ジャンと和歌山 [和歌山]
今日はタクシーでぶらくり丁へ向かった。
ホテルから歩ける距離ですが、ジャン妻が「歩くのイヤ」っていうから。

来て最初の頃は、のちに定宿になる和歌山城前のダイワロイネット和歌山が完成前で、JR和歌山駅前にあるホテル・グランヴィア和歌山から歩いていたんですがね。
今回、ジャン妻の法事で名古屋行に、無理矢理に和歌山行をくっつけたのですが、店に5年ぶりなので事前に電話しました。
「久しぶりにお電話しますが、〇〇というものですが」
「横浜の〇〇さんですか?」
「そうですご無沙汰してます」
覚えててくれたのです。だが近況を聞いて曇った。

「覚えてくれていたよ」
「嫁さんじゃない?」
「じゃないかな。大旦那もお袋さんも引退したってさ」
「そうなんだ・・・」
この頃でもう70歳後半でしたからね。もしかしたら80歳いってたかも。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-07-10-1
呟きⅠで載せましたが、リンクしているヒロ旦那と行ってからその後にもう1回行ってるのですが、その時には揚げ場&焼き場のオジさんは「引退したんやけど今日は混んだから来てるんや」って言ってたんだが。
そうか。そういう時代になったか。
千里十里があるぶらくり丁が盛況だったのは昭和20年~30年だそうです。
今は何処の地方都市も同じで郊外のロードサイドに客が流れているようだが、ぶらくり丁に買い物に来ていたお客さんは自転車が多く、北は泉南から南は海南市から、東は橋本辺りからも買い物客が来ていたという。
その頃の写真は店の向かいにある中華そばの暖簾をかかげた店内にありましたね。
現在、店を切り盛りするMさんのお祖母さんが自転車を預かる仕事をしていた。そしてMさんのおとーさんがこの地に昭和30年に開いた。
そして他業種に就いていた息子さん(Mさん、次男)を呼び戻し(長男さんは横浜で銀行のエライさんらしい)弟夫婦に揚げ場と焼き場を担当させ、ママ(奥様)と若奥様(二代目夫人)長女の姉さん(Mさん姉)や孫たち他を掻き集め、新鮮なネタと人柄で、ぶらくり丁でそこだけ賑わっている和歌山市内居酒屋の頂点にのし上げた。

前回か前々回までおとーさんは店の入口側で握りと接客を担当していて店の守護神だったが・・・。
そうか。引退されたんだ。
おかーさんもいないのか。
揚げ場、焼き場を護っていたおとーさんの弟氏は先に引退されてるし。
でもまだ在庫・発注の女王、Fさん(おとーさんの弟さんの妻)は現役です。






もうカウンター入口側で握っていた大旦那はいない。


私は和歌山担当が決まった時、大田和彦氏の著書「居酒屋味酒覧」を捲ったら、151頁にこの店を見つけて、2005年5月にひとりで飛び込んだんだった。
13年前かよ。
ぶらくり丁まで歩いてひとりで飛び込んだら大当たりだった。
往時の日誌にはこうある。
5月9日(月)銀平 五合 7000円
5月10日(火)千里十里 五合 7000円
5月11日(水)千里十里 四合 6000円
5月12日(木)千里十里 三合 5000円
5月13日(金)千里十里 四合 4000円
和歌山に来ていた夜は、必ずこの店で1日を締めていたね。どんな嫌な面倒な諸問題の処理でも、ここ和歌山にこの店に来るのが楽しみだった。毎夜毎夜癒されたものです。
出されるもの、雰囲気、いつも変わらぬスタッフとの会話がサイコーだった。
ジャン妻は「アタシはアナタが神戸や和歌山に行ってた頃、何して留守してたか記憶がないんだよね」という。彼女をここに初めて連れて来たのはいつだったかなぁ。
和歌山に来る時は殆ど毎晩のように通ったが、魚中心で野菜が少ないので、毎晩ここに来ていたらしまいに口内炎になったことがあるよ。この店の野菜ったって刺身のツマと水菜、野菜天ぐらいだしね。
前はツナサラダがあったのですが、今回見たらメニューから消えてたな。





現地のグループ(昨夜の連中)の信用を得て奥座敷で宴会するまではずっとカウンターだったので、店の奥が何処まであるのか、どういう造りになっているのかそれまではわからなかった。
長い店なんです。入口から長大なカウンターが奥まで伸びている。カウンッター上に並ぶ3つのガラスケースには、鮪、鰹、ブリ、カンパチ、冬場はハゲ(私ではない。カワハギのこと)鯛、太刀魚、ホウボウ、赤貝、ウニ、ネタがいっぱい詰まっていて気合充分な店だった。
お品書きや、目の前に貼りだされた札を見てるだけで気分が高揚したもの。



今と比較して当時の頃を敢えて最盛期といわせていただきます。その頃の人員構成は、バイト君や留学生以外はALL身内だったのです。
①先代夫婦。おとーさんとおかーさん。(2人とも引退)
②若夫婦。Mさんとその奥さん。(もう若夫婦とはいえないな。)
③おじさん夫婦、おとーさんの弟さんです。つまりMさんのオジさんとその奥さん。オジさんは先に引退した。
そして週末や混んでる時は、若夫婦の娘さんと③の息子さん(従兄弟さん、今は揚げ場、焼き場の責任者)
稀にMさんの姉さんが加わる時もあった。
親族同士の連携プレーが見事だった。それぞれの持ち場をしっかり守っていた。城塞に例えるなら、この店は店頭が主郭でそこに大将がいて、他の各郭を他の身内の主将格がしっかり治めていたのです。
ただ、誰かひとりでも欠員が出るとドッタバッタになる。心配のあまり欠員した郭へ全員でドドドドッと駆け寄る無駄な笑える光景も見たことがある。
まぁ飲んで食べて見てて気持ちが良かったのですよ。
Mさんから聞いた連携の秘訣があって、店の建物は3階建で、3家族が上で全員居住していたというのだ。
「ウチのメンバーはその頃の生活のまま店に降りてきたようなモンでして。店を休んで皆で旅行とかの打ち合わせならしますけど、仕事のミーティングとかそんなモン1回もやったことないんですワ」
長大なカウンターだけに、今こうして見ると何だか寂しい。長老格が3人抜けたので、店頭に貼りだされた手書きのお品書きの数が減ったように思う。それまでいた人の姿が無いとそう見えてしまう。
気になるのはカウンターのこっち側(客側)もそう。カウンターこそ居酒屋の神髄、心意気というもので、この店の醍醐味は長大カウンターにあるが、そこにも空席が・・・。



金曜なのにカウンターが空いているのにも驚いた。おとーさん、おかーさんのファン世代も消えたように見える。ただ、奥の座敷はそこそこ盛況のようだったようだが。
「〇番さん天ぷら揚がったでぇ~」
「だしまぁきいっちょぉ~」
「おざぁしぃきぃ~。やぁきぃとりぃいくよぉ~。持ってってよぉ~」
あの頃の威勢はない。むしろ静かになったねこの店。
店を継いだMさんの奥さん(予約電話に出た)はインテリというか、才媛だがあまり大きい声を出さない方なので、物静かなんですな。
ご夫婦は和歌山城の前、ロイネットの隣のF中学の同級生だったと思います。雑賀港の漁師の娘さんとか。
「もう孫が生まれまして(自分)おじいちゃんですワ」
「そうですか。そんなになるんですね」
早いものだな。
「前にそちらさんの社員の方に、ウチの娘を送って貰ったことがありましたね」
その女性はまだ本社にいる。貫禄がついて前を向いているのか横を向いているのか後ろを向いてるのかわからないくらいになっている。
「よう飲んでられましたな。他にも2人か3人いましたねぇ」
Mさんが言うのは皆、私が東京から送り込んだ連中です。
意外にも昨日一緒に来た地元のもと社員は下戸でここへ来ていないのです。




人は減ったが、ネタ、出されるものはしっかりしている。カツオの刺身&マグロのカマの部分ちょこっと。



サンマの刺身半身、残る半身は塩焼きに。



キス天と野菜天添え。(前はイワシの梅肉天というのがあったがメニューから消えてた。)



「何処の店よりも美味しい」(ジャン妻)茶碗蒸。


サワラ西京焼、私はこの店で西京焼といものを知った。



小アジじゃなかった大きいアジ南蛮


マグロネギマ焼き。焼き鳥もありますが、腸獣類よりも是非これを食べてみてください。




締めは鉄火巻き。さすがにもう天丼、鰻丼、雑炊、カツオ茶漬け、そういう重たいものは入らなくなったよ。

「初めてオーダーしたのは串カツだったんだよな」
「うそっ。この店で?」
「初めてクシカツを食べたのがここでさ」
「・・・」




店の入り口にある水槽の前の床が濡れているのは、バッシャーンって暴れたんですよ。長い魚が。
従兄弟さんがモップで拭いてた。
会計時に聞いたの。
「さっきのアトラクションは何?ウミヘビ?」
「いやぁ、ハモです。ウ、ウミヘビじゃないですよぉ」



タクシーでぶらくり丁を後にする時に無理して自分に言い聞かせたのは、思ったのは、もう比べてちゃいけないということ。
昔を偲んで比べるのは今日だけにしよう。一抹以上の寂寥感は否めないが「いつかはそうなるんだろうな」と思っていた時代が現実に到来したのである。
店の双肩は店を継いだMさんにかかっている。店だけではなくぶらくり丁そのものを担っているのだ。
ホテルから歩ける距離ですが、ジャン妻が「歩くのイヤ」っていうから。

来て最初の頃は、のちに定宿になる和歌山城前のダイワロイネット和歌山が完成前で、JR和歌山駅前にあるホテル・グランヴィア和歌山から歩いていたんですがね。
今回、ジャン妻の法事で名古屋行に、無理矢理に和歌山行をくっつけたのですが、店に5年ぶりなので事前に電話しました。
「久しぶりにお電話しますが、〇〇というものですが」
「横浜の〇〇さんですか?」
「そうですご無沙汰してます」
覚えててくれたのです。だが近況を聞いて曇った。

「覚えてくれていたよ」
「嫁さんじゃない?」
「じゃないかな。大旦那もお袋さんも引退したってさ」
「そうなんだ・・・」
この頃でもう70歳後半でしたからね。もしかしたら80歳いってたかも。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-07-10-1
呟きⅠで載せましたが、リンクしているヒロ旦那と行ってからその後にもう1回行ってるのですが、その時には揚げ場&焼き場のオジさんは「引退したんやけど今日は混んだから来てるんや」って言ってたんだが。
そうか。そういう時代になったか。
千里十里があるぶらくり丁が盛況だったのは昭和20年~30年だそうです。
今は何処の地方都市も同じで郊外のロードサイドに客が流れているようだが、ぶらくり丁に買い物に来ていたお客さんは自転車が多く、北は泉南から南は海南市から、東は橋本辺りからも買い物客が来ていたという。
その頃の写真は店の向かいにある中華そばの暖簾をかかげた店内にありましたね。
現在、店を切り盛りするMさんのお祖母さんが自転車を預かる仕事をしていた。そしてMさんのおとーさんがこの地に昭和30年に開いた。
そして他業種に就いていた息子さん(Mさん、次男)を呼び戻し(長男さんは横浜で銀行のエライさんらしい)弟夫婦に揚げ場と焼き場を担当させ、ママ(奥様)と若奥様(二代目夫人)長女の姉さん(Mさん姉)や孫たち他を掻き集め、新鮮なネタと人柄で、ぶらくり丁でそこだけ賑わっている和歌山市内居酒屋の頂点にのし上げた。

前回か前々回までおとーさんは店の入口側で握りと接客を担当していて店の守護神だったが・・・。
そうか。引退されたんだ。
おかーさんもいないのか。
揚げ場、焼き場を護っていたおとーさんの弟氏は先に引退されてるし。
でもまだ在庫・発注の女王、Fさん(おとーさんの弟さんの妻)は現役です。






もうカウンター入口側で握っていた大旦那はいない。


私は和歌山担当が決まった時、大田和彦氏の著書「居酒屋味酒覧」を捲ったら、151頁にこの店を見つけて、2005年5月にひとりで飛び込んだんだった。
13年前かよ。
ぶらくり丁まで歩いてひとりで飛び込んだら大当たりだった。
往時の日誌にはこうある。
5月9日(月)銀平 五合 7000円
5月10日(火)千里十里 五合 7000円
5月11日(水)千里十里 四合 6000円
5月12日(木)千里十里 三合 5000円
5月13日(金)千里十里 四合 4000円
和歌山に来ていた夜は、必ずこの店で1日を締めていたね。どんな嫌な面倒な諸問題の処理でも、ここ和歌山にこの店に来るのが楽しみだった。毎夜毎夜癒されたものです。
出されるもの、雰囲気、いつも変わらぬスタッフとの会話がサイコーだった。
ジャン妻は「アタシはアナタが神戸や和歌山に行ってた頃、何して留守してたか記憶がないんだよね」という。彼女をここに初めて連れて来たのはいつだったかなぁ。
和歌山に来る時は殆ど毎晩のように通ったが、魚中心で野菜が少ないので、毎晩ここに来ていたらしまいに口内炎になったことがあるよ。この店の野菜ったって刺身のツマと水菜、野菜天ぐらいだしね。
前はツナサラダがあったのですが、今回見たらメニューから消えてたな。





現地のグループ(昨夜の連中)の信用を得て奥座敷で宴会するまではずっとカウンターだったので、店の奥が何処まであるのか、どういう造りになっているのかそれまではわからなかった。
長い店なんです。入口から長大なカウンターが奥まで伸びている。カウンッター上に並ぶ3つのガラスケースには、鮪、鰹、ブリ、カンパチ、冬場はハゲ(私ではない。カワハギのこと)鯛、太刀魚、ホウボウ、赤貝、ウニ、ネタがいっぱい詰まっていて気合充分な店だった。
お品書きや、目の前に貼りだされた札を見てるだけで気分が高揚したもの。



今と比較して当時の頃を敢えて最盛期といわせていただきます。その頃の人員構成は、バイト君や留学生以外はALL身内だったのです。
①先代夫婦。おとーさんとおかーさん。(2人とも引退)
②若夫婦。Mさんとその奥さん。(もう若夫婦とはいえないな。)
③おじさん夫婦、おとーさんの弟さんです。つまりMさんのオジさんとその奥さん。オジさんは先に引退した。
そして週末や混んでる時は、若夫婦の娘さんと③の息子さん(従兄弟さん、今は揚げ場、焼き場の責任者)
稀にMさんの姉さんが加わる時もあった。
親族同士の連携プレーが見事だった。それぞれの持ち場をしっかり守っていた。城塞に例えるなら、この店は店頭が主郭でそこに大将がいて、他の各郭を他の身内の主将格がしっかり治めていたのです。
ただ、誰かひとりでも欠員が出るとドッタバッタになる。心配のあまり欠員した郭へ全員でドドドドッと駆け寄る無駄な笑える光景も見たことがある。
まぁ飲んで食べて見てて気持ちが良かったのですよ。
Mさんから聞いた連携の秘訣があって、店の建物は3階建で、3家族が上で全員居住していたというのだ。
「ウチのメンバーはその頃の生活のまま店に降りてきたようなモンでして。店を休んで皆で旅行とかの打ち合わせならしますけど、仕事のミーティングとかそんなモン1回もやったことないんですワ」
長大なカウンターだけに、今こうして見ると何だか寂しい。長老格が3人抜けたので、店頭に貼りだされた手書きのお品書きの数が減ったように思う。それまでいた人の姿が無いとそう見えてしまう。
気になるのはカウンターのこっち側(客側)もそう。カウンターこそ居酒屋の神髄、心意気というもので、この店の醍醐味は長大カウンターにあるが、そこにも空席が・・・。



