あるが、ボロいけど空調が効いている115系電車に再度、乗りなおした。

発車を待ちながら、「今日は火曜日だから104は定休日なんだよな、何処で昼を喰うかな・・・」、な~んてことを考えてたのだが。。。
ホーム上でヘンな雰囲気になっている。車掌と駅の助役、作業員らしいのが2人、ホームに立ち寄って打ち合わせを始めたぞ。

作業員が無線で何処かに連絡している。
そのうち作業員が車両を指差して・・・というか、私の方を指差して、「お客さん乗っちゃってるし・・・」、「下ろさないと・・・」アヤしい不穏な会話が洩れ聞こえてくるじゃないか。
案の定また、「5番線に停車中の電車は車庫に入ります。ご乗車はできません」とさっきと逆のアナウンスが流れたものである。
私は眉間に縦皺が立ったのが自分でもわかった。只でさえ人相が悪いのに余計に悪くなった筈である。
保線作業員と打ち合わせ中の助役をとっ掴まえて聞いたのよ。
「どーしたのさ?」
「あ、この電車ですか?モーターの故障なんです」
なんだと?さっき新前橋で乗り換えたのも車両故障だろ。乗り換えた代替え車も故障かよ。僅か30分もしない間に2回も故障したのか。
横川行は1時間に1本しかないので。
「12:20発の横川行はちゃんと来るんか?」
「大丈夫・・・だと・・・思います・・・」
自信が無さそうであった。
「この車両が車庫に引き上げてから電車が入線しますので」
私はやや憮然とした。僅か30分の間に2回めだからね。

ところがそのポンコツ車両がなかなか車庫に引き上げないのである。そのまま居座ってる。駅構内の電車の流れを追って見てたら、7番線から12:06発特急草津上野行を先行させ、4番線には12:04発の湘南新宿ライン特別快速小田原行が停車中で、2番線と4番線の先っぽに追いやられている短い3番線ホームの八高線12:10発ディーゼルカーまでもが先に動く始末である。ポンコツ115系はそれら先行車両の合間をぬって駅より東にある車庫、ヤードに引き上げるらしいのだ。
運転手、車掌、駅助役、作業員2人、勤務明けの私服職員2名が加わり、「参ったよ~」、「故障しちまってさ~」、グダグダ井戸端会議ならぬ雑談、立ち話が始まる始末である。


こういうトラブルで首都圏のJR職員はまずホームに現れないケースが多い。首都圏の通勤客は利用客数もダイヤの本数も高崎の比ではないし、桁違いに数がいから中には気の荒い客もいる。下手したら暴力沙汰になりかねないところがある。
それに比べて高崎駅ホームにいる職員どもはのんびりして牧歌的だった。乗客も詰め寄ったりしない。勤務中の職員、勤務明けの私服の職員も混じって、「参っちゃったな~」の世界である。苦笑いを超えて白い歯が見えるくらいに笑ってたからね。
向いの4番線には12:08発の伊勢崎行がいてこれはすぐに定刻通りに発車した。でも私はその伊勢崎行の女性車掌に向かって駅助役が、「参っちゃったよ~」のような軽口を放っているのを見たぞ。不謹慎を通り越している。首都圏ではありえない光景である。
車庫に引き上げたのは12:15頃であった。「とっとと車庫へ引き上げんかい」と思ったよ。

その後に12:14発の湘南新宿ライン特別快速小田原行が5分遅れで去って行く。こっちの信越線横川行の代替え車両は12:20までには来ないとみた。


だが代替え車両はホントにあるのだろうか?
「ストック車両はあるの?」
「ございます」
「まさか実はあっち(ヤードを指す)に電車の在庫ゼロってことないだろうな?」
私は端っから疑ってかかってる。
「ございますございます。あちらの左側にバックヤードがございまして、そこからこうやって(腕を旋回させた)きます。あ、あれです。今、チラッと見えました。もう間も無く来ますので」
なるほど遠目に見ると、電車の先頭部が見えて灯が点いている。

「お客さんお待たせしました。今、参ります」
ゆ~っくりゆっくりこっちに向かって来る。
ところが。。。

「あ、あれ??」(助役)

「あ~、あっち行っちゃったよ」(助役)

あっち行っちゃったじゃないよ。バックヤードからやっと来た電車は私がいる5番線ではなく4番線に逸れてしまったのである。行き先表示を見たら12:30発の両毛線小山行である。
「こっちに来ないであっち行っちゃったじゃんか」
「あ~ぁすみません・・・ったく何やってんだ」
助役は無線にかじりついた。
「オォイなぁにやってんだっ。4番線に行っちまったじゃねぇかっ。5番線だよっ5番線っ。えっ?この後に来る?」
野卑まる出しのTALKだったがまさか私に対しての演技じゃないだろうね助役さん?無線を切った助役は、「ったくホームのこと考えろよ」とブツクサ言っていたが私に聞こえるように言ったとしか思えない。こうなるともうギャグの世界である。私は淡麗プラチナダブルのCMよろしく、「愚痴るよりネタにしちゃうか」の心境になり、幾分と気持ちに余裕が出て来た。
それでも詰めよったよ。
「さっきからネタを提供して笑わせてくれてるが・・・」
「あ、いや、あの・・・」
「ホントに横川行は来るんだろうな?」
「お客さんすみません。あっち(4番線)に先に流しちゃって・・・。大丈夫です。来ます。この後に来ます」
1時間に1本だから焦ってるように見えないのだ。
この図を見てください。

