川と水路の立体交差 [風景]
昨日の水ネタに続いて。お蔵入りしかけてた水ネタを掘り起こします。
飲み食いネタでなく、そこにあるもの、例えば建造物でも史跡でもいいのですが、自分が興味を引くものに遭遇するには?
歩いていて偶然見つけるケースがあります。公の目的があってそこへ向かって歩いていたら路傍に、「こんなところにこんなものがある?」
あるいは事前に地図上で眺めて「??」発見する時もある。
くるまだと運転しながら前方に目を向けてるし、あっという間に走り去ってしまうので視界に入り難いから見つけ難いですね。まだ電車の車窓から眺めてる方が気になるモノを見つけやすい。
私は碑、標柱、解説版の類があるとつい駆け寄ってしまうのですが、駆け寄ったら碑はその辺りの開墾記念碑だったり忠魂碑だったり、馬頭観世音だったり、標柱だと「風致地区」だったり「世界人類が平和でありますように」だったり、解説版だと思ったら、町内会の掲示板だったりする。でも「あれは何だ?」が大事です。
でもグーグルマップなんかだと史跡マークが表示されているので便利になったものだ。何でもそうですが「おや?」疑問を持つことです。

ここは富士市内の久沢というところ。JR身延線の入山瀬駅から北東に500mほど歩いた辺りです。
雲っていますが晴れていれば前方に富士山が見える筈です。道路を横断すると東西に延びた用水路があって、その用水路に沿って西へ歩きます。

用水路は途中で二手に分かれている。右は堰になっていて澱んでいる。

その先へ行くと、空母の甲板のようなコンクリートの石があって水路が二手に分かれています。


自然の川があった。勢いよく流れる水路は二手に分かれたまま並んでその川を渡っているのです。川が川を渡っているというか、水路が自然の川をオーバークロスしていた。


そこにある解説版を転記します。
「二本樋
上樋、長さ二八間横六尺(長さ五十・四m、横一・八m (用水下流に向かって右側)
下樋、長さ二六間横七尺(長さ四十六・八m、横二・一m
潤井川より取水した鷹岡・伝法用水路を凡夫川で渡すためにかけられている樋を二本樋と呼んでいます。
用水路及び樋の管理にあたり樋役人(樋代官とも言う)を代々植松家が受け継いできました。
用水路の全長は五八一八mで、明治の中頃までは飲料水として、また今でも田畑の灌漑用水として各地区の人々に恩恵を与えています。
現在富士市歴史民俗資料館には植松氏の長屋門と住宅が移築復元されています」

川を渡る水路、自然の川と水路の立体交差なのです。

道路と並行しています。二本の樋なので川とのアングルが少し難しい。

下流を望む。


下を除き込んでみます。


下を流れる自然の川を凡夫川(凡夫?耳が痛いな)といいます。
今日は水が少なく見えた。

凡夫川を渡った二本の樋だから二本樋、下流側(向こう側)の下樋は、川を渡った途端にぐるりんと急カーブして南の方に流れていった。



もう1本の樋、上樋は生活道路の下を潜って住宅前を流れる用水路に合流している。

鼻歌が出てしまった。
「ピタゴラ、スイッチ♪」
ピタゴラフィニッシュすらないですが、ピタゴラ幾何学装置の大掛かりなものに見えなくもない。

この樋の必要性を各方面を調べてみたら、富士山の裾野にあるこの一帯(鷹岡、厚原、伝法)では水不足、干ばつ被害が多く発生していたという。
(鷹岡は旧鷹岡町、入山瀬駅の辺り、厚原も旧鷹岡町で、この樋から東の一帯、伝法は旧吉原町、東名高速富士IC付近)
富士山麓一帯は、霊峰富士がもたらす冷たく美味しい地下水脈、伏流水が滾々と流れるイメージだったので水不足というのを意外に思ったが、富士山の方から真っすぐに(南北に)流れて来る水系に恵まれていても、東西に流れる横の川が無いから、こういった用水路を作ってクロスしなければならなかったということだろう。現在でいうところの「環状線」が無かったのである。
他にもこういう樋があるかもしれない。
この水路を開削した人が平安時代に甲斐国から移ってきた植松兵庫之助信継という人。兵庫という官途につながる名前がついているから戦時には武士だったと思いますが、平時は農民であり、農業に専念するかたわら水不足に困ってこの用水路を開削したといわれている。


現在見ると石樋のようだが、往時は木造だった。
木造だと痛むから、度々修繕しただろう。
渡ってぐるりんと曲がっている工作はどうやったのだろうか。


植松氏はこの辺り一帯が富士氏の支配下になっても、今川氏や甲斐武田氏の支配下にあっても樋代官として続いたんだと思う。治世者が変わっても税を徴収するのわけだから稲作イコール水が不可欠だったからである。
明治以降は鷹岡村、伝法村の用水組合が管理、現在は、富士市が管理しています。
こういう構造物は群馬にもあった。甘楽町の吹上の石樋
https://funayama-shika-3.blog.ss-blog.jp/2019-06-23
群馬の甘楽で見た樋は川を跨ぐ堰の流れと、下の川の流れの音に混じって音がするので、底石と側壁石の継ぎ目から水が漏れて川に落ちてる音だった。この樋は下の凡夫川に洩れてないようです。
1径間(ワンスパン)では群馬よりこの方が大掛かりですね。




入山瀬駅へ戻ります。目の前を甲府行の電車が走り過ぎていった。




改札にはヒマそうな職員が1人、所在無げにいたが、富士駅方面の電車が来るアナウンスが流れたので階段を脱兎のごとく駆け上がったら、何だ?特急ワイドビュー富士川だった。入山瀬駅には停車しません。

ゼェゼェ、駅員め。ひとこと言ってくれりゃいいのに。
もしかしてこの特急は私が乗車して寝過ごしたあの車両かもしれないな。

駅で富士駅方面の普通電車を待っていたらどっかのオヤジが煙草吸いながらホームに下りてきた。灰皿なんかないと思うけど。この辺りが首都圏の駅と違うところだよ。





小腹が空いたので、富士駅でかけうどんを食べたところ。
前に蕎麦を食べたけどグニャングニャンの緩蕎麦だったが、うどんは至って普通だった。




熱海方面の電車がきた。

熱海で上野東京ライン籠原行に乗り換えたところ。

早く会社に行きたいよ。
飲み食いネタでなく、そこにあるもの、例えば建造物でも史跡でもいいのですが、自分が興味を引くものに遭遇するには?
歩いていて偶然見つけるケースがあります。公の目的があってそこへ向かって歩いていたら路傍に、「こんなところにこんなものがある?」
あるいは事前に地図上で眺めて「??」発見する時もある。
くるまだと運転しながら前方に目を向けてるし、あっという間に走り去ってしまうので視界に入り難いから見つけ難いですね。まだ電車の車窓から眺めてる方が気になるモノを見つけやすい。
私は碑、標柱、解説版の類があるとつい駆け寄ってしまうのですが、駆け寄ったら碑はその辺りの開墾記念碑だったり忠魂碑だったり、馬頭観世音だったり、標柱だと「風致地区」だったり「世界人類が平和でありますように」だったり、解説版だと思ったら、町内会の掲示板だったりする。でも「あれは何だ?」が大事です。
でもグーグルマップなんかだと史跡マークが表示されているので便利になったものだ。何でもそうですが「おや?」疑問を持つことです。

ここは富士市内の久沢というところ。JR身延線の入山瀬駅から北東に500mほど歩いた辺りです。
雲っていますが晴れていれば前方に富士山が見える筈です。道路を横断すると東西に延びた用水路があって、その用水路に沿って西へ歩きます。

用水路は途中で二手に分かれている。右は堰になっていて澱んでいる。

その先へ行くと、空母の甲板のようなコンクリートの石があって水路が二手に分かれています。


自然の川があった。勢いよく流れる水路は二手に分かれたまま並んでその川を渡っているのです。川が川を渡っているというか、水路が自然の川をオーバークロスしていた。


そこにある解説版を転記します。
「二本樋
上樋、長さ二八間横六尺(長さ五十・四m、横一・八m (用水下流に向かって右側)
下樋、長さ二六間横七尺(長さ四十六・八m、横二・一m
潤井川より取水した鷹岡・伝法用水路を凡夫川で渡すためにかけられている樋を二本樋と呼んでいます。
用水路及び樋の管理にあたり樋役人(樋代官とも言う)を代々植松家が受け継いできました。
用水路の全長は五八一八mで、明治の中頃までは飲料水として、また今でも田畑の灌漑用水として各地区の人々に恩恵を与えています。
現在富士市歴史民俗資料館には植松氏の長屋門と住宅が移築復元されています」

川を渡る水路、自然の川と水路の立体交差なのです。

道路と並行しています。二本の樋なので川とのアングルが少し難しい。

下流を望む。


下を除き込んでみます。


下を流れる自然の川を凡夫川(凡夫?耳が痛いな)といいます。
今日は水が少なく見えた。

凡夫川を渡った二本の樋だから二本樋、下流側(向こう側)の下樋は、川を渡った途端にぐるりんと急カーブして南の方に流れていった。



もう1本の樋、上樋は生活道路の下を潜って住宅前を流れる用水路に合流している。

鼻歌が出てしまった。
「ピタゴラ、スイッチ♪」
ピタゴラフィニッシュすらないですが、ピタゴラ幾何学装置の大掛かりなものに見えなくもない。

この樋の必要性を各方面を調べてみたら、富士山の裾野にあるこの一帯(鷹岡、厚原、伝法)では水不足、干ばつ被害が多く発生していたという。
(鷹岡は旧鷹岡町、入山瀬駅の辺り、厚原も旧鷹岡町で、この樋から東の一帯、伝法は旧吉原町、東名高速富士IC付近)
富士山麓一帯は、霊峰富士がもたらす冷たく美味しい地下水脈、伏流水が滾々と流れるイメージだったので水不足というのを意外に思ったが、富士山の方から真っすぐに(南北に)流れて来る水系に恵まれていても、東西に流れる横の川が無いから、こういった用水路を作ってクロスしなければならなかったということだろう。現在でいうところの「環状線」が無かったのである。
他にもこういう樋があるかもしれない。
この水路を開削した人が平安時代に甲斐国から移ってきた植松兵庫之助信継という人。兵庫という官途につながる名前がついているから戦時には武士だったと思いますが、平時は農民であり、農業に専念するかたわら水不足に困ってこの用水路を開削したといわれている。


現在見ると石樋のようだが、往時は木造だった。
木造だと痛むから、度々修繕しただろう。
渡ってぐるりんと曲がっている工作はどうやったのだろうか。


植松氏はこの辺り一帯が富士氏の支配下になっても、今川氏や甲斐武田氏の支配下にあっても樋代官として続いたんだと思う。治世者が変わっても税を徴収するのわけだから稲作イコール水が不可欠だったからである。
明治以降は鷹岡村、伝法村の用水組合が管理、現在は、富士市が管理しています。
こういう構造物は群馬にもあった。甘楽町の吹上の石樋
https://funayama-shika-3.blog.ss-blog.jp/2019-06-23
群馬の甘楽で見た樋は川を跨ぐ堰の流れと、下の川の流れの音に混じって音がするので、底石と側壁石の継ぎ目から水が漏れて川に落ちてる音だった。この樋は下の凡夫川に洩れてないようです。
1径間(ワンスパン)では群馬よりこの方が大掛かりですね。




入山瀬駅へ戻ります。目の前を甲府行の電車が走り過ぎていった。




改札にはヒマそうな職員が1人、所在無げにいたが、富士駅方面の電車が来るアナウンスが流れたので階段を脱兎のごとく駆け上がったら、何だ?特急ワイドビュー富士川だった。入山瀬駅には停車しません。

ゼェゼェ、駅員め。ひとこと言ってくれりゃいいのに。
もしかしてこの特急は私が乗車して寝過ごしたあの車両かもしれないな。

駅で富士駅方面の普通電車を待っていたらどっかのオヤジが煙草吸いながらホームに下りてきた。灰皿なんかないと思うけど。この辺りが首都圏の駅と違うところだよ。





小腹が空いたので、富士駅でかけうどんを食べたところ。
前に蕎麦を食べたけどグニャングニャンの緩蕎麦だったが、うどんは至って普通だった。




熱海方面の電車がきた。

熱海で上野東京ライン籠原行に乗り換えたところ。

早く会社に行きたいよ。
2020-01-03 06:31
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慈光通り [風景]
駅西口、高島屋と地元百貨店スズランを結ぶ通り、慈光通りのイルミネーションです。



市のHPには、
『高崎の冬を鮮やかに彩る高崎光のページェント、26回目となる今年は高崎駅西口から市役所までのシンフォニーロードやお堀、中心市街地の街路樹をきらびやかに装飾、街なかをぐるりと一周散策しながら多彩なイルミネーションを楽しめます。
今回1番の見所としては慈光通りにアーチを渡し、それに装飾を行い天空から無数の光が降り注ぐ演出を行います。恒例となりました子どもたちが作った光のキャンバスは音楽センター東側の芝生広場に展示します。』
慈光通りだから慈愛の光としておきましょうか。慈光の意味はこの近所のお寺にまつわるのですが。



イルミネーションの起源は中世のヨーロッパだという。ドイツかフランスかオーストリアか、誰かが森の木の枝に蝋燭をたくさん飾ったと聞き及ぶ。
誰かが(僧侶かな?)夜空に瞬く星には手が届かないが、森の木々に灯すことでそれを再現した。
中世の洋画を見てると石積みの寺院や宮殿の部屋内にたくさん蝋燭に火が灯っている場面がある。あれもイルミネーションといっていいかもしれない。
日本ではおそらく長崎か神戸か横浜だろう。



慈光通りには慈光こども園を抱える安国寺があります。
安国寺といっても毛利家の外交官だった怪僧・恵瓊ではないよ。この通り沿いにある寺です。慶長3年(1590年)箕輪から城とともに移転してきた。明治4年(1871年)に第一次群馬県県庁舎が置かれた寺だが、都市再開発で今の場所に移転、慈光通りは安国寺の山号から名付けられた。
そこに煌々とイルミネーションが光っている。
イルミネーションは近年LEDを使用する例が増えている。高出力で安価、耐久性やランニングコストが改善され、それらを使用したものが増えている。
色は青や白は多い。青色発光ダイオード、白色発光ダイオードです。
エネルギーを軽減する代わりに発光する光の数が増えたから皮肉でもある。
ウチの近所にも家々にイルミネーションを飾るお家がある。ああいうのは子供たちが喜ぶのかと思ったが、いいトシした大人たちもああいうの好きらしい。
かくいう私もそう。
でも「ウチでもやろうよ」と持ち掛けたがジャン妻は断固拒否。
「あんなのはクリスマスと一緒で商業戦略の一環よ」
ケンもホロロである。でもちょっと違うよ。私が言っているのはハウスイルミネーション、ジャン妻が言っているのは商業イルミネーションでしょう。商店街とその空間に展開されるもの。クリスマスセールの販促物、演出として飾られるので規模が大きい。
その店特有のオリジナリティーなデザインも多いが、大規模になるとその道のプロ、イルミネーション専門のデザイナーが手掛けるというから凄い職種があるものだ。それだけで食べていけるのかな。
自分は12月がもっともテンション上がるのですが、ジャン妻は鼻白む。
「世間はイルミネーションとクリスマスムードに毒されてる」(ジャン妻)
こうまで頑なに言うのは、ジャン妻のBirthdayは12月中旬だかららしい。
「アタシの誕生日を優先しなさい」
イルミネーションは温泉旅館でもあるが、Blogの冠たる船山温泉にはイルミネーションは無かったな。その代わりに中庭を含めた宿敷地内に煌々と明かりが灯っている。山の中でもあり、山の麓の奥まった最後の人家ともいえるので、周辺の人家への影響は無いが、毎晩煌々と灯っている。休館日も点いているのだろうか。
何で季節に関わらず毎夜毎晩灯っているかというと、あれは虫除けと獣除け対策らしいな。なのでクリスマスだからってそれだけのイルミネーションは無いし、宿周辺が森で木々だらけなので、クリスマスツリーやモミの木なんかもないそうである。
伊豆高原の「さらの木」は2室の宿泊客を和ませたいのとオーナーMさんの趣味だと思うな。Mさん自身が木にマシラ(猿)のようによじ登って巻きつけたそうだ。
蕎麦宿は論外でそういうのに全く興味無さそうである。湯野上温泉街は何処の宿もイルミネーションなんか飾ってない。




ではこの慈光通りのイルミネーションはというと、う~ん、悪くはないけど、商店街そのものがもうこの時間になると限られた飲食店、居酒屋、BARしか営ってないから、集客というよりも酔客を喜ばせるだけのものかも。




ASLIに入って「慈光通りキレイなイルミネーションですね」と言ったらマスターはあまりいいカオをしなかった。イマイチらしい。
東京横浜の繁華街、駅前に飾ってあるスケールには及ばないが、他所から来た私には新鮮に見えたのだがなぁ。


こうして見ると、BARの棚、ライトアップされた灯の方が落ち着く感はある。

背後に誰かいる気がして振り向いたが、誰もいない。






軽く飲み直してホテルに戻った。
寝た記憶はあまりない。気づいたら朝になっていた。



市のHPには、
『高崎の冬を鮮やかに彩る高崎光のページェント、26回目となる今年は高崎駅西口から市役所までのシンフォニーロードやお堀、中心市街地の街路樹をきらびやかに装飾、街なかをぐるりと一周散策しながら多彩なイルミネーションを楽しめます。
今回1番の見所としては慈光通りにアーチを渡し、それに装飾を行い天空から無数の光が降り注ぐ演出を行います。恒例となりました子どもたちが作った光のキャンバスは音楽センター東側の芝生広場に展示します。』
慈光通りだから慈愛の光としておきましょうか。慈光の意味はこの近所のお寺にまつわるのですが。



イルミネーションの起源は中世のヨーロッパだという。ドイツかフランスかオーストリアか、誰かが森の木の枝に蝋燭をたくさん飾ったと聞き及ぶ。
誰かが(僧侶かな?)夜空に瞬く星には手が届かないが、森の木々に灯すことでそれを再現した。
中世の洋画を見てると石積みの寺院や宮殿の部屋内にたくさん蝋燭に火が灯っている場面がある。あれもイルミネーションといっていいかもしれない。
日本ではおそらく長崎か神戸か横浜だろう。