金曜なのにカウンターが空いているのにも驚いた。おとーさん、おかーさんのファン世代も消えたように見える。ただ、奥の座敷はそこそこ盛況のようだったようだが。
「〇番さん天ぷら揚がったでぇ~」
「だしまぁきいっちょぉ~」
「おざぁしぃきぃ~。やぁきぃとりぃいくよぉ~。持ってってよぉ~」
あの頃の威勢はない。むしろ静かになったねこの店。
店を継いだMさんの奥さん(予約電話に出た)はインテリというか、才媛だがあまり大きい声を出さない方なので、物静かなんですな。
ご夫婦は和歌山城の前、ロイネットの隣のF中学の同級生だったと思います。雑賀港の漁師の娘さんとか。
「もう孫が生まれまして(自分)おじいちゃんですワ」
「そうですか。そんなになるんですね」
早いものだな。
「前にそちらさんの社員の方に、ウチの娘を送って貰ったことがありましたね」
その女性はまだ本社にいる。貫禄がついて前を向いているのか横を向いているのか後ろを向いてるのかわからないくらいになっている。
「よう飲んでられましたな。他にも2人か3人いましたねぇ」
Mさんが言うのは皆、私が東京から送り込んだ連中です。
意外にも昨日一緒に来た地元のもと社員は下戸でここへ来ていないのです。




人は減ったが、ネタ、出されるものはしっかりしている。カツオの刺身&マグロのカマの部分ちょこっと。



サンマの刺身半身、残る半身は塩焼きに。



キス天と野菜天添え。(前はイワシの梅肉天というのがあったがメニューから消えてた。)



「何処の店よりも美味しい」(ジャン妻)茶碗蒸。


サワラ西京焼、私はこの店で西京焼といものを知った。



小アジじゃなかった大きいアジ南蛮


マグロネギマ焼き。焼き鳥もありますが、腸獣類よりも是非これを食べてみてください。




締めは鉄火巻き。さすがにもう天丼、鰻丼、雑炊、カツオ茶漬け、そういう重たいものは入らなくなったよ。

「初めてオーダーしたのは串カツだったんだよな」
「うそっ。この店で?」
「初めてクシカツを食べたのがここでさ」
「・・・」




店の入り口にある水槽の前の床が濡れているのは、バッシャーンって暴れたんですよ。長い魚が。
従兄弟さんがモップで拭いてた。
会計時に聞いたの。
「さっきのアトラクションは何?ウミヘビ?」
「いやぁ、ハモです。ウ、ウミヘビじゃないですよぉ」



タクシーでぶらくり丁を後にする時に無理して自分に言い聞かせたのは、思ったのは、もう比べてちゃいけないということ。
昔を偲んで比べるのは今日だけにしよう。一抹以上の寂寥感は否めないが「いつかはそうなるんだろうな」と思っていた時代が現実に到来したのである。
店の双肩は店を継いだMさんにかかっている。店だけではなくぶらくり丁そのものを担っているのだ。
2018-10-07 08:21
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ジャンと和歌山 [和歌山]



夕暮れの和歌山市内。
トボトボ歩いてたらジャン妻はブゥブゥ言い出した。
「結構距離あるじゃない」
「前はグランピアから歩いてたんだぞ」
「タクシー使えばいいのに」
「和歌山のタクシーはガラ悪いのがいるからヤダ。でも結構な距離だね」
なかなか着かないのだ。
「こんなに距離あったかな」
「・・・」






人があまりいないぶらくり丁。
人がいるのはドンキと、この店、和歌山市の有名酒場だけのように見える。

私の業務日誌を見たら、2005年5月上旬に、
羽田発21:00~
関空着22:??
和歌山着23:30
ホテル・グランヴィア和歌山
と記してあった。これが和歌山に来た最初だった。2005年だから13年前ですね。最終便で飛んだんだね。
それから2009年(平成21年)まで和歌山を担当していたが、関西の現場を東京で管理するのには無理があって、近畿某所に本社のある某社に事業譲渡したのです。
それきり縁が途絶えた。今向かっている居酒屋とも年賀状の遣り取りだけだったが、いよいよ世代交代したらしいのだ。
大好きだった和歌山の女性社員たちともたまにメールの遣り取りだけです。今宵、再会します。




かつて私はこの店こを自分の中では居酒屋の最高峰と思っていた。
今は世代交代したのもあって人が少なくなり、かつてのスケールではなくなった。
店頭に貼りだされるお品書の数が少なくなったのです。それは先代ご夫婦と、焼き場&揚げ場にいたオジさんが引退したからです。


4名予約なので奥の座敷に通された。
前に和歌山のもと社員が2人います。2人とも女性です。右の女性は下戸なのに私に海南市の銘酒「黒牛」を教えてくれた女性。
下戸どころか、消毒用のアルコールを塗っただけでも肌が真っ赤になるそうです。
「2人とも変らん。あの頃のままですよ」
私にしては珍しく世辞を言った。右の女性なんか私と同年代なのに肌真っ白でツヤツヤなの。
彼女らはかつては同じ社内の者でしたが、今はウチの社員じゃないのです。

「今、スタッフ何人いるんですか?」
「6人います。1人はパートですけど。今年の新人さんも廻して貰ったんで」
「人増えたんだ。あの頃は少なかったのに。え?新人が和歌山に?」
おそらく神戸の大学卒の子にこっち(和歌山)で住居を用意したんだろうな。
私も過去に和歌山へ3人送り込んだ。3人とも辞めて今はいない。いずれも嫁いだ。
送った3人のうち2人は若手で、和歌山という地に動かすにあたって、何でこんな小娘たちに「和歌山へ行ってくれ」ってアタマ下げなきゃならないんだって思ったですよ。
住居(社宅)を用意したのだが、用意した場所が昔でいうところの同和地区だって文句を言ってきたヤツもいたね。
送り込んだ3人のうち2人はこの居酒屋にも来ています。もうひとりはベテランだが(仮にA子としておきます)首都圏でちょっと難のある女性社員だった。
A子は周囲の空気が読めず、最初はいいんだけど時間が経つと化けの皮が剥がれてヒンシュクを買う人だった。A子は1箇所に置いておけないのであちこち動かし、HELP要員の浮草稼業を続けていたのです。
その頃私は人員手配を担当していたので、何処でも行ってくれるA子の性質に付け入ったのですが、いつからか、私が何をしたのか覚えてないのですが、A子は私に懐くようになり、私はそれをいいことにA子を地方にまで動かしたのです。「行ってくれ」って言って断られたことが一度もない。
私とジャン妻はA子を「カプセル怪獣」と呼んでいた。モロボシ・ダンが何かの理由でウルトラセブンに変身できない時、カプセルを投げたら中から出てくるあれですよ。「ミクラス行けっ」「ウインダム行けっ」「アギラ(コイツがいちばん弱かったね)行けっ」
でも私はA子に「行け」なんて言ってないですよ。
「A子、いついつどこそこへ行ってくれないか」
「ハイッ」
A子は私には従順で、和歌山にも飛ばした。和歌山以外に姫路もに飛ばしたな。どれも半年か1年飛ばしたんじゃなかったかな。「行け」なんて言わないで条件等含めて交渉しましたよ。
私はその頃、地方から「人が足りない」送ろうにも「行きたくない」の間にいて、板挟みになって苦しんだ時期でもある。今は会社も強くなったし、行かせるエサというか馬の鼻先にブラ下げるニンジン規定(お金のことですよ。)があるから容易くなったけど。往時はそういうのが無かったんです。
現地で募集しようにも応募がないのだ。「高い金で拘束している」って言ってたのを何回も聞いた。
時折コメントを下さるモノノフさんがいる海南市にも求人を出したことがありますが、あれはアイデムの折り込みチラシだったな。遠いという理由で面接には至らなかった。



で、その飛ばした女性、カプセル怪獣A子ですが、
「A子さんお元気ですか?ご結婚されたんですよね」
「A子は辞めました」
あっちこっち行ってたのが結婚したことで1箇所に定着せざるを得なくなり、どうしても1箇所にいるとマイペースで周囲に馴染めず、そこで退職になったのだ。
「辞める時に会いに行きましたよ」
私はA子に懺悔した。お互いどちらかが辞める時に言おうと思ってたんだと前置きして、
「あの頃自分はこれこれこうで精神的に追い詰められたんだ。
誰も地方に行きたがらないのに君はすぐに受けてくれてさ。他も断られた記憶がない。
A子がいなけりゃ俺はこの会社にいなかったよ。いつか借りを返さなきゃなって思ってたが、デケぇ借りで返せないままになっちまったな」
ところがA子が言うには、
「私にとっては姫路や和歌山は挑戦ではありましたがそれ以上に楽しみでもありました。ひとつの店舗で仕事人生で終わるのは嫌だったんです。あちこち行く道があるのだと開眼しました。
姫路も和歌山も完全に趣味>仕事でしたよ。毎月旅行に行っていました。おかげでゲーム以外の話を人並みにできるようになりました。
〇〇さん(私のこと)がそのような切羽つまった状況だったとは露知らず、遅くやってきた青春を謳歌していたんですよ~。
なので私は〇〇さんに貸してるなんて思ってません。私こそ〇〇さんが声かけて動かしてくれなければ異動することもなく会社を3年くらいで辞めていたと思います」
趣味>仕事だとぉ??
まぁいいや。でもこっちは斬鬼の念があったのがバカみたいでしたね。

私が和歌山を皮切りに近畿・関西に点在していた現場を担当するようになったのには幾つか理由があるのですが、発端は今前にいる女性たちの現場で急な欠員が出たからです。
「週明けの(月)から人がいない」という緊急事態で、前述のように(日)夜の最終便で飛んで来たのですよ。
今は「スタッフ6人います」と言うてますが、その頃は4人ぐらいしかいなかったのです。そこへひとり欠員したので私が行ったの。
もう一つ、その頃にいた近畿地方のエリアマネージャーが突然出社しなくなり、たまたま和歌山に出張していた私が「近畿も自分がやります」と手を挙げざるを得なかったのもある。
エリアマネージャーの辞め方が普通ではなく、理由を聴取しようと電話をしても出ない。面談を申し入れても家族が出て頑なに拒否されたんです。突然だから何かの病気だろうか。未だにわからないのです。
先方にも事情や言い分があるのだろうが、私は「逃げた」と今でも思っています。あまり接点が無かったので私のせいじゃないと思うよ。
和歌山まで来てれば、大阪、神戸ぐらいは途中駅のようなものだからね。
その後年間、大阪某所、神戸三宮、姫路市内某所(ここは遠かった)日本海側の某所、そしてここ和歌山の現場を担当して廻っていた。場所が点在しているので全社員を掌握するまで時間がかかった。
特に泊まりが多かったのが和歌山で、自室にある日誌で和歌山泊をカウントしてみたら90泊あった。大阪神戸はまだしも、和歌山は日帰りは無理でしたね。
90泊以外にも神戸三宮、大阪市内、他にも泊まったので4年で120泊ぐらいかな。留守してたジャン妻はその間何をしてたか記憶が無いそうです。

関西方面の窓口になったはいいが、東京から離れているせいでなかなか管理の目が行き届かず、本社から見えないところで社員同士のゴタゴタが絶えなかった。
給料が安いから他へ行くんならいいけど、誰々のせいで辞めた(辞めた後で真相がわかった)辞めたい、辞める、事情聴取、慰留面談、ダメなら新規募集、面接、調停して廻ったんですよ。受けた以上はそれまで燻っていた負の遺産も受けなきゃならないからね。
でも何かモメ事が起きても首都圏と違ってすぐにスッ飛んでいけないじゃないですか。関西だけ担当って訳にいかないし。それまでやっていた首都圏の業務に関西がプラスされたのです。
休日も落ち着かず(土)の夜に静岡市内の紀尾井にいたら、和歌山の女性社員から泣きながら電話が架かってきたことがあります。これは店主も今でも覚えています。
船山温泉敷地内は電波の入り具合が悪いので、チェックアウトして身延街道に入った途端に会社携帯がビービー鳴って、見たらSOSばっかり。
会津の蕎麦宿でもそう。外に出て関西方面と会社携帯で遣り取りしてたら旦那に「何してんですか?え?そういうことをやってるんですか?」と言われたことがある。あの宿は家族経営だから人員調整とは無縁なんだろうね。
往時はそういうのが多くてね。泣かれたりくってかかられたり、トラブった相手に引導を渡さなきゃならなかったり、片方だけでなく双方の言い分を聞かなきゃフェアじゃないし。
結局そういうゴタゴタは問題を起こした従業員がフェエイドアウトすることで解決するしかなかったのだ。都内だったら他へ異動させりゃいいんだけど。関西は現場数が少なくて点在していたので無理なんです。
だが、お引き取りいただくにしても本人の意志にして、現地社員が辞めた人といつ何処で出くわすかわからないので穏便に処理したつもりだが、相手はそう思わない。私も若かったので。
神戸では民事訴訟になりかけた。逆恨みされたんです。
大阪某所は相手の態度が悪くてそこの管理者と喧嘩になった。根に持った私は後日そこで不正が発覚したので、証拠を突きつけて引導を渡した。イヤな役目でしたよ。
その後任の管理者とも少しモメた。態度が悪かったのでこっちも開き直って、大阪弁で「手ぇ引いたろかてめぇ。俺の助け無しにできんのかよ」手が出る寸前に第三者に止められた。手を出したらそこで終わりなので相手を挑発して先に出させようとしたんだった。
長年東京本社を敵視していた現場があった。その現場に船山温泉をチェックアウトして夕方に飛んだことがありますが、あの時は小さい飛行機だったなぁ。揺れが凄かったもの。
本社を敵視していたその相手はある日突如として私に態度が軟化した。和歌山同様に私が都内から送った若手2名が間に入ってくれたと今でも思っている。
地方に共通するのは何処も、人が足りない、送ってくれ、でも誰もそんな遠方に赴任したくない、でも行ってくれって説得しなくてはならない、の繰り返しでしたね。で、前述のA子他が登場するわけですよ。

ある夜、この店で浮かない気分で飲む俺を見て、若旦那(今は大旦那だが)が、
「何か、問題でも・・・」
そうだよ。いつものことで問題があって来たのです。でもその問題に決着付けた後は「お仕事、上手くいったようですね」って見破られたりした。
まぁその過程で私自身の引き出しも増えたけどね。
数年間やりました。今でも新大阪から神戸、新大阪から和歌山、山陽電鉄ぐらいなら移動に迷わず身体が覚えて動けます。今回の旅で久々に下りた新大阪駅、きれいになりましたね。