(出典もと。配線略図Nethttps://www.haisenryakuzu.net/documents/jr/east/takasaki/)
左にバックヤード(センター、車両基地)、右に高崎駅構内、2つを結ぶ線路は途中で砂時計の真ん中ように狭まっているでしょう。バックヤードからストック(代替え)車両を搬送しようとすると、短い距離とはいえ一旦は本線を走行しないと駅ホームに来れないらしいのだ。さっき助役は腕を回すように説明してくれたのはそこをなぞってくれたのである。
横川行の電車故障をなるべく他の路線に影響させないよう合間をぬって搬送するしかないのはわかった。動線の問題のようである。


「あ、ほら、今度こそ来ました」
「今度は大丈夫だろうな」
「大丈夫です。ホラ来ました」



待ちに待った代替え車両は5番線に向かってゆっくりゆっくりやって来た。「てめぇ早く来いよっ」と罵ったら、前で写真を取ってた学生君がビクッと振り向いた。

高崎発は12:27過ぎだった。1時間に1本。定刻より7分遅れ。
高崎駅や群馬の世界では誤差の範疇かも知れないが、4番線に停車中だった湘南新宿ライン特別快速小田原行が出たのは12:19頃だったので12:14発の定刻より5分遅れた。今頃ここから遠く離れた首都圏では、高崎駅構内での車両故障・・・あるいは車両点検で遅れが出ていますといった言い訳アナウンスが一斉にテロップで流れたであろう。
首都圏を貫くJR長大路線の遅延原因の一旦を見たぞ。
私は両毛線の伊勢崎駅で11:20発の電車に飛び乗っている。この11:20発の電車は定刻を3分ほど遅れた。単線だから行き違いが上手くいかなかったのかも。
乗った車両は旧湘南型の115系昭和タイプ。緑とオレンジの湘南色。4両編成だった。この車両の輝かしい全盛期は昭和の彼方に去っている。私の地元神奈川県の湘南路線を走っていた。
懐かしい車体だが今となっては古い車両。現在JRでの保有率は全盛期の半分もないそうである。
見るからに車体が重そうである。モーター音、空調音、走行中レールの継ぎ目に当る時の騒音がかますびしいのだ。
走行中の車両はギシギシガタピシ鳴る。かつては花形だったのが今は軽快な新型車両に押され地方に追いやられて余生を送っているのだが、ガタが来てるみたい。
それがこの日、立証された。
それも、2回も。。。
高崎駅に11:53に着くまでの短い時間、私はそのガタンガタン鳴る音が逆に心地よくなり、伊勢崎を発車したらすぐに眠ってしまった。駒形、前橋大橋、前橋の記憶がない。
ただ、伊勢崎を出る時、「新前橋で車両の切離しを行います」とかアナウンスがあった記憶がある。
短い4両編成をどう切り離すんだ?と訝しんだが、新前橋で起こされて流れたアナウンスは、
「おそれいりますが、お降りになったホームの向かい、1番線に停車中の電車にお乗換えください」
なんだって?
乗り換えろと??
車輌故障らしい。
高崎駅に着く前に眠りを妨げられた私はダルそうに下りて乗り換えた。
それでも高崎駅に11:53に着いた。停車する前に、「本日に限りまして5番線に停車致します。新前橋駅でのお乗換えにご協力いただきありがとうございました」のアナウンス。
私は12:20発の横川行に乗り換えて安中市の役所に行かなくちゃならないのだが。
アポは13:00過ぎ。一旦、5番線6番線ホームに下りた。
そしたら、「5番線に停車中の電車は12:20発の横川行です。ご乗車になりましてお待ちください」というアナウンスが流れた。
5番線に停車中の電車ったって、それはたった今、私が新前橋で強制的に乗り換えさせられて高崎まで来た車両ですよ。ってことはここからスイッチバックよろしく安中方面へ行く電車になるわけか。だから本日に限り5番線に・・・だったのか。
だったら下りないで乗ってりゃよかったな。発車まで20分弱あるが、ボロいけど空調が効いている115系電車に再度、乗りなおした。

発車を待ちながら、「今日は火曜日だから104は定休日なんだよな、何処で昼を喰うかな・・・」、な~んてことを考えてたのだが。。。
ホーム上でヘンな雰囲気になっている。車掌と駅の助役、作業員らしいのが2人、ホームに立ち寄って打ち合わせを始めたぞ。

作業員が無線で何処かに連絡している。
そのうち作業員が車両を指差して・・・というか、私の方を指差して、「お客さん乗っちゃってるし・・・」、「下ろさないと・・・」アヤしい不穏な会話が洩れ聞こえてくるじゃないか。
案の定また、「5番線に停車中の電車は車庫に入ります。ご乗車はできません」とさっきと逆のアナウンスが流れたものである。
私は眉間に縦皺が立ったのが自分でもわかった。只でさえ人相が悪いのに余計に悪くなった筈である。
保線作業員と打ち合わせ中の助役をとっ掴まえて聞いたのよ。
「どーしたのさ?」
「あ、この電車ですか?モーターの故障なんです」
なんだと?さっき新前橋で乗り換えたのも車両故障だろ。乗り換えた代替え車も故障かよ。僅か30分もしない間に2回も故障したのか。
横川行は1時間に1本しかないので。
「12:20発の横川行はちゃんと来るんか?」
「大丈夫・・・だと・・・思います・・・」
自信が無さそうであった。
「この車両が車庫に引き上げてから電車が入線しますので」
私はやや憮然とした。僅か30分の間に2回めだからね。