慈光通りには慈光こども園を抱える安国寺があります。
安国寺といっても毛利家の外交官だった怪僧・恵瓊ではないよ。この通り沿いにある寺です。慶長3年(1590年)箕輪から城とともに移転してきた。明治4年(1871年)に第一次群馬県県庁舎が置かれた寺だが、都市再開発で今の場所に移転、慈光通りは安国寺の山号から名付けられた。
そこに煌々とイルミネーションが光っている。
イルミネーションは近年LEDを使用する例が増えている。高出力で安価、耐久性やランニングコストが改善され、それらを使用したものが増えている。
色は青や白は多い。青色発光ダイオード、白色発光ダイオードです。
エネルギーを軽減する代わりに発光する光の数が増えたから皮肉でもある。
ウチの近所にも家々にイルミネーションを飾るお家がある。ああいうのは子供たちが喜ぶのかと思ったが、いいトシした大人たちもああいうの好きらしい。
かくいう私もそう。
でも「ウチでもやろうよ」と持ち掛けたがジャン妻は断固拒否。
「あんなのはクリスマスと一緒で商業戦略の一環よ」
ケンもホロロである。でもちょっと違うよ。私が言っているのはハウスイルミネーション、ジャン妻が言っているのは商業イルミネーションでしょう。商店街とその空間に展開されるもの。クリスマスセールの販促物、演出として飾られるので規模が大きい。
その店特有のオリジナリティーなデザインも多いが、大規模になるとその道のプロ、イルミネーション専門のデザイナーが手掛けるというから凄い職種があるものだ。それだけで食べていけるのかな。
自分は12月がもっともテンション上がるのですが、ジャン妻は鼻白む。
「世間はイルミネーションとクリスマスムードに毒されてる」(ジャン妻)
こうまで頑なに言うのは、ジャン妻のBirthdayは12月中旬だかららしい。
「アタシの誕生日を優先しなさい」
イルミネーションは温泉旅館でもあるが、Blogの冠たる船山温泉にはイルミネーションは無かったな。その代わりに中庭を含めた宿敷地内に煌々と明かりが灯っている。山の中でもあり、山の麓の奥まった最後の人家ともいえるので、周辺の人家への影響は無いが、毎晩煌々と灯っている。休館日も点いているのだろうか。
何で季節に関わらず毎夜毎晩灯っているかというと、あれは虫除けと獣除け対策らしいな。なのでクリスマスだからってそれだけのイルミネーションは無いし、宿周辺が森で木々だらけなので、クリスマスツリーやモミの木なんかもないそうである。
伊豆高原の「さらの木」は2室の宿泊客を和ませたいのとオーナーMさんの趣味だと思うな。Mさん自身が木にマシラ(猿)のようによじ登って巻きつけたそうだ。
蕎麦宿は論外でそういうのに全く興味無さそうである。湯野上温泉街は何処の宿もイルミネーションなんか飾ってない。




ではこの慈光通りのイルミネーションはというと、う~ん、悪くはないけど、商店街そのものがもうこの時間になると限られた飲食店、居酒屋、BARしか営ってないから、集客というよりも酔客を喜ばせるだけのものかも。




ASLIに入って「慈光通りキレイなイルミネーションですね」と言ったらマスターはあまりいいカオをしなかった。イマイチらしい。
東京横浜の繁華街、駅前に飾ってあるスケールには及ばないが、他所から来た私には新鮮に見えたのだがなぁ。


こうして見ると、BARの棚、ライトアップされた灯の方が落ち着く感はある。

背後に誰かいる気がして振り向いたが、誰もいない。






軽く飲み直してホテルに戻った。
寝た記憶はあまりない。気づいたら朝になっていた。
2019-12-21 09:29
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左下り観音堂 [風景]
私らの旅行は
「宿へ行く」
「宿に泊まる」
「宿にいる」
「なので直行直帰」
基本はそうなのですが、
「一か所観光に行きたい」って言ったらギロッと睨まれた。眉間に縦皺が立ってる。
「まさか山城じゃないでしょうねぇ」
「今の時期、草ぼうぼうなのにそんなとこ行かないよ。お寺だよ」
「お寺ぁ?」
実は寺とも言い難い。お堂です。それが凄い立地にあるのだ。
宿に会津トリセツみたいな簡単なパンフがあって、それに載っていたのですが。
問題はそこへ至るまでのアクセスについて全く触れられていないのだ。駐車場の有無とか、くるまでどこまで昇れるのか、道は舗装されてるのか未舗装なのか、行き違いは可能なのか、駐車場から徒歩どれくらいなのか。WCの有無とか。
記載されていないということはそれらは全く無い、期待できないと見てよさそうだ。
着いたのがここ。会津美里町のどっか。向羽黒山城の裏手から南にある里です。

「行ってらっしゃい」
「・・・」
「アタシはここにいる」
「是非アナタにも見せたいんだけど」
「・・・」
ジャン妻は渋々くるまから下りた。だが、足元を見たらジャン妻はサンダルなのです。
「だって湯神だもん」
「・・・」

駐車場へ車を止めて案内板を見ると、
「これより約600m山道を登ります・・・」
「600mも登るの?」
「ホラホラ、素晴らしい三層閣の観音堂があるって」
「・・・」


「400m先に第二駐車場あるってあるけど。この細い路を?」
「・・・」
今度は私が無言になってしまった。
「400m歩くってこと?そこから先もまだ歩くってこと?」
でも歩き始めた。道が半舗装されていたからです。

旧参道は草ぼうぼうになっています。
渋々歩いて行くジャン妻の後姿。
「後ろから撮ってないで先に行きなさいよ」

道は広くはない。坂道ですが整備はされている。ただ完全舗装ではなくデコボコした、その、何ていうのか、凹凸のある舗装です。これは滑り止めだと思う。
対向車が来たらかなり困る道幅ではある。
途中で他の舗装道路が接してきた。この舗装路はこの辺りの麓にある工場か倉庫への作業路のようです。


「結構な坂じゃないの」
ジャン妻はブツクサ言ってますが、実際はそれほどキツくないです。日ごろデスクワークが主体なので私ほど歩いてないだけです。
「いったん引き返してくるまで来ようか?」
「いいわよここまで来たんだから」
殆ど投げやりのような諦め返事が返ってきた。

まだ続くようです。未訪の道路は何処までも遠く感じるものです。実際の距離そのものはたいしたことないです。

第2駐車場が見えてきたぞ。
舗装されていて広々している。誰もいない。

ブゥー垂れた表情で登ってきたジャン妻である。
だがまだ終わりじゃない。
「まだ歩くの?」
更にブツクサ言い出した。
「リサーチ不足でしょう。くるまにトレッキンギシューズ積んどきなさいよ」
そのうちブツクサ言う気も萎えたらしい。喋れば喋るほど体力を消耗するからね。


まだ登り道が続いている。階段の箇所もあるのですが苔が付着して、昨夜の雨で水が溜まってたりする。
自然の路に近いガレた坂道になった。
足許に注意しながらゆっくりゆっくり登っていく。


「まだ?」
「多分あの辺り」
平場が見えたのである。400mプラス200mだから歩調からみてそろそろ着く頃合いである。

「ウオッ」
「!!!」




会津三十三観音第21番札所、臨済宗左下山観音寺の左下り観音といふもので、山の中腹の岩壁を切り開おて構築された三層閣なのです。
寸法は、解説板その他を見たら五間(9m)四面、高さ四丈八尺(14.5m)東向きで廻り縁があって、縁先に立てば磐梯山を望むことがや、大川の清流を見下ろすことも可能な景勝地とありますが。
木材がかなり古そうです。アブないから回廊に出るなと注意喚起がなされています。
清水の舞台を彷彿とさせるがかなりの年代もの。今にも崩れそうに見えるが。

楼の脇に石段があった。上がって参拝できるようになっている。

「登ってみる。来るかい?」
「ううん」
ジャン妻は首を横に振った。
「気を付けてね」


登ってきたところ。正面の扁額には普門殿とある。その脇に注意喚起があった。


「キケン!!左下り観音堂は年代を経た建物です。危険ですので回廊に出ないようお願いいたします」
かといって進入禁止を謳ってもいないし、進入防止のフェンスやチェーンがあるわけでもない。要は自己責任で見たけりゃ見ればということか。
まずお参りというか、無事に下りられますようにと念じて小銭を置いた。
まず、岩壁方向を見てみる。岸壁にへばりつくように建てられているのが分かる。


廊下の突き当たりに胎内潜りのような岩穴が見えます。ここにこの観音堂を有名にした本尊(聖観音)とは別に、石像の無頸(くびなし)観音が安置されているらしいが、イワレが禍々しいので近寄らなかった。
その内容はというと、
延長年間(923年~929年)の頃、越後から追捕の追手を逃れてきた者がこの観音堂に身を潜め、助命を一心に観音に念じたけど追手に捕縛され、この観音堂の岩上で斬首された。
追捕使がその首を持ち帰り主人の前に差し出したら、その者の首ではなく観音の石頸だったというもの。
その後、無頸(くびなし)観音といわれ、秘仏とし安置されているというが。


手摺りのある回廊へは出ないようにというの注意喚起を守って、建物の柱に沿って景観を眺めるためだけにした。慎重に内側を歩いた。
歩いてみるとギシッ、ミシッ、薄い床板がたわんで鳴ります。床板の隙間から下が見えたりする。相当旧いですよこれ。
真っ直ぐ垂直に立っている気がしない。斜めになってないか。
とても手摺りのある回廊まで出る気にはならない。膝から下が寒くなった。



長居するつもりはないのでサッサと降りよう。でもここまでの足跡を引き返すのではなく、反時計廻りに歩いたら急な階段があった。


下に吸い込まれそうな階段です。一階下りて見上げたところ。



階段の最後の下の方は階段というか梯子段みたいでしたね。


一階の様子。柱が何本か置かれている。消化器も。表示は無かったようだが禁煙です。あたりまえだよな。
何だか床板が薄いのがわかりますか。



この今にも倒れて崩れそうな三層閣は天長7年(830年)に徳一大師という僧が建立して、延文3年(1358年)には蘆名家の四天、富田将監祐義が修復した。
天長年間なんてどんな時代か全く知らない。延文年間は南北朝時代で、京都室町幕府は足利義詮の時代。
観音堂を修繕した富田将監という人、私が知っている将監は蘆名四天(他は松本、平田、佐瀬)の重臣です。天正17年(1589年)伊達政宗が会津を併呑しようと押し寄せ、会津磐梯山麓の摺上原で蘆名軍と戦いが行われたなかで、家中分裂していた蘆名家臣団で最も繊維旺盛だった人。
若干21歳で500余騎を率いて蘆名軍の先鋒を務め、伊達家に寝返った猪苗代弾正盛国や、伊達軍の精鋭だった片倉景綱、原田宗時の隊を緒戦で敗走させる武勇を奮った。裏切りや傍観者だらけだった蘆名軍の中で泥中の白玉のように奮闘した人です。
将監という名前は富田家代々継承する諱なのだろう。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-12-23
富田氏の邸内では、会津に流れてきたもと信濃守護職、小笠原長時が刃傷で落命している。



無事に下界に下りた安堵感。
「フゥゥ」
「・・・」
「アナタは止めといてよかった。ギシギシ鳴るんだもの」
「・・・」
「さぁ戻ろう」


途中で中年のペア観光客とすれ違った。
「こんにちはぁ」と言われたので「ああどーもぉ」の後「スリル満点ですよ」と言ってあげた。第2駐車所まで下りたらくるまが停まってなかったので私らと同じく麓から歩いてきたらしい。

「夫婦杉だって」
「ホントだ」
登って来た時は気が付かなかった。こういうのに目が行くのは気分が安堵したということだな。もう帰りはブツクサ言わないだろう。

麓の駐車場まで戻ったら私らのくるまの他に2台停まっていた。さっきすれ違ったペア客のくるまともう1台、仙台ナンバーのくるまから下りたこれまた中年のペア客が「ここから600m」「第2駐車場まで400m」距離数と参道の粗面の様子を見ながら、歩いて行こうかくるまで行けるとこまで行こうか思案している様子である。
無事に行ってきた気持ちの余裕で、教えてあげたくなった。
「放っときなさいよ」(ジャン妻)
私はお前さんのように不親切な人間じゃない。
「ネタにしたいだけでしょ」
そうかも知れない。いや、そうなんだけど。あれ?歩いて行ったぞ。

ならいいやと思ったのだが、おそらく連れのご婦人から「やっぱりくるまで行こうよ」とでも物言いがついたんだろうね。また戻ってきた。
私は彼らに歩み寄って、
「くるまで行けることは行けますよ」
「行けますか?」
「凹凸のある舗装ですから行けることは行けます」
ここまで撮影した写真をスクロールして見せてあげた。「こんな感じです」って。
「第2駐車場は舗装されてます。そこから先まだ歩きますが」
三層閣の写真を見せたら、
「あ、凄い、これこれ!!」
俄然、行く気になったようです。
「ただ行くからには迷わず第2駐車場までひたすら前に進むしかないですね。途中でUターンできないんで」
実は途中で脇にそれて入る平場があるにはあるのですが。私有地のようなので撮りませんでしたが。
「前へ前へですね。第2駐車場でUターンできますか?」
「そこは余裕でUターンできます。そこそこ広いです」

私の助言を得て安堵した彼らが勢いよく登って行くところ。
余計なお世話だったかも知れないが、400mの一本道だから迷わず無事に到達したさ。凹凸路面だから軽自動車だとガタゴト揺れるかも知れないが。
WCはありません。ペットボトルの水を用意しといた方がいい。でもここへ来るまでにコンビニも自販機も無かったんだよな。
「宿へ行く」
「宿に泊まる」
「宿にいる」
「なので直行直帰」
基本はそうなのですが、
「一か所観光に行きたい」って言ったらギロッと睨まれた。眉間に縦皺が立ってる。
「まさか山城じゃないでしょうねぇ」
「今の時期、草ぼうぼうなのにそんなとこ行かないよ。お寺だよ」
「お寺ぁ?」
実は寺とも言い難い。お堂です。それが凄い立地にあるのだ。
宿に会津トリセツみたいな簡単なパンフがあって、それに載っていたのですが。
問題はそこへ至るまでのアクセスについて全く触れられていないのだ。駐車場の有無とか、くるまでどこまで昇れるのか、道は舗装されてるのか未舗装なのか、行き違いは可能なのか、駐車場から徒歩どれくらいなのか。WCの有無とか。
記載されていないということはそれらは全く無い、期待できないと見てよさそうだ。
着いたのがここ。会津美里町のどっか。向羽黒山城の裏手から南にある里です。

「行ってらっしゃい」
「・・・」
「アタシはここにいる」
「是非アナタにも見せたいんだけど」
「・・・」
ジャン妻は渋々くるまから下りた。だが、足元を見たらジャン妻はサンダルなのです。
「だって湯神だもん」
「・・・」

駐車場へ車を止めて案内板を見ると、
「これより約600m山道を登ります・・・」
「600mも登るの?」
「ホラホラ、素晴らしい三層閣の観音堂があるって」
「・・・」


「400m先に第二駐車場あるってあるけど。この細い路を?」
「・・・」
今度は私が無言になってしまった。
「400m歩くってこと?そこから先もまだ歩くってこと?」
でも歩き始めた。道が半舗装されていたからです。

旧参道は草ぼうぼうになっています。
渋々歩いて行くジャン妻の後姿。
「後ろから撮ってないで先に行きなさいよ」

道は広くはない。坂道ですが整備はされている。ただ完全舗装ではなくデコボコした、その、何ていうのか、凹凸のある舗装です。これは滑り止めだと思う。
対向車が来たらかなり困る道幅ではある。
途中で他の舗装道路が接してきた。この舗装路はこの辺りの麓にある工場か倉庫への作業路のようです。


「結構な坂じゃないの」
ジャン妻はブツクサ言ってますが、実際はそれほどキツくないです。日ごろデスクワークが主体なので私ほど歩いてないだけです。
「いったん引き返してくるまで来ようか?」
「いいわよここまで来たんだから」
殆ど投げやりのような諦め返事が返ってきた。

まだ続くようです。未訪の道路は何処までも遠く感じるものです。実際の距離そのものはたいしたことないです。

第2駐車場が見えてきたぞ。
舗装されていて広々している。誰もいない。

ブゥー垂れた表情で登ってきたジャン妻である。
だがまだ終わりじゃない。
「まだ歩くの?」
更にブツクサ言い出した。
「リサーチ不足でしょう。くるまにトレッキンギシューズ積んどきなさいよ」
そのうちブツクサ言う気も萎えたらしい。喋れば喋るほど体力を消耗するからね。


まだ登り道が続いている。階段の箇所もあるのですが苔が付着して、昨夜の雨で水が溜まってたりする。
自然の路に近いガレた坂道になった。
足許に注意しながらゆっくりゆっくり登っていく。


「まだ?」
「多分あの辺り」
平場が見えたのである。400mプラス200mだから歩調からみてそろそろ着く頃合いである。

「ウオッ」
「!!!」




会津三十三観音第21番札所、臨済宗左下山観音寺の左下り観音といふもので、山の中腹の岩壁を切り開おて構築された三層閣なのです。
寸法は、解説板その他を見たら五間(9m)四面、高さ四丈八尺(14.5m)東向きで廻り縁があって、縁先に立てば磐梯山を望むことがや、大川の清流を見下ろすことも可能な景勝地とありますが。
木材がかなり古そうです。アブないから回廊に出るなと注意喚起がなされています。
清水の舞台を彷彿とさせるがかなりの年代もの。今にも崩れそうに見えるが。

楼の脇に石段があった。上がって参拝できるようになっている。

「登ってみる。来るかい?」
「ううん」
ジャン妻は首を横に振った。
「気を付けてね」


登ってきたところ。正面の扁額には普門殿とある。その脇に注意喚起があった。


「キケン!!左下り観音堂は年代を経た建物です。危険ですので回廊に出ないようお願いいたします」
かといって進入禁止を謳ってもいないし、進入防止のフェンスやチェーンがあるわけでもない。要は自己責任で見たけりゃ見ればということか。
まずお参りというか、無事に下りられますようにと念じて小銭を置いた。
まず、岩壁方向を見てみる。岸壁にへばりつくように建てられているのが分かる。


廊下の突き当たりに胎内潜りのような岩穴が見えます。ここにこの観音堂を有名にした本尊(聖観音)とは別に、石像の無頸(くびなし)観音が安置されているらしいが、イワレが禍々しいので近寄らなかった。
その内容はというと、
延長年間(923年~929年)の頃、越後から追捕の追手を逃れてきた者がこの観音堂に身を潜め、助命を一心に観音に念じたけど追手に捕縛され、この観音堂の岩上で斬首された。
追捕使がその首を持ち帰り主人の前に差し出したら、その者の首ではなく観音の石頸だったというもの。
その後、無頸(くびなし)観音といわれ、秘仏とし安置されているというが。


手摺りのある回廊へは出ないようにというの注意喚起を守って、建物の柱に沿って景観を眺めるためだけにした。慎重に内側を歩いた。
歩いてみるとギシッ、ミシッ、薄い床板がたわんで鳴ります。床板の隙間から下が見えたりする。相当旧いですよこれ。
真っ直ぐ垂直に立っている気がしない。斜めになってないか。
とても手摺りのある回廊まで出る気にはならない。膝から下が寒くなった。



長居するつもりはないのでサッサと降りよう。でもここまでの足跡を引き返すのではなく、反時計廻りに歩いたら急な階段があった。


下に吸い込まれそうな階段です。一階下りて見上げたところ。



階段の最後の下の方は階段というか梯子段みたいでしたね。


一階の様子。柱が何本か置かれている。消化器も。表示は無かったようだが禁煙です。あたりまえだよな。
何だか床板が薄いのがわかりますか。



この今にも倒れて崩れそうな三層閣は天長7年(830年)に徳一大師という僧が建立して、延文3年(1358年)には蘆名家の四天、富田将監祐義が修復した。
天長年間なんてどんな時代か全く知らない。延文年間は南北朝時代で、京都室町幕府は足利義詮の時代。
観音堂を修繕した富田将監という人、私が知っている将監は蘆名四天(他は松本、平田、佐瀬)の重臣です。天正17年(1589年)伊達政宗が会津を併呑しようと押し寄せ、会津磐梯山麓の摺上原で蘆名軍と戦いが行われたなかで、家中分裂していた蘆名家臣団で最も繊維旺盛だった人。
若干21歳で500余騎を率いて蘆名軍の先鋒を務め、伊達家に寝返った猪苗代弾正盛国や、伊達軍の精鋭だった片倉景綱、原田宗時の隊を緒戦で敗走させる武勇を奮った。裏切りや傍観者だらけだった蘆名軍の中で泥中の白玉のように奮闘した人です。
将監という名前は富田家代々継承する諱なのだろう。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-12-23
富田氏の邸内では、会津に流れてきたもと信濃守護職、小笠原長時が刃傷で落命している。