「あの頃はいつもすぐに来ていただいて」
「今はどうです?」
あまりレスポンスがよくないらしい。ウチもそうだが、執行部が若くなり、この席にいる4名より遥かに若くなっているからね。
「和歌山に新人さんが入ってきて、ウチらで2年か3年育てたんですが、その子を大阪の大きい現場に店長として持ってかれたんです。そりゃウチらのとこにこれから先々ずっといてもそれ以上伸びないのはわかりますけど。いった先の規模が大きかったんですそこが。まだ無理ですって言うたんですが」
「そういう大きいところにはもとからそこにいるウチらみたいな(笑)ベテラン、オバちゃんたちが仰山居てはるわけですよ。その人たちに叩かれたんだかで結局辞めちゃったんですよぉ」
「もう育てたあのええ子が辞めたって聞いた時にはショックやったです。その子の披露宴にも呼ばれたんでぇ」

前にいる女性たち現況は別の問題が起きているらしい。現場の存続に関わる問題でどうもハード面(老朽化、耐震性)や後継者問題らしい。
連中も齢を重ねているのでそうなったらどうしようと。
「だってアナタらは定年ないようなもんでしょ」
「そう言いますけどねぇ。他へ行くにしてもですねぇ。タイヘンなんですよぉ」
タイヘンですか。でも私は「前の方が(私が担当していた頃の方が)良かった」と言ってくれたのに救われた。

「何で和歌山と縁が遠くなったんでしたっけ?会社が変ったからですよね」
もちろんそうなんだけど、彼女たちが知らなくていい裏の理由があるのだ。平成21年(2009年)6月半ば頃から私に出張許可が出なくなり、関西担当を外されたんです。
それまでは組織図の地方担当に私の名前も載っていたがそこからも抹消された。外された原因は、当時の〇長に告げ口、讒言されたんじゃないかとジャン妻は言う。
今こうして飲んでいる居酒屋から年に1回、私宛に漬物が届いたのですが、それが会社宛に届いていたのですよ。3回か4回届いた。中には泉州水茄子や、紀州の梅干しも入っていた。
食べ切れないので本社で分けたのですが、それを捻じ曲げて〇長に讒言したヤツがいるんだと。
「〇〇さん(私のこと)は出張をいいことに地方で飲み歩いてる。店に相当な金を落とさなきゃ飲み屋からこういうものは送ってこない」
私は告げ口した容疑者から「〇〇さん(私のこと)凄いですねこれ。お店に相当な金を落とさなきゃ飲み屋からこういうものは送ってこないですよ」そこだけ直接言われたことがある。
あくまで容疑であって、讒言したその場を押さえた訳じゃないけどジャン妻も「多分それよ。何で自宅の住所にしなかったの?」
私は自分の金で飲んだだけですよ。領収書なんてきったことないモン。
とはいえ脇が甘かった。私は黙って身を引いた。
その讒言者はもういません。〇長から今で言うパワーハラスメントでやられてフェイドアウトした。

私に送られたものは漬物だが、ジャン妻は私をハズした〇長宛に届いた生鮮物のお中元やお歳暮を何回か見たことがあるという。
「会社の冷蔵庫の中に、大阪から送られてきたフグとか生物が包装されたのがあって、それがいつの間にか無くなってたのよ。〇長が持って帰ったんだと思う。ったく自分だけさぁ」
生物だからお裾分けという訳にもいかないのはわかるが、私は送られて来たものを皆にお裾分けしてるんですけどね。

ハズされる2年前の平成19年(2007年)12月、向こうの社員をよく知っているという理由で、〇長とその上の偉い人と3人で山陰に飛んだことがある。
場所?内緒だけど松江か鳥取か米子ですよ。そこの料理屋で同行した〇長とその上の偉い人と衝突した。「辞める社員が多いのはお前のせいだ」って言われて激高した私は卓袱台を引っくり返し・・・そこまでしなかったが杯を叩きつけたのです。席は立たなかったですが。
その場にいた日本海側の責任者は前述した「本社を敵視していた人」だったのですが、私にまぁまぁと宥めるように言ってきた。それが最後だった。それきり会っていないです。
「さっきのあの態度は何だ」と〇長から叱責されたが「社員が辞めるのは俺のせいじゃねぇよ」と突っぱねて全く反省しなかった。
帰京してから当時の役職を辞任した。すぐ受理されて1階級降格のまま現在に至っています。
よくクビにならなかったよね。

私が1階級降格したのが平成19年12月
ハズされたのが平成21年6月・・・だったと思う。当時の日誌を見たら、それ以降関西に飛んだ記録が無いので。
でも〇長は3年後の平成24年3月に私とジャン妻を会議室に呼び出し「群馬に2年行ってくれ」とアタマを下げたんです。過去に関係なく自分の成果実績の為なら誰にでもアタマを下げられる人なんだなぁって悪い意味で感心したよ。
そのとき「何で俺が群馬なんだ?俺何かしたか?これって今頃懲罰人事か?」と疑ったのは別に群馬のイメージのせいでも何でもなく、過去にいろいろあったせいです。
群馬赴任中に〇長は更迭された。上にも下にも評判が悪くて上の者が外したんです。遠くへ飛ばされてそこの監査役になった。ハズす人間もハズされる時がくるんだなって思ったものです。
私はそれを群馬で聞いてザマミロって思ったかというと・・・そこまで思わなかったんだよね。何故だろう。群馬が気に入ってたからかもしれない。
群馬の転勤が解けて、立場が変った〇長と別件で再会した時、彼は私に「早く戻れて良かったね」って言って来たので、もっともっと群馬にいたかった私は「2年って言いましたよね」って言い返しましたよ。それぐらいいいよね。
ジャン妻もその〇長に含むところがあるのだが、伊東甲子太郎の許へ行ったことで今はその〇長とは立場が完全に逆転した。監査役なんてのはちゃんとやらないと旧役員の引退への花道でしかない。現在は非常勤の相談役でまだいるそうです。ジャン妻は伊東と並んでその相談役近くを肩で風切って歩いたそうだが「衝立か壁際か、ひとりでデスクにいたよ。他のひとたちとシマ(部署)になってなかった」
サマミロとまで言わなかったが、今でも含むところはあるらしいのだ。

「〇〇さん(ジャン妻のこと)は今お仕事何してはるんですか?あの辞令は?」
「ええ、いろいろありましてねぇ」
・・・過程を説明したわけですよ。・・・
「え?そっち方面の上の会社に移ったんですか?」
それを「凄い凄い」言うてましたけど。それよりも同世代の女性同士、今のまま会社にいていいのか、次にできることをするには今が境目なのでという話に逸れた。
何て言うて別れたかイマイチ記憶がない。明日は何処へ行かれるんですか?ペンギンを見に行くとか、パンダの赤ちゃんが生まれたとか。
前に人がいるので写真がよくないですが、店の紹介とお付き合いについては明日Upします。2人とも少食だったのと、食べるより喋る方で口が忙しかった。
明日は今日よりは料理数と写真が多いです。


酔っ払ったジャン妻はホテルドーミインと間違えて別の何かに不法侵入しようとしているところ。
「そっちじゃねぇよ」
「???」
帰りはタクシーだったのですが、大通りのホテル前はUターン禁止で、少し手前で下りたらこうなった。
「食べたりないね」
「まぁね。アイツら喰わねぇもんな」
で、夜鳴きそばに行ってしまったんですよ。行かなきゃよかったね。行くんなら千里十里の向かいにある店で和歌山ラーメンでも喰えばよかったな。
2018-10-06 08:37
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ペンギン&パンダ2009年フォト [和歌山]
2009年の和歌山アドベンチャー訪問の写真が発見できたので蛇足ながらUpします。
10年前なので記憶も定かではなく、まだBlogを開く前でもあるので、本文は殆ど略させてください。
ペンギンパレードです。
係員の手拍子に合わせて、ヨチヨチ、ペタペタ、キョトキョト歩いてた。
子供と同じ背丈なので、好奇心旺盛な子は同じ背丈の子供に寄ってったりしてたね。









ペンギンは群れと離れて自分だけで、辺りを「フンッ」「人間なんて」ギロッと睥睨している一匹オオカミタイプが必ずいるのだ。



この子も群れない子。一匹狼っぽい子。

この子も。目つきが悪いな。

神々しいキング、エンペラーの四天王たち。

仲良しだね。恋人同士か?


どうしても一匹で「フンッ」って態度を取る子が気になる。






お前は食べ過ぎじゃないのか?何をブテーッと寝てるか。



この頃に孵化したコウテイペンギンの赤ちゃん

ジャイアントパンダは例によって寝てる。
今の日本ほど暑い時期でもなかったのですが。


酔っ払いのオヤジが公園のベンチで寝ているみたいだね。



ホッキョクグマの赤ちゃん

この時のランチは白浜駅前の何処かで、観光客価格だけどチープなものを食べて、瓶ビールを飲んだ記憶あありますが、今回の白浜訪問で「どれだったっけか?」探したけどわからず。クローズしたかもしれない。

この2009年訪問で南海電鉄貴志川線(現在はわかやま電鉄貴志川線)の貴志駅にも行ったのです。当時のネコ駅長も寝ていました。最終駅の貴志駅だけ激混みでしたが、地元客よりネコ駅長目当てに他所から来た客ばかりですたよ。(自分らもですが。)
貴志川線って沿線風景はそうオモシロくないと思って見てたの。そしたら山東駅~大池遊園地(オイケユウエンチ)手前にある大池という池を2回鉄橋で渡るのです。
広い川だなと思ったら水が流れてないので「え?湖を渡るのか」とそこだけ目が点になった。架橋するのって金がかかるじゃないですか。でも迂回すると線形が変になるから「そのまま真っ直ぐ池を渡っちゃえ」って施工したのだろう。
迂回しないで湖(池ですが)を2回も渡るのを意外に思ったものです。ローカル私鉄なのにそこだけ金かけてるなって。頑張ってるなという意味ですよ。




パンダはネコ科だから寝るってか?
本当のネコだから寝て当然なんだけど。
でもこの子が貴志川線を再生させたのは間違いないですよね。
夜は和歌山市内のこの店に居続けました。







一連の写真は自分がBlog始める前のものです。
この次の和歌山訪問で、鈴木孫一、雑賀衆、トンガの鼻(砲台跡)、太田城の水攻め、この辺から呟きⅠに取り上げたんだった。
10年前なので記憶も定かではなく、まだBlogを開く前でもあるので、本文は殆ど略させてください。
ペンギンパレードです。
係員の手拍子に合わせて、ヨチヨチ、ペタペタ、キョトキョト歩いてた。
子供と同じ背丈なので、好奇心旺盛な子は同じ背丈の子供に寄ってったりしてたね。









ペンギンは群れと離れて自分だけで、辺りを「フンッ」「人間なんて」ギロッと睥睨している一匹オオカミタイプが必ずいるのだ。



この子も群れない子。一匹狼っぽい子。

この子も。目つきが悪いな。

神々しいキング、エンペラーの四天王たち。

仲良しだね。恋人同士か?


どうしても一匹で「フンッ」って態度を取る子が気になる。






お前は食べ過ぎじゃないのか?何をブテーッと寝てるか。



この頃に孵化したコウテイペンギンの赤ちゃん

ジャイアントパンダは例によって寝てる。
今の日本ほど暑い時期でもなかったのですが。


酔っ払いのオヤジが公園のベンチで寝ているみたいだね。



ホッキョクグマの赤ちゃん

この時のランチは白浜駅前の何処かで、観光客価格だけどチープなものを食べて、瓶ビールを飲んだ記憶あありますが、今回の白浜訪問で「どれだったっけか?」探したけどわからず。クローズしたかもしれない。

この2009年訪問で南海電鉄貴志川線(現在はわかやま電鉄貴志川線)の貴志駅にも行ったのです。当時のネコ駅長も寝ていました。最終駅の貴志駅だけ激混みでしたが、地元客よりネコ駅長目当てに他所から来た客ばかりですたよ。(自分らもですが。)
貴志川線って沿線風景はそうオモシロくないと思って見てたの。そしたら山東駅~大池遊園地(オイケユウエンチ)手前にある大池という池を2回鉄橋で渡るのです。
広い川だなと思ったら水が流れてないので「え?湖を渡るのか」とそこだけ目が点になった。架橋するのって金がかかるじゃないですか。でも迂回すると線形が変になるから「そのまま真っ直ぐ池を渡っちゃえ」って施工したのだろう。
迂回しないで湖(池ですが)を2回も渡るのを意外に思ったものです。ローカル私鉄なのにそこだけ金かけてるなって。頑張ってるなという意味ですよ。




パンダはネコ科だから寝るってか?
本当のネコだから寝て当然なんだけど。
でもこの子が貴志川線を再生させたのは間違いないですよね。
夜は和歌山市内のこの店に居続けました。







一連の写真は自分がBlog始める前のものです。
この次の和歌山訪問で、鈴木孫一、雑賀衆、トンガの鼻(砲台跡)、太田城の水攻め、この辺から呟きⅠに取り上げたんだった。
2018-10-05 08:29
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ドルフィンジャンプ他 [和歌山]






ショーが終わったプールで稽古中の風景です。
私は泳いでいるドルフィンの動きよりも、トレーナー女性の引きしまったボディラインばかりジロジロ見てたのです。イヤラしい視点じゃないですよ。しなやかで引き締まっていますね。相当鍛えているなと。
長い棒を持って水面を叩くと、2頭いるドルフィンがジャンプ。




「あのイルカ、あれ?ご褒美は?ってキョトンとしてるよ」
水面から顔をだしたらトレーナーがいなかったのだ。

イルカショーは水族館の目玉で人気が高いが、イルカ君は監禁されているようなものだね。
外敵に襲われる心配はないけどね。

このワールドはホッキョクグマの繁殖にも成功しています。私は前に来た時に見たことがある。今は薄暗い部屋でノソノソしていた。
海獣じゃないけど前はオルカもいたんだって。シャチの仲間?
スケールは大きいので、全部見るとなると1泊2日でなきゃ廻れないんじゃないかな。
凄い施設だと思います。ただ、食事はショボかったな~。

フードコートですね。ダダッ広い。
先払いで、できあがったら音が鳴るよくある例のシステムなんだけど、窓際の席にすると提供する窓口までかなり離れます。給水器も遠いです。

高いランチでしたよ。夜はぶらくり丁の千里十里と決めているので魚中心になるから肉にしたんだけど。熊野牛ハンバーグ、梅どりガーリックソテー、それぞれで1580円です。
南千住の長寿庵や、川崎の丸大ホール食堂で使われているような安っぽい銀色のプレートは隙間だらけでしたね。


他にもプレートメニューがあるけど、パンダの顔やコウテイペンギンのヒナのカオとか、見て来た動物の可愛らしさをモチーフしたメニューがある。
これはサービス精神かも知れないが。
「アナタそういうの嫌いだよね」
「大嫌いだね。ヒヨコのお菓子なんかも嫌いだしさ」
食べるのが可愛そうなのだ。カオを崩して食べるのがイヤなの。子供向けなんだろうけどさ。言っちゃぁ悪いが、動物のカオをかたち作って出すのってバカじゃないかと思う。