ところがそのポンコツ車両がなかなか車庫に引き上げないのである。そのまま居座ってる。駅構内の電車の流れを追って見てたら、7番線から12:06発特急草津上野行を先行させ、4番線には12:04発の湘南新宿ライン特別快速小田原行が停車中で、2番線と4番線の先っぽに追いやられている短い3番線ホームの八高線12:10発ディーゼルカーまでもが先に動く始末である。ポンコツ115系はそれら先行車両の合間をぬって駅より東にある車庫、ヤードに引き上げるらしいのだ。
運転手、車掌、駅助役、作業員2人、勤務明けの私服職員2名が加わり、「参ったよ~」、「故障しちまってさ~」、グダグダ井戸端会議ならぬ雑談、立ち話が始まる始末である。


こういうトラブルで首都圏のJR職員はまずホームに現れないケースが多い。首都圏の通勤客は利用客数もダイヤの本数も高崎の比ではないし、桁違いに数がいから中には気の荒い客もいる。下手したら暴力沙汰になりかねないところがある。
それに比べて高崎駅ホームにいる職員どもはのんびりして牧歌的だった。乗客も詰め寄ったりしない。勤務中の職員、勤務明けの私服の職員も混じって、「参っちゃったな~」の世界である。苦笑いを超えて白い歯が見えるくらいに笑ってたからね。
向いの4番線には12:08発の伊勢崎行がいてこれはすぐに定刻通りに発車した。でも私はその伊勢崎行の女性車掌に向かって駅助役が、「参っちゃったよ~」のような軽口を放っているのを見たぞ。不謹慎を通り越している。首都圏ではありえない光景である。
車庫に引き上げたのは12:15頃であった。「とっとと車庫へ引き上げんかい」と思ったよ。

その後に12:14発の湘南新宿ライン特別快速小田原行が5分遅れで去って行く。こっちの信越線横川行の代替え車両は12:20までには来ないとみた。


だが代替え車両はホントにあるのだろうか?
「ストック車両はあるの?」
「ございます」
「まさか実はあっち(ヤードを指す)に電車の在庫ゼロってことないだろうな?」
私は端っから疑ってかかってる。
「ございますございます。あちらの左側にバックヤードがございまして、そこからこうやって(腕を旋回させた)きます。あ、あれです。今、チラッと見えました。もう間も無く来ますので」
なるほど遠目に見ると、電車の先頭部が見えて灯が点いている。

「お客さんお待たせしました。今、参ります」
ゆ~っくりゆっくりこっちに向かって来る。
ところが。。。

「あ、あれ??」(助役)

「あ~、あっち行っちゃったよ」(助役)

あっち行っちゃったじゃないよ。バックヤードからやっと来た電車は私がいる5番線ではなく4番線に逸れてしまったのである。行き先表示を見たら12:30発の両毛線小山行である。
「こっちに来ないであっち行っちゃったじゃんか」
「あ~ぁすみません・・・ったく何やってんだ」
助役は無線にかじりついた。
「オォイなぁにやってんだっ。4番線に行っちまったじゃねぇかっ。5番線だよっ5番線っ。えっ?この後に来る?」
野卑まる出しのTALKだったがまさか私に対しての演技じゃないだろうね助役さん?無線を切った助役は、「ったくホームのこと考えろよ」とブツクサ言っていたが私に聞こえるように言ったとしか思えない。こうなるともうギャグの世界である。私は淡麗プラチナダブルのCMよろしく、「愚痴るよりネタにしちゃうか」の心境になり、幾分と気持ちに余裕が出て来た。
それでも詰めよったよ。
「さっきからネタを提供して笑わせてくれてるが・・・」
「あ、いや、あの・・・」
「ホントに横川行は来るんだろうな?」
「お客さんすみません。あっち(4番線)に先に流しちゃって・・・。大丈夫です。来ます。この後に来ます」
1時間に1本だから焦ってるように見えないのだ。
この図を見てください。

(出典もと。配線略図Nethttps://www.haisenryakuzu.net/documents/jr/east/takasaki/)
左にバックヤード(センター、車両基地)、右に高崎駅構内、2つを結ぶ線路は途中で砂時計の真ん中ように狭まっているでしょう。バックヤードからストック(代替え)車両を搬送しようとすると、短い距離とはいえ一旦は本線を走行しないと駅ホームに来れないらしいのだ。さっき助役は腕を回すように説明してくれたのはそこをなぞってくれたのである。
横川行の電車故障をなるべく他の路線に影響させないよう合間をぬって搬送するしかないのはわかった。動線の問題のようである。


「あ、ほら、今度こそ来ました」
「今度は大丈夫だろうな」
「大丈夫です。ホラ来ました」



待ちに待った代替え車両は5番線に向かってゆっくりゆっくりやって来た。「てめぇ早く来いよっ」と罵ったら、前で写真を取ってた学生君がビクッと振り向いた。

高崎発は12:27過ぎだった。1時間に1本。定刻より7分遅れ。
高崎駅や群馬の世界では誤差の範疇かも知れないが、4番線に停車中だった湘南新宿ライン特別快速小田原行が出たのは12:19頃だったので12:14発の定刻より5分遅れた。今頃ここから遠く離れた首都圏では、高崎駅構内での車両故障・・・あるいは車両点検で遅れが出ていますといった言い訳アナウンスが一斉にテロップで流れたであろう。
首都圏を貫くJR長大路線の遅延原因の一旦を見たぞ。
2016-08-29 06:40
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ぐんまちゃん列車 [鉄路と風景]
別に私は上信電鉄の廻し者ではないですが。
上信電鉄創立120周年記念事業、ぐんまちゃん列車運行についてご紹介します。たまたま来たのに乗車できたのです。