無事に下界に下りた安堵感。
「フゥゥ」
「・・・」
「アナタは止めといてよかった。ギシギシ鳴るんだもの」
「・・・」
「さぁ戻ろう」


途中で中年のペア観光客とすれ違った。
「こんにちはぁ」と言われたので「ああどーもぉ」の後「スリル満点ですよ」と言ってあげた。第2駐車所まで下りたらくるまが停まってなかったので私らと同じく麓から歩いてきたらしい。

「夫婦杉だって」
「ホントだ」
登って来た時は気が付かなかった。こういうのに目が行くのは気分が安堵したということだな。もう帰りはブツクサ言わないだろう。

麓の駐車場まで戻ったら私らのくるまの他に2台停まっていた。さっきすれ違ったペア客のくるまともう1台、仙台ナンバーのくるまから下りたこれまた中年のペア客が「ここから600m」「第2駐車場まで400m」距離数と参道の粗面の様子を見ながら、歩いて行こうかくるまで行けるとこまで行こうか思案している様子である。
無事に行ってきた気持ちの余裕で、教えてあげたくなった。
「放っときなさいよ」(ジャン妻)
私はお前さんのように不親切な人間じゃない。
「ネタにしたいだけでしょ」
そうかも知れない。いや、そうなんだけど。あれ?歩いて行ったぞ。

ならいいやと思ったのだが、おそらく連れのご婦人から「やっぱりくるまで行こうよ」とでも物言いがついたんだろうね。また戻ってきた。
私は彼らに歩み寄って、
「くるまで行けることは行けますよ」
「行けますか?」
「凹凸のある舗装ですから行けることは行けます」
ここまで撮影した写真をスクロールして見せてあげた。「こんな感じです」って。
「第2駐車場は舗装されてます。そこから先まだ歩きますが」
三層閣の写真を見せたら、
「あ、凄い、これこれ!!」
俄然、行く気になったようです。
「ただ行くからには迷わず第2駐車場までひたすら前に進むしかないですね。途中でUターンできないんで」
実は途中で脇にそれて入る平場があるにはあるのですが。私有地のようなので撮りませんでしたが。
「前へ前へですね。第2駐車場でUターンできますか?」
「そこは余裕でUターンできます。そこそこ広いです」

私の助言を得て安堵した彼らが勢いよく登って行くところ。
余計なお世話だったかも知れないが、400mの一本道だから迷わず無事に到達したさ。凹凸路面だから軽自動車だとガタゴト揺れるかも知れないが。
WCはありません。ペットボトルの水を用意しといた方がいい。でもここへ来るまでにコンビニも自販機も無かったんだよな。
2019-07-31 06:53
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吹上の石樋 [風景]
群馬に赴任していた頃よりも、むしろ群馬から戻ってきてからの方が、アンテナに群馬ネタが新たに引っ掛かることが多い。
それはその新ネタの場所が、
え?あの場所の近く?
その先かよ!!
あの道は以前走ったじゃないか!!
住んでる頃には気がつかなかったというか。
今回もそうなのですが。
https://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-05-21
過去記事①・・・小幡藩の城下町、この頃は都落ち気分だった。転勤してきた自分を、美濃→東海への移封を拒否したが為にこの地に減封された織田信雄になぞらえた。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-15
記事②・・・もうすぐ赴任が解けて帰京を迫られて焦っていた頃だった。甘楽町の天空集落・峰を訪れ、峠にある物見の砦を案内していただいた記事です。
おじゃましたあのご夫妻はご健勝だろうか。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-06-28-2
記事③・・・帰京してから群馬へのリバースホームシックに罹っていた頃に訪れた小幡藩・織田宗家七代のお墓です。
過去3つとも県道46号線沿いです。今日の訪問先もそうです。
高崎市街から南下、中山峠を越えて吉井町で富岡方面へ旧道を走り、上州福島屋駅近くで左折、右手にこんにゃくパークを見ながら小幡方面へ走るのです。①と③の間にある。②の手前です。
前情報によると一級河川である雄川を渡る翁橋に停めるスペースがあるらしい。雄川堰取水口が目印です。

既に先客が1台いますね。
私のような酔狂な見学者か、河川管理の人か。

実はこの場所よりも、もっと手前の場所に停めた方が近くで楽チンだと後で後悔するのですが。
翁橋の袂から雄川に沿って下っていきます。


堰が左手に見えます。この堰から引き入れられた水路を雄川堰といって、現在も清々しい水が小幡の城下町まで滾々と流れているのですが、その堰が私の歩く歩道右側に現れます。それに沿って歩いて行く。



途中で雄川堰を渡ります。堰は右手に移り、私は沿って左を歩いている。


遊歩道がいつの間にか農道になったようだ。軽トラック1台分の幅になったのは、視界が開けた辺りで、雄川と堰の間の狭い平地に畑があるからです。

住居も見えてくる。右手にも畑があって、その畑へ繋ぐ簡易的な木橋が堰に投げ出されたように架かっていた。



右手から狭い也にも普通の生活道が合流した。この角っこは軽トラックか小型乗用車がハンドルを切れるギリギリのスペース。で、それと並んでこういうものがある。

U字溝が堰をオーバークロスしているのです。堰に注がないのだ。
この先、私が見に行くものもこれに近いと言えば近いのですが、堰を跨ぐのではなく、堰が別の川を跨ぐ構造になっているものを目指しているのです。
ただ、それが近代的な構造ではなく、幕末の建造物なのですよ。

あれ?森に突入か?
そこだけ茂っているだけで右手に人家もあります。あるのですが、その人家から生活排水は堰に注いでいません。あくまで雄川取水口から引き入れた堰であって川ではないからです。

振り返ったところ。ここまで数百メートル歩いているので内心では「何処まで歩けばいいのかなぁ?」と疑問符が点いたんですよね。

その先に青空が見えてきたぞ。ここへ来るまでもこの先もそうですが、堰に沿って右にある家々は、その家の為だけに堰を跨ぐ橋が架けられているのです。


道路に出たぞ。
この道路、下って雄川を渡っていました。県道と雄川の対岸に通じていた。
さっきくるまを停めた取水口からここまでかなり歩いています。方向的にはくるまで来た県道46号線を戻ってきてるのです。だったらあの場所に停めなくてもこの辺りに停めればよかったかも知れない。

道路を渡って向こう側へ堰は続いている。

ようやく目指すものが見えてきたぞ。


あったあった。これだこれ。見てください。今来た道と並んで流れている堰が川をオーバークロスしているんですよ。川と水路の立体交差といっていい。
吹上の石樋といいます。


『吹上の石樋は、堀沢川を横断する雄川堰に架けられた水路で、石材を組み合わせて構築されています。
雄川から引き入れた水は、長さ7.7mの巨大1枚岩を組み合わせたこの石樋を通り、雄川堰へと流れていきます。
石樋の架け替えは、小幡藩最後の藩主松平忠恕の命により、慶応元年(1865年)に行われました。石樋の底石は2石を組み合わせて構築されており、水路底面は上手に整形され、両石間は段差が分らない程精巧に仕上げられています。・・・以下略』


石樋の下を流れる川は堀沢川といます。下流でさっき見た雄川に合流します。石樋は堀沢川をオーバークロス、堀沢川は石樋をアンダークロスしているわけです。
他、史料から。さっきの取水口から645m、長さ7.7m、幅1.2m、2つの石で組み合わせたらしいが継ぎ目の部分がよくわからない。
石樋の底から堀沢川までの高さは2.5mほどらしい。
江戸末期に作られた水道橋なのですが、こうやって見ると、これまで歩いて来た農道の橋と並んで殆ど一体化しているので、ちょっとわかり難い。




新緑が茂っていて見難いですが、何とか腕を伸ばして撮てみる。

これでどうでしょうか。


手を伸ばせるギリギリ、これならわかりますか?

堀沢川の下流を見ます。なるほど堰は川を越えています。でも川の先はコンクリートで補強されているので、風情が削がれた感があるのは否めない。



石を加工して繋げて橋を造ってありますが、実は耳を澄ますと跨ぐ堰の流れと、下の川の流れの音に混じってピチャピチャ音がするのに気が付きます。底石と側壁石の継ぎ目から水が漏れて川に落ちてる音なんですよね。


何故、川を跨いだのか。堰は水を引く為のもので、この先にある小幡藩邸と庭園と城下町を潤し、田畑を潤す為です。川に落しちゃったらそこで終わりだし、ここまで引いてきた意味がない。
石樋にする前は木の樋だったという。木の樋だとこれだけの水量、水圧に対して耐久年数が短いのではないか。おそらく破損して城下に水が来なくなり、殿様の一声で「架け替えろ。それも石で」決まったに違いない。
その殿様、大石を組み合わせて石樋を作らせた松平忠恕(タダユキ)という人は小幡藩最後の藩主で、江戸藩邸屋敷に盗みに入った鼠小僧と鉢合わせし、家臣に捕獲させて幕府に引き渡した松平小幡藩3代忠恵(タダシゲ)の五男だそうです。
近隣に織田宗家の墓がありますが、小幡藩は途中から織田家ではなくなった。織田家は明和事件(小幡藩士が弟子入りしていた学者が江戸攻略の軍法を論じた事件)に連座して出羽に移封され、信長の子孫ということで認められていた国主格待遇も廃されてしまったのだ。
そして同じ上州上里見藩から移ってきた松平忠恒(タダツネ)が小幡藩主に収まった。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-06-30
その後は、忠福(タダヨシ)、忠恵(タダシゲ)、そして石樋を作らせた忠恕(タダユキ)です。石樋ができたのは慶応だから幕末ですよ。小幡藩は戊辰戦争で新政府側に献金したとか。




取水口に停めたくるまに戻らなきゃ。来た道を戻るより、公道を歩いた。来る時に走った46号線を数百メートル歩いて戻りました。

石樋だけ見るなら、この地に停めるよりもさっきの交差点に停めた方が近いです。
くるまを出して、石樋に近い場所まで走って停めたところ。

その場所から石樋の方向を見ます。あの森の辺りです。

私が歩いた堰と並行する道を歩きたくなければ、雄川堰取水口まで行かなくてもここを右折すればよろしい。果樹園の看板「富貴上リンゴ園」が目印です。

それはその新ネタの場所が、
え?あの場所の近く?
その先かよ!!
あの道は以前走ったじゃないか!!
住んでる頃には気がつかなかったというか。
今回もそうなのですが。
https://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-05-21
過去記事①・・・小幡藩の城下町、この頃は都落ち気分だった。転勤してきた自分を、美濃→東海への移封を拒否したが為にこの地に減封された織田信雄になぞらえた。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-15
記事②・・・もうすぐ赴任が解けて帰京を迫られて焦っていた頃だった。甘楽町の天空集落・峰を訪れ、峠にある物見の砦を案内していただいた記事です。
おじゃましたあのご夫妻はご健勝だろうか。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-06-28-2
記事③・・・帰京してから群馬へのリバースホームシックに罹っていた頃に訪れた小幡藩・織田宗家七代のお墓です。
過去3つとも県道46号線沿いです。今日の訪問先もそうです。
高崎市街から南下、中山峠を越えて吉井町で富岡方面へ旧道を走り、上州福島屋駅近くで左折、右手にこんにゃくパークを見ながら小幡方面へ走るのです。①と③の間にある。②の手前です。
前情報によると一級河川である雄川を渡る翁橋に停めるスペースがあるらしい。雄川堰取水口が目印です。

既に先客が1台いますね。
私のような酔狂な見学者か、河川管理の人か。

実はこの場所よりも、もっと手前の場所に停めた方が近くで楽チンだと後で後悔するのですが。
翁橋の袂から雄川に沿って下っていきます。


堰が左手に見えます。この堰から引き入れられた水路を雄川堰といって、現在も清々しい水が小幡の城下町まで滾々と流れているのですが、その堰が私の歩く歩道右側に現れます。それに沿って歩いて行く。



途中で雄川堰を渡ります。堰は右手に移り、私は沿って左を歩いている。


遊歩道がいつの間にか農道になったようだ。軽トラック1台分の幅になったのは、視界が開けた辺りで、雄川と堰の間の狭い平地に畑があるからです。

住居も見えてくる。右手にも畑があって、その畑へ繋ぐ簡易的な木橋が堰に投げ出されたように架かっていた。



右手から狭い也にも普通の生活道が合流した。この角っこは軽トラックか小型乗用車がハンドルを切れるギリギリのスペース。で、それと並んでこういうものがある。

U字溝が堰をオーバークロスしているのです。堰に注がないのだ。
この先、私が見に行くものもこれに近いと言えば近いのですが、堰を跨ぐのではなく、堰が別の川を跨ぐ構造になっているものを目指しているのです。
ただ、それが近代的な構造ではなく、幕末の建造物なのですよ。

あれ?森に突入か?
そこだけ茂っているだけで右手に人家もあります。あるのですが、その人家から生活排水は堰に注いでいません。あくまで雄川取水口から引き入れた堰であって川ではないからです。

振り返ったところ。ここまで数百メートル歩いているので内心では「何処まで歩けばいいのかなぁ?」と疑問符が点いたんですよね。

その先に青空が見えてきたぞ。ここへ来るまでもこの先もそうですが、堰に沿って右にある家々は、その家の為だけに堰を跨ぐ橋が架けられているのです。


道路に出たぞ。
この道路、下って雄川を渡っていました。県道と雄川の対岸に通じていた。
さっきくるまを停めた取水口からここまでかなり歩いています。方向的にはくるまで来た県道46号線を戻ってきてるのです。だったらあの場所に停めなくてもこの辺りに停めればよかったかも知れない。

道路を渡って向こう側へ堰は続いている。

ようやく目指すものが見えてきたぞ。


あったあった。これだこれ。見てください。今来た道と並んで流れている堰が川をオーバークロスしているんですよ。川と水路の立体交差といっていい。
吹上の石樋といいます。


『吹上の石樋は、堀沢川を横断する雄川堰に架けられた水路で、石材を組み合わせて構築されています。
雄川から引き入れた水は、長さ7.7mの巨大1枚岩を組み合わせたこの石樋を通り、雄川堰へと流れていきます。
石樋の架け替えは、小幡藩最後の藩主松平忠恕の命により、慶応元年(1865年)に行われました。石樋の底石は2石を組み合わせて構築されており、水路底面は上手に整形され、両石間は段差が分らない程精巧に仕上げられています。・・・以下略』


石樋の下を流れる川は堀沢川といます。下流でさっき見た雄川に合流します。石樋は堀沢川をオーバークロス、堀沢川は石樋をアンダークロスしているわけです。
他、史料から。さっきの取水口から645m、長さ7.7m、幅1.2m、2つの石で組み合わせたらしいが継ぎ目の部分がよくわからない。
石樋の底から堀沢川までの高さは2.5mほどらしい。
江戸末期に作られた水道橋なのですが、こうやって見ると、これまで歩いて来た農道の橋と並んで殆ど一体化しているので、ちょっとわかり難い。




新緑が茂っていて見難いですが、何とか腕を伸ばして撮てみる。

これでどうでしょうか。


手を伸ばせるギリギリ、これならわかりますか?

堀沢川の下流を見ます。なるほど堰は川を越えています。でも川の先はコンクリートで補強されているので、風情が削がれた感があるのは否めない。



石を加工して繋げて橋を造ってありますが、実は耳を澄ますと跨ぐ堰の流れと、下の川の流れの音に混じってピチャピチャ音がするのに気が付きます。底石と側壁石の継ぎ目から水が漏れて川に落ちてる音なんですよね。


何故、川を跨いだのか。堰は水を引く為のもので、この先にある小幡藩邸と庭園と城下町を潤し、田畑を潤す為です。川に落しちゃったらそこで終わりだし、ここまで引いてきた意味がない。
石樋にする前は木の樋だったという。木の樋だとこれだけの水量、水圧に対して耐久年数が短いのではないか。おそらく破損して城下に水が来なくなり、殿様の一声で「架け替えろ。それも石で」決まったに違いない。
その殿様、大石を組み合わせて石樋を作らせた松平忠恕(タダユキ)という人は小幡藩最後の藩主で、江戸藩邸屋敷に盗みに入った鼠小僧と鉢合わせし、家臣に捕獲させて幕府に引き渡した松平小幡藩3代忠恵(タダシゲ)の五男だそうです。
近隣に織田宗家の墓がありますが、小幡藩は途中から織田家ではなくなった。織田家は明和事件(小幡藩士が弟子入りしていた学者が江戸攻略の軍法を論じた事件)に連座して出羽に移封され、信長の子孫ということで認められていた国主格待遇も廃されてしまったのだ。
そして同じ上州上里見藩から移ってきた松平忠恒(タダツネ)が小幡藩主に収まった。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2014-06-30
その後は、忠福(タダヨシ)、忠恵(タダシゲ)、そして石樋を作らせた忠恕(タダユキ)です。石樋ができたのは慶応だから幕末ですよ。小幡藩は戊辰戦争で新政府側に献金したとか。




取水口に停めたくるまに戻らなきゃ。来た道を戻るより、公道を歩いた。来る時に走った46号線を数百メートル歩いて戻りました。

石樋だけ見るなら、この地に停めるよりもさっきの交差点に停めた方が近いです。
くるまを出して、石樋に近い場所まで走って停めたところ。

その場所から石樋の方向を見ます。あの森の辺りです。

私が歩いた堰と並行する道を歩きたくなければ、雄川堰取水口まで行かなくてもここを右折すればよろしい。果樹園の看板「富貴上リンゴ園」が目印です。

2019-06-23 04:29
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烏川木橋を歩く [風景]

上信電鉄の佐野のわたし駅前の踏切を渡り、新駅を誘致した??新興住宅街とマンションに接する路地を烏川方面へ曲がるとこんな標識があります。

『道幅1.4m、この先の佐野橋は軽自動車(但し耕耘機及び二輪車を除く)の車両の走行を禁止する 市道管理者』
1.4mでは軽自動車でも無理ですね。ではどんな橋なのか

烏川を渡る橋が見えます。橋桁は木製です。標識にある通りくるまは通行できません。歩行者、自転車、バイクは走行できます。


この橋は上越新幹線が高崎に着く直前の左側車窓からも見えます。上信電鉄の烏川橋梁、緑色の連続ガーダー橋とやや距離を置いて並び、対岸の高崎商科大方面へ渡る木橋です。

では歩いてみましょう。足裏から木の感覚が伝わってきます。

トントン歩きながら下流を望むと、釣り人が2人か3人いた。
遠くに見えるなだらかな丘は根古屋城で、その先に山名城があります。

バイクが来ると橋梁がたわむのが足裏からわかります。そうでなくても上下にたわんでいる箇所がある。

足裏から木の感触が伝わってくる。アスファルトやコンクリートと違って温もりがあります。

下流の河川敷に案山子が2つ立っているぞ。

すぐ上流に上信電鉄のガーダー橋が並んでいる。ガーダー橋は規格が不揃いなところがあって、径間が短いところは橋が細い。

橋脚というものは川の流れを阻害するなので、なるべく径間を長くして橋脚数を少なくした方がいいのですが、そうするには橋梁をしっかりしたものにしなくてはならない。鉄の梁を太く長く、組み合わせて強くするには材料費、施工費が莫大になります。上信電鉄は幾つか河川を渡りますがトラス橋が無いのは軽便鉄道から始まったからだと思います。



トントン音を立てて歩きます。意外とこの木橋利用者が少なくないのです。部活動を終えた高校生が自転車で走ってくる。皆さん礼儀正しい。私みたいな胡乱な余所者にも「こんにちはぁ」と挨拶して走り去っていく。
地元の高齢者がバイクに乗って走り去ったり。アマチュアカメラマンも。
学生さんとすれ違うのは下校時間と重なったのかな。ボンヤリして川風に吹かれてると橋上には自分しかいない気になりますが、ふと気付くと誰かが渡ってくるのですよ。くるまは通行できませんがこの木橋梁は地元の生活道なのです。