サラダは自分で取ります。サラダバーじゃないですよ。1回だけです。
内容はまだビジホのバイキングの方がいいね。
ドレッシングはボトルではなくてミニパックです。ボトルだと子供が悪戯するからだろうね。





ハンバーグはぬるいです。ソースもぬるい。ポテトは冷たいし。
さらの木のバーグに比べたら・・・比べちゃいけないね。でも熊野牛がどんなに凄いブランドかわからないけど至って普通ですよ。デミグラスソースの味しかしなかったような気もするなぁ。
またまた言っちゃぁ悪いが味的には学食レベルですね。



サラダの皿が小さいから、盛れる量はたかが知れています。


ジャン妻はポテト残したんですよ。全く箸をつけなかった。
「残すなよ。もったいない」
「アタシが太ってもいいの?」
だったらカレーにでもすればいいのにさ。仕方がないのでジャン妻のポテトを少し食べたけど、冷えてて美味しくないし、全部喰い切れなかった。
テーマパークの食堂だから過大に期待しない方がいいです。
奥にあるサファリレストランは、ものによってはワイルドなおススメがあるかもしれません。



歩き疲れました。もういいです。
帰りの便で1時間早くして貰い、和歌山市に戻ることにした。。
時間の都合と、蒸し暑い気候で疲労したので、サファリワールドとモンキー、鳥類の世界には行っていません。
ライオンや像、サイ?あまり興味無いのだ。
(ジャン妻は象が好きだそうです。)
海獣類もアザラシをちょこっと見ただけです。ゴマフアザラシは真っ白くて毛がフワフワでつぶらな瞳をしている赤子が可愛いのであって、成人したゴマフアザラシなんてのはオヤジにしか見えない。
海獣ショウやイルカのショウを見に行かれるならショウタイムを確認してから移動した方がいいです。案内がイマイチ不明瞭なので無駄に歩かせられた感がした。
「ペンギンとパンダが見れたからいいわよ」(ジャン妻)
私もそう思うのだが。それだけだと割高かも。やはり時間とお金をかけて全部を見て廻ってください。
遊園地もオプションですが、ジェットコースター類にも乗らなかった。乗ってみたい気もしたがジャン妻が難色を示したので。




白浜駅で見送りの様子です。
駅員さんが3人、パンダのぬいぐるみを持って手を振っている。
ここでも私は「何やてんだアイツらは?あれが仕事かよ」と心無い悪態を放ったのですが、服装といいパンダのぬいぐるみといい、JR職員というよりもアドベンチャーワールドからの出向社員みたいですね。でも気が付いたら自分も彼らに向かって手を振っていたのだ。童心に返ってしまった。
地方駅ならではの光景ですね。




私らは半日滞在しましたが奥のサファリまで行ってません。モンキーやバードの敷地もパスしました。
ペンギンとパンダだけ見れりゃいいやって。
2日券あれば全部回れると思いますが、何処に泊まればいいのかちょっとわかりません。
敷居が広大なので、自分が今何処にいるかはかろうじてわかるのですが、では今いる場所から次の目的地に向かうにはどっち方向へ向かえばいいのか、そこまでどれくらい歩くのかがイマイチわかり難いのです。敷地内に案内嬢もいないみたいだし。
各ゾーンのショウタイムは開催日と時間を事前にチェックしといた方がいいです。事前予約が必要なのもあります。
2018-10-04 05:49
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パンダ寝てるし [和歌山]
パンダの赤ちゃんが誕生すると上野ではあんなに騒いだのに、和歌山アドベンチャーワールドでパンダの赤ちゃんが誕生した報道は少ないように思うな。
関西圏と関東圏の差だろうか。
実は現地でアドベンチャーワールドについて小耳に挟んだ話ですが。
「あそこは遠いです」
「大阪和歌山からでも遠い。電車でもくるまでも遠い」
「高過ぎです」
まぁ確かに遠いしいい値段しますけどね。次が重要で、
「あれって日本のものじゃなくってお隣さんのものでしょ」
そうなんですよ。和歌山アドベはお隣の国、成都市(四川省、三国時代は蜀の中心都市だった。劉備玄徳や諸葛孔明がパンダを見たかはわからない。)にある成都大熊猫繁育研究基地の日本支部なのだそうです。そこの所有物をレンタル?しているわけです。


ワールドは敷地内が広過ぎるのと案内表示が小さいので、自分が今どこにいるのかがいまいちわかり難いのだが、パンダは2頭がブリーディールセンターにいて、3頭が入口に近い別の棟、パンダラブにいました。
まずブリーディールセンターに2頭のうち1頭がいた。もう1頭はバックヤードでお休み中だった。


寝てるし。。。
ブリーディールセンター内は蒸し暑い。野性のパンダは山岳に生息する動物なので涼しい気候でないと生息できないのだ。だから動きが悪いというか、全く動かないです。


そしてパンダラブへ。
ここには3頭いるらしいが、公開されていたのは2頭。




やはり寝てるし。
起きて仕事せんかい。
(動物園という性格上、敢えてボカシは入れません。)

この子も寝てますこれで。
木の上?で両腕(前脚)で木を抱きかかえて寝てるんです。

2頭ともピクリとも動かないですよ。都内某所にいる和歌山出身の女性社員から「写真送って」って言うから送る際に「どれも寝てるぞ」ってコメント入れたの。そしたら返信が、
「私も里帰りした時に見に行ったんですが、寝てるか食べてるかでした。」
日本の夏は年々暑さが酷くなっているので、行かれるなら夏場は避けた方がいいです。


だけどパンダってどれも同じカオしてるね。白黒のデブったクマ公にしか見えないぞ。
茶髪のヤンキーパンダっていないんだね。


このパンダ君たちは、お隣の国、中国の成都市にある前述の基地との協力で進められているパンダの繁殖研究事業です。
2018年9月までに17頭の繁殖実績があり、2017年6月月までに15頭が育成されたんだって。出産した頭数、成長した数、中国本土を除けば世界最多なんだと。
中国以外で双子のパンダを両方とも育てることに成功している。野生ではどっちかしか育てないからです。
2018年9月現在の日本では上野動物園に3頭、王子動物園に1頭、そしてここ和歌山アドベで6頭。上野と王子は知らないが、和歌山のパンダたちは成都大熊猫繁育研究基地本部のものなのです。日本の所有じゃないのだ。
だから成人の暁には成都に移動するんです。
絶滅しかかっているパンダを増やそうという事業でもあるが、でも乱獲したのはあちらさんでしょ。ウチら日本人じゃないよね。だから穿った見方をすれば、絶滅寸前まで減少させたあちらさんの為にやっている事業ともいえるね。
でも日本は日本でパンダを借りてこうして商売しているわけだからお互い様か。
パンダは見た目が可愛いじゃないですか。だから誰もそこを突っ込まないだけなんじゃないかな。

「年間1億円くらいあちらさん(中国)に支払ってるようですよ」
そう言っていたのは和歌山市の居酒屋の主人だが、1頭あたり1億円か、何頭いても1億円なのかはわからないです。
パンダは誰が見ても可愛いし。この私だって可愛いとは思うよ。パンダが可愛くないなんていう人いるかな。いないんじゃないかな。
和歌山ではパンダの飼育数や実績では上野を遥かに凌駕します。何で和歌山白浜にこれだけの施設を作ったのかわからないけど。



アドベンチャーワールドで誕生したパンダの名前は全て2文字目を「浜」に統一している。
現在いるパンダは、永明(エイメイ)、良浜(ラウヒン)、桜浜(オウヒン)、桃浜(トウヒン)、結浜(ユイヒン)そしてまだ名前の無いこの子。


9月13日から赤ちゃんパンダの公開が始まった。
名前も募集中です。〇浜になるのだろうか。
暑い夏に生まれたから暑浜(ショヒン)とか。

これは帰途、エントランスドームの中にいたもう1種類のパンダ君。

この子も寝てるし。
ったくどいつもこいつも。
暑さでヘバっているのか。この部屋がいちばん空調効いてましたがね。
「最初見た時、ぬいぐるみかと思った。そしたら目がキョロッと動いたの」(ジャン妻)
「確かにどう見てもぬいぐるみだなこりゃ」
「尻尾もプラ~ンって動いたんだよね」
ずっとここに置いておくのかね。

「起きろよ」
「・・・」
「起きて仕事しろ」
「止めなさい」
「給料(エサ)泥棒め」
コイツ柱を揺らしたらどういう反応をするだろうか。

パンダを漢字というか中国語で書くと熊猫です。ジャイアントパンダは大熊猫、この梁でグテェ~っと寝てるレッサーパンダは小熊猫。パンダは外見、ルックスが熊みたいだが猫の仲間なんだって。最初に発見されたパンダはむしろこっち(レッサー)の方だという
猫は日中は寝るのがお仕事?なら寝て当然だが。この日のパンダたちは置きものでしかなかった。
関西圏と関東圏の差だろうか。
実は現地でアドベンチャーワールドについて小耳に挟んだ話ですが。
「あそこは遠いです」
「大阪和歌山からでも遠い。電車でもくるまでも遠い」
「高過ぎです」
まぁ確かに遠いしいい値段しますけどね。次が重要で、
「あれって日本のものじゃなくってお隣さんのものでしょ」
そうなんですよ。和歌山アドベはお隣の国、成都市(四川省、三国時代は蜀の中心都市だった。劉備玄徳や諸葛孔明がパンダを見たかはわからない。)にある成都大熊猫繁育研究基地の日本支部なのだそうです。そこの所有物をレンタル?しているわけです。


ワールドは敷地内が広過ぎるのと案内表示が小さいので、自分が今どこにいるのかがいまいちわかり難いのだが、パンダは2頭がブリーディールセンターにいて、3頭が入口に近い別の棟、パンダラブにいました。
まずブリーディールセンターに2頭のうち1頭がいた。もう1頭はバックヤードでお休み中だった。


寝てるし。。。
ブリーディールセンター内は蒸し暑い。野性のパンダは山岳に生息する動物なので涼しい気候でないと生息できないのだ。だから動きが悪いというか、全く動かないです。


そしてパンダラブへ。
ここには3頭いるらしいが、公開されていたのは2頭。




やはり寝てるし。
起きて仕事せんかい。
(動物園という性格上、敢えてボカシは入れません。)

この子も寝てますこれで。
木の上?で両腕(前脚)で木を抱きかかえて寝てるんです。

2頭ともピクリとも動かないですよ。都内某所にいる和歌山出身の女性社員から「写真送って」って言うから送る際に「どれも寝てるぞ」ってコメント入れたの。そしたら返信が、
「私も里帰りした時に見に行ったんですが、寝てるか食べてるかでした。」
日本の夏は年々暑さが酷くなっているので、行かれるなら夏場は避けた方がいいです。


だけどパンダってどれも同じカオしてるね。白黒のデブったクマ公にしか見えないぞ。
茶髪のヤンキーパンダっていないんだね。


このパンダ君たちは、お隣の国、中国の成都市にある前述の基地との協力で進められているパンダの繁殖研究事業です。
2018年9月までに17頭の繁殖実績があり、2017年6月月までに15頭が育成されたんだって。出産した頭数、成長した数、中国本土を除けば世界最多なんだと。
中国以外で双子のパンダを両方とも育てることに成功している。野生ではどっちかしか育てないからです。
2018年9月現在の日本では上野動物園に3頭、王子動物園に1頭、そしてここ和歌山アドベで6頭。上野と王子は知らないが、和歌山のパンダたちは成都大熊猫繁育研究基地本部のものなのです。日本の所有じゃないのだ。
だから成人の暁には成都に移動するんです。
絶滅しかかっているパンダを増やそうという事業でもあるが、でも乱獲したのはあちらさんでしょ。ウチら日本人じゃないよね。だから穿った見方をすれば、絶滅寸前まで減少させたあちらさんの為にやっている事業ともいえるね。
でも日本は日本でパンダを借りてこうして商売しているわけだからお互い様か。
パンダは見た目が可愛いじゃないですか。だから誰もそこを突っ込まないだけなんじゃないかな。

「年間1億円くらいあちらさん(中国)に支払ってるようですよ」
そう言っていたのは和歌山市の居酒屋の主人だが、1頭あたり1億円か、何頭いても1億円なのかはわからないです。
パンダは誰が見ても可愛いし。この私だって可愛いとは思うよ。パンダが可愛くないなんていう人いるかな。いないんじゃないかな。
和歌山ではパンダの飼育数や実績では上野を遥かに凌駕します。何で和歌山白浜にこれだけの施設を作ったのかわからないけど。



アドベンチャーワールドで誕生したパンダの名前は全て2文字目を「浜」に統一している。
現在いるパンダは、永明(エイメイ)、良浜(ラウヒン)、桜浜(オウヒン)、桃浜(トウヒン)、結浜(ユイヒン)そしてまだ名前の無いこの子。


9月13日から赤ちゃんパンダの公開が始まった。
名前も募集中です。〇浜になるのだろうか。
暑い夏に生まれたから暑浜(ショヒン)とか。

これは帰途、エントランスドームの中にいたもう1種類のパンダ君。

この子も寝てるし。
ったくどいつもこいつも。
暑さでヘバっているのか。この部屋がいちばん空調効いてましたがね。
「最初見た時、ぬいぐるみかと思った。そしたら目がキョロッと動いたの」(ジャン妻)
「確かにどう見てもぬいぐるみだなこりゃ」
「尻尾もプラ~ンって動いたんだよね」
ずっとここに置いておくのかね。

「起きろよ」
「・・・」
「起きて仕事しろ」
「止めなさい」
「給料(エサ)泥棒め」
コイツ柱を揺らしたらどういう反応をするだろうか。

パンダを漢字というか中国語で書くと熊猫です。ジャイアントパンダは大熊猫、この梁でグテェ~っと寝てるレッサーパンダは小熊猫。パンダは外見、ルックスが熊みたいだが猫の仲間なんだって。最初に発見されたパンダはむしろこっち(レッサー)の方だという
猫は日中は寝るのがお仕事?なら寝て当然だが。この日のパンダたちは置きものでしかなかった。
2018-10-03 07:50
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ペンギンワールド [和歌山]
和歌山アドベンチャーワールドに行ってきたよ。
実は2回めです。前回は2009年の10月末だった。コウテイペンギンのヒナを見たんだった。

和歌山アドは広大な敷地内に動物園、水族園、遊園地が併設されている。職員や動物飼育員他を養成する学校もある。ホテルもあったね。
大阪や近畿では有名だが、こっち首都圏では知らない人が多いのではないか。まさかペンギンが450羽もいて、パンダが6匹(1匹は赤ちゃん)いて、過去に15頭も飼育されていたなんて。上野動物園を凌駕する実績なのだよ。
今回の旅行で日中に紀州九度山に行くか、和歌山アドベを再訪するか2つにひとつ、どっちにするか。
「ペンギンが見たい」(ジャン妻)
このひとことで決まったのだ。