上信電鉄株式会社(高崎市鶴見町・代表取締役・木内幸一)は、本年12月27日をもって創立120周年を迎えます。
これを記念し、地元群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」を電車ボディにデ ザインした「ぐんまちゃん列車」を運行いたします。
1.コンセプト
当社が本年12月27日に創立120周年を迎えることを記念し、ゆるキャラグランプリ2014で堂々の1位に輝いた群馬県のマスコット、ぐんまちゃんをデザインした電車を運行いたします。 ぐんまちゃん列車の運行により、群馬県およびぐんまちゃんの更なる知名 度向上とともに観光誘客を図ってまいります。
また、沿線自治体の、ご当地ぐんまちゃんや、今年誕生した当社の鉄道むすめキャラクター、富岡しるくのデザインも配し、沿線住民の皆さまに愛着をもっていただき、沿線地域の活性化ならびに鉄道利用促進を目指します。
世界遺産の富岡製糸場や荒船風穴、世界記憶遺産国内候補に選定された上野三碑にお出かけになる際にもぜひご利用下さい。
2.運行車両
クモハ501・クモハ502
3.運行開始
平成27年12月27日(日)高崎駅発9時55分の列車より
4.運行期間
平成27年12月27日~当分の間(1日3~4往復予定)
5.運行時刻
不定期(ご利用になる当日にお問い合わせ下さい)
6.運行に関する問合せ先 上信電鉄㈱鉄道部 027-323-8073


天井にはりついているぐんまちゃん。
ボディも天井もぐんまちゃんだらけ。ここまでするか。




後方に鎮座しているぐんまちゃん人形は素っ裸だった。何か着せてあげればいいのに。
この素っ裸のぐんまちゃん人形は安中市にも鎮座していますよ。

前方部、運転席にいるぐんまちゃんは制服を纏っていた。

ぐんまちゃんの顔をモチーフにした正面のデザインはイマイチだな。
「ブサイクねこの電車のカオ・・・」(ジャン妻)
私もカワイイとは思えない。ちょっと無理があるような。

でもまてよ?ぐんまちゃんのイラストを利用するにあたって特定の個人や法人(この場合は上信電鉄株式会社さん)、団体を支援、もしくは公認しているような誤解を与えると認められる場合は認可されないんじゃなかったけ?
群馬県のイメージを向上させる為でもあるからノープロブレムなのかな。
でもサイクルトレインの上毛電鉄さん(新前橋~桐生)、上信電鉄さんに先を越されましたね。
上信電鉄の方が沿線に富岡製糸場、上毛三碑、サファリパーク、貴前神社、小幡の城下町他、目玉が多いとは思います。
高崎駅JR改札コンコースに鎮座していた上毛三碑のレプリカも上信電鉄ホームに鎮座しているし。
県庁所在地よりも上州玄関口の方が上手だったということか。

ぐんまちゃんの利用期間は最長2年間で、それ以降は更新申請をするそうです。私が日常、社で行っている業務も似たようなものですが、2両編成とはいえ、フェイス、ボディ、室内天井を含めた内装にペイントされたぐんまちゃん全部のイラストに、申請書&添付書類が必要なのではないかなぁ。
上信電鉄創立120周年記念事業、ぐんまちゃん列車運行についてご紹介します。たまたま来たのに乗車できたのです。

上信電鉄株式会社(高崎市鶴見町・代表取締役・木内幸一)は、本年12月27日をもって創立120周年を迎えます。
これを記念し、地元群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」を電車ボディにデ ザインした「ぐんまちゃん列車」を運行いたします。
1.コンセプト
当社が本年12月27日に創立120周年を迎えることを記念し、ゆるキャラグランプリ2014で堂々の1位に輝いた群馬県のマスコット、ぐんまちゃんをデザインした電車を運行いたします。 ぐんまちゃん列車の運行により、群馬県およびぐんまちゃんの更なる知名 度向上とともに観光誘客を図ってまいります。
また、沿線自治体の、ご当地ぐんまちゃんや、今年誕生した当社の鉄道むすめキャラクター、富岡しるくのデザインも配し、沿線住民の皆さまに愛着をもっていただき、沿線地域の活性化ならびに鉄道利用促進を目指します。
世界遺産の富岡製糸場や荒船風穴、世界記憶遺産国内候補に選定された上野三碑にお出かけになる際にもぜひご利用下さい。
2.運行車両
クモハ501・クモハ502
3.運行開始
平成27年12月27日(日)高崎駅発9時55分の列車より
4.運行期間
平成27年12月27日~当分の間(1日3~4往復予定)
5.運行時刻
不定期(ご利用になる当日にお問い合わせ下さい)
6.運行に関する問合せ先 上信電鉄㈱鉄道部 027-323-8073