橋の途中で振り返ります。左手に鉄骨が2本立っているのは増水時に流れてきた流木や木の枝討を橋手前で止めるものだと聞き及ぶ。

時折、轟音を響かせてあっという間に走り去る新幹線。新幹線の走行本数は多いが、上信電鉄はこの時間だと1時間に2本程度。
でももうすぐ高崎方面上り、下仁田方面下りが交互にやってくる筈。

渡ったその先は普通の農道になっていますね。
この先、街頭もないし、夜道はアブないんじゃないかなぁ。


では戻りますか。戻る途中で高崎方面15:08と下仁田方面15:11がやってきます。

あのマンション、さぞかしいい眺めだろうな。川のせせらぎを聞きながら、上州西に沈む夕陽を毎日見れるわけか。住んでみたい気がする。



高崎方面15:08が来たところ。佐野わたし駅にゆ~っくり停車します。










下仁田方面15:11が佐野わたし駅を出てスピードを上げて去っていった。















現在の木橋は平成25年(2013年)9月に台風18号による増水で流失したものを復旧したものだそうです。下を流れる烏川は、ここからすぐの下流で下仁田方面から流れてくる鏑川を吸収して、その先でまた神流川を吸収して、その先で利根川に合流します。佐野渡の辺りはそれら合流前の利根川の一支川ですが、それでもこの橋を押し流す水量があったということだ。
この木橋、往時は流橋だったそうです。河川から橋桁への高さが計画時の高水位よりもやや低い為に流失を繰り返していたとか。
平成25年といえば私の群馬転勤が終わって東京へ引き上げた年です。その前年には流出する以前の橋を見ている筈なのですが記憶にない。
あの頃はくるまで移動してた。週に2~3回、この木橋より上流の城南大橋、県道71号線を走って烏川を渡り、吉井、甘楽、富岡方面へ走ったものです。

で、戻ってから、帰京してから気付いたのですが。
私、大事なものを見落としています。
橋脚です!!
橋の上を歩いてばかりいて、水面に、河原に立っている橋脚を見落としました。現在は木製でなく鋼製になっているようです。
後日、新幹線から撮影したものですが何となく橋脚が見えます。これで御勘弁を。


2019-05-21 05:22
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彷徨い [風景]

アーケードから田町へ出て、BAR-ASLIへ歩いています。
でもまだ明るい。明る過ぎる。
BARに入る刻限じゃない。
一抹の不安が。まだ営ってないんじゃないかと。

トボトボ歩いています。

この店、佐藤さんには一度入りましたが再訪はないままです。
コース料理だけです。悪いけど料理のクオリティでは七さんの方が上かなと思った。
前に入っていた浜潮のマスターとは未だに再会できていない。何処かでバッタリ会えたらいいのだが。
七さん、ドアの下からカウンターの足許を覗いたら、お客さん誰もいなさそうだったが・・・。


駿河大納言卿が眠るお寺の参道に入ったところ。
大納言・徳川忠長卿はこの地、高崎に配流され、若い生涯を終えなくてはならなかったのです。
「ああいう時代に生まれなくてよかった」(ジャン妻)
「何でさ?」
「刀を持ってるじゃない。今の時代に持ち歩いてたら凶器だからね。それと家々の収入(禄高)がわかっちゃうから。あの家は上士、この家は下士、そのまま永劫変わらないんでしょう」
上士か下士を見下し、下士は上士にアタマを下げ続け、それが生涯続くわけだからね。
(あれ?そういう意味では、今に続く四民平等は私が嫌う明治新政府が打ち出したんだっけか。)
失脚したら蟄居閉門ならまだしも、減石、領外追放、郷入り(これも配流で、人気の無い山に押し込められる)・・・。
二度と日の目を見ないだろう。
配流・・・イヤななぞらえ方だが、自分を転勤させた当時の会社役員に多少の不信があって、自分も配流させられたのかなと最初は思ったりしたものです。
毎日毎朝この道か七の前の道を歩いて事務所に通いました。



上州山賊麺大大坊が離れになっていた。
ここの狭いキャパでは客を捌ききれなくなったのかも。現在はホテルニュー赤城の前に移転していますが、この旧店舗も離れとして営っているのだろうか。

その先、BARに入る角地ですが、あれ?ASLIの電光看板が出てないぞ。

ドアは開いているが。マスター・ファンキードッグ氏がいる気配がないな。
う~ん、ちと早かったかな。


まだ開店前らしい。一旦離れてその辺りの路地を歩いてみた。








この路地の何処かの小さい店に飛び込んだことが2回あります。
1回めはジャン妻と2人で入ったメニューも無いスタンド酒場だった。ママがひとりで営っていて、取り敢えずあるものを出してくれただけ。悪くなかったですよ。
「震災の時はねぇ。ウチはこれこれこうでねえ」みたいな話を聞いた。
2回めは私だけで何処かのカラオケスナックに飛び込んだのです。そしたら数人いた先客たちがドン引いたんですよ私を見て。
優しい声音で穏やかにTALKするよう努めたのですが。小さい店って逃げ場がないじゃないですか。そのうち先客たちがパラパラ帰りだしたのです。
「そろそろ電車だ。俺、安中だから」
「自分は新町」
余所者の私がいるから居づらくなったような。じゃましたみたいで悪かったかな。ママも早仕舞いしたいみたいだったのであっさり出ました。私の歌を「お上手ねぇ」とは言ってくれたけどね。
2軒ともどの店だか覚えてない。どっかその辺の店から唄声が聞こえてくれば、あ、この店かな?とアタリをつけることができるかも知れない。

グルッと見回って、反対側、駅側からASLIに戻ったら、マスター、ファンキードッグ氏が電光看板を設置しているのが見えた。
「あ、ジャンさん」
「どーも。まだ早いスか?」
「ええ、ちょっとまだ準備が。今来たんで」
今きた?
さては昼呑みしてたでしょう。〇〇飯店で。
「あと1時間ぐらい。7時くらいには大丈夫です」
「7時ねぇ」
となると3軒になる。今からどこかで1軒の後でASLIに来たら、無事で日帰りできるだろうかという懸念があったのです。
確約はできないけど、来れたらということで立ち去りました。

無意識に、いや、意識して足を北へ向けた。
私たちが1年だけ住んだ部屋が見える。あの部屋から高崎祭りの花火や山車も見えた。南、西、北(台所)3箇所の窓を開けたら自然の風が吹いて涼しかったな。


だんだん薄暗くなってきた。何してるんだ俺は。グルグル徘徊してからに。高崎駅から日本酒BARのあら町~田町~通町~アーケードの寄合町~また通町に戻って、椿町へ歩いてるんです。莫大な距離です。会社携帯に搭載されたアプリの歩数計がどんどんカウントされていくぞ。

今の早い時間、うさこはいるだろうか。
背の高い男性(アシスト)が見えた。男性はフードできるかどうかアヤしいので、椿食堂の様子を見ようと路地を曲がったら。


貼り紙がしてあるぞ。臨時休業だった。
ご丁寧に近隣の飲食店が掲載してあった。うさこのCafeも書いてあった。


意を決して灯屋に入りました。今日は帰らなきゃならないから2軒めは軽くするぞと鉄の意志で入りました。
幸い梅ふくでは日本酒1本しか飲んでないのでさほど酔ってはいない。
ただ小腹が減っている。煮込み、マグロ、支那竹だけだったから。
「あらぁ、お久しぶりですぅ」(うさこ)
2019-05-16 07:32
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東京苛々 群馬快晴 [風景]
待ち望んだ10連休明け初日、前橋へ日帰りでやってきました。
日帰りですが、この日は1日が長く感じられたので幾つかに分けて情景をUpします。もちろん呑みもあります。

駅北口ロータリーから伸びるけやき通りの先に県の事務局があってそこへ月イチに出す重要な届出を持参した。郵送や遅延は絶対に不可。
連休が明けた朝いきなり「前橋に行けますか?」と振られたのではなく、依頼者側から連休中に連絡があったので「さぁ行くぞ故郷へ」とテンション上がってやる気満々だったのですが・・・
JRの電光掲示板を見たら高崎線が人身事故で運転見合わせ。東京駅折り返し運転に。
気を削がれてしまったよ。事故じゃぁしょうがないが、よく止まるねJRは。
高崎線だけじゃない。この日は多かった。メトロ千代田線、東急田園都市線、西武新宿線、半蔵門線、京浜東北根岸線、中央線、総武線、常磐線でも急病人救護で遅延。接続している各路線でも遅れや運転変更が生じた。
他にも京王線内で乗客が転落、丸ノ内線内のホームドア点検、東西線内での旅客対応(何を対応したのか不明)などなど。
10連休のせいで人間の身体も電車のシステムも不調になったのだろうか。
仕方がない。まず東京本社へ行くか。
行くのが当然なんだけどね。明けて初日なんだから。
だけど行ったら行ったで朝の朝礼時に出社してる社員数の少ないこと。ボードを見たら電車遅延10時出社、そんなんばっかだった。一般社員も管理者も半数いない状態で締りの無い朝礼だった。
朝礼が済んで9時30分になったら、〇長が執務室から出てきて、
「さぁ(取締役)定例会しましょう!!」
シーン・・・
「やりますよ●●さん・・・」
「ハイ・・・」
呼ばれた●●はやる気の無さそうな返事をして無表情で立ちあがり、他のメンバーを促して、仕方な~く嫌々会議室へ。
だが経理部長と財務部長がいないのです。〇長は私に聞いて来た。
「2人は別の打ち合わせですか?」
何で私に聞くかな。
私は〇長に含むところがあるのだ。GW前にすっげー不快なことを言われたのです。でも私はその不在の2人、ダブル部長が別室に入ったのを見ています。
「小会議室にいますよ」
「打ち合わせが済んだら来るように言ってください」
私はムッとした。カオに出たかも知れない。私がずっとずっとず~っと自席にいるとでも思ってるのかね。
アナタが招集したんでしょう。週の最初のこの時間は定例会って決められてるんだし、アナタは最高責任者なんだから自らノックして「時間です。そっちの打ち合わせより定例会を優先してください」とでも言って2人を引きずり出せばいいだけのことだよ。
不在のダブル部長がいる会議室をノックしましたよ。ドアを開けたら2人は「何?」みたいな怪訝そうな視線を私に向けたが、
「皆さん定例会議に入ってますよ」
「あっ、そうだった」
私に言われて気が付いたダブル部長も困ったものだ。定例会があるのを忘れてたのか、端っから無視するつもりだたのか、慌てたように、思い出したかのように大会議室へ入っていった。
バッカバカしい。要は連休ボケなんですよ。気合が入ってないのだ。そのうち電車遅延に巻き込まれた社員、主に女性社員たちが出社してきたのですが、連休中何してただの、何処へ遊びに行っただの、そこらじゅうで私語が延々始まる始末である。うるさいことこのうえない。
苛々してきた私はこの弛緩した空気から逃げ出そうと依頼された群馬の書類と自分の案件を持って飛び出しました。上の連中の揃わない足並みに合わせてこっちのアシを引っ張られたくないし、女性社員どもの私語に付き合う気もサラサラ無いからね。
(私語してないのは雪子、U紀(もと草の者)、愛想ゼロのU紀の上司女性だけでしたね。)
午前中、いったん横浜市内に戻って自分の案件を済ませてから、再度東京に取っ手返し、新幹線、両毛線を乗り継いで前橋へ。

雲ひとつない澄んだ青空が眩しい。陽射しは熱いが、赤城や榛名から吹き下ろす風が涼しい。
東京本社にいた頃の荒んだ気分がいつの間にか消えていたのです。自分でも目元や口元が緩んでるのがわかる。
やはり故郷はいい。そう思った。
けやき通りの風景が変っている。ドーミイン前橋が開業していたのです。2019年2月21日にOPENしたようだ。


前橋駅界隈は意外にホテルが多い。そりゃ県庁所在地だからだが、官庁街は17時には閑散とします。翌日まで滞在するビジネスマンがそんなにいるように見えないのだが、南口に東横イン、ドーミイン向かいにコンフォート、中央前橋方面へ歩けば、前橋さくら、アパ、県庁方面へ行けば、テルサ、サンカント、幾つかホテルあるんだけど。新たにホテル作って宿泊客の需要あるのかどうか。
東横インが見えます。

コンフォートです。

この先、交差点を渡って中央前橋方面にも前橋さくらホテル、アパ前橋北があります。ドーミインの新規開業はこの界隈のホテル業界への殴り込みだね。駅に最も近いドーミインができたことで競争が厳しくなるだろう。
見上げてみる。首が痛くなる。

14階に天然温泉、妙義の湯??

HPにはこうある。
「ドーミーイン前橋
最上階に男女別大浴場完備
前橋市の街を一望する、天然温泉「妙義の湯」でごゆっくりお寛ぎください。」
何で妙義なんだろうな。
妙義は西毛でしょうよ。ここ前橋だったら赤城か榛名じゃないのか。


でも私がここに泊まることはないだろうな。

この先にある行政窓口へ出した後、反対側の舗道に渡った。舗道の左にTimesパーキングがあるのですが。

私は上州に赴任した平成24年4月の時点では無違反だったのですが、来て早々3回つかまったのです。確か5月、6月、7月、来て半年も経ってないのにですよ。
まず5月が運転中の携帯で白バイに捕まり、幸楽苑の駐車場でキップ切られたの。
6月は安中市内の県道で一時不停止でパトカーにつかまった。
そして7月にけやき通りを駅方面から走って来て、ここのTimesパーキングに入れようとUターンしたら白バイに捕まったの。3ヶ月連続ですよ。
群馬県は一家のくるま所有数、女性のくるま所有数が多く、運転免許の取得率が早い。そして交通警察がすっげー多い。17号線で高崎から前橋に向かう片道だけでパトカー3台か5台見かけるのはザラですから。
「群馬は大好きだが警察が多過ぎやしないか?」
「アタシもこないだつかまりました」(現地のヤンママ社員)
これは初代ぐんまちゃんか?

時刻は17時前か。もうここ群馬で直帰しって一杯飲んで帰りますか。だけど飲もうにも17時から営ってる店がないのだ。
前に載せた温泉ランド「ゆ~ゆ」で風呂に浸かってレストランで一杯飲ろうか。
でもあの食事フロアは味気ないんだよな。やはり高崎に戻ることにしました。

社宅マンションを高崎でなく前橋で選んだらどうなってたかな。こっち(前橋)で遊んだだろうか。
いや、前橋を選択することは無かったと思う。東京本社との連絡、接続という意味ではやはり上州玄関口は高崎なのですね。
高崎に戻ったのですが、時間が早いので開いてる店を探すのに難儀した。(続く)
日帰りですが、この日は1日が長く感じられたので幾つかに分けて情景をUpします。もちろん呑みもあります。

駅北口ロータリーから伸びるけやき通りの先に県の事務局があってそこへ月イチに出す重要な届出を持参した。郵送や遅延は絶対に不可。
連休が明けた朝いきなり「前橋に行けますか?」と振られたのではなく、依頼者側から連休中に連絡があったので「さぁ行くぞ故郷へ」とテンション上がってやる気満々だったのですが・・・
JRの電光掲示板を見たら高崎線が人身事故で運転見合わせ。東京駅折り返し運転に。
気を削がれてしまったよ。事故じゃぁしょうがないが、よく止まるねJRは。
高崎線だけじゃない。この日は多かった。メトロ千代田線、東急田園都市線、西武新宿線、半蔵門線、京浜東北根岸線、中央線、総武線、常磐線でも急病人救護で遅延。接続している各路線でも遅れや運転変更が生じた。
他にも京王線内で乗客が転落、丸ノ内線内のホームドア点検、東西線内での旅客対応(何を対応したのか不明)などなど。
10連休のせいで人間の身体も電車のシステムも不調になったのだろうか。
仕方がない。まず東京本社へ行くか。
行くのが当然なんだけどね。明けて初日なんだから。
だけど行ったら行ったで朝の朝礼時に出社してる社員数の少ないこと。ボードを見たら電車遅延10時出社、そんなんばっかだった。一般社員も管理者も半数いない状態で締りの無い朝礼だった。
朝礼が済んで9時30分になったら、〇長が執務室から出てきて、
「さぁ(取締役)定例会しましょう!!」
シーン・・・
「やりますよ●●さん・・・」
「ハイ・・・」
呼ばれた●●はやる気の無さそうな返事をして無表情で立ちあがり、他のメンバーを促して、仕方な~く嫌々会議室へ。
だが経理部長と財務部長がいないのです。〇長は私に聞いて来た。
「2人は別の打ち合わせですか?」
何で私に聞くかな。
私は〇長に含むところがあるのだ。GW前にすっげー不快なことを言われたのです。でも私はその不在の2人、ダブル部長が別室に入ったのを見ています。
「小会議室にいますよ」
「打ち合わせが済んだら来るように言ってください」
私はムッとした。カオに出たかも知れない。私がずっとずっとず~っと自席にいるとでも思ってるのかね。
アナタが招集したんでしょう。週の最初のこの時間は定例会って決められてるんだし、アナタは最高責任者なんだから自らノックして「時間です。そっちの打ち合わせより定例会を優先してください」とでも言って2人を引きずり出せばいいだけのことだよ。
不在のダブル部長がいる会議室をノックしましたよ。ドアを開けたら2人は「何?」みたいな怪訝そうな視線を私に向けたが、
「皆さん定例会議に入ってますよ」
「あっ、そうだった」
私に言われて気が付いたダブル部長も困ったものだ。定例会があるのを忘れてたのか、端っから無視するつもりだたのか、慌てたように、思い出したかのように大会議室へ入っていった。
バッカバカしい。要は連休ボケなんですよ。気合が入ってないのだ。そのうち電車遅延に巻き込まれた社員、主に女性社員たちが出社してきたのですが、連休中何してただの、何処へ遊びに行っただの、そこらじゅうで私語が延々始まる始末である。うるさいことこのうえない。
苛々してきた私はこの弛緩した空気から逃げ出そうと依頼された群馬の書類と自分の案件を持って飛び出しました。上の連中の揃わない足並みに合わせてこっちのアシを引っ張られたくないし、女性社員どもの私語に付き合う気もサラサラ無いからね。
(私語してないのは雪子、U紀(もと草の者)、愛想ゼロのU紀の上司女性だけでしたね。)
午前中、いったん横浜市内に戻って自分の案件を済ませてから、再度東京に取っ手返し、新幹線、両毛線を乗り継いで前橋へ。

雲ひとつない澄んだ青空が眩しい。陽射しは熱いが、赤城や榛名から吹き下ろす風が涼しい。
東京本社にいた頃の荒んだ気分がいつの間にか消えていたのです。自分でも目元や口元が緩んでるのがわかる。
やはり故郷はいい。そう思った。
けやき通りの風景が変っている。ドーミイン前橋が開業していたのです。2019年2月21日にOPENしたようだ。


前橋駅界隈は意外にホテルが多い。そりゃ県庁所在地だからだが、官庁街は17時には閑散とします。翌日まで滞在するビジネスマンがそんなにいるように見えないのだが、南口に東横イン、ドーミイン向かいにコンフォート、中央前橋方面へ歩けば、前橋さくら、アパ、県庁方面へ行けば、テルサ、サンカント、幾つかホテルあるんだけど。新たにホテル作って宿泊客の需要あるのかどうか。
東横インが見えます。

コンフォートです。

この先、交差点を渡って中央前橋方面にも前橋さくらホテル、アパ前橋北があります。ドーミインの新規開業はこの界隈のホテル業界への殴り込みだね。駅に最も近いドーミインができたことで競争が厳しくなるだろう。
見上げてみる。首が痛くなる。

14階に天然温泉、妙義の湯??