紀州は曇り空でも暑かった。平日(金)なので人は少ない方だと思うが。
白浜駅からバスで行きました。
私が見たアドベの第一印象は、この辺りはもとは山林だったのかな、こんなに広くてよく許認可が下りたな、開発費、建設費はどれくらいかかったんだろう、維持費はどれくらいかな、法人税はどれくらいかな、勤務知っている職員の給与、年収は幾らぐらいなんだろう、生臭いことを考えて入場したら、いきなり2羽のペンギンがいた。



ペンギンワールドの450羽のうちの2羽か。ペンギンは群れるものだが、この子らだけ何故ここにいるのかな。当番かな。
素行が悪くてペナルティーを課されているのかも知れないな。

パンダはさておき、サファリや海獣よりもペンギンを見ないとな。ペンギンワールドに入ると、いるわいるわペンギンが。うようよいる。凄い数だねこれ。
ペンギンだらけである。




エンペラー、キング、ジェンツー、アデリー、ヒゲ、イワトビ、ケープ、フェアリーの8種類で総計450羽がノソノソ歩いてたり、勢いよく泳いでたり、バタバタ羽を動かしていたり、じっとしていたり、鋭い目つきで睨んでたり。

この子は私の許に寄ってきてガラス越しに雄叫びを上げた。「エサくれ~」ってか。



私が好きなヤンキー、イワトビペンギン。怒ったような目つきをしている。



この子たちは群から離れたところにいて一緒に動いていた。小中学の時にいませんでしたか?仲間から離れて自分たちだけでいる子っていたでしょう。

飼育員の女性が餌をあげているところ。
餌をあげる女性飼育員は美人が選ばれるんだな~って思った。
後ろからバケツを覗きこんでいる子がいるぞ。


エンペラー、キングの四天王たち。
目の後ろが黄色いのがキングで、白いのがエンペラー。私は最初どっちがどっちかわからなかった。白いエンペラーも汚れていると黄色に見えるのだ。
身体が大きくて重たいのか、脚も短いので機敏な動きはできない。でも堂々としている。確かに見てると神々しい。

地球上で最初に発見されたデカいペンギンがキング。
その後でキングより大きい種が発見されたが、与えた王位を剥奪する訳にもいかず、キング(王様)と対等?の意味でエンペラー(皇帝)とネーミングされたんだって。





ここでもエサの時間だよ。
3名の男性飼育員がバケツにいれた魚を配っていた。
飼育員の話では450羽のペンギンに名前がついていて、この子は食べたかな?健康状態はどうかな?をチェックするんだと。
どれもカオが同じようなのに450羽を各々覚えられるものだろうか。



キングとエンペラーは身体が大きいから大きい魚を与えられる。そこへ図々しくもおこぼれにあずかろうと格下のペンギンが割り込もうとするのだが、キングやエンペラーと身体がぶつかって、キングたちに「お前はカオじゃない」とばかりにクチバシでドツかれ一発ではじき出されてた。
でもめげないで何回も割りこもうとしているのだ。


この写真は3羽のペンギンが喧嘩しているところ。
見てると仲が悪く、真ん中にいるのが気が強く、左右の2体とやりあってた。
己の場所をキープしているのか、泳いでた子が飛びあがってきたらその子をドついて水の中に突き落そうとしてましたね。そこまでするかコイツ。
でも弱肉強食の世界なのか、身体のデカいエンペラー、キングには敵わないようだ。
まさに人間社会の構図である。


かなり長い時間そこにいたのはジャン妻が飽きずに見てるから。
これだけの数がいる動物園って他にないんじゃないかな。
私もペンギンは好きな動物だが。
「臭ぇな」
「・・・」
「早く出ようぜ。臭ぇよ」
「動物園ってのはニオうものなのよっ」
私には動物園勤務は無理なのもわかった。相手が人間の方がいいや。
酷暑のでいでペンギンパレードは夕方17時からなのでパス。
前回来た2011年には見たのですが、写真が何処かにある筈だが。
これはHPから拝借しました。


ヨチヨチ、ペタペタ、キョトキョト歩いてました。
実は2回めです。前回は2009年の10月末だった。コウテイペンギンのヒナを見たんだった。

和歌山アドは広大な敷地内に動物園、水族園、遊園地が併設されている。職員や動物飼育員他を養成する学校もある。ホテルもあったね。
大阪や近畿では有名だが、こっち首都圏では知らない人が多いのではないか。まさかペンギンが450羽もいて、パンダが6匹(1匹は赤ちゃん)いて、過去に15頭も飼育されていたなんて。上野動物園を凌駕する実績なのだよ。
今回の旅行で日中に紀州九度山に行くか、和歌山アドベを再訪するか2つにひとつ、どっちにするか。
「ペンギンが見たい」(ジャン妻)
このひとことで決まったのだ。

紀州は曇り空でも暑かった。平日(金)なので人は少ない方だと思うが。
白浜駅からバスで行きました。
私が見たアドベの第一印象は、この辺りはもとは山林だったのかな、こんなに広くてよく許認可が下りたな、開発費、建設費はどれくらいかかったんだろう、維持費はどれくらいかな、法人税はどれくらいかな、勤務知っている職員の給与、年収は幾らぐらいなんだろう、生臭いことを考えて入場したら、いきなり2羽のペンギンがいた。



ペンギンワールドの450羽のうちの2羽か。ペンギンは群れるものだが、この子らだけ何故ここにいるのかな。当番かな。
素行が悪くてペナルティーを課されているのかも知れないな。

パンダはさておき、サファリや海獣よりもペンギンを見ないとな。ペンギンワールドに入ると、いるわいるわペンギンが。うようよいる。凄い数だねこれ。
ペンギンだらけである。




エンペラー、キング、ジェンツー、アデリー、ヒゲ、イワトビ、ケープ、フェアリーの8種類で総計450羽がノソノソ歩いてたり、勢いよく泳いでたり、バタバタ羽を動かしていたり、じっとしていたり、鋭い目つきで睨んでたり。

この子は私の許に寄ってきてガラス越しに雄叫びを上げた。「エサくれ~」ってか。



私が好きなヤンキー、イワトビペンギン。怒ったような目つきをしている。



この子たちは群から離れたところにいて一緒に動いていた。小中学の時にいませんでしたか?仲間から離れて自分たちだけでいる子っていたでしょう。

飼育員の女性が餌をあげているところ。
餌をあげる女性飼育員は美人が選ばれるんだな~って思った。
後ろからバケツを覗きこんでいる子がいるぞ。


エンペラー、キングの四天王たち。
目の後ろが黄色いのがキングで、白いのがエンペラー。私は最初どっちがどっちかわからなかった。白いエンペラーも汚れていると黄色に見えるのだ。
身体が大きくて重たいのか、脚も短いので機敏な動きはできない。でも堂々としている。確かに見てると神々しい。

地球上で最初に発見されたデカいペンギンがキング。
その後でキングより大きい種が発見されたが、与えた王位を剥奪する訳にもいかず、キング(王様)と対等?の意味でエンペラー(皇帝)とネーミングされたんだって。





ここでもエサの時間だよ。
3名の男性飼育員がバケツにいれた魚を配っていた。
飼育員の話では450羽のペンギンに名前がついていて、この子は食べたかな?健康状態はどうかな?をチェックするんだと。
どれもカオが同じようなのに450羽を各々覚えられるものだろうか。



キングとエンペラーは身体が大きいから大きい魚を与えられる。そこへ図々しくもおこぼれにあずかろうと格下のペンギンが割り込もうとするのだが、キングやエンペラーと身体がぶつかって、キングたちに「お前はカオじゃない」とばかりにクチバシでドツかれ一発ではじき出されてた。
でもめげないで何回も割りこもうとしているのだ。


この写真は3羽のペンギンが喧嘩しているところ。
見てると仲が悪く、真ん中にいるのが気が強く、左右の2体とやりあってた。
己の場所をキープしているのか、泳いでた子が飛びあがってきたらその子をドついて水の中に突き落そうとしてましたね。そこまでするかコイツ。
でも弱肉強食の世界なのか、身体のデカいエンペラー、キングには敵わないようだ。
まさに人間社会の構図である。


かなり長い時間そこにいたのはジャン妻が飽きずに見てるから。
これだけの数がいる動物園って他にないんじゃないかな。
私もペンギンは好きな動物だが。
「臭ぇな」
「・・・」
「早く出ようぜ。臭ぇよ」
「動物園ってのはニオうものなのよっ」
私には動物園勤務は無理なのもわかった。相手が人間の方がいいや。
酷暑のでいでペンギンパレードは夕方17時からなのでパス。
前回来た2011年には見たのですが、写真が何処かにある筈だが。
これはHPから拝借しました。


ヨチヨチ、ペタペタ、キョトキョト歩いてました。
2018-10-02 07:10
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紀伊国へ [和歌山]


発端はジャン妻の親戚の法事です。
どの家系の法事か聞いたら、ジャン妻の実母に連なる法事だというが。
「法事の開催場所は?」
「名古屋」
「名古屋ぁ?」
ジャン妻は子供の頃や、多感な青春時代に名古屋辺りにいた時期があるのです。
でもあまりその頃のことを語りたがらない。どうも実の両親と離れて親戚の家を転々としていたらしいのだ。
その頃に世話になった長老が亡くなって13回忌、その長老の奥さんも無くなって7回忌が重なったので法事を催すという。
施主はジャン妻の従姉妹たち。私の知らない人たちである。
名古屋で乗り換えたことはあるが、駅から外へ出た記憶はないし、私はジャン妻のそっち方面の親戚とは全く付き合いが無いのだが。
「それって俺も出なきゃいけないのか?」
「出てよ」
「えぇ~」
「私は人見知りなんだよ」
「何処が?人見知りが行徳で佐奈田さんといきなり会ったりしないでしょうよ」
それはそうだが、何せALL初対面なのでメンドクサイのもあって、露骨に行きたくないイヤそうなカオをしてやったらジャン妻の眉間に縦シワが刻まれ、
「出なさい。アナタはまだ紹介されてないんだから」
連中の中には25年以上連れ添った相手(私のこと)はどんな男なのか見たいらしいのだ。晒し者か私は。
そのネタは後にするとして、次にジャン妻が言い出したのが、
「その法事の前後に和歌山に泊まらない?千里十里にもう何年も行ってないし」
和歌山へ?
いい加減な地理感覚、距離感覚だな~。
名古屋から和歌山なんてどんだけ距離があって、どんだけ時間がかかるか理解できていないらしい。そんなこんなで話が飛躍しかけたが、方角的にあっち方面は早々行けないからそれもありかな~と思ったのだよ。
それにまだこの時点で夏季休暇が2日未取得だったのです。9月末までに取得しないと消えてしまう。消化しないとまた例のソリの合わないオンナが「取得してください」とウルサく言ってくる。
法事は(土)なので、夏季休暇残を(木)(金)にして和歌山のホテルドーミインを押さえたのです。当初は2泊3日で法事の(土)は帰宅するつもりだったのだが、リンクしているヒロ旦那との食事会が(土)に決まり、大阪阿倍野のホテル・・・これがまぁカッコマンの高いホテルだったのだが、そこを押さえたら3泊4日になったのだ。
横浜~名古屋大阪を素通りして和歌山2泊~また大阪を素通りして名古屋で法事~大阪阿倍野泊、藤井寺で食事会というやや強行軍になった。
実際の法事開催場所は名古屋ではなかったのだが。

新横浜駅の崎陽軒で弁当と手土産を購入したのだ。
飛行機も考えたのですが、ジャン妻が「空港の待ち時間がイヤ」「車内で弁当食べてビール飲みたい」というので、新幹線とJR関西乗り継ぎで和歌山へ。
3泊4日の着替えはジャン妻のキャリーバッグにギュウギュウに詰め込み、私は土産ものを入れたカバンひとつだけです。
私もキャリーバッグを転がしてみたが上手くいかない。これって難しいですね。普段これだけのバッグに詰め込む仕事量も持って無いけどね。


のぞみ車内で崎陽軒幕ノ内弁当をいただく。
(何故にプチ公がいるんだ?)


弁当の惣菜、焼き魚がまたベロンと壁を跨いでいるじゃないか。これで二度目だぞ。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-07-20

購入する時に店員さんに言ってやったのが、
「そういえば9月から値上するんだってな」
「ハイ・・・申し訳ございません・・・」
「崎陽軒さんって過去にもサラッと値上するからなぁ。ちゃんと告知してるか?」
「・・・」
弁当類が根上がったのです。崎陽軒のプレスリリースには、
『平素は格別のお引き立てを賜り厚く御礼申し上げます。
このたび弊社は、2018年9月1日(土)より下記のとおり商品(弁当類)の価格を改定いたしますことをご報告申し上げます。
商品の原材料である干帆立貝柱、豚肉、米や包装資材等、諸経費の高騰が続いております。
弊社といたしましては、生産・物流体制の効率化、諸経費節約等の経営努力を続けて参りましたが、経営努力だけでは原材料価格等諸経費の高騰に対応することが難しいと判断し、価格改定を行うことにいたしました。
引き続き、商品品質とサービスの向上に努め、企業努力を重ねて参りますので、何卒、ご理解賜りますようお願い申し上げます。』
シウマイ弁当830円→860円
春夏秋冬弁当700円→730円
横濱炒飯630円→660円
横濱ピラフ630円→660円
炒飯弁当750円→780円
生姜焼き弁当750円→780円
お赤飯弁当960円→980円
幕の内弁当1080円→1100円
神奈川味わい弁当春夏秋冬930円→960円
ハマの朝ごはん弁当630円→640円(10円なんか値上すんなよ。)
いなり寿司510円→520円(これは便乗値上げだろ。)
帆立貝柱の値上だって?
前にも台風で漁場が被害受けたのを理由に値上げしたんじゃなかったかな。じゃぁホタテの値が下がったら値下げするんかい?
しないだろうね。
でもそれをスタンドのオバさんに言っても仕方がないからね。

新大阪駅から大阪駅へ。
大阪駅から大阪環状線~阪和線に入って、途中の大正駅辺りの風景。
この駅で下りて居酒屋「クラスノ」で昼酒を喰らったことがある。

よく登場するZ女史は大阪なんばの出身で、私が大正駅で下りて酒を飲んだのを知ったらデカい目をひん剥いて、
「あんなコワいとこで飲んだの?」
「別にコワくなかったけど」
「アタシ若い頃、大正駅の近くでバッグを引っ手繰られそうになったことがあるのよ」
アナタこそ、そんなコワいとこで何をしてたんだい?