天井にはりついているぐんまちゃん。
ボディも天井もぐんまちゃんだらけ。ここまでするか。




後方に鎮座しているぐんまちゃん人形は素っ裸だった。何か着せてあげればいいのに。
この素っ裸のぐんまちゃん人形は安中市にも鎮座していますよ。

前方部、運転席にいるぐんまちゃんは制服を纏っていた。

ぐんまちゃんの顔をモチーフにした正面のデザインはイマイチだな。
「ブサイクねこの電車のカオ・・・」(ジャン妻)
私もカワイイとは思えない。ちょっと無理があるような。

でもまてよ?ぐんまちゃんのイラストを利用するにあたって特定の個人や法人(この場合は上信電鉄株式会社さん)、団体を支援、もしくは公認しているような誤解を与えると認められる場合は認可されないんじゃなかったけ?
群馬県のイメージを向上させる為でもあるからノープロブレムなのかな。
でもサイクルトレインの上毛電鉄さん(新前橋~桐生)、上信電鉄さんに先を越されましたね。
上信電鉄の方が沿線に富岡製糸場、上毛三碑、サファリパーク、貴前神社、小幡の城下町他、目玉が多いとは思います。
高崎駅JR改札コンコースに鎮座していた上毛三碑のレプリカも上信電鉄ホームに鎮座しているし。
県庁所在地よりも上州玄関口の方が上手だったということか。

ぐんまちゃんの利用期間は最長2年間で、それ以降は更新申請をするそうです。私が日常、社で行っている業務も似たようなものですが、2両編成とはいえ、フェイス、ボディ、室内天井を含めた内装にペイントされたぐんまちゃん全部のイラストに、申請書&添付書類が必要なのではないかなぁ。
2016-08-28 15:29
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上信電鉄2016年夏 [鉄路と風景]
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-07-05の記事に登場した生意気オンナが私に向かって言うには、
「〇〇さんダメですよ。行き先ボードに、ぐんまー、とか、しぞーか、とか書いちゃ」
「???」
「社の皆さん見てましたよ。どこへいったんだ?って」
「ぐんまーは群馬、しぞーかは静岡じゃねぇか」
別にバカにしちゃいないよ。2県への親しみを込めて書いたんだからね。
「ちゃんと群馬、静岡って書いてください。〇長がじーっと見てたので私が書きなおしたんですから。2回も」
恩着せがましく言いやがって。別に書きなおしてくれって頼んじゃいねぇよ。私はやや憮然としたが、背後から現場統括責任者の伊東甲子太郎が、「ダメですちゃんと書かないと。来客の目にも触れるんだし・・・」
群馬と書いて出かけました。
そして上信電鉄に久々に乗るハメになった。上州一ノ宮駅近くにある合同庁舎へ出向くことになったの。
上信電鉄ホームはJR改札から一旦出て外部に出る階段を下りて、駅そばスタンドを右折して、更に先、追いやられたようにホームがある。0番線です。新幹線改札から最も遠いホームである。

いつまで経ってもSuicaが使えない。キップです。高いの。一ノ宮まで900円もするんですよ。ローカルなクセにこんなに高い運賃もそうそうないのではないか。
ホームの先端にある待合室。
車籍を抜かれたた廃車車両を再利用したもの。レールの上に鎮座しています。
富岡製糸場世界遺産登録の恩恵を受け、沿線の利用客は減っても観光客は増えているそうです。
でも高崎駅構内に待合が無いので、いっそのこと余った廃車車両内を待合に??
絹がふんだんに使われた豪華な内装という訳ではないです。



上信電鉄ホームに見慣れない新車が入線していた。7001型。
近代的なフェイスであまり上信電鉄っぽくない。
上信電鉄は沿線にあるものを採りいれてマンガチックにベタベタ塗装する車両がやたらと多いが、これには富岡製糸場のレンガが塗装されてあった。
この7001型は、2013年に既に登場していたクリーム色一色だった7000型を塗装化したもの。沿線の高校生を対象にした公募で選ばれた塗装が施された。
上信電鉄は西武鉄道から譲渡された中古車両が多くあるが、これは自社発注。発注のきっかけもやはり沿線の花、富岡製糸場の世界遺産登録に併せたもの。良くも悪くも上信電鉄は富岡製糸場とともにあるのです。

あ!!クロスシートになっている。
上信電鉄はロングシート車ばかりだったが。これも何だか違和感がある。

上信電鉄は揺れるので有名。根小屋、山名辺りのカーヴはもとより、真っ直ぐ走ってても揺れる。
西武から譲渡された中古車両が多いのとレール規格が小さいからだと思う。素人目に見てもレールがヒョロいのだ。JR幹線用の50kgレールではない。いいとこローカル在来線用の37kgレールか40kgレールでしょう。
夏場に踏切に立つと陽炎の向こうにレールがヒョロヒョロ曲がって伸びているように見えるからね。
この新型車両はあまり揺れない。いや、揺れるのだが揺れ幅が小さいように思えた。車体の下部、台車も新しいタイプか。
私は通勤電車内でもボックスシートに座らない。
慣れないボックスシート。
乗り心地が良いのに何だか違和感がある。
上州一ノ宮駅に着いた~。