HPにはこうある。
「ドーミーイン前橋
最上階に男女別大浴場完備
前橋市の街を一望する、天然温泉「妙義の湯」でごゆっくりお寛ぎください。」
何で妙義なんだろうな。
妙義は西毛でしょうよ。ここ前橋だったら赤城か榛名じゃないのか。


でも私がここに泊まることはないだろうな。

この先にある行政窓口へ出した後、反対側の舗道に渡った。舗道の左にTimesパーキングがあるのですが。

私は上州に赴任した平成24年4月の時点では無違反だったのですが、来て早々3回つかまったのです。確か5月、6月、7月、来て半年も経ってないのにですよ。
まず5月が運転中の携帯で白バイに捕まり、幸楽苑の駐車場でキップ切られたの。
6月は安中市内の県道で一時不停止でパトカーにつかまった。
そして7月にけやき通りを駅方面から走って来て、ここのTimesパーキングに入れようとUターンしたら白バイに捕まったの。3ヶ月連続ですよ。
群馬県は一家のくるま所有数、女性のくるま所有数が多く、運転免許の取得率が早い。そして交通警察がすっげー多い。17号線で高崎から前橋に向かう片道だけでパトカー3台か5台見かけるのはザラですから。
「群馬は大好きだが警察が多過ぎやしないか?」
「アタシもこないだつかまりました」(現地のヤンママ社員)
これは初代ぐんまちゃんか?

時刻は17時前か。もうここ群馬で直帰しって一杯飲んで帰りますか。だけど飲もうにも17時から営ってる店がないのだ。
前に載せた温泉ランド「ゆ~ゆ」で風呂に浸かってレストランで一杯飲ろうか。
でもあの食事フロアは味気ないんだよな。やはり高崎に戻ることにしました。

社宅マンションを高崎でなく前橋で選んだらどうなってたかな。こっち(前橋)で遊んだだろうか。
いや、前橋を選択することは無かったと思う。東京本社との連絡、接続という意味ではやはり上州玄関口は高崎なのですね。
高崎に戻ったのですが、時間が早いので開いてる店を探すのに難儀した。(続く)
2019-05-13 07:14
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朱色の世界 [風景]
ドーミインから見た夜景です。

朝になりました。

ジャン妻は先に出ました。朝7時の新幹線で帰京したのです。

ジャン妻拡大です。

自分は今日明日と2日レンタカーを借りています。くるまを出してすぐの風景。信号待ちですよ。走行中に撮ったんじゃないですよ。

この日の午後、伊勢崎市のッ郊外で見つけたもの。
大きい1本鳥居が農地の中に屹立しています。
上州で最も大きい鳥居だそうです。

周囲に何も無いだけに目立つ。
これだけ大きいと、遠目でも「何だあれは?」と目が行くし、近くまできて見上げて「デっカいなぁ・・・」と感嘆します。
鳥居は神社の象徴です。地図には神社を意味するマークになっているし。
神域への出入り口、参道の門ともいえる。目に見えない部分では、私らがいる俗界とを区画する「結界」といってもいい。
神の存在を感じさせるモニュメントといっていい。では神社そのものは何処にあるのか。このデカい鳥居を左折するのです。
鳥居は人間の俗世から神様の領域へ入る入口なので、ひとつあればいいのに、鳥居がトンネルのように立ち並んでそのトンネルが参道になっている神社があります。
有名なのは京都の伏見稲荷。ここが最も多いらしい。一万本あるとか。
文京区の根津神社の千本鳥居もそう。千本あるかわからないけど。他にもあるかも知れない。
上州にもあります。伊勢崎市小泉町にある小泉稲荷神社がそれ。そこには千本、万本には遠く及ばないが、結構な数の鳥居が並んでいました。さきほとのデッカい鳥居は小泉稲荷へ導くモニュメントなのです。
駐車場から見たところ。

鳥居の色を「赤い鳥居」と言う人がいますが実際は朱色です。赤い神殿ともいわない。朱色です。 朱色の鳥居たちが左、中央、右、3列に並んでいる。

何処から参列したらいいのか。
左の鳥居は大きめで、後でよく見たら地元企業が寄進したのか会社名が銘打ってあった。でも左の鳥居は奥の本殿にまで到達して並んでいません。数が足りないのです。潜って本殿に歩くとなると、真ん中か右の鳥居になります。




先んじてお参りに来てた女性は真ん中の鳥居に深々と一礼して潜って行った。この女性、ダークスーツ姿で写真を撮ってる私を訝し気に見ていたな。そういう視線に慣れてるので意に介さず。
自分も真ん中の鳥居トンネルから入りました。いざ参道へ。



己の視野が朱色に染まった。
1本1本が立ってる密度が狭く、ビッシリ建てられている。昼なお暗い感はないが、派手な色だけに目を刺激する感がある。




鳥居たちの高さは一定ではない。中には低い天井じゃないけど梁もあって高い身長の方は額をぶつけるだろう。
朱色の鳥居に額をぶつけて流血、額まで朱に染まったら笑えないよな。



この朱色の鳥居たちはびっしりした密度で建ち並んでいる。地面の強度はどうなのだろうか。地盤が緩んだら将棋倒しになるんじゃないか。


今は私ひとりだけだからスイスイ歩いていけるが、初詣の混雑時には結構な参拝者の密度でギュウギュウ詰めになり、天井も低いのでかなりの圧迫感になるは必定である。一度並んだら横から逃げ出せないぞ。どんなに混んでいてもお参りするしかないな。
雨が降ったらどうなるんだ?鳥居は屋根ではないので鳥居と鳥居の梁の間から雨水が降ってくる。傘なんかさせないぞ。
もうすぐ出口です。さっきの女性が見えるぞ。


鳥居を抜けると本殿があった。本殿は朱色じゃなかった。
何だか普通に地味です。ここまで潜ってきた濃い朱色の鳥居が視野から消え去り、嘘のように至って普通の地味な社殿だが何だかホッとする。

小泉稲荷神社が最初に創建されたのは崇神天皇・・・(・・・っていつの天皇ですか?)・・・の時代、まだ上州が「毛の国」と呼ばれてた時代で、開拓祖の神である豊城入彦命が東夷征討(東国を卑下してたんでしょうかね)の折に山城国伏見稲荷の分霊を祀って創建したというから伏見稲荷社の分社に端を発する。だから赤い鳥居が立ち並んでいていいのか。
祀ってある神様は倉稲魂命・大己貴命という神様で、ご利益は商売繁盛と五穀豊穣だという。商いの神様ですね。
私も参拝しましたが、私の場合は職掌柄、商売繁盛というカテゴリーは無いので「こんにちは、凄い数の鳥居を見せていただきました・・・」心中で挨拶を唱えただけです。
今は閑散としていますが初詣は凄いそうです。商売繁盛を祈願する人たちがたくさん訪れるとか。
それにしてもすごい数だ。各方面から商売繁盛にかこつけて鳥居を寄進したらこれだけの鳥居の数になったのかな。

鳥居たちを振り向いてみる。
またあの鳥居トンネルを通って駐車場に戻ることになる。
でも脇の広場から戻るのも野暮だし。せっかく来たのだから潜って戻りましょう。その前に気付いたのは、本殿の前に油揚げが置いてあったのです。小泉稲荷神社イコールお稲荷さんだから、キツネが何処かにいる筈。裏手に廻ってみた。

裏に稲荷社があって、両サイドには大量のお稲荷さん(キツネ)の大群が段一面に並んでいた。陶器のキツネさんらしい。



各家庭に祀られていて古くなったものや必要なくなったものが集められたのだろうね。
さっき私を訝し気に見てた女性が先にお参りに来ていた。私を避けるように社務所へ廻っていったよ。私はアヤしい者ではないぞ。アヤしく見えるだけだ。
では戻ろう。また赤い鳥居のトンネルへ。
今度は左の鳥居トンネルへ。さっきの駐車場から見たら右にあたる。




また視野が朱色になった。
でも目が慣れてきたのか、色への抵抗や刺激は少なくなった。




この赤い鳥居のトンネル参道は参拝アトラクションの感がある。子供がはしゃいで走ったりしないのかな。
これだけ鳥居が立ち並んでいると気持ち地面が歪んでるようだ。凸凹湾曲しているような。足許を見ると、私が靴裏で踏みつけている道と、鳥居の柱が埋まっている左右の根本は地面の質が違うような気がする。やはり地盤の補強が必要なのだと思う。



もうすぐ出口です。人間世界へ戻ります。



鳥居のトンネルから入って鳥居のトンネルからまた出てきました。
鳥居は屋根の無い門ともいえる。だから混雑時に鳥居の下を通らず、両脇に立つ狛犬さんの傍からショートカットして境内に入るのはホントはいけないんだろうね。
抜けて帰る前に、右と左から横に、斜めに見てみた。
まずは右から。なるほど伏見稲荷や根津神社の比ではないですが、小さくまとまっているので親しみやすい感がある。


人が抜けられそうな隙間もあるが、殆どは無理だな。痩せた人でも無理そう。

アートチックでもある。全部同じ色だから映えるのだ。色がバラバラだったら気持ち悪いだけである。

そして左からも。数は数えていません。おおよそ300本あるかどうかでしょう。




帰還前に駐車場からもう1枚。
左の大きい鳥居は、まだ社殿に向かって建てられる余裕が充分あります。これから歳月を経てここにも立ち並ぶのかも。
そういえば鳥居が左、中央、右、と並んでいて、右の鳥居の隣にもまだまだ充分過ぎるスペースがあった。左の列がいっぱいになったら、今ある右の鳥居の右スペースにも建つのかもしれないね。

同じような光景写真ばかりでしたが。
最寄駅は・・・何処かなぁ。伊勢崎駅からコミュニティバスが出ているらしいが。最も近い駅は両毛線の国定駅らしいです。くるまが無難でしょう。駐車場はそれ也に広いです。商売の運気を上昇させたい方はどうぞ。

朝になりました。

ジャン妻は先に出ました。朝7時の新幹線で帰京したのです。

ジャン妻拡大です。

自分は今日明日と2日レンタカーを借りています。くるまを出してすぐの風景。信号待ちですよ。走行中に撮ったんじゃないですよ。

この日の午後、伊勢崎市のッ郊外で見つけたもの。
大きい1本鳥居が農地の中に屹立しています。上州で最も大きい鳥居だそうです。

周囲に何も無いだけに目立つ。
これだけ大きいと、遠目でも「何だあれは?」と目が行くし、近くまできて見上げて「デっカいなぁ・・・」と感嘆します。
鳥居は神社の象徴です。地図には神社を意味するマークになっているし。
神域への出入り口、参道の門ともいえる。目に見えない部分では、私らがいる俗界とを区画する「結界」といってもいい。
神の存在を感じさせるモニュメントといっていい。では神社そのものは何処にあるのか。このデカい鳥居を左折するのです。
鳥居は人間の俗世から神様の領域へ入る入口なので、ひとつあればいいのに、鳥居がトンネルのように立ち並んでそのトンネルが参道になっている神社があります。
有名なのは京都の伏見稲荷。ここが最も多いらしい。一万本あるとか。
文京区の根津神社の千本鳥居もそう。千本あるかわからないけど。他にもあるかも知れない。
上州にもあります。伊勢崎市小泉町にある小泉稲荷神社がそれ。そこには千本、万本には遠く及ばないが、結構な数の鳥居が並んでいました。さきほとのデッカい鳥居は小泉稲荷へ導くモニュメントなのです。
駐車場から見たところ。

鳥居の色を「赤い鳥居」と言う人がいますが実際は朱色です。赤い神殿ともいわない。朱色です。 朱色の鳥居たちが左、中央、右、3列に並んでいる。

何処から参列したらいいのか。
左の鳥居は大きめで、後でよく見たら地元企業が寄進したのか会社名が銘打ってあった。でも左の鳥居は奥の本殿にまで到達して並んでいません。数が足りないのです。潜って本殿に歩くとなると、真ん中か右の鳥居になります。




先んじてお参りに来てた女性は真ん中の鳥居に深々と一礼して潜って行った。この女性、ダークスーツ姿で写真を撮ってる私を訝し気に見ていたな。そういう視線に慣れてるので意に介さず。
自分も真ん中の鳥居トンネルから入りました。いざ参道へ。



己の視野が朱色に染まった。
1本1本が立ってる密度が狭く、ビッシリ建てられている。昼なお暗い感はないが、派手な色だけに目を刺激する感がある。




鳥居たちの高さは一定ではない。中には低い天井じゃないけど梁もあって高い身長の方は額をぶつけるだろう。
朱色の鳥居に額をぶつけて流血、額まで朱に染まったら笑えないよな。



この朱色の鳥居たちはびっしりした密度で建ち並んでいる。地面の強度はどうなのだろうか。地盤が緩んだら将棋倒しになるんじゃないか。


今は私ひとりだけだからスイスイ歩いていけるが、初詣の混雑時には結構な参拝者の密度でギュウギュウ詰めになり、天井も低いのでかなりの圧迫感になるは必定である。一度並んだら横から逃げ出せないぞ。どんなに混んでいてもお参りするしかないな。
雨が降ったらどうなるんだ?鳥居は屋根ではないので鳥居と鳥居の梁の間から雨水が降ってくる。傘なんかさせないぞ。
もうすぐ出口です。さっきの女性が見えるぞ。


鳥居を抜けると本殿があった。本殿は朱色じゃなかった。
何だか普通に地味です。ここまで潜ってきた濃い朱色の鳥居が視野から消え去り、嘘のように至って普通の地味な社殿だが何だかホッとする。

小泉稲荷神社が最初に創建されたのは崇神天皇・・・(・・・っていつの天皇ですか?)・・・の時代、まだ上州が「毛の国」と呼ばれてた時代で、開拓祖の神である豊城入彦命が東夷征討(東国を卑下してたんでしょうかね)の折に山城国伏見稲荷の分霊を祀って創建したというから伏見稲荷社の分社に端を発する。だから赤い鳥居が立ち並んでいていいのか。
祀ってある神様は倉稲魂命・大己貴命という神様で、ご利益は商売繁盛と五穀豊穣だという。商いの神様ですね。
私も参拝しましたが、私の場合は職掌柄、商売繁盛というカテゴリーは無いので「こんにちは、凄い数の鳥居を見せていただきました・・・」心中で挨拶を唱えただけです。
今は閑散としていますが初詣は凄いそうです。商売繁盛を祈願する人たちがたくさん訪れるとか。
それにしてもすごい数だ。各方面から商売繁盛にかこつけて鳥居を寄進したらこれだけの鳥居の数になったのかな。

鳥居たちを振り向いてみる。
またあの鳥居トンネルを通って駐車場に戻ることになる。
でも脇の広場から戻るのも野暮だし。せっかく来たのだから潜って戻りましょう。その前に気付いたのは、本殿の前に油揚げが置いてあったのです。小泉稲荷神社イコールお稲荷さんだから、キツネが何処かにいる筈。裏手に廻ってみた。

裏に稲荷社があって、両サイドには大量のお稲荷さん(キツネ)の大群が段一面に並んでいた。陶器のキツネさんらしい。



各家庭に祀られていて古くなったものや必要なくなったものが集められたのだろうね。
さっき私を訝し気に見てた女性が先にお参りに来ていた。私を避けるように社務所へ廻っていったよ。私はアヤしい者ではないぞ。アヤしく見えるだけだ。
では戻ろう。また赤い鳥居のトンネルへ。
今度は左の鳥居トンネルへ。さっきの駐車場から見たら右にあたる。




また視野が朱色になった。
でも目が慣れてきたのか、色への抵抗や刺激は少なくなった。




この赤い鳥居のトンネル参道は参拝アトラクションの感がある。子供がはしゃいで走ったりしないのかな。
これだけ鳥居が立ち並んでいると気持ち地面が歪んでるようだ。凸凹湾曲しているような。足許を見ると、私が靴裏で踏みつけている道と、鳥居の柱が埋まっている左右の根本は地面の質が違うような気がする。やはり地盤の補強が必要なのだと思う。



もうすぐ出口です。人間世界へ戻ります。



鳥居のトンネルから入って鳥居のトンネルからまた出てきました。
鳥居は屋根の無い門ともいえる。だから混雑時に鳥居の下を通らず、両脇に立つ狛犬さんの傍からショートカットして境内に入るのはホントはいけないんだろうね。
抜けて帰る前に、右と左から横に、斜めに見てみた。
まずは右から。なるほど伏見稲荷や根津神社の比ではないですが、小さくまとまっているので親しみやすい感がある。


人が抜けられそうな隙間もあるが、殆どは無理だな。痩せた人でも無理そう。

アートチックでもある。全部同じ色だから映えるのだ。色がバラバラだったら気持ち悪いだけである。

そして左からも。数は数えていません。おおよそ300本あるかどうかでしょう。




帰還前に駐車場からもう1枚。
左の大きい鳥居は、まだ社殿に向かって建てられる余裕が充分あります。これから歳月を経てここにも立ち並ぶのかも。
そういえば鳥居が左、中央、右、と並んでいて、右の鳥居の隣にもまだまだ充分過ぎるスペースがあった。左の列がいっぱいになったら、今ある右の鳥居の右スペースにも建つのかもしれないね。

同じような光景写真ばかりでしたが。
最寄駅は・・・何処かなぁ。伊勢崎駅からコミュニティバスが出ているらしいが。最も近い駅は両毛線の国定駅らしいです。くるまが無難でしょう。駐車場はそれ也に広いです。商売の運気を上昇させたい方はどうぞ。
2019-04-10 07:46
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神の池 [風景]
静かな海です。
波が打ち寄せないのです。
いや、そりゃ多少のさざ波は来てますよ。砂を撒くぐらいの音、サーッとささやくような音で波が来るだけ。
巨大なみずたまりに見える。水は澄んでいます。これぐらいキレイな海、静かな海があるのかと。
ここは伊豆半島の西の角っこにある大瀬崎(おせざき)の浜辺です。




浜辺を歩くジャン妻です。
ダイバーが幾人かいて潜ったり出たり浜に上がったりしている。そこらじゅうに酸素ボンベがたくさん並んでいた。



静か過ぎるこの湾は、台風でも来ない限りほぼ1年中潜れるそうです。
ダイバーたちの人気スポットの理由は、
①晴天時には富士山が望める。(この日はあいにくこっち側の富士山は雲に隠れてた。)
②海の生物が豊か。マンボウやマンタもいるらしい。
③海底が砂利で砂が舞いあがらない。
④流入する河川が無いので海水の透明性が高い。
⑤三方を陸に囲まれた湾なので、天候に影響されず海が穏やか。
⑥船で起きに出ないで海岸からドボンと潜水できる。
⑦浜辺から見ると浅そうですが、すぐ深くなる。
なので体験者、初級者から上級者まで幅広く潜れるんだって。
ダイバーや海水浴客が対象の休憩、食事を兼ねた宿泊所、マリンショップ、この時期は閉鎖された海の家が並んでいます。
ここへ来るにはくるまでの道筋だけなら至って簡単で、伊豆中央道の長岡ICで下りて130号線を海方向へ(東京からだと右折、天城からだと左折)すぐ海に出るので三津三叉路を左へ。後は延々海沿いの県道17号沼津土肥線を走るだけです。
バス路線もある立派な県道ですが、途中に行き違いが困難な狭い箇所が多少あります。急カーヴも。車線や線形を改良する工事も各地で見受けられた。
大瀬崎への分岐Y字路を下ると大瀬崎私営駐車場に到着します。
今日は平日なので閑散としていた。駐車場も私らともう2台ぐらいしか停まっていない。係員もいなかった。
大瀬崎、岬の突端に向けて歩きます。
伝承から引用するとこの岬は白鳳13年(684年)だから天武天皇の時代、その年の地震で島(琵琶島)が隆起して、その後長い年月でに砂州が形成され陸に繋がって現在の形状になったと。
半島としての長さはおよそ1kmぐらいです。
その先へ歩きます。大瀬崎はその名のとおり岬ですが、岬の突端に直径100mほどの淡水湖があるんですよ。
砂利浜として整備されている浜辺の道は自家用車は入れないので徒歩で。大瀬神社の鳥居が見えてきた。