大阪府から和歌山県内に入ると緑の風景が増えてくる。
紀野国に入った。紀ノ川を渡る。



JR和歌山駅です。
網棚に土産物を忘れて車内に取りに戻り、出てきたジャン妻のドヤ顔です。アタシはデカいキャリーバッグを持ってるんだよ。土産を持つのはアナタでしょ。何で気が付かないのよと。



和歌山駅西口に下り立ったところ。
懐かしいです。平成17年だから10年以上前、私は和歌山を含めた関西の現場数店舗を担当していたのだ。
その頃いた関西のマネージャーが突然辞めてしまい、現地にいた私が「自分がやります」と手を挙げたの。
そして数年間、大阪某所、神戸三宮、姫路、山陰某所、そして和歌山市の現場を担当して廻っていた。特に泊まりが多かったのが和歌山で、自室にある日誌で和歌山泊をカウントしてみたら90泊あったんですよ。
東京から離れているのもあって目が行き届かず、見えないところで人間関係のゴタゴタが多かったのだ。調停して廻る過程で、モノノフさんがいる海南市にも足を延ばしたことがあります。
だが関西の現場を東京で管理するのには無理があって結局は事業譲渡したのです。
それきり縁が途絶えた。
和歌山の居酒屋とも年賀状の遣り取りだけ。
大好きだった和歌山の女性社員たちともたま~にメールの遣り取りだけです。今宵、再会しますが。
(ある時期から出張許可が出なくなり、突然辞令もなく関西担当を外されたのだ。
それまでは組織図の地方担当に私の名前も載っていたが、そこからも抹消された。
讒言者がいて当時の〇長にあることを告げ口したの。
それはこのシリーズ中で改めて述べますけど。
その讒言者も〇長も今はいません。)



ホテルドーミイン和歌山です。
関西担当の頃は和歌山城前にあるダイワロイネットを定宿にしていたのですが、そこが取れなくて。
「狭いわね部屋が」
まぁ酔っ払って寝るだけですからね。ツインにしては高くなかった。この後で泊まった大阪阿倍野のホテルはバカ高かった。

これを見てください。

トイレットペーパーの位置が遠過ぎるんです。手が届かないの。紙をちぎるのにいちいちケツを上げなきゃならなかったよ。
食事処のモーニングメニューに「クジラの竜田揚げ」があったのには笑えた。今夜他所で食べますけどね。

で、飲んだ店、内容は後回しにします。生意気に夜鳴きそばがあったので2泊して1回喰ったんですよ。普段は飲んだ後にラーメン食べないですけど。旅先だし小さいサイズだからいいやって。


飲んだ後のラーメンはNGのジャン妻ですが「旅先だからまぁいいでしょう」と彼女から言い出したんです。

「どう?高崎と同じ?」(ジャン妻)
「う~ん、高崎の方がマシだな」
無料だからブツクサ言う筋合いじゃないけど、な~んだか妙に粉っぽかったです。業務スープと素材なのはわかってるけど、素人が調理したのが歴然としていたね。
ラーメン通が食べるものじゃないです。自分が通だというのではないよ。
で、翌日はヒマなので、紀伊白浜の和歌山アドベンチャーワールドへ。
特急くろしおです。

海南市です。モノノフさんに手を振ったよ。コメント入れたし。

速度を落としてゆっくり望む太平洋。生憎の曇り空。空も海も鉛色に見える。




黒潮に乗車するのは3回めでしてね。前にコウテイペンギンのヒナを見にいったことがあるの。ペンギンパレードも見たし。パンダは寝てましたね。
もう1回は串本町へトルコの軍艦が遭難した現場を見に行ったの。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-06-19

白浜駅に着いたら一人のお武家様がお出迎えしてくれた。

モノノフさんこんにちは


そしてバスに乗る。
このバスはワールドへのシャトルバスで途中での乗降はできません。このバスもそうですが、地方のバス会社は、1時間に1本くらいの路線バス運行よりも、中学生や高校生や大学生を送迎するシャトルバスを導入する方が経営が安定するらしい。
定期客だから取りっぱぐれが無いし需要があるんだって。
幼稚園や保育園のバス運転手もバス会社からの派遣が多いとか。
それはさておき3泊4日の旅日記です。よろしければおつきあいください。
2018-10-01 06:25
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海難1890 [和歌山]

本州最南端の駅、串本駅前でいきなりタクシーに乗車します。バスなんか無さそう。
「トルコの軍艦が沈んだところへ・・・」
運ちゃんにはこれで通じた。
運ちゃんは饒舌で、「あれは近畿大のマグロの養殖場ですよ」から始まり、「この島には2000人くらい住んどるんですよ。こうして走ってると家が無いですが、この道は高いところを走ってるんです。人は皆、麓の漁港を中心に住んでます」・・・よう喋りよる。
島に2000人居住とは多いような気がするが、「自衛隊さんの駐屯地があって。。。」それも含まれるそうです。
「橋ができる前はホントの島だったんです。1日に2回、船便があるくらいで・・・」
「本州最南端の地?」
「そうそう。天気予報でよく取り上げられる場所。台風が潮岬の何西、何キロのところを・・・ってヤツね」
だから天気予報でよく取り上げられる訳さ。
潮岬と紀伊大島は東西に並んでいて、潮岬の方がやや南なんですな。
そして今回の記事、エルトゥールル号の顛末に入るわけだが、大雑把なポイント、事故の経緯については私も持っている程度の内容であった。

エルトゥールル号の名はトルコ共和国の前身、オスマン帝国建国者の父親名に因むという。
この船の遭難事故当時の皇帝はアブデュルハミト2世という人で1877年に即位している。すぐに露土戦争が起きて帝国は敗北。ロシアの南下政策を怖れた西欧諸国の干渉もあってバルカン半島の領土権を失う。
危機感を強めた皇帝は憲法を停止。議会も閉鎖。以後30年に及ぶ専制体制や弾圧が始まった。赤い流血の皇帝とまで呼称される。
この専制皇帝はどうも日本が好きだったらしいのだ。明治維新後に近代化した日本に共感を持ち、列強からの不平等条約を強いられ通商条約の締結ができなかった帝国同士で立場が似ていたからかもしれない。
赤い流血の皇帝がエルトゥール号を日本に派遣したのは1887年に日本の皇室小松宮彰仁親王(・・・この人は戊辰戦争で奥州征討総督だった人だが・・・)夫妻が明治天皇の親書を携えてイスタンブルを訪問したことの答礼とはいえ、自国、オスマン帝国の威信を誇示するのが目的である。イスラム帝国の軍艦が東洋に威信を誇示して廻った。
全長79m、幅15.5m、高さ23m、喫水線8m、最大石炭搭載量450トン、排水量2344トン、機関600馬力、最大速力10ノット、13門の砲塔を持った決して大きいとはいえないこの木造フリゲート艦(小型巡洋艦)は、使節団と航海技術が未熟な兵卒、乗組員併せて600余人も乗せてやってきた。
エルトゥールル号がいつ建造されたのかは諸説あって、大雑把に言えば19世紀半ば頃、流布されている最も古い年号では1854年という。
建造されてから30年程度だが老朽艦といっていいのではないか。しかも木造だし。

この遠洋航海は兵卒の航海演習を兼ねていて、未熟な操舵技術でスエズ運河走行中に座礁。エジプトで1ヶ月修理。金が少なくなり、石炭を節約する為に帆走を余儀なくされた。
オスマン帝国の威信を見せびらかす為にあちこち立ち寄ってイスラム教徒の大歓迎を受けて更に時間がかかり、シンガポールで年を越し、横須賀の長浦港(田浦)に着いたのが1890年6月7日。故郷を出港してから11ヶ月も経っていたのである。
特使一行は6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈した後は、オスマン帝国からの最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。
だが艦は傷んでいる。船内の物資も消耗し金もない。乗組員には病気が蔓延したこともあって3ヶ月滞在するハメになる。
3ヶ月も滞在したら日本で言う台風シーズンになっている。日本側は危惧して出港見合わせを勧告したが、帝国側が止を振り切って帰路についたのは、日本に長く留まることで帝国海軍の弱体化を流布されることを危惧した為だという。メンツ優先である。9月15日に横須賀長浦港を出港した。
遭難事故は出港翌日の16日に起こった。
エルトゥールル号は紀伊半島の潮岬を周って神戸港へ寄港すべく紀伊水道に向かったら、四国沖を北上していた台風か熱帯低気圧に突入してしまう。

大風大波に翻弄されて紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁、船甲羅(フナゴラ)に激突して座礁。機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし22時に沈没する。
死者581人。生存者は僅かに69人。
この僅かな生存者が紀伊大島東の突端にある樫野埼灯台下に流れ着く。
まず10名が断崖を這い登って灯台にたどりつき、ここから地元村民による世紀の救出ドラマが始まるのだが、まぁその内容についてはその方面のサイトを見てください。

タクシーやくるまが入れる場所は途中の駐車場まで。そこからは歩いて行かなくてはならない。帰りもタクシーになるので、
「来た分、先に支払っておきましょうか?」
「いやいやええですワ。待ってる時間サービスしますから」
「行って戻って来るまで時間かかりますかね?」
「10分ぐらいですかねぇ」
「じゃぁこの荷物を人質に置いておきます」

長い散歩道。
現在、串本町で5年に一度追悼式典が行われている。残念ながら史料が展示してあるトルコ記念館は今年の6月だか7月に開催される式典に備えて閉館中だった。飲食店、土産物店も幾つかあったが、あまり活気は無く、訪問者の数も指で数えきれるくらいであった。

慰霊碑があった。修繕中みたい。


その先に燈台がある。生存者が最初に救助を求めた樫野崎燈台。







遭難現場は何処かというと、燈台から見て慰霊碑側にある断崖下の岩礁らしい。そこに叩きつけられて沈没した。

タクシーに戻って、次に樫野崎からやや西へ。海金剛というマグマが隆起した奇岩が見える辺りへ行く。日米修好記念館の辺りにタクシーを停めて案内して貰った。
ペリーが黒船に乗って浦賀に来航する時から62年遡る1791年3月に、2隻のアメリカ商船がこの地に寄港した。レディワシントン号とグレイス号の2隻。
日本に来航した最初のアメリカ船である。

「何しに来たんです?」
「生糸か毛皮か何かを売りに来たみたいですよ」
売れ残りのものを持ち込もうとしたらしいのだ。
「でもこの地に商談に来ても話のできる人おらんでしょう」
「まぁそうですね。どうも堺を目指しとったらしいですね」
この時はまだ異国船打ち払い令が出る前の時代なので、
「水か食料くらいは与えたでしょうけど、紀州藩は当たらず触らずだったと思います」
先方は商談、こちらはあくまで漂着と定義づけ、紀州藩も何事も無かったことにして幕閣にも報告しなかったらしい。だから長年知られることもなく、ペリーが黒船でやってきた事の方が先に取り上げられた。
「レディ・ワシントンは映画のパイレーツオブカリビアンでモデル(インターセプター号)になったんですワ」


歩いて数分、海金剛から見たところ。
「どの辺りで沈没?」
「あそこの岩がちょっとずつ水面に出てる辺りですね。船甲羅(フナゴラ)といいます」
「フナゴラ?」
「昔からよく遭難する場所なんですよ」

ここでジャン妻がおバカな呟きを・・・。
「泳いで来れそうだけど」
だったら泳いでみぃ。
「いやいや、今は海が穏やかですからそう見えますが、台風が来ればその辺の岩を超えるくらいの大波が来るんですワ。その中で座礁したんやから泳いで渡って来たというか、打ち上げられたんでしょうね」
「そんなに大きい波が押し寄せるんですか?」
「あそこの尖った三画岩の上の方には植物が生えてますでしょう。その生えてるとこと生えてないところがあって、生えてないとこの高さまで大波が押し寄せるんですワ」

エルトゥールル号の残骸は現在でも遭難現場の岩場から沖合の青い海の底に眠っているそうである。
沈没地点がだいたいこの辺りとわかっているので、平成19年(2007年)から、トルコ他、数カ国の水中考古学調査団が潜って探している。
「あの辺りに船やボートでもおれば遺品の捜索中だなってわかりますよ」
「金塊とか沈んでないのかな?」
「いやぁ~・・・」
運ちゃんは私の生臭い質問にしばし絶句した。
「金塊かぁ。そういうのはどうでしょうねぇ~。木造の帆船だし、鉄だったら錆びてしまうし、昔の陶器とかそういうのは上がってるみたいですけど・・・金塊ねぇ・・・そういうのを積んどったかどうか・・・。長い航海で金もそんなには持って来れなかったんじゃないかなぁ。」
帰りのタクシー車内では、1985年のイラン・イラク戦争で、イランに在留の邦人200人がトルコ航空機2機で救出された話に繋がる。
「あれでエルトゥールル号の一件を知った日本人って多いと思いますよ。あっち(トルコ)では教科書にも載ってるそうですが、それまで日本は自国のことなのによう知らなかったって」
タクシー車内で話題にはならなかったが、日露戦争(1904年~)にオスマン帝国の国民は大きな関心を寄せる。
帝国はクリミア戦争(1853年~1856年)や露土戦争(1877年~1878年)でロシアからの圧力を受けていたのでロシアは共通の敵だったのである。
バルチック艦隊に合流しようとする黒海艦隊を条約を楯に封鎖。日本に協力的な政策を行った。
日本の連合艦隊がバルチック艦隊に勝利をおさめると帝国内では自国の勝利のように喜ばれたというが・・・。

この本、読んだんですが。
全体的に読んでて暑苦しい。何か感動を無理矢理押し付けられるようであまり入っていけなかった。
エトルールル号の生存者は、日本海軍の金剛、比叡の2隻でトルコへ送り届けられるのだが、金剛の艦長で薩摩閥の日高壮之丞という人が登場する。
いよいよイルタンブル目前でエーゲ海域に入った時、ロシアの南下政策を押しとどめる為に締結されたロンドン条約がネックになる。イスタンブルに入る玄関口のダーダネルス海峡での外国船の通航を禁止した条項があったが為です。エーゲ海の何処かの海上か港町で生存者の受け渡しを行うと。
日高は怒った。この人は後年、常備艦隊司令長官だったのを日露開戦前に同じ薩摩閥の山本権兵衛から罷免され、舞鶴鎮守司令長官だった東郷平八郎と交替させられたのに激高した人です。坂の上の雲では中尾彬さんが演じていたね。
その日高が直情径行ムキ出しでトルコの使者に抗議する姿に何故か共感した。ここまで来てああそうですかわかりましたって引き返す訳にはいかないよな。
トルコの使者も目を潤ませ、日本側の気持ちを受け入れたいが、国際条約は遵守しなくてはならないと返す。
結局、皇帝アブデュルハミト2世は条約を無視して海峡を開放。金剛、比叡をイスタンブルに招き入れる。
「映画になるんですワ」
「映画って?ドキュメンタリー?それともドラマ?」
「ドラマです。日本とトルコ合作だったかな。監督は〇〇で、内野聖陽さんや竹中直人さんがロケに来てましたな」
「タイトルは?」
「海難1890です。日本に来た年号ですね」
今年(2015年)12月に公開です。
「和歌山から来られて、また和歌山まで戻られるんですか?」
ここだって和歌山県内なんだけどね。
「ええ、来た電車では紀伊勝浦まで行ったんで、また3時間近くかけて戻らにゃならない。途中、踏切安全確認とかで停車しましたよ」
「一部区間で動物(鹿)が入るんです。それを防止する為にあの辺りにある動物園(アドベンチャーワールド)の猛獣のフンをバラ撒くんです。臭いで近寄らなくなるって。そんなんいっとき効果はあっても雨降ったら流されちゃって意味ないですけどねぇ」