クラシックな上州一ノ宮駅。
昭和の映画ロケで使われそうな駅舎とホームである。
実は一ノ宮貴前神社(私は行ったことありませんが)の門前駅。本殿が境内の入り口よりも低く、正面の参道から石段を上がり、大鳥居と総門から入ると今度は石段を下ったところに参拝する本殿がある「下り宮」の配置になっている。行ったことはないが、謎に包まれた一宮氏の館跡と併設しているらしい。
駅前にタクシーが1台停まっていた。一ノ宮貴前神社への送迎客??
ここから庁舎までは徒歩5分か7分ほどですが、炎天下なのでタクシー使っちゃった。
「近くて悪いが合同庁舎まで。そこで待ってて欲しいの」
「ハイ合同庁舎」
快く了承してくれた。
行って戻って経過時間は10分足らず。歩いてもいいんだが何しろ暑いのだ。
手短に済ませ、駅に戻って私を下ろしたタクシーは駅舎の脇に下がってヒマそうにしている。



そこから高崎方面上り電車を待つ時間の長いこと。
駅執務室には誰もいない。いないのをいいことに駅舎の待合内で弁当喰ってる老人がいる。
こんな貼り紙があった。

応募したいなぁ。。。
長閑だが、さっきから無粋なモーター音がするのです。
突如、駅のすぐ向こうにある木立の陰からヘリが浮上した。

!!!!
「〇〇さんダメですよ。行き先ボードに、ぐんまー、とか、しぞーか、とか書いちゃ」
「???」
「社の皆さん見てましたよ。どこへいったんだ?って」
「ぐんまーは群馬、しぞーかは静岡じゃねぇか」
別にバカにしちゃいないよ。2県への親しみを込めて書いたんだからね。
「ちゃんと群馬、静岡って書いてください。〇長がじーっと見てたので私が書きなおしたんですから。2回も」
恩着せがましく言いやがって。別に書きなおしてくれって頼んじゃいねぇよ。私はやや憮然としたが、背後から現場統括責任者の伊東甲子太郎が、「ダメですちゃんと書かないと。来客の目にも触れるんだし・・・」
群馬と書いて出かけました。
そして上信電鉄に久々に乗るハメになった。上州一ノ宮駅近くにある合同庁舎へ出向くことになったの。
上信電鉄ホームはJR改札から一旦出て外部に出る階段を下りて、駅そばスタンドを右折して、更に先、追いやられたようにホームがある。0番線です。新幹線改札から最も遠いホームである。

いつまで経ってもSuicaが使えない。キップです。高いの。一ノ宮まで900円もするんですよ。ローカルなクセにこんなに高い運賃もそうそうないのではないか。
ホームの先端にある待合室。
車籍を抜かれたた廃車車両を再利用したもの。レールの上に鎮座しています。
富岡製糸場世界遺産登録の恩恵を受け、沿線の利用客は減っても観光客は増えているそうです。
でも高崎駅構内に待合が無いので、いっそのこと余った廃車車両内を待合に??
絹がふんだんに使われた豪華な内装という訳ではないです。



上信電鉄ホームに見慣れない新車が入線していた。7001型。
近代的なフェイスであまり上信電鉄っぽくない。
上信電鉄は沿線にあるものを採りいれてマンガチックにベタベタ塗装する車両がやたらと多いが、これには富岡製糸場のレンガが塗装されてあった。
この7001型は、2013年に既に登場していたクリーム色一色だった7000型を塗装化したもの。沿線の高校生を対象にした公募で選ばれた塗装が施された。
上信電鉄は西武鉄道から譲渡された中古車両が多くあるが、これは自社発注。発注のきっかけもやはり沿線の花、富岡製糸場の世界遺産登録に併せたもの。良くも悪くも上信電鉄は富岡製糸場とともにあるのです。

あ!!クロスシートになっている。
上信電鉄はロングシート車ばかりだったが。これも何だか違和感がある。

上信電鉄は揺れるので有名。根小屋、山名辺りのカーヴはもとより、真っ直ぐ走ってても揺れる。
西武から譲渡された中古車両が多いのとレール規格が小さいからだと思う。素人目に見てもレールがヒョロいのだ。JR幹線用の50kgレールではない。いいとこローカル在来線用の37kgレールか40kgレールでしょう。
夏場に踏切に立つと陽炎の向こうにレールがヒョロヒョロ曲がって伸びているように見えるからね。
この新型車両はあまり揺れない。いや、揺れるのだが揺れ幅が小さいように思えた。車体の下部、台車も新しいタイプか。
私は通勤電車内でもボックスシートに座らない。
慣れないボックスシート。
乗り心地が良いのに何だか違和感がある。
上州一ノ宮駅に着いた~。



クラシックな上州一ノ宮駅。
昭和の映画ロケで使われそうな駅舎とホームである。
実は一ノ宮貴前神社(私は行ったことありませんが)の門前駅。本殿が境内の入り口よりも低く、正面の参道から石段を上がり、大鳥居と総門から入ると今度は石段を下ったところに参拝する本殿がある「下り宮」の配置になっている。行ったことはないが、謎に包まれた一宮氏の館跡と併設しているらしい。
駅前にタクシーが1台停まっていた。一ノ宮貴前神社への送迎客??
ここから庁舎までは徒歩5分か7分ほどですが、炎天下なのでタクシー使っちゃった。
「近くて悪いが合同庁舎まで。そこで待ってて欲しいの」
「ハイ合同庁舎」
快く了承してくれた。
行って戻って経過時間は10分足らず。歩いてもいいんだが何しろ暑いのだ。
手短に済ませ、駅に戻って私を下ろしたタクシーは駅舎の脇に下がってヒマそうにしている。