森のようですが境内なのです。ひとり100円の参観料を支払います。

ビャクシンの樹林の中の小道を歩いて、視界が開けたその辺りには・・・。


神池です。最大で直径100mほど。

淡水池です。海水じゃないです。池の畔に立って覗いたら大量の鯉たちが口をパクパウさせながら寄ってきた。
船山温泉の鯉より数が多くてカオス状態。

このすぐ先に鯉のエサが自販されてます。鯉は人間に馴れきっているようですな。




そのすぐ先に神池の解説板があります。難しい文体ですが。

『此の神池は岬角の末端より内に少々五十米謂はば〇皮に包まる饅頭の如く面積六千六百平方米の霊地にして縁には葦アブラガヤ多数繁茂し鯉・鮒・鯰等の淡水魚数多く群棲す。海に近い観念を一変して奥深き山湖を偲ばしめる誠に神池といふ相応しき光景である。海浜僅か五十米に隔つる自然の淡水池を見るは実に奇異と云はざるを得ず、潮の気配聊かもなく伊豆七不思議の一つに数えられ池には池明神(水波之〇神)を祀り諸人等の信仰篤く今も尚池及魚に依って種々の心願を掛け若し池に入り魚を害するときは神罰覿面と云はれ昔より今に此の不成文の禁を犯したる者が或は死し或は精神喪失その他不慮の危難に遭遇したる実例を伝え相誡めて居る。依って今尚池水の深淺底壁の組織の如き実施調査したる人無く伝説によってこの神池は保護されている。岬には神木と云はるびやくしんあり、相並びて不思議のこの池あり。これ等大瀬岬の荘嚴と絶勝とを添え敬神上保勝上学術研究之を永遠に保存するものなり。大瀬神社』
判読できなかったり読みが難解な箇所を調べてみたのですが。
〇皮に包まる・・・(法被に包まるじゃないかなぁ・・・ジャン妻)
聊かもなく・・・(いささかもなく)
水波之〇神・・・(〇が変換できません)
神罰覿面・・・(しんばつてきめん)
荘嚴・・・(そうごん)
平成31年3月10日追記。100円支払って得た入場券の裏に原文が訳されて載ってました。


神池のある大瀬崎は駿河湾に突き出ているのですが、周囲が海なのにここだけ淡水池なのです。
神池は上空から見ると岬の先端にあるドーナツのようになっていて、ドーナツの空洞を池に例えたら、ドーナツの部分が今私たちが歩いている遊歩道のある陸地です。
その幅は狭く高さも低い。内にある池と外にある駿河湾を隔てるドーナツの陸地は狭いところで20m、高さも1mほどしかないのに淡水池・・・。

その先にまた解説板が見えるぞ。
ここに居住してこの地を護り、納めていた武人の館跡です。


『鈴木繁伴館跡
建武の頃、今より六百四十年前元弘三年、鈴木繁伴なる武人(水軍)紀州熊野藤日を出船この地に来り、引率の郎党三十余人とともにここにたてこもる。観応二年足利直義に属し駿州薩埵山にて敗戦し、伊豆江莉の山中に隠れ其の後貞治六年、繁伴関東管領足利氏満に招かれ伊豆・相模両国の船大将を命ぜらる。神を尊敬する志篤く御社の破瀼したるを見て財を惜しまずこれの修理を爲し、やがて北条早雲に従ひ小田原北条氏と運命を共にしこの地より姿を消している。昔の面影を偲びこれを永く史績として保存する
大瀬神社』

鈴木繁伴が居住していた館跡は池を時計廻りに歩いた左手のビャクシン樹林の中にありました。そこらに小さい石積みと低い崩れた土塁、石が散らばっている程度です。
無理して見れば小さい区画に見えないこともない。
飲料水はどうしていたのだろうか。雨水か?





館跡を抜けて池と反対側に歩くと、数10mで海に出ます。そこには大瀬崎灯台が。


なので館跡は池の畔に面していて、海辺にある館跡ともいえる。




海を背にして館跡敷地内を戻ります。ここ大瀬崎の先端部にある館跡は紀州からやってきた鈴木繁伴がここ江梨村に上陸した際の初期の居館だそうです。
繁伴は大瀬神社で祭祀も努めていたので、武人であり領主、海賊、船大将、神官、いろいろ兼務していたのでしょう。
鈴木氏は北条氏に出仕したことで伊豆の江梨五ヶ村を支配した。伊勢新九郎の北条早雲が小田原城を奪取した明応4年(1495年)以降、明応7年8月には明応地震が発生し、伊豆では西伊豆の仁科、土肥、戸田、そして江莉が津波に襲われている。この池の畔の館も津波に襲われた。繁伴や鈴木氏はその後、ここから沼津方面に少し戻った西浦江莉に館を移したともいう。


池の畔の散策路に戻ります。岬の突端の辺りまで来る途中でジャン妻が嬉々とした声をあげた。
「ねぇねぇ、カメがいるよ」
カメが数匹、甲羅干をしていた。

「何てカメだろ?」
「さぁ。黒っぽいけど」
そのカメ君たちは私たちを見て外敵だと思ったのか、慌てたようにノソノソ動いて池の中にドボンと飛び込んでしまった。



鈴木繁伴氏が館を西浦江莉に移して北条氏が滅んだ後、この池は大波や津波に何度も洗われたと思いますが、神池は淡水のまま現在に残っている。
海からさほど離れていないどころか、都会でいうと中央分離帯を含めて片側2車線、両側4車線の道路の幅、距離しかないのに、池の水に海水が含まれてないというのは驚異でしかない。海はそれこそ目と鼻の先にあるのです。台風や海が荒れた日には海水が吹き込むのは必定だが、それでも淡水の池で鯉やカメの棲み家になっている。

突端の辺りまできました。この先で進行方向右側にある池の視界は木々や林に遮られて徐々に見え難くなります。左手に駿河湾が見えてきます。
この道のすぐ右は池で、左には海が。。。

ここに来るまでに写真家の方なら、季節によってはビャクシン樹林の隙間を探して、神池と駿河湾の海を1枚のフレームに収める撮影スポットを探せることでしょう。私は見つけられなかった。

さっきの灯台と反対側の海、湾に出ました。






駐車場に戻るところ。これからもう1箇所行くのだ。「付き合うからには何かお楽しみが欲しいの」とか言っとったね。
「どうだった?」
「う~ん、静かでいいけど。動きが無いからねぇ」
「・・・」
「やはり滝の方がいいな。どっか滝ないの?」
私はズッコケそうになった。

(神池は大瀬神社の境内なので池の拝観時間は日の出から日没までです。)
波が打ち寄せないのです。
いや、そりゃ多少のさざ波は来てますよ。砂を撒くぐらいの音、サーッとささやくような音で波が来るだけ。
巨大なみずたまりに見える。水は澄んでいます。これぐらいキレイな海、静かな海があるのかと。
ここは伊豆半島の西の角っこにある大瀬崎(おせざき)の浜辺です。




浜辺を歩くジャン妻です。
ダイバーが幾人かいて潜ったり出たり浜に上がったりしている。そこらじゅうに酸素ボンベがたくさん並んでいた。



静か過ぎるこの湾は、台風でも来ない限りほぼ1年中潜れるそうです。
ダイバーたちの人気スポットの理由は、
①晴天時には富士山が望める。(この日はあいにくこっち側の富士山は雲に隠れてた。)
②海の生物が豊か。マンボウやマンタもいるらしい。
③海底が砂利で砂が舞いあがらない。
④流入する河川が無いので海水の透明性が高い。
⑤三方を陸に囲まれた湾なので、天候に影響されず海が穏やか。
⑥船で起きに出ないで海岸からドボンと潜水できる。
⑦浜辺から見ると浅そうですが、すぐ深くなる。
なので体験者、初級者から上級者まで幅広く潜れるんだって。
ダイバーや海水浴客が対象の休憩、食事を兼ねた宿泊所、マリンショップ、この時期は閉鎖された海の家が並んでいます。
ここへ来るにはくるまでの道筋だけなら至って簡単で、伊豆中央道の長岡ICで下りて130号線を海方向へ(東京からだと右折、天城からだと左折)すぐ海に出るので三津三叉路を左へ。後は延々海沿いの県道17号沼津土肥線を走るだけです。
バス路線もある立派な県道ですが、途中に行き違いが困難な狭い箇所が多少あります。急カーヴも。車線や線形を改良する工事も各地で見受けられた。
大瀬崎への分岐Y字路を下ると大瀬崎私営駐車場に到着します。
今日は平日なので閑散としていた。駐車場も私らともう2台ぐらいしか停まっていない。係員もいなかった。
大瀬崎、岬の突端に向けて歩きます。
伝承から引用するとこの岬は白鳳13年(684年)だから天武天皇の時代、その年の地震で島(琵琶島)が隆起して、その後長い年月でに砂州が形成され陸に繋がって現在の形状になったと。
半島としての長さはおよそ1kmぐらいです。
その先へ歩きます。大瀬崎はその名のとおり岬ですが、岬の突端に直径100mほどの淡水湖があるんですよ。
砂利浜として整備されている浜辺の道は自家用車は入れないので徒歩で。大瀬神社の鳥居が見えてきた。

森のようですが境内なのです。ひとり100円の参観料を支払います。

ビャクシンの樹林の中の小道を歩いて、視界が開けたその辺りには・・・。


神池です。最大で直径100mほど。

淡水池です。海水じゃないです。池の畔に立って覗いたら大量の鯉たちが口をパクパウさせながら寄ってきた。
船山温泉の鯉より数が多くてカオス状態。

このすぐ先に鯉のエサが自販されてます。鯉は人間に馴れきっているようですな。




そのすぐ先に神池の解説板があります。難しい文体ですが。

『此の神池は岬角の末端より内に少々五十米謂はば〇皮に包まる饅頭の如く面積六千六百平方米の霊地にして縁には葦アブラガヤ多数繁茂し鯉・鮒・鯰等の淡水魚数多く群棲す。海に近い観念を一変して奥深き山湖を偲ばしめる誠に神池といふ相応しき光景である。海浜僅か五十米に隔つる自然の淡水池を見るは実に奇異と云はざるを得ず、潮の気配聊かもなく伊豆七不思議の一つに数えられ池には池明神(水波之〇神)を祀り諸人等の信仰篤く今も尚池及魚に依って種々の心願を掛け若し池に入り魚を害するときは神罰覿面と云はれ昔より今に此の不成文の禁を犯したる者が或は死し或は精神喪失その他不慮の危難に遭遇したる実例を伝え相誡めて居る。依って今尚池水の深淺底壁の組織の如き実施調査したる人無く伝説によってこの神池は保護されている。岬には神木と云はるびやくしんあり、相並びて不思議のこの池あり。これ等大瀬岬の荘嚴と絶勝とを添え敬神上保勝上学術研究之を永遠に保存するものなり。大瀬神社』
判読できなかったり読みが難解な箇所を調べてみたのですが。
〇皮に包まる・・・(法被に包まるじゃないかなぁ・・・ジャン妻)
聊かもなく・・・(いささかもなく)
水波之〇神・・・(〇が変換できません)
神罰覿面・・・(しんばつてきめん)
荘嚴・・・(そうごん)
平成31年3月10日追記。100円支払って得た入場券の裏に原文が訳されて載ってました。


神池のある大瀬崎は駿河湾に突き出ているのですが、周囲が海なのにここだけ淡水池なのです。
神池は上空から見ると岬の先端にあるドーナツのようになっていて、ドーナツの空洞を池に例えたら、ドーナツの部分が今私たちが歩いている遊歩道のある陸地です。
その幅は狭く高さも低い。内にある池と外にある駿河湾を隔てるドーナツの陸地は狭いところで20m、高さも1mほどしかないのに淡水池・・・。

その先にまた解説板が見えるぞ。
ここに居住してこの地を護り、納めていた武人の館跡です。


『鈴木繁伴館跡
建武の頃、今より六百四十年前元弘三年、鈴木繁伴なる武人(水軍)紀州熊野藤日を出船この地に来り、引率の郎党三十余人とともにここにたてこもる。観応二年足利直義に属し駿州薩埵山にて敗戦し、伊豆江莉の山中に隠れ其の後貞治六年、繁伴関東管領足利氏満に招かれ伊豆・相模両国の船大将を命ぜらる。神を尊敬する志篤く御社の破瀼したるを見て財を惜しまずこれの修理を爲し、やがて北条早雲に従ひ小田原北条氏と運命を共にしこの地より姿を消している。昔の面影を偲びこれを永く史績として保存する
大瀬神社』

鈴木繁伴が居住していた館跡は池を時計廻りに歩いた左手のビャクシン樹林の中にありました。そこらに小さい石積みと低い崩れた土塁、石が散らばっている程度です。
無理して見れば小さい区画に見えないこともない。
飲料水はどうしていたのだろうか。雨水か?





館跡を抜けて池と反対側に歩くと、数10mで海に出ます。そこには大瀬崎灯台が。


なので館跡は池の畔に面していて、海辺にある館跡ともいえる。




海を背にして館跡敷地内を戻ります。ここ大瀬崎の先端部にある館跡は紀州からやってきた鈴木繁伴がここ江梨村に上陸した際の初期の居館だそうです。
繁伴は大瀬神社で祭祀も努めていたので、武人であり領主、海賊、船大将、神官、いろいろ兼務していたのでしょう。
鈴木氏は北条氏に出仕したことで伊豆の江梨五ヶ村を支配した。伊勢新九郎の北条早雲が小田原城を奪取した明応4年(1495年)以降、明応7年8月には明応地震が発生し、伊豆では西伊豆の仁科、土肥、戸田、そして江莉が津波に襲われている。この池の畔の館も津波に襲われた。繁伴や鈴木氏はその後、ここから沼津方面に少し戻った西浦江莉に館を移したともいう。


池の畔の散策路に戻ります。岬の突端の辺りまで来る途中でジャン妻が嬉々とした声をあげた。
「ねぇねぇ、カメがいるよ」
カメが数匹、甲羅干をしていた。

「何てカメだろ?」
「さぁ。黒っぽいけど」
そのカメ君たちは私たちを見て外敵だと思ったのか、慌てたようにノソノソ動いて池の中にドボンと飛び込んでしまった。



鈴木繁伴氏が館を西浦江莉に移して北条氏が滅んだ後、この池は大波や津波に何度も洗われたと思いますが、神池は淡水のまま現在に残っている。
海からさほど離れていないどころか、都会でいうと中央分離帯を含めて片側2車線、両側4車線の道路の幅、距離しかないのに、池の水に海水が含まれてないというのは驚異でしかない。海はそれこそ目と鼻の先にあるのです。台風や海が荒れた日には海水が吹き込むのは必定だが、それでも淡水の池で鯉やカメの棲み家になっている。

突端の辺りまできました。この先で進行方向右側にある池の視界は木々や林に遮られて徐々に見え難くなります。左手に駿河湾が見えてきます。
この道のすぐ右は池で、左には海が。。。

ここに来るまでに写真家の方なら、季節によってはビャクシン樹林の隙間を探して、神池と駿河湾の海を1枚のフレームに収める撮影スポットを探せることでしょう。私は見つけられなかった。

さっきの灯台と反対側の海、湾に出ました。






駐車場に戻るところ。これからもう1箇所行くのだ。「付き合うからには何かお楽しみが欲しいの」とか言っとったね。
「どうだった?」
「う~ん、静かでいいけど。動きが無いからねぇ」
「・・・」
「やはり滝の方がいいな。どっか滝ないの?」
私はズッコケそうになった。

(神池は大瀬神社の境内なので池の拝観時間は日の出から日没までです。)
2019-02-19 05:44
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二町通り [風景]

西富岡駅から市街地のさる場所へ挨拶に出向いて旧国道商店街を歩いてきた。
群馬に赴任中はこの通りを何回か走りましたが、とうとう今日まで富岡製糸場には行くことはなかった。なんだか私の興味の範疇・カテゴリーに入らないのです。
まさか世界遺産に認定されるとは。
ここからすぐ西にある上州七日市藩邸跡には行ったことがあります。加賀前田藩の支藩です。墓所にも行ったし。
でも製糸場には今も、これからも行こうという気にならないだろうな。
次の上州富岡駅発は16:22でそれまでに駅に戻らなくてはならないのだが。(高崎着は16:59)
上州は陽の沈むのが早い。時間が限られている。富岡製糸場の東にある街並みを見よう。

製糸場の正門には若い女性の警備員、誘導員がいて、これから店を開ける板前ぽいオヤジがその警備員をからかってたぞ。(写真左)
私の右後ろから年配の女性(商店街のオバちゃん)が、
「いいねぇ若い子は。若い子の方がいいでしょう」
「んなこたぁねぇよ。みんないいんだ」
「そんなことないわよぉ。若い子の方がいいに決まってるよぉ」
何がいいのかワカランが。ヘンな妄想を振り切って左手に製糸場を見ながらその先を歩き、殆どの観光客が左折するところを敢えて右折します。
そこにいきなりこんなのがある。

アルバイトサロン?
アルサロか。懐かしい響きだ。
アルバイト・サロン、アルサロなんて今は殆ど死語じゃないかな。要は小さい規模のキャバレーで、会社勤めの女性や家庭の主婦などが女給(ホステスのこと)をしている店のことですよね。素人のアルバイトという触れ込みで客を引くあれです。素人さんが好きな殿方っているでしょ。
私?興味ないよ。何で金を払って店の女性に気を遣わなきゃいけないんだ。私はガールズ・バーですら入ったことない人ですよ。
アルサロ云々よりも、県内より県外から多くの来訪者が多い世界遺産・富岡製糸場のすぐ隣の路地はこういう風景なのです。






その辺りの路地の情景です。ひとクセ有り気な店が立ち並んでいますね。
まだ店を開けるには早い時間です。この日は1月4日なので、まだ全部の店がOPENするかどうかわからないが。
見慣れて来るとDEEPだがなかなかいい雰囲気に見えてくる。



この建物なんかいいですね。

高齢の女性2人連れが普段着で歩いていて、店の扉を開けて中へ入ってったりするから通いではなくて住居も兼ねているのかも。
猫もいた。キツい目をした猫がグタ~っと寝てたので、からかい半分に近づこうとしたら「シャーッ!!」って私を威嚇した。近寄るんじゃないわよって。

この辺りは製糸場のすぐ東で二町通り、銀座通りというのですが、この辺りを検索すると戦前~戦後まで遊郭があったという記述がみられます。
群馬県は廃娼県を宣言していたので表向きでは遊郭や赤線はなかったことになっていますが、それは公娼が廃止されたが為に私娼として鞍替えして存続したということ。当時でいう「乙種料理店」が少なからずあったのではないか。
高崎市の柳川町と違ってここ富岡製糸場の歓楽街の変遷については史料の裏付けがないのですが、世界遺産のすぐ近くにあるこの界隈は現在でも多くの飲食店が軒を連ねる群馬を代表する夜の街のひとつだという。
他で検索するとそうハッキリ謳っている解説のペラがあるんです。こういうデザインで。