串本駅構内に串本駅にアタマに薄布を撒いた女性2人、彫の深い男性と子供がいた。
「あっトルコ人だ」
「止めなさい」
指さしたりはしなかったが、そこらにいる外国人がトルコ人に見えでしょーがない。別の外国人が駅構内に入って来てまたしても、
「あれもトルコ人だろ」
「止めなさいって言ってるのっ」
「・・・」
16:38発のくろしおに乗車、和歌山駅に18:50に着いた。



ウチの社員で、その人の姉の旦那がトルコ人なんです。
「先日、和歌山県の串本に行ってきた」
「ふ~ん。ご苦労さんだねぇ。。。」
話の意図が通じてないようなので。
「トルコの軍艦が沈んだとこだよ」
「・・・ああ!!・・・あれね・・・。知り合った最初の頃に聞いたことあるよ」
2013年、トルコにおいて26歳の女子大生が殺害される事件が起こったが、トルコの地元住民が集合して日本に対して哀悼と謝罪の意思をカードで示してたのを見た。なんとなく日本に対する親近感はあるようだね。
1999年に発生したトルコ大地震では、日本からトルコへ捜索隊、救助隊の派遣。緊急円借款供与、緊急物資・無償援助、仮設住宅供与などが行われたとか。
他にも経済面での関係は良好だそうである。
現在のトルコでどれくらい知名度があるかわからないが、よく知らないけど日本に対する親しみは今でもあるのではないだろうか。
2015-06-19 07:11
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瀑布 [和歌山]
那智山、滝へ向かうにはどうすればいいか一応は調べたんですよ。紀伊勝浦駅熊野交通路線バス那智山行約30分那智の滝前バス停下車徒歩5分だって。
那智山へ向かう往復バス車内は地元の路線バスも兼ねているので、地元に住まわれてる方も幾人か乗車しておったが、東洋系の外国人さんの小団体が目立つね。声だかに喋りよるがいったい何を喋ってるのかワカラン。
外国人さんが観光地に銭を落とすのがようわかったよ。他には若い女性の1人旅、2人連れ、熊野古道を歩かんとするウォーキングスタイルの人達。
「家にもウォーキングシューズがあるのにね」
「あったね。じゃぁ定年になったら山でも歩くか?」
「年をとってから山を歩くんではなく、今から歩かないと山は歩けないわよ」
「そういう気は無いな」
バスはいきなり真っ直ぐ山に向かうのではなく、那智駅にも寄って、そこでも乗客を乗せて山方面へ向かった。
「那智駅?こっちの方が滝に近いの?」
実はそうなんだけど、「おそらく特急は停まらないと思うよ」
「レストランが1軒しかないね」
駅舎は如何にも寺社の玄関口といった趣であった。

バスは山に向かう。
大門坂を過ぎて熊野古道バス停に着いた時、1人のデカい外人女性が下車すべくバス前方へ歩いていった。細面の美人なんだけど図体がデカいのよ。
「何も言わないように。。。」(ジャン妻)
「何も言ってないじゃないか」
「いいから黙ってなさいっ!!」
「・・・」
そのデカい女性は下車した。
「アイツ山に登れるんだろうか」
「・・・」(睨むジャン妻)
「後ろに体重かかってひっくり返るんじゃないのか?」
「・・・」
ええっと、那智の滝停留所は終点、那智山から1つ手前です。
私らは滝だけみたい人!!


「これって世界遺産なのか?」
「そうよ。富岡製糸場より富士山よりもずっと前からなんだから」
そんなことも知らないのかと先輩風を吹かすジャン妻。

鳥居があって、要は滝=神社、御神体のようである。そこは神社のような建物は見当たらない。1400年に及ぶもので、滝や文化財あれこれについてはHPを見てください。
滝まで下る道は昔のままの石畳みです。
」
」
」
那智滝は殆ど垂直に落下していた。
記録を見たら、落ち口の幅13m、滝壺までの落差は133メートル。一段滝としては落差日本1位。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。




眺めるだけで滝壺には行けません。滝壺や滝が落ちる岩壁は立ち入りが禁止されています。
こんな落差のある瀑布に打たれて修行したらしいが、水圧で首が折れたりしないのかね。そういえば何処かのアホがこの滝でロッククライミングして軽犯罪法違反で和歌山県警新宮署に現行犯逮捕されたそうだね。捕まったのはその道で有名なアルパインクライマーだそうだが、動機は単に「日本一の滝に登りたかった」というもの。
入ってはいけないことを知らないで入ったのではない。知ってて入った。
「平謝りで謝ったそうですよ」(地元の知人)
この滝で飽き足りずに本格的な観光路線で見て廻るなら、熊野古道大門坂を歩いたり、那智山見晴台まで登って夕陽を眺めたり、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、補陀洛山寺といった古刹を全部廻るんだろうけど俺らはパス。解説も省略させていただきます。その筋のサイトを見てください。


さっさと紀伊勝浦に戻ることにした。滞在時間は僅か30分。その辺り一帯に土産処や食事処があるが、あまりソソらなかったのもある。
紀伊勝浦まで戻って次の串本行きに備えた方がいい。となると帰りのバスまであまり時間がないのがわかった。
那智の滝前の停留所には既に10数人の客待ちがあった。
「終点の駐車場まで歩こうぜ」
「そうだね。滝のバス停に結構な人がいたからね」
この作戦は当たったのだが、滝前のバス停から往路の終点、那智山バス停(帰路の始発バス停)までは、「バスで1分」とあった。
バスで1分ならそう遠くないだろうと甘くみて歩いたら、緩い坂道が続いていてなかなか終点のバス停が見えて来ないのだ。
バスの発車時刻が迫ってくる。とうとう小走りに走るハメになった。
バスの運ちゃんはやはり往路のバスの運ちゃんだった。早く戻った私らを見て内心で、「早くてせっかちな観光客だな」と思ったかも知れない。


紀伊勝浦駅に戻った。還俗して俗世に戻った気分?そうでもない。古刹でもあり世界遺産とはいえやはり観光地なので、うるさくないまでも客引きの誘致があったからね。
腹が減ったぜ。
串本までの普通電車は14;24なので、1時間弱の余裕がある。

駅前ロータリーの一画の飲食店から、人の良さげなオヤジが顔を出し、「いらっしゃいませ~、ど~ぞ~」、優しげに呼び込むので入ってしまったのだが。。。
那智山へ向かう往復バス車内は地元の路線バスも兼ねているので、地元に住まわれてる方も幾人か乗車しておったが、東洋系の外国人さんの小団体が目立つね。声だかに喋りよるがいったい何を喋ってるのかワカラン。
外国人さんが観光地に銭を落とすのがようわかったよ。他には若い女性の1人旅、2人連れ、熊野古道を歩かんとするウォーキングスタイルの人達。
「家にもウォーキングシューズがあるのにね」
「あったね。じゃぁ定年になったら山でも歩くか?」
「年をとってから山を歩くんではなく、今から歩かないと山は歩けないわよ」
「そういう気は無いな」
バスはいきなり真っ直ぐ山に向かうのではなく、那智駅にも寄って、そこでも乗客を乗せて山方面へ向かった。
「那智駅?こっちの方が滝に近いの?」
実はそうなんだけど、「おそらく特急は停まらないと思うよ」
「レストランが1軒しかないね」
駅舎は如何にも寺社の玄関口といった趣であった。

バスは山に向かう。
大門坂を過ぎて熊野古道バス停に着いた時、1人のデカい外人女性が下車すべくバス前方へ歩いていった。細面の美人なんだけど図体がデカいのよ。
「何も言わないように。。。」(ジャン妻)
「何も言ってないじゃないか」
「いいから黙ってなさいっ!!」
「・・・」
そのデカい女性は下車した。
「アイツ山に登れるんだろうか」
「・・・」(睨むジャン妻)
「後ろに体重かかってひっくり返るんじゃないのか?」
「・・・」
ええっと、那智の滝停留所は終点、那智山から1つ手前です。
私らは滝だけみたい人!!


「これって世界遺産なのか?」
「そうよ。富岡製糸場より富士山よりもずっと前からなんだから」
そんなことも知らないのかと先輩風を吹かすジャン妻。

鳥居があって、要は滝=神社、御神体のようである。そこは神社のような建物は見当たらない。1400年に及ぶもので、滝や文化財あれこれについてはHPを見てください。
滝まで下る道は昔のままの石畳みです。
」
」
」
那智滝は殆ど垂直に落下していた。
記録を見たら、落ち口の幅13m、滝壺までの落差は133メートル。一段滝としては落差日本1位。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。




眺めるだけで滝壺には行けません。滝壺や滝が落ちる岩壁は立ち入りが禁止されています。
こんな落差のある瀑布に打たれて修行したらしいが、水圧で首が折れたりしないのかね。そういえば何処かのアホがこの滝でロッククライミングして軽犯罪法違反で和歌山県警新宮署に現行犯逮捕されたそうだね。捕まったのはその道で有名なアルパインクライマーだそうだが、動機は単に「日本一の滝に登りたかった」というもの。
入ってはいけないことを知らないで入ったのではない。知ってて入った。
「平謝りで謝ったそうですよ」(地元の知人)
この滝で飽き足りずに本格的な観光路線で見て廻るなら、熊野古道大門坂を歩いたり、那智山見晴台まで登って夕陽を眺めたり、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、補陀洛山寺といった古刹を全部廻るんだろうけど俺らはパス。解説も省略させていただきます。その筋のサイトを見てください。


さっさと紀伊勝浦に戻ることにした。滞在時間は僅か30分。その辺り一帯に土産処や食事処があるが、あまりソソらなかったのもある。
紀伊勝浦まで戻って次の串本行きに備えた方がいい。となると帰りのバスまであまり時間がないのがわかった。
那智の滝前の停留所には既に10数人の客待ちがあった。
「終点の駐車場まで歩こうぜ」
「そうだね。滝のバス停に結構な人がいたからね」
この作戦は当たったのだが、滝前のバス停から往路の終点、那智山バス停(帰路の始発バス停)までは、「バスで1分」とあった。
バスで1分ならそう遠くないだろうと甘くみて歩いたら、緩い坂道が続いていてなかなか終点のバス停が見えて来ないのだ。
バスの発車時刻が迫ってくる。とうとう小走りに走るハメになった。
バスの運ちゃんはやはり往路のバスの運ちゃんだった。早く戻った私らを見て内心で、「早くてせっかちな観光客だな」と思ったかも知れない。


紀伊勝浦駅に戻った。還俗して俗世に戻った気分?そうでもない。古刹でもあり世界遺産とはいえやはり観光地なので、うるさくないまでも客引きの誘致があったからね。
腹が減ったぜ。
串本までの普通電車は14;24なので、1時間弱の余裕がある。

駅前ロータリーの一画の飲食店から、人の良さげなオヤジが顔を出し、「いらっしゃいませ~、ど~ぞ~」、優しげに呼び込むので入ってしまったのだが。。。
2015-06-17 09:08
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くろしお [和歌山]
「せっかく和歌山に行くんだからさ~」
「???・・・」
何かイヤな予感がした。女性の何割かは地理オンチだというが、ジャン妻の場合はよく下調べしないでいきなり取って付けたようなところを強引に指定することがある。
「那智の滝に行きたい!!」
「ナチノタキ??」
「滝が見たいのよ。滝が好き」
それは知っている。那智の滝でなくちゃいけないのか?
「那智の滝って熊野(古道)の方じゃないのか?」
「そうかも。よく知らない。前にいったことあるのよ」
「いつの頃さ」
「高校生の頃」
「???」
ジャン妻は三重県伊勢市出身で高校時代に一度だけ行ったらしいのだ。
簡単に言うなぁ。地図で見ると那智の滝は確かに和歌山県ですが、和歌山市から見たら反対側、東の県境の方でむしろ三重県に近い。和歌山市から東西に山々をブチ抜いて東に抜ける交通網なんかないぞ。
「伊勢に里帰りした時に行けばいいのに」
ところが三重県の伊勢市から近いかというとそうでもないのだ。和歌山市からも伊勢市からも遠く、那智勝浦(最寄駅は紀伊勝浦駅)は和歌山県と三重県の県境で和歌山県内ギリギリにある。新宮市の手前ですよ。
私は難色を示したのだがジャン妻は譲らない。「昨日の真田丸もそうだったけど、いつもアナタの趣味でしょーもないところへつきあってあげてるんだからタマにはアタシの希望も入れて欲しい」と言い張るんでさ。
しょーもないところ?つきあってあげてる?とは何だ。
「前にあっち方面へ行ったじゃない」
それは紀伊白浜からバスで行ったアドベンチャーワールドという動物園と水族館の巨大混合ワールドのことに違いない。国内で初めて生まれたコウテイペンギンのひな、パンダがいた。
那智の滝はそこからまだまだ遠い。台風上陸ニュースでよく出る本州最南端、潮岬の方を延々迂回して行かなきゃならないのだよ。
「計画立ててよ」
「・・・」
「それはオトコの役目」
「!!!」
昔みたいにブ厚い時刻表の頁をパタパタめくらなくてもネットで検索できるのは便利な世の中になったというものだが、陸路、1本の路線しかなく、往復6時間は電車に乗ることがわかった。片道3時間ですよ。新幹線だったら東京~新大阪を1往復できますね。
地図も併せて見たら本州最南端をグルッと廻って・・・潮岬の先に串本町とあった。
そこに何かあったな。ああ、あれかと脳裏に閃くものがあった。
「だったら串本にも立ち寄る」
「そこに何があるの?」
「トルコの軍艦が・・・」
ジャン妻は眉をしかめた。自分で那智に行きたいと希望を出したのに、また私のオカシな趣味に付き合うのかというイヤなカオをしている。
和歌山市から山ん中を東西に直線でぶっちぎる交通機関はないようです。
和歌山県の総面積は4726K㎡で山地が3832K㎡、総面積の約8割が山林です。海岸線を延々行かなくてはならない。
和歌山市内でレンタカーを借りることも考えたが、高速道~自動車道も途中の紀伊田辺までなので、結局はJR特急にしました。
2泊3日の行程で中日にの朝8:53時和歌山駅発の特急くろしおに乗車した。