そこから高崎方面上り電車を待つ時間の長いこと。
駅執務室には誰もいない。いないのをいいことに駅舎の待合内で弁当喰ってる老人がいる。
こんな貼り紙があった。

応募したいなぁ。。。
長閑だが、さっきから無粋なモーター音がするのです。
突如、駅のすぐ向こうにある木立の陰からヘリが浮上した。

!!!!
2016-08-26 08:30
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安中日帰りドラマ [鉄路と風景]
14:40発の新幹線Maxとき325号に飛び乗って15:30に高崎着。
15:52発のJR信越本線がこれです。旧いタイプですね。


安中着は16:04です。
ドアは手で開けます。最初が重たい。片手で持って体重かけて引っ張り、反対側のドアはヤクザキックで蹴飛ばしてやった。
ちょうど学生さんの下校時刻。上りホームをたくさんの学生さんが占拠している。決められた下校時間、限られた電車本数だから決まった時間だけ集中混雑するのである。

学生さんをかき分けながら安中駅改札を出たらタクシーがいないじゃないかぁ!!

いつもは2台~3台停まってるのにさ。
こちらは17:00までに行政へ出向かないとならないので電話で呼ぶことにした。安中タクシー、通称アンタクを呼んだ。
タクシー待ちには1人のオバちゃんがいて、
「ちょうど1台いたのが出てっちゃったんだよ~」
「ああそう。自分は(タクシー)呼んだけど・・・」
「JRはウチとは関係ないから直接呼んでくれって言われたんだよねぇ」
JR職員さんもタクシー呼んであげりゃぁいいのに。どーせヒマなんだからさ。
「自分がもう1台呼びますか?」
私は人が多い都会では優しくないが、人が少ない群馬に来た時だけ優しい人間に化けるのである。
「いいワありがと。どうせ待ってりゃそのうち来るでしょ」
オバちゃんの言う通りで、私の呼んだタクシーが来る前に3台ほど来たのである。タクシーが来る度に、「自分は呼んだから」と断るハメになってしまった。
「お待たせ~」(運ちゃん)
「自分、呼んだんで」
「ああそう。じゃぁ待ってて」
これが繰り返された。
オバちゃんは私より先にアークタクシーのワゴンに乗って去っていった。




10分ほど待ったら安中タクシー、通称アンタクが来たぞ。
「高別当の安中市〇〇〇〇事務所」
「ああ、〇〇所ね」
「GUSTを左折、104を右折ね」

安中藩の辺りです。妙義が見える。

104は定休日だった。
いつかルートインに泊まって、夜の104を堪能してみたいものです。

公用は問題無く終了。
帰りは榛名タクシーを呼んだ。運ちゃんは女性だった。
「東京までお帰りに?」
たった1件の業務でこの時間帯だったら日帰りがアタリマエですよ。
「16:50発がちょうど出てっちゃったんだよな。次は17:40までない」
「ああホントだ。お待ちになってる時間が長いですよねぇ」
「駅で業務メールしながら待ちますよ」
「1時間に1本くらいしかないから」
「何のアナウンスもなく、気が付いたらいきなり上り電車が来たことがありますよ」
「そうそう。ここは田舎だからさぁ~」


駅ロータリーで身体を伸ばしてたら、1台のタクシーから運ちゃんが下りてきて、
「あれぇ?早いねぇ」
さっき、私が「呼んだから」と断った運ちゃんである。
「もう用事済んだんだ?」
「済みましたよ」
「こんな短い時間の用事なのにわざわざ来なきゃならないんですか」
「郵送がNGな内容なんです。窓口で説明しなきゃならないかな」
「タイヘンだ。で、次の電車まで待つんだ?40分以上あるんじゃない?」
「待つしかないじゃないですか」
そうやって会話してる運ちゃんのタクシーに私は乗ってないんですよ。見送っただけ。僅かそれでもう顔を覚えられたのか。安中の狭くて少ない群馬の人口密度かということ。
(この運ちゃんは7月にも再会していますが覚えてなかった。饒舌でしたね。)
さっき大量にいた学生さんたちはもういない。
乗り遅れたか。部活か。補習で居残ったか。2人3人程度の学生さんがパラパラ。

業務電話、業務メールもやり終えてしまい、ヒマですることないので、安中のシンボルでもある東邦亜鉛株式会社(トウホウアエン)製錬工場に入線する貨車を見ていた。



屋根の無い貨車(無蓋者)は東邦亜鉛社の所有。茨城県の小名浜港で陸揚げされた亜鉛を運んでこの地で製錬するのです。
構内入替用のミニ機関車が貨車を2両ずつ精錬所へ引いていった。2両ずつなのはスイッチバックの長さの都合です。先日車窓からジーッと見てたらやはり折り返し退避部分が短いの。途中から錆びて雑草に埋もれ、廃線状態で自然に還ってた。


東邦亜鉛は安中のシンボルだが、昭和の時代、群馬県で足尾銅山に次ぐ公害事件で知られる。
現在は安全協定を3年毎に更新しているそうである。
夜になると大量の光が点る不夜城でもある。沿岸の工場地帯ではなく山の斜面に光が灯るので、知らない人は「この地に?」釘づけになる。


実はこの日、高崎バルでドーミインが取れなかったのだ。だから帰らなきゃならないの。
ジャン妻は業務定刻終了後に美容院に行くとか言ってたので、バルで混雑する高崎市街を避けて群馬八幡で一杯引っ掛けて行くことにした。
だけど磯部松井田の西空が黒雲に覆われてる。あの雲はいずれ八幡、高崎まで来るのだろうか。
私が八幡で飲む夜は雨率が高い。
また雨を降らせちゃうかな。
15:52発のJR信越本線がこれです。旧いタイプですね。


安中着は16:04です。
ドアは手で開けます。最初が重たい。片手で持って体重かけて引っ張り、反対側のドアはヤクザキックで蹴飛ばしてやった。
ちょうど学生さんの下校時刻。上りホームをたくさんの学生さんが占拠している。決められた下校時間、限られた電車本数だから決まった時間だけ集中混雑するのである。

学生さんをかき分けながら安中駅改札を出たらタクシーがいないじゃないかぁ!!