これの「遊郭がありました」バージョンが何処かにある筈なのですが今回はみつからんかった。
だが、この萬屋さんという店を見てください。

表の間口は新しめですが、奥にクラシックな施行がずーっと長く続いています。お座敷だろうか。

そして店の入り口には、



「お知らせ 二十才未満の方は群馬県風俗営業等取締法施行条例第二十六条の規定により客として当店に入場するのをおことわりいたします。昭和三十四年四月 営業主」
この黒板と白く達筆で書かれた文字は昭和34年往時のものなのか。それとも往時を意識して敢えて店側の意志で書きなおしたのか。
昭和34年は私は売春防止法が猶予期間を経て完全施行され、赤線が廃止されたた昭和33年(1958年)の翌年です。赤線云々については高崎市柳川町の項を見てください。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-05-31)
日付が微妙です。表向き料理旅館に転業したけど、かつては客と仲居さんとが座敷内で交渉が成立したら?と思わないでもないでしょう。
更地もあった。さっきの萬屋さんの隣も更地になっていたが、建物が老朽化して取り壊された箇所、そこだけ西に沈もうとしている陽射が眩しかったりする。なるほど細い路地なので消防車が入れないかも知れない。







近代工業発祥の裏にある歓楽街、そこに人が集まる以上は色街があるものなのか。古いスナック街にありがちな暗さ、ジメジメした雰囲気も少しは漂っているが、高崎の柳川町のような怖さは感じられなかった。世界遺産に認定された富岡製糸場に来る観光客が気まぐれに路地を出入りしたりするので、こうして撮影しても警戒感や違和感が無いからだと思う。
夜に来たことはないし今後も来ないでしょうな。遠過ぎます。上信電鉄の終電乗り遅れたらタイヘン。

路地から表通りに出るところ。
群馬銀行、群銀です。この群銀へジャン妻を乗せて何回通ったことか。

群銀さんに来ることで知った新洋亭、美味かったな~。名物ママはお元気かな。
https://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-11-5

急行食堂は一度だけ入ったよ。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2016-05-29-3
ゆっる~い食堂だったな。新洋亭さんのようにいい意味での商売っ気が無いんだモン。

この店は未訪です。

前に行った東苑さんが見える。2回行っています。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10

上信電鉄の他の駅はクラシックな装いが多いのにこの駅は新しくて何だか違和感がある。製糸場に来訪される観光客の玄関口だから投資したんだろうな。職員も多いし。


電車が来るまで時間があったので駅窓口で聞いたんですよ。
「製糸場の東に二町通りってあるだろ?」
「???」
「あそこには遊郭みたいなのがあったんか?」
こう書くと私の言い方はかなり横柄ですが、目と顔は笑ってます。静かな声音で言いましたから。でも窓口にいた若い男性職員は私みたいな柄のいい??オッさんにいきなり遊郭なんてのを聞かれたので当惑している」
「ユウ・・・何でしょうか?」
「遊郭だよ。妓楼」
「ユウカクですか?」
わかんないのかよ。若いのは隣にいたベテラン職員に助けを乞う視線を送った。
代わりに出てきたベテラン職員も「遊郭ですか?いや~そういうのはちょっとわからないんですが・・・。向こうのタクシー窓口に聞けば。運転手さんの方はそういうのを知ってるかもです」
離れたところにタクシー窓口があって職員が男女合わせて3人、手配する無線所か運転手さんの控室らしいが、居眠りしてましたね。問い合わせる為に寝てるのを起こしてしまった。だが聞かない訳にはいかない。
「製糸場の東にある二町通りを歩いたのだが、あのアヤしい通りには遊郭があったのか?」
「ニチョウ通り?」
寝ぼけてるのかい?意識がハッキリしないようだな。
傍らの女性職員が「製糸場の隣ですよ。ユウカクですって」
「ユウカク・・・ですか?・・・さぁ・・・」
「高崎の柳川町のような赤線地帯だったとか」
「いや~、ここは柳川町とは違うと思いますね」
赤線と柳川町は通じたが、地元の遊郭の情報は得られなかったのです。
昔は公娼街だったのが鞍替えして、現在でも風俗営業が多く集まる地域がありますが、富岡はそういう街ではないようです。
だが旧い街並、建造物は再開発や消防法・耐震性の問題等で解体され減っていく。群馬県下で私は高崎柳川町、太田駅北口辺りでそういう旧い建物を見たが(桐生にもあるそうです)ここ富岡は再開発は無いにせよいずれ消えていく運命にあるのだろう。
2019-02-08 08:00
コメント(4)
彷徨い~高崎最後の夜? [風景]
あら町を出て、連雀町、田町、九蔵町を歩いて椿町へ。





うさぎ、休みかぁ!!
あ、そうか。今日明日は定休日だった。
ここまで歩いて来たのに。
うさぎの羅漢町時代の相棒の店は開いているが。ここは飲み屋というより食堂だし。
克で急いでたらふく食べてしまったからなぁ。






あ、亮さん開いてる。
盆の週なのにエライな。
店を営ってる方が身体にいいんだろうな。


懐かしい。
私らが1年いたマンションです。
あの部屋に還りたいよ。

この通りを毎日歩いたんだ。


この店はあの頃は無かった。
駐車場だった場所に新たに建った高層マンションの1階にある。

昔のロツレ、今はルケ。

月輪さん、早仕舞いしやがったな。

ラノロさんもお休みだった。
休んで何してんだろうね。〇郎さんは。

浜潮のマスターと女性スタッフに会いたいです。
何処かでバッタリ会うような気がしないでもない。

七は営っていた。
ガラッガラでしたね。
カオを出されたのでご挨拶だけした。





通り町の裏通り。

ASLIで飲み直し。








何を話したんだっけか。
安中羅漢亭。
ハンガーノック。
水キムチ。
ミツカンドレッシングビネガー。
ダリアン、朝鮮飯店、チェーン居酒屋のネタ。
よく覚えてないのだが。
お客は誰も来なかったな。











この出張のあと、先日、上役に呼ばれて、
「自ら動かないで現地人にやらせてください」
釘を刺されたんですよ。群馬と静岡ね。
「今は〇〇さん(私のこと)が地方でひとりひとりに丁寧に対応していますが、もし彼女のように〇〇さんが長期入院したら(※)引き継いだ者は〇〇さんのようにできないです。すぐ現地にやらせることになります」
「まぁ今のやり方は私1代で終わりでしょうね」
「(苦笑)今からそういう方向にシフトしていかないと。いや、〇〇さんのやり方を否定してるんじゃないですよ」
否定してるんじゃない・・・?
これは私のカオにムッとした表情が出たんでしょうね。慌てて取り繕ったみたいだった。
(※)私と長年ソリの合わないオンナが長期入院して不在なのです。そのオンナだけに一任していたことで留守中やや支障をきたしているのだ。
静岡の社員は「それって経費削減じゃないですか?」って。
「だよなぁ。書類作成だけだったら自分なんか要らねぇよなぁ。」
辞めてやろうかと思ったよ。なので今回は、もしかしたら公的には高崎最後の夜になるかもしれない。うさぎに会いたかったな。





うさぎ、休みかぁ!!
あ、そうか。今日明日は定休日だった。
ここまで歩いて来たのに。
うさぎの羅漢町時代の相棒の店は開いているが。ここは飲み屋というより食堂だし。
克で急いでたらふく食べてしまったからなぁ。






あ、亮さん開いてる。
盆の週なのにエライな。
店を営ってる方が身体にいいんだろうな。


懐かしい。
私らが1年いたマンションです。
あの部屋に還りたいよ。

この通りを毎日歩いたんだ。


この店はあの頃は無かった。
駐車場だった場所に新たに建った高層マンションの1階にある。

昔のロツレ、今はルケ。

月輪さん、早仕舞いしやがったな。

ラノロさんもお休みだった。
休んで何してんだろうね。〇郎さんは。

浜潮のマスターと女性スタッフに会いたいです。
何処かでバッタリ会うような気がしないでもない。

七は営っていた。
ガラッガラでしたね。
カオを出されたのでご挨拶だけした。





通り町の裏通り。

ASLIで飲み直し。








何を話したんだっけか。
安中羅漢亭。
ハンガーノック。
水キムチ。
ミツカンドレッシングビネガー。
ダリアン、朝鮮飯店、チェーン居酒屋のネタ。
よく覚えてないのだが。
お客は誰も来なかったな。











この出張のあと、先日、上役に呼ばれて、
「自ら動かないで現地人にやらせてください」
釘を刺されたんですよ。群馬と静岡ね。
「今は〇〇さん(私のこと)が地方でひとりひとりに丁寧に対応していますが、もし彼女のように〇〇さんが長期入院したら(※)引き継いだ者は〇〇さんのようにできないです。すぐ現地にやらせることになります」
「まぁ今のやり方は私1代で終わりでしょうね」
「(苦笑)今からそういう方向にシフトしていかないと。いや、〇〇さんのやり方を否定してるんじゃないですよ」
否定してるんじゃない・・・?
これは私のカオにムッとした表情が出たんでしょうね。慌てて取り繕ったみたいだった。
(※)私と長年ソリの合わないオンナが長期入院して不在なのです。そのオンナだけに一任していたことで留守中やや支障をきたしているのだ。
静岡の社員は「それって経費削減じゃないですか?」って。
「だよなぁ。書類作成だけだったら自分なんか要らねぇよなぁ。」
辞めてやろうかと思ったよ。なので今回は、もしかしたら公的には高崎最後の夜になるかもしれない。うさぎに会いたかったな。
2018-09-17 11:12
コメント(2)
上州三途川 [風景]
現世と彼岸の境目に流れる川を「三途川」といふ。
三途とは三悪道(餓鬼道、畜生道、地獄道)のこと。川を渡る方法として、善人は金銀七宝で造られた橋を渡り、軽罪人は浅瀬を渡河し、重罪人は深い瀬、難所を渡る、とされていたのが、平安時代末期に善人も罪人も渡し船で渡河する考え方に変わった。
渡し船で渡河するには渡し賃がかかる。六文と定められている。真田家の家紋のあれです。六道は、餓鬼、畜生、地獄、修羅、人間、天上、6つの世界を表す。
2004年の大河「風林火山」では、群馬県安中市上後閑にある長源寺(曹洞宗)のにいた晃運字伝という僧が、上州を去って武田に降る真田幸隆に、選別として渡されたのが六つの銭だった。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-07-20-6
あの銭は渡し賃です。
三途川は日本に3つか4つあって、
千葉県長生郡長南町に4.5km、
宮城県刈田郡蔵王町に1.8km、
有名な青森県の恐山、宇曽利山湖から流れる正津川も湖畔で渡る辺りを三途川といふ。賽の河原があり、積み石がされている。

もうひとつ。三途川は上州にもある。群馬県甘楽郡甘楽町を東西に結ぶ国道254線(西上州やまびこ街道)金井交差点から西側に歩道橋があり、その下を三途川が流れている。
上信電鉄なら上州新屋駅が最寄駅。高崎、吉井方面から新屋駅に入る直前に駅ホーム端を流れています。駅ホーム端から三途川鉄橋を覗いてみた。

上州新屋駅の駅前ロータリーを出てみる。

国道方面へ歩くとすぐに大きい表示が見えます。


初めて見た人はギョッとするだろう。でもここでもうあっさりと三途川を渡ってしまっている。六文銭無しで。
渡ったのは私だけじゃない。くるまがビュンビュン走っている。近隣は住宅も多く建っているから生活道でもあり、旧国道とバイパスを結ぶ裏道でもある。なので走行するくるまの量は少なくないです。




ここから川に沿って歩いてみた。
三途川はこれでも一級河川なので大雨時にはかなりの水量になるのではないか。一級河川には見えないが。
国道交通省のHPから。
『河川は上流部から小さな河川の合流を繰り返しながら徐々に海へ向かうにしたがい大きな河川となっていきます。
これら一群の河川を合わせた単位を「水系」と呼んでいます。
1965年に施行された河川法によって、国土保全上または国民経済上、特に重要な水系で政令で指定されたものを「一級水系」と呼んでいます。一級水系に係る河川のうち河川法による管理を行う必要があり、国土交通大臣が指定(区間を限定)した河川が「一級河川」です。
「二級河川」は一級水系以外の水系で公共の利害に重要な関係があるものに係る河川で、河川法による管理を行う必要があり、都道府県知事が指定(区間を限定)した河川です。
一級河川と二級河川とは、水系が違うので、同じ水系内に一級河川と二級河川が併存することはありません。
一般的には一級河川の方が規模も大きく、洪水等による災害が発生した場合の被害が大きいといえます。』
三途川は一級河川に見えないがなぁ。



人道橋が架かっていた。何だか手造りの感もする。自転車ぐらいなら渡れそうです。
この辺りにこういうものがないと住民の行き来が不便だから地元で架橋したのでしょう。

人道橋に乗って前後を望遠したところ。


三途川は緩やかにカーヴしている。

ここ上州の三途川は賽の河原も積んだ石も無い。自然の川というよりも、護岸工事が施された農業灌漑用水とそれを逃がす水路のようだ。

国道254号線が見えてきた。

国道254がこの川を渡るコンクリートの橋を三途橋という。橋にはプレートがかかっている。




御堂がある。この御堂があるのは知ってました。私は平成24年~翌25年3月まで滞在したが、その間、私は回数を覚えてないほどこの三途橋を東西に渡河してるのですよ。
最初の頃は新道のバイパスを走行していたのですが、バイパス沿いには飲食店が殆ど無かったので、旧国道沿いを走るようになったのです。この御堂と三途川界隈に地元の信金の支店があり、そこを解約するのに出向いた時に「三途川を見つけたの。
最初は「何だこの名前は?冥界への入口か?」と思った。ただ、くるまだからあっという間に過ぎてしまい、こうしてしっかり見たことはなかった。

三途川には懸衣翁、奪衣婆という老夫婦の番人がいて、渡河銭の六文銭を持たない死者が来たら渡し賃の代わりに衣類を剥ぎ取るのだが、御堂にはその奪衣婆を祀ってあると。
脱衣ではなくて奪衣です。これはおそらく悪童に対しての戒め「悪いことをすると衣服を剥ぎ取られるよ」なんだろうね。



解説板が西日に反射して読みにくいのだが。こうあった。
「三途川は利根川水系白倉川の支流で、水源地から長さ約2.5キロ流れて白倉川に合流する。
三途橋は国道254号に架かる。脱衣婆が祀られる姥子堂は鍵がかかり普段は入れないが、窓の隙間から見ることはできる。
問い合わせは宝勝寺。群馬県甘楽町金井375の1(以下、電話番号)」
窓の隙間から見ることはできるってか。でも止めといた。うっかり覗いてその奪衣婆と目があったら。



歩道橋に上がってみる。
御堂を見下ろす。くるまがひっきりなしに三途川を渡っている。

ここから上流、山の方角です。

ここから川の源流まで2kmも無いようです。総延長2.5km足らずだから冬場ならここから川に沿って上信越道近くの源流まで歩いて行けそうだが。
その総延長2.5kmの間にMAP上で数えてみたら、三途川を渡る橋の数は、大小合わせてだいたい16橋あった。幾つかの生活農道がこの川を普通に渡河していた。
そして上信越自動車道、甘楽PAのすぐ南で消えている。

東西を貫く国道254線富岡バイパス(西上州やまびこ街道)はこの川を渡っていません。三途川は新屋駅の北で、鏑川の支流である白倉川と合流しており、その白倉川を渡っています。
そのすぐ先、白倉川は西上州の大河、鏑川に注いでいます。

新屋駅に戻ります。また三途川を渡ります。



駅舎には女子高生が2人いて、女らしくないカッコしてグデェ~ッとしておったよ。
駅舎の中は西日が射しこみサウナ状態でいられないです。
新屋駅は無人駅です。券売機もない。車内で整理券を取って終点高崎駅で精算するのです。

汗びっしょりになったので肌着を替えることにした。外回りの私はこの時期、カバンの中に替えの肌着、シャツを必ず1枚持っている。他に制汗剤や香水も。
では何処で着替えるか。駅舎にはさっきの女子高生がいたし。駅ホーム、三途川鉄橋寄りに簡易的な待合所があった。上州は風が強いので、上信電鉄も上毛電鉄もそうですが、どんな小さい無人駅ホームにもこういう退避所があるのです。他に誰もいないし。その中で着替えました。

その待合所は三途川の隣といえば隣にある。すぐそこを流れている。着替えたことで三途川を管理する奪衣婆に肌着を剥ぎ取られた気がしないでもないな。

上信電鉄高崎上り電車がキタ。
この電車で高崎へ戻るにはまた三途川を渡らなくてはならない。
六つの銭が乗客の数だけ必要なのだ。私自身の運賃は六文銭どころか確か620円だったかな。三途川を渡る上信電鉄は結構高い運賃なのだ。




前面展望?今まさに電車が三途川を渡るところです。
運ちゃんはこの鉄橋が現世と彼岸の境目に流れる川を渡るのを知っているのだろうか。





今度は旧車なので揺れます。上信電鉄のボロ車両は、左右に振られるだけではなく上下にも揺れるんですよ。乗馬してるみたいだ。
この日は泊まらずに日帰りなのですが、群馬八幡から呼び出しが。。。
三途とは三悪道(餓鬼道、畜生道、地獄道)のこと。川を渡る方法として、善人は金銀七宝で造られた橋を渡り、軽罪人は浅瀬を渡河し、重罪人は深い瀬、難所を渡る、とされていたのが、平安時代末期に善人も罪人も渡し船で渡河する考え方に変わった。
渡し船で渡河するには渡し賃がかかる。六文と定められている。真田家の家紋のあれです。六道は、餓鬼、畜生、地獄、修羅、人間、天上、6つの世界を表す。
2004年の大河「風林火山」では、群馬県安中市上後閑にある長源寺(曹洞宗)のにいた晃運字伝という僧が、上州を去って武田に降る真田幸隆に、選別として渡されたのが六つの銭だった。
https://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-07-20-6
あの銭は渡し賃です。
三途川は日本に3つか4つあって、
千葉県長生郡長南町に4.5km、
宮城県刈田郡蔵王町に1.8km、
有名な青森県の恐山、宇曽利山湖から流れる正津川も湖畔で渡る辺りを三途川といふ。賽の河原があり、積み石がされている。

もうひとつ。三途川は上州にもある。群馬県甘楽郡甘楽町を東西に結ぶ国道254線(西上州やまびこ街道)金井交差点から西側に歩道橋があり、その下を三途川が流れている。
上信電鉄なら上州新屋駅が最寄駅。高崎、吉井方面から新屋駅に入る直前に駅ホーム端を流れています。駅ホーム端から三途川鉄橋を覗いてみた。

上州新屋駅の駅前ロータリーを出てみる。

国道方面へ歩くとすぐに大きい表示が見えます。


初めて見た人はギョッとするだろう。でもここでもうあっさりと三途川を渡ってしまっている。六文銭無しで。
渡ったのは私だけじゃない。くるまがビュンビュン走っている。近隣は住宅も多く建っているから生活道でもあり、旧国道とバイパスを結ぶ裏道でもある。なので走行するくるまの量は少なくないです。




ここから川に沿って歩いてみた。
三途川はこれでも一級河川なので大雨時にはかなりの水量になるのではないか。一級河川には見えないが。
国道交通省のHPから。
『河川は上流部から小さな河川の合流を繰り返しながら徐々に海へ向かうにしたがい大きな河川となっていきます。
これら一群の河川を合わせた単位を「水系」と呼んでいます。
1965年に施行された河川法によって、国土保全上または国民経済上、特に重要な水系で政令で指定されたものを「一級水系」と呼んでいます。一級水系に係る河川のうち河川法による管理を行う必要があり、国土交通大臣が指定(区間を限定)した河川が「一級河川」です。
「二級河川」は一級水系以外の水系で公共の利害に重要な関係があるものに係る河川で、河川法による管理を行う必要があり、都道府県知事が指定(区間を限定)した河川です。
一級河川と二級河川とは、水系が違うので、同じ水系内に一級河川と二級河川が併存することはありません。
一般的には一級河川の方が規模も大きく、洪水等による災害が発生した場合の被害が大きいといえます。』
三途川は一級河川に見えないがなぁ。