海南までは比較的真っ直ぐだが、そこから先、少しずつカーブが多くなる。
「随分傾く電車ねぇ」(ジャン妻)
振り子式車輌というのだがバカに説明してもわかるまい。御坊を過ぎて前に下りた紀伊田辺、白浜を過ぎた辺りからカーヴが増えて遅くなった。
オーシャンビューポイントがあって、車内アナウンスで、「右手に見えます太平洋をお楽しみください」・・・速度を落としての運行もあった。この特急は、海側か山側かで特急料金の印象が変わってくると思う。
私は山側の風景、地形を見ながら、この辺り一帯の住民は何で生計をたててるのかな、インフラは整備されているのかな、道幅は?商店は?駅周辺に飲食店や飲み屋はあるのかな?、何か旧跡を示す碑や標注はないのかな、そんな視点で見ていた。
途中、何処かの平野部で緊急停止が2回あったのです。2回とも、「この先の踏切に人が立ち入った為。。。」というのである。
やれやれ。首都圏じゃあるまいし。
「JRって何処もそうなんだね」
もしかしたら・・・紀勢本線は途中の何処かに野生鹿との接触事故が多い箇所があるそうです。対策として、「近くの動物園(アドベンチャーワールド)の猛獣の糞を撒くんだそうですがそん時だけで、雨で流されてしまったらそれで効果ゼロですワ」と言ったのは串本町のタクシー運ちゃん。後で出て来ます。
緊急停車は2回とも長かった。
「結構、長く停まってたね」
「単線で行き違いも考慮しなくてはならないからだろうからな」
そのうち、「確認の為、踏切まで行きます」
ゆ~っくりゆ~っくり動いて、「只今から運転手が線路に下りて安全の確認をいたします」
途中の踏切には歩行者や運転者がいてじーっとこちを見ている。私らの乗った特急が踏切を跨いで停車しているので渡れないのである。早く退きなよという視線を感じた。私のせいじゃないぞ。
動き出した。結局何だったんだろう。
この時期で15分遅れ。その後、右側は海、左側は山の風景が延々続く。


黒潮は海岸沿いの僅かな平野部を縫って一生懸命走っているが。。。
遅い!!
アンタそれでも特急かよって言い無くなる。遅いから沿線風景がよく見える。山側の集落には必ずといっていいほど高所に向かっての避難経路があった。
途中、本州最南端の駅、串本駅に停車。
「帰りにここで途中下車するから」
「アタシは滝さえ見れればいい」
「・・・」

そこから先も律儀にひと駅ひと駅停まらないだけで、速度は普通電車と変わらないのである。海に面した山際を走っているので線形が曲がりくねっているのだよ。
15分遅れが20分遅れになり、やはり3時間かかって紀伊勝浦駅に着いた。




そこから1時間に1本しか無い那智山行きのバス発車時刻が迫っている。JRめ遅れやがってと罵り罵り、昼飯は後にしてバスに乗り込んだ。
乗車すること30分、ジャン妻が「どーしても観たい」と強硬に言い張る滝とやらは。。。
「???・・・」
何かイヤな予感がした。女性の何割かは地理オンチだというが、ジャン妻の場合はよく下調べしないでいきなり取って付けたようなところを強引に指定することがある。
「那智の滝に行きたい!!」
「ナチノタキ??」
「滝が見たいのよ。滝が好き」
それは知っている。那智の滝でなくちゃいけないのか?
「那智の滝って熊野(古道)の方じゃないのか?」
「そうかも。よく知らない。前にいったことあるのよ」
「いつの頃さ」
「高校生の頃」
「???」
ジャン妻は三重県伊勢市出身で高校時代に一度だけ行ったらしいのだ。
簡単に言うなぁ。地図で見ると那智の滝は確かに和歌山県ですが、和歌山市から見たら反対側、東の県境の方でむしろ三重県に近い。和歌山市から東西に山々をブチ抜いて東に抜ける交通網なんかないぞ。
「伊勢に里帰りした時に行けばいいのに」
ところが三重県の伊勢市から近いかというとそうでもないのだ。和歌山市からも伊勢市からも遠く、那智勝浦(最寄駅は紀伊勝浦駅)は和歌山県と三重県の県境で和歌山県内ギリギリにある。新宮市の手前ですよ。
私は難色を示したのだがジャン妻は譲らない。「昨日の真田丸もそうだったけど、いつもアナタの趣味でしょーもないところへつきあってあげてるんだからタマにはアタシの希望も入れて欲しい」と言い張るんでさ。
しょーもないところ?つきあってあげてる?とは何だ。
「前にあっち方面へ行ったじゃない」
それは紀伊白浜からバスで行ったアドベンチャーワールドという動物園と水族館の巨大混合ワールドのことに違いない。国内で初めて生まれたコウテイペンギンのひな、パンダがいた。
那智の滝はそこからまだまだ遠い。台風上陸ニュースでよく出る本州最南端、潮岬の方を延々迂回して行かなきゃならないのだよ。
「計画立ててよ」
「・・・」
「それはオトコの役目」
「!!!」
昔みたいにブ厚い時刻表の頁をパタパタめくらなくてもネットで検索できるのは便利な世の中になったというものだが、陸路、1本の路線しかなく、往復6時間は電車に乗ることがわかった。片道3時間ですよ。新幹線だったら東京~新大阪を1往復できますね。
地図も併せて見たら本州最南端をグルッと廻って・・・潮岬の先に串本町とあった。
そこに何かあったな。ああ、あれかと脳裏に閃くものがあった。
「だったら串本にも立ち寄る」
「そこに何があるの?」
「トルコの軍艦が・・・」
ジャン妻は眉をしかめた。自分で那智に行きたいと希望を出したのに、また私のオカシな趣味に付き合うのかというイヤなカオをしている。
和歌山市から山ん中を東西に直線でぶっちぎる交通機関はないようです。
和歌山県の総面積は4726K㎡で山地が3832K㎡、総面積の約8割が山林です。海岸線を延々行かなくてはならない。
和歌山市内でレンタカーを借りることも考えたが、高速道~自動車道も途中の紀伊田辺までなので、結局はJR特急にしました。
2泊3日の行程で中日にの朝8:53時和歌山駅発の特急くろしおに乗車した。

海南までは比較的真っ直ぐだが、そこから先、少しずつカーブが多くなる。
「随分傾く電車ねぇ」(ジャン妻)
振り子式車輌というのだがバカに説明してもわかるまい。御坊を過ぎて前に下りた紀伊田辺、白浜を過ぎた辺りからカーヴが増えて遅くなった。
オーシャンビューポイントがあって、車内アナウンスで、「右手に見えます太平洋をお楽しみください」・・・速度を落としての運行もあった。この特急は、海側か山側かで特急料金の印象が変わってくると思う。
私は山側の風景、地形を見ながら、この辺り一帯の住民は何で生計をたててるのかな、インフラは整備されているのかな、道幅は?商店は?駅周辺に飲食店や飲み屋はあるのかな?、何か旧跡を示す碑や標注はないのかな、そんな視点で見ていた。
途中、何処かの平野部で緊急停止が2回あったのです。2回とも、「この先の踏切に人が立ち入った為。。。」というのである。
やれやれ。首都圏じゃあるまいし。
「JRって何処もそうなんだね」
もしかしたら・・・紀勢本線は途中の何処かに野生鹿との接触事故が多い箇所があるそうです。対策として、「近くの動物園(アドベンチャーワールド)の猛獣の糞を撒くんだそうですがそん時だけで、雨で流されてしまったらそれで効果ゼロですワ」と言ったのは串本町のタクシー運ちゃん。後で出て来ます。
緊急停車は2回とも長かった。
「結構、長く停まってたね」
「単線で行き違いも考慮しなくてはならないからだろうからな」
そのうち、「確認の為、踏切まで行きます」
ゆ~っくりゆ~っくり動いて、「只今から運転手が線路に下りて安全の確認をいたします」
途中の踏切には歩行者や運転者がいてじーっとこちを見ている。私らの乗った特急が踏切を跨いで停車しているので渡れないのである。早く退きなよという視線を感じた。私のせいじゃないぞ。
動き出した。結局何だったんだろう。
この時期で15分遅れ。その後、右側は海、左側は山の風景が延々続く。


黒潮は海岸沿いの僅かな平野部を縫って一生懸命走っているが。。。
遅い!!
アンタそれでも特急かよって言い無くなる。遅いから沿線風景がよく見える。山側の集落には必ずといっていいほど高所に向かっての避難経路があった。
途中、本州最南端の駅、串本駅に停車。
「帰りにここで途中下車するから」
「アタシは滝さえ見れればいい」
「・・・」

そこから先も律儀にひと駅ひと駅停まらないだけで、速度は普通電車と変わらないのである。海に面した山際を走っているので線形が曲がりくねっているのだよ。
15分遅れが20分遅れになり、やはり3時間かかって紀伊勝浦駅に着いた。




そこから1時間に1本しか無い那智山行きのバス発車時刻が迫っている。JRめ遅れやがってと罵り罵り、昼飯は後にしてバスに乗り込んだ。
乗車すること30分、ジャン妻が「どーしても観たい」と強硬に言い張る滝とやらは。。。
2015-06-16 08:16
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和歌山ぶる~す [和歌山]
2年ぶりの和歌山です。


ぶらくり丁です。






.jpg)
和歌山ブルースの碑。近づくと歌が流れます。聴くと脳裏にくっついちゃって離れないのだ。


10年前、私は関西担当のマネージャーだった。
大阪、神戸、姫路、和歌山を転々とした。行った先々で酒場巡りをしたもの。
和歌山の居酒屋とは今でも年賀状程度の遣り取りはあります。
私が和歌山とご縁があった経緯、当時のドラマはちょっと書けないのですが、ある日、降って湧いたように突然行けって感じでしたね。社命で行かされなければご縁が無かったでしょう。
1泊2日で計算したらざっと100泊してるんです。ホテル暮らしでした。上州と違って私は単身でウロついていたのですが、ジャン妻は、「アナタが和歌山や関西で遊んで(出張して)た時、自分が何してたか記憶にない」と言うのです。もしかしたらヤバかったかもね。

和歌山に女性社員を4人ほど赴任させたことがあるのだよ。
うち3人は若手で赴任期間は数ヶ月単位、1人1人交替で行かせた。もう1人はベテランで2年行ったのかな。
彼女たちの住まい(社宅)を設定したのは駅前からドーミインに向かう通りの脇にあるレオパレス21でしたよ。
4人のうち3人は1年生社員だったので親心で私はその子らに同伴したの。今だったらそんな甘い同伴出張は絶対に許可が下りない。現地の社員に案内させるか、子供じゃないんだから各自にやらせろってなる。
4人のうち若手3人はもういない。ALL寿退職した。もう1人は今もいて、和歌山以外の地方都市にも長期で赴任してくれたので、私は今でも借りがあると思っている。
でも在職中に借りは返せないかもしれないと思っています。
今回、私の現在の職掌と離れたルートで、首都圏の女性社員が関西方面へ転居することになり、転居先の勤め先で私がかつて廻った関西の支店も候補になっている。よろしく頼むよと言うつもり。


前回より2年経って、ちょっと訳ありで和歌山に来たのですが、往時の定宿だったダイワロネットホテル和歌山を予約しようとしたら満室だった。
「あれ?和歌山にドーミインがあるよ」
「和歌山にドーミインが?」
前は無かった。高崎以外のドーミインに泊まるのは初めてです。

私は高崎のドーミインなら顔パスでフロントでは名前だけしか書かない。でも最近、研修の名札を付けた受付嬢やボーイさんが多くて、名前以外に電話番号も書かされたり、いちいち細かい説明を受けたりする。
俺ぁ常連だぜ、もっと簡略化できないのかと、相手の話を遮るのもかわいそうなのでブス~ッとして聞いています。すると後ろや隣に控えていた先輩のフォローが入ったりもする。
会員カードがないし、ここ和歌山では一見さん扱い。

ここにも夜泣きそばがあるぞ。

「夜泣きそばって高崎と同じかな?」
「同じじゃねぇの?」
フロントに置いてあった写真を見たら高崎と同じだったので、あまり期待しないで喰ってみたら、やはり高崎と全く同じものだった。スープも麺も具も。




「高崎と同じだね。和歌山だから和歌山ラーメンってわけではないのね」
「和歌山ラーメンだと醬油味でもうちょっと濃いんだよな。カマボコも載ってたりしてさ」
多分、多分ですよ、業務用のスープ、麺、具で、何処へ行っても同じなんでしょうな。


夜はあの名居酒屋に行ってるのですが、それは項を改めて。


ぶらくり丁です。






.jpg)
和歌山ブルースの碑。近づくと歌が流れます。聴くと脳裏にくっついちゃって離れないのだ。


10年前、私は関西担当のマネージャーだった。
大阪、神戸、姫路、和歌山を転々とした。行った先々で酒場巡りをしたもの。
和歌山の居酒屋とは今でも年賀状程度の遣り取りはあります。
私が和歌山とご縁があった経緯、当時のドラマはちょっと書けないのですが、ある日、降って湧いたように突然行けって感じでしたね。社命で行かされなければご縁が無かったでしょう。
1泊2日で計算したらざっと100泊してるんです。ホテル暮らしでした。上州と違って私は単身でウロついていたのですが、ジャン妻は、「アナタが和歌山や関西で遊んで(出張して)た時、自分が何してたか記憶にない」と言うのです。もしかしたらヤバかったかもね。

和歌山に女性社員を4人ほど赴任させたことがあるのだよ。
うち3人は若手で赴任期間は数ヶ月単位、1人1人交替で行かせた。もう1人はベテランで2年行ったのかな。
彼女たちの住まい(社宅)を設定したのは駅前からドーミインに向かう通りの脇にあるレオパレス21でしたよ。
4人のうち3人は1年生社員だったので親心で私はその子らに同伴したの。今だったらそんな甘い同伴出張は絶対に許可が下りない。現地の社員に案内させるか、子供じゃないんだから各自にやらせろってなる。
4人のうち若手3人はもういない。ALL寿退職した。もう1人は今もいて、和歌山以外の地方都市にも長期で赴任してくれたので、私は今でも借りがあると思っている。
でも在職中に借りは返せないかもしれないと思っています。
今回、私の現在の職掌と離れたルートで、首都圏の女性社員が関西方面へ転居することになり、転居先の勤め先で私がかつて廻った関西の支店も候補になっている。よろしく頼むよと言うつもり。


前回より2年経って、ちょっと訳ありで和歌山に来たのですが、往時の定宿だったダイワロネットホテル和歌山を予約しようとしたら満室だった。
「あれ?和歌山にドーミインがあるよ」
「和歌山にドーミインが?」
前は無かった。高崎以外のドーミインに泊まるのは初めてです。

私は高崎のドーミインなら顔パスでフロントでは名前だけしか書かない。でも最近、研修の名札を付けた受付嬢やボーイさんが多くて、名前以外に電話番号も書かされたり、いちいち細かい説明を受けたりする。
俺ぁ常連だぜ、もっと簡略化できないのかと、相手の話を遮るのもかわいそうなのでブス~ッとして聞いています。すると後ろや隣に控えていた先輩のフォローが入ったりもする。
会員カードがないし、ここ和歌山では一見さん扱い。

ここにも夜泣きそばがあるぞ。

「夜泣きそばって高崎と同じかな?」
「同じじゃねぇの?」
フロントに置いてあった写真を見たら高崎と同じだったので、あまり期待しないで喰ってみたら、やはり高崎と全く同じものだった。スープも麺も具も。




「高崎と同じだね。和歌山だから和歌山ラーメンってわけではないのね」
「和歌山ラーメンだと醬油味でもうちょっと濃いんだよな。カマボコも載ってたりしてさ」
多分、多分ですよ、業務用のスープ、麺、具で、何処へ行っても同じなんでしょうな。


夜はあの名居酒屋に行ってるのですが、それは項を改めて。
2015-06-15 06:58
コメント(0)