いつもは2台~3台停まってるのにさ。
こちらは17:00までに行政へ出向かないとならないので電話で呼ぶことにした。安中タクシー、通称アンタクを呼んだ。
タクシー待ちには1人のオバちゃんがいて、
「ちょうど1台いたのが出てっちゃったんだよ~」
「ああそう。自分は(タクシー)呼んだけど・・・」
「JRはウチとは関係ないから直接呼んでくれって言われたんだよねぇ」
JR職員さんもタクシー呼んであげりゃぁいいのに。どーせヒマなんだからさ。
「自分がもう1台呼びますか?」
私は人が多い都会では優しくないが、人が少ない群馬に来た時だけ優しい人間に化けるのである。
「いいワありがと。どうせ待ってりゃそのうち来るでしょ」
オバちゃんの言う通りで、私の呼んだタクシーが来る前に3台ほど来たのである。タクシーが来る度に、「自分は呼んだから」と断るハメになってしまった。
「お待たせ~」(運ちゃん)
「自分、呼んだんで」
「ああそう。じゃぁ待ってて」
これが繰り返された。
オバちゃんは私より先にアークタクシーのワゴンに乗って去っていった。




10分ほど待ったら安中タクシー、通称アンタクが来たぞ。
「高別当の安中市〇〇〇〇事務所」
「ああ、〇〇所ね」
「GUSTを左折、104を右折ね」

安中藩の辺りです。妙義が見える。

104は定休日だった。
いつかルートインに泊まって、夜の104を堪能してみたいものです。

公用は問題無く終了。
帰りは榛名タクシーを呼んだ。運ちゃんは女性だった。
「東京までお帰りに?」
たった1件の業務でこの時間帯だったら日帰りがアタリマエですよ。
「16:50発がちょうど出てっちゃったんだよな。次は17:40までない」
「ああホントだ。お待ちになってる時間が長いですよねぇ」
「駅で業務メールしながら待ちますよ」
「1時間に1本くらいしかないから」
「何のアナウンスもなく、気が付いたらいきなり上り電車が来たことがありますよ」
「そうそう。ここは田舎だからさぁ~」


駅ロータリーで身体を伸ばしてたら、1台のタクシーから運ちゃんが下りてきて、
「あれぇ?早いねぇ」
さっき、私が「呼んだから」と断った運ちゃんである。
「もう用事済んだんだ?」
「済みましたよ」
「こんな短い時間の用事なのにわざわざ来なきゃならないんですか」
「郵送がNGな内容なんです。窓口で説明しなきゃならないかな」
「タイヘンだ。で、次の電車まで待つんだ?40分以上あるんじゃない?」
「待つしかないじゃないですか」
そうやって会話してる運ちゃんのタクシーに私は乗ってないんですよ。見送っただけ。僅かそれでもう顔を覚えられたのか。安中の狭くて少ない群馬の人口密度かということ。
(この運ちゃんは7月にも再会していますが覚えてなかった。饒舌でしたね。)
さっき大量にいた学生さんたちはもういない。
乗り遅れたか。部活か。補習で居残ったか。2人3人程度の学生さんがパラパラ。

業務電話、業務メールもやり終えてしまい、ヒマですることないので、安中のシンボルでもある東邦亜鉛株式会社(トウホウアエン)製錬工場に入線する貨車を見ていた。



屋根の無い貨車(無蓋者)は東邦亜鉛社の所有。茨城県の小名浜港で陸揚げされた亜鉛を運んでこの地で製錬するのです。
構内入替用のミニ機関車が貨車を2両ずつ精錬所へ引いていった。2両ずつなのはスイッチバックの長さの都合です。先日車窓からジーッと見てたらやはり折り返し退避部分が短いの。途中から錆びて雑草に埋もれ、廃線状態で自然に還ってた。


東邦亜鉛は安中のシンボルだが、昭和の時代、群馬県で足尾銅山に次ぐ公害事件で知られる。
現在は安全協定を3年毎に更新しているそうである。
夜になると大量の光が点る不夜城でもある。沿岸の工場地帯ではなく山の斜面に光が灯るので、知らない人は「この地に?」釘づけになる。


実はこの日、高崎バルでドーミインが取れなかったのだ。だから帰らなきゃならないの。
ジャン妻は業務定刻終了後に美容院に行くとか言ってたので、バルで混雑する高崎市街を避けて群馬八幡で一杯引っ掛けて行くことにした。
だけど磯部松井田の西空が黒雲に覆われてる。あの雲はいずれ八幡、高崎まで来るのだろうか。
私が八幡で飲む夜は雨率が高い。
また雨を降らせちゃうかな。
2016-08-02 09:25
コメント(0)
















