人道橋が架かっていた。何だか手造りの感もする。自転車ぐらいなら渡れそうです。
この辺りにこういうものがないと住民の行き来が不便だから地元で架橋したのでしょう。

人道橋に乗って前後を望遠したところ。


三途川は緩やかにカーヴしている。

ここ上州の三途川は賽の河原も積んだ石も無い。自然の川というよりも、護岸工事が施された農業灌漑用水とそれを逃がす水路のようだ。

国道254号線が見えてきた。

国道254がこの川を渡るコンクリートの橋を三途橋という。橋にはプレートがかかっている。




御堂がある。この御堂があるのは知ってました。私は平成24年~翌25年3月まで滞在したが、その間、私は回数を覚えてないほどこの三途橋を東西に渡河してるのですよ。
最初の頃は新道のバイパスを走行していたのですが、バイパス沿いには飲食店が殆ど無かったので、旧国道沿いを走るようになったのです。この御堂と三途川界隈に地元の信金の支店があり、そこを解約するのに出向いた時に「三途川を見つけたの。
最初は「何だこの名前は?冥界への入口か?」と思った。ただ、くるまだからあっという間に過ぎてしまい、こうしてしっかり見たことはなかった。

三途川には懸衣翁、奪衣婆という老夫婦の番人がいて、渡河銭の六文銭を持たない死者が来たら渡し賃の代わりに衣類を剥ぎ取るのだが、御堂にはその奪衣婆を祀ってあると。
脱衣ではなくて奪衣です。これはおそらく悪童に対しての戒め「悪いことをすると衣服を剥ぎ取られるよ」なんだろうね。



解説板が西日に反射して読みにくいのだが。こうあった。
「三途川は利根川水系白倉川の支流で、水源地から長さ約2.5キロ流れて白倉川に合流する。
三途橋は国道254号に架かる。脱衣婆が祀られる姥子堂は鍵がかかり普段は入れないが、窓の隙間から見ることはできる。
問い合わせは宝勝寺。群馬県甘楽町金井375の1(以下、電話番号)」
窓の隙間から見ることはできるってか。でも止めといた。うっかり覗いてその奪衣婆と目があったら。



歩道橋に上がってみる。
御堂を見下ろす。くるまがひっきりなしに三途川を渡っている。

ここから上流、山の方角です。

ここから川の源流まで2kmも無いようです。総延長2.5km足らずだから冬場ならここから川に沿って上信越道近くの源流まで歩いて行けそうだが。
その総延長2.5kmの間にMAP上で数えてみたら、三途川を渡る橋の数は、大小合わせてだいたい16橋あった。幾つかの生活農道がこの川を普通に渡河していた。
そして上信越自動車道、甘楽PAのすぐ南で消えている。

東西を貫く国道254線富岡バイパス(西上州やまびこ街道)はこの川を渡っていません。三途川は新屋駅の北で、鏑川の支流である白倉川と合流しており、その白倉川を渡っています。
そのすぐ先、白倉川は西上州の大河、鏑川に注いでいます。

新屋駅に戻ります。また三途川を渡ります。



駅舎には女子高生が2人いて、女らしくないカッコしてグデェ~ッとしておったよ。
駅舎の中は西日が射しこみサウナ状態でいられないです。
新屋駅は無人駅です。券売機もない。車内で整理券を取って終点高崎駅で精算するのです。

汗びっしょりになったので肌着を替えることにした。外回りの私はこの時期、カバンの中に替えの肌着、シャツを必ず1枚持っている。他に制汗剤や香水も。
では何処で着替えるか。駅舎にはさっきの女子高生がいたし。駅ホーム、三途川鉄橋寄りに簡易的な待合所があった。上州は風が強いので、上信電鉄も上毛電鉄もそうですが、どんな小さい無人駅ホームにもこういう退避所があるのです。他に誰もいないし。その中で着替えました。

その待合所は三途川の隣といえば隣にある。すぐそこを流れている。着替えたことで三途川を管理する奪衣婆に肌着を剥ぎ取られた気がしないでもないな。

上信電鉄高崎上り電車がキタ。
この電車で高崎へ戻るにはまた三途川を渡らなくてはならない。
六つの銭が乗客の数だけ必要なのだ。私自身の運賃は六文銭どころか確か620円だったかな。三途川を渡る上信電鉄は結構高い運賃なのだ。




前面展望?今まさに電車が三途川を渡るところです。
運ちゃんはこの鉄橋が現世と彼岸の境目に流れる川を渡るのを知っているのだろうか。





今度は旧車なので揺れます。上信電鉄のボロ車両は、左右に振られるだけではなく上下にも揺れるんですよ。乗馬してるみたいだ。
この日は泊まらずに日帰りなのですが、群馬八幡から呼び出しが。。。
2018-09-05 06:56
コメント(6)
水沢街道沿いにあるもの [風景]
今日の記事は「こういうものがあります」というものにとどめておいてください。中には入っていませんので。
渋川の南隣にある吉岡町から伊香保温泉へ向かう道を群馬県道15号線、通称・水沢街道というのですが、この街道は前橋市総社町を起点として中国料理・竜苑のすぐ近くで西に折れ、伊香保温泉へだらだら上っていく名物街道です。
伊香保に近づくほど水沢うどんを提供する店が増えてくる。私は水沢うどんと銘打った乾麺しか食べたことがないがコシの強いうどんだった。
この写真は高崎に住んでた頃、部下の女性が現地で食べたのを送ってくれたの。

その15号線を走ってると水沢うどん界隈に至るまでに「これが群馬のB級スポットだ」と胸を張って言えるアヤしいスポットがある。
伊香保温泉に向かうのにこの街道を走ると嫌がおうにも目に留まる筈である。
西に向かって走ってるとナビに上越新幹線が表示されますが、地下を長大トンネルで走っているので地上ではわからない。そこを過ぎた辺り。
まずこれです。

路肩に停めて渋川(吉岡町)方面を振り返って撮影した。

敷地内にはくるまが2台停まっていた。平日なのに館内に入館者がいるらしい。
こっちは誰かに見られてないか周囲が気になった。吉岡町にも榛東村にもウチの社員いるし。


外観のみです。時間の都合で中には入っていません。

入れって?
何故入館しなかったかって?
時間が無いからですよ。こことこの先にある施設とセットで入館したら陽が暮れてしまう。こういうのにあまり興味がないのもある。入る勇気もないし私自身のノリが悪いのかも知れない。
群馬に住んでた頃、伊香保温泉ぴのんへ泊まったことがある。
その時、私らはくるまだとすぐ着いてしまうので旅情が感じられないからという理由で高崎駅からバスで向かった。
そのバスはバス亭・上野田四ツ角辺りでこの15号線に入っている。その次の次の北野という停留所の辺りで上越新幹線をクロスする。あの時もこのミュージアムの前を通った筈だが記憶にないのだ。
この先にも有名な施設があります。


おもちゃと人形と自動車の博物館??この手のクラスは伊豆高原辺りに腐るほどありそうだな。これではなくこの先にあるもの。
バス亭だと上の原か塔の辻の間にある有名なスポットがこれ。

少子社会を阻止するスローガン?

B級スポットが数多い秘境グンマーですが、ある意味で(どういう意味で?)有名どころがこれです。
有名どころでもあるので駐車場も広いです。観光バスで乗り付けるツアー客もいます。この日も送迎のタクシーが停まっていたし、自家用車やバイクも数台駐車していた。

若者たちは堪能して出てきたのか。これから入館するのか。
受付に爺さんがいて私をじーっと見ていた。不気味な視線を感じたね。



入れってか?
何故入館しないってか?
冒頭で言ったジャン。時間が無いし「こういうものがあるんだ」の視点だけです。館内にはあまり興味がないし入る勇気もノリもないです。なのでズルいかも知れないですが、これら2つの施設に入館された方のレポをリンク貼らせていただきます。
もぎ氏の「群馬B級スポット」で氏のご承諾を得ました。
ミュージアムがこれ。
http://www.b-gunma.com/inotitosei.php
珍宝館は2譚あります。
http://www.b-gunma.com/tinpoukan.php
http://www.b-gunma.com/tinpoukan2.php
いずれも閲覧注意です。リンクお願いしといて閲覧注意も何もないもんだが。
入館してしまえば「旅の何とやらはかき捨て」になり軽いノリで楽しめるのかも知れない。
男女年齢に関わらず同行者の違う面を見れるかも知れない。いや、きっと見れる筈だ。
自己弁護させてください。ウチは男性社員より女性社員数の方が圧倒的に多いのです。なのでコンプライアンスにうるさい。厳しい。社内で自他ともに認める毒舌、暴言比喩が多過ぎで、社内コンプライアンス研修には「必ず出席しなさい」とまで言われる私だが、唯一の救いというか、猥談下ネタは一切しない人なのです。
したら即アウト!!ウチはそういう会社なの。
「そういえばしないですね」(部下の男性)
そういえばとは何だ?
「何でしないんスか?」
「しなきゃいけないのか?嫌いだからだよ。」
だからこういうネタに慣れていないのだ。前職では全然そういうことはなかったのに時代も変わって今はNGです。ネタにしたら聞いた側がどう受け取るか。アブないアブない。
吉岡町にもウチの女性社員いますけど、その子にこの2つの施設のことを聞いたら即アウトでしょうね。
最近になってウチの女性社員が伊香保温泉に行ったんですよ。その子はシゾーカネタで登場した子で、静岡からくるまで来たそうです。
行く前に聞かれた。「草津温泉とどっちがいいですかね?」
私は硫黄のニオイが苦手なので、自分も行ったことのある伊香保温泉か水上温泉をススメた。ただ、水上はこの時期はまだ雪が残ってるかも知れないからという理由で伊香保になったそうです。
その女性社員はこの街道を走った筈である。でもこの施設についてのコメントは求められていないしこちらから話す気もない。社内でそんな会話をして聞かせた相手が不快になったらアウトなのです。だから話してません。
私は木石ではないが、これら施設の価値観、存在意義、特徴をマトモに述べる言語力、カテゴリーすら持っていないのですが、これらを建設する許認可はどうやって得たのだろう。国土交通省か県知事の管轄らしいが、時の大臣や知事はこういう性質の施設であることを知るまい。
(現在の安倍内閣なら石井啓一大臣、現在の知事は大澤正明知事である。知事は後で知ったかも知れないが。大臣はどうだろうか。)
施設内の何処かには許可証が掲示してある筈だが、更新は何年毎だろうか。
更新時に立ち入り検査があるのだろうか。
公共工事か民間事業か。まず前者ではないだろう。
広大な土地はどうやって入手したのか。農地転売だろうか。
内装はどういう専門業社が請け負ったのだろうか。
そして・・・
何でこの地を選んだのか!!
でもある程度の集客効果はあるらしいのだ。
ではこの先へ行きます。伊香保温泉玄関口の手前に榛名の銘酒・船尾瀧ならぬホンモノの「船尾の滝」への入り口があるのですが、そこに至る手前に突如としてラブホが立ち並ぶ区域がある。
この看板がまず予告編です。

その入口です。

このゾーンへ入ってみようか。




ラブホ街の道はくるまがやっとすれ違う幅しかない。だが地元では裏道になっているのか、意外と走るくるまが少なかった。
それらのくるまはラブホ関係者か利用者かはわからないし、こっちも無粋にを覗いたしりないが、15分ほどの撮影の為だけの滞在時間に6台ほどすれ違ったですよ。
彼らも私を見た筈だ。撮影している私を見て不動産関係者と思ってくれた方が幸いだ。
私はコンパクトなレンタカーで来ているのですが、レンタカーのボディの色がピンク色なんですよ。イロがイロだけにこの界隈に妙に合うんだな。






これは廃業したのかな?現役かな?

そして15号線水沢街道メインストリートにもあるある。





これはさっき見た予告看板にあったもの。まだ新しそうだ。




ラブホはメインの街道沿いにもあるがむしろ裏街道の方に多い。木立ちに隠された道の両サイドに10数軒のラブホが立ち並んでいた。
前述の2施設よりも私が見たかったのはむしろこっちの方なんです。ヘンな下心があって事前に物色、下見をしたんじゃないですよ。この界隈を私はカテゴリー「廃墟」と勘違いしていたのです。でも来てみたらこれらは立派に現役でした。
ラブホたちは白昼見るとくたびれているが、夜になるとキレイにアヤしく光るんだろうね。飲み屋の赤提灯と一緒です。
だけどここはブクロ(池袋)でも渋谷道玄坂でも新宿歌舞伎町でもないぞ。この地でこれだけの需要があるのだろうか。
あのアヤしい2施設で欲情をかきたてられ、その先にあるこの施設に誘導するサブリミナル効果を狙ってのことか。まさかあの2施設とこのラブホ界隈は持ちつ持たれつ?
でも現在はラブホ業界は衰退しているそうである。ひとり暮らしの若者が増加したので、ラブホの代わりではないが下世話に言えば自分の部屋に連れこめばいいだけなのだ。若者のラブホ需要が減ったのである。
ビジホにもダブルが増えた。シングルを利用するビジネスマンだけ対象にしているわけにいかなくなってきたからです。
都内のラブホが存続する道は改正風俗営業法かも知れない。外国人旅行客の増加と、東京五輪前の一般ホテル需要の受け皿に転用する。旅館業法をクリアして普通のホテルになればいい。ラブホじゃなきゃいけないってことはないのだ。プライバシーが保たれるオンライン予約をすればいいだけのこと。
入れって?
何故入らないんだって?
ひとりで入るかよっ。。。

そこを抜けたら銘酒、船尾瀧ならぬホントの船尾の滝入口がある。
滝へ行かずに山へ向かえば伊香保温泉です。
いったい今日は何の記事なんだ。自分でもわからなくなってきた。
渋川の南隣にある吉岡町から伊香保温泉へ向かう道を群馬県道15号線、通称・水沢街道というのですが、この街道は前橋市総社町を起点として中国料理・竜苑のすぐ近くで西に折れ、伊香保温泉へだらだら上っていく名物街道です。
伊香保に近づくほど水沢うどんを提供する店が増えてくる。私は水沢うどんと銘打った乾麺しか食べたことがないがコシの強いうどんだった。
この写真は高崎に住んでた頃、部下の女性が現地で食べたのを送ってくれたの。

その15号線を走ってると水沢うどん界隈に至るまでに「これが群馬のB級スポットだ」と胸を張って言えるアヤしいスポットがある。
伊香保温泉に向かうのにこの街道を走ると嫌がおうにも目に留まる筈である。
西に向かって走ってるとナビに上越新幹線が表示されますが、地下を長大トンネルで走っているので地上ではわからない。そこを過ぎた辺り。
まずこれです。

路肩に停めて渋川(吉岡町)方面を振り返って撮影した。

敷地内にはくるまが2台停まっていた。平日なのに館内に入館者がいるらしい。
こっちは誰かに見られてないか周囲が気になった。吉岡町にも榛東村にもウチの社員いるし。


外観のみです。時間の都合で中には入っていません。

入れって?
何故入館しなかったかって?
時間が無いからですよ。こことこの先にある施設とセットで入館したら陽が暮れてしまう。こういうのにあまり興味がないのもある。入る勇気もないし私自身のノリが悪いのかも知れない。
群馬に住んでた頃、伊香保温泉ぴのんへ泊まったことがある。
その時、私らはくるまだとすぐ着いてしまうので旅情が感じられないからという理由で高崎駅からバスで向かった。
そのバスはバス亭・上野田四ツ角辺りでこの15号線に入っている。その次の次の北野という停留所の辺りで上越新幹線をクロスする。あの時もこのミュージアムの前を通った筈だが記憶にないのだ。
この先にも有名な施設があります。


おもちゃと人形と自動車の博物館??この手のクラスは伊豆高原辺りに腐るほどありそうだな。これではなくこの先にあるもの。
バス亭だと上の原か塔の辻の間にある有名なスポットがこれ。

少子社会を阻止するスローガン?

B級スポットが数多い秘境グンマーですが、ある意味で(どういう意味で?)有名どころがこれです。
有名どころでもあるので駐車場も広いです。観光バスで乗り付けるツアー客もいます。この日も送迎のタクシーが停まっていたし、自家用車やバイクも数台駐車していた。

若者たちは堪能して出てきたのか。これから入館するのか。
受付に爺さんがいて私をじーっと見ていた。不気味な視線を感じたね。



入れってか?
何故入館しないってか?
冒頭で言ったジャン。時間が無いし「こういうものがあるんだ」の視点だけです。館内にはあまり興味がないし入る勇気もノリもないです。なのでズルいかも知れないですが、これら2つの施設に入館された方のレポをリンク貼らせていただきます。
もぎ氏の「群馬B級スポット」で氏のご承諾を得ました。
ミュージアムがこれ。
http://www.b-gunma.com/inotitosei.php
珍宝館は2譚あります。
http://www.b-gunma.com/tinpoukan.php
http://www.b-gunma.com/tinpoukan2.php
いずれも閲覧注意です。リンクお願いしといて閲覧注意も何もないもんだが。
入館してしまえば「旅の何とやらはかき捨て」になり軽いノリで楽しめるのかも知れない。
男女年齢に関わらず同行者の違う面を見れるかも知れない。いや、きっと見れる筈だ。
自己弁護させてください。ウチは男性社員より女性社員数の方が圧倒的に多いのです。なのでコンプライアンスにうるさい。厳しい。社内で自他ともに認める毒舌、暴言比喩が多過ぎで、社内コンプライアンス研修には「必ず出席しなさい」とまで言われる私だが、唯一の救いというか、猥談下ネタは一切しない人なのです。
したら即アウト!!ウチはそういう会社なの。
「そういえばしないですね」(部下の男性)
そういえばとは何だ?
「何でしないんスか?」
「しなきゃいけないのか?嫌いだからだよ。」
だからこういうネタに慣れていないのだ。前職では全然そういうことはなかったのに時代も変わって今はNGです。ネタにしたら聞いた側がどう受け取るか。アブないアブない。
吉岡町にもウチの女性社員いますけど、その子にこの2つの施設のことを聞いたら即アウトでしょうね。
最近になってウチの女性社員が伊香保温泉に行ったんですよ。その子はシゾーカネタで登場した子で、静岡からくるまで来たそうです。
行く前に聞かれた。「草津温泉とどっちがいいですかね?」
私は硫黄のニオイが苦手なので、自分も行ったことのある伊香保温泉か水上温泉をススメた。ただ、水上はこの時期はまだ雪が残ってるかも知れないからという理由で伊香保になったそうです。
その女性社員はこの街道を走った筈である。でもこの施設についてのコメントは求められていないしこちらから話す気もない。社内でそんな会話をして聞かせた相手が不快になったらアウトなのです。だから話してません。
私は木石ではないが、これら施設の価値観、存在意義、特徴をマトモに述べる言語力、カテゴリーすら持っていないのですが、これらを建設する許認可はどうやって得たのだろう。国土交通省か県知事の管轄らしいが、時の大臣や知事はこういう性質の施設であることを知るまい。
(現在の安倍内閣なら石井啓一大臣、現在の知事は大澤正明知事である。知事は後で知ったかも知れないが。大臣はどうだろうか。)
施設内の何処かには許可証が掲示してある筈だが、更新は何年毎だろうか。
更新時に立ち入り検査があるのだろうか。
公共工事か民間事業か。まず前者ではないだろう。
広大な土地はどうやって入手したのか。農地転売だろうか。
内装はどういう専門業社が請け負ったのだろうか。
そして・・・
何でこの地を選んだのか!!
でもある程度の集客効果はあるらしいのだ。
ではこの先へ行きます。伊香保温泉玄関口の手前に榛名の銘酒・船尾瀧ならぬホンモノの「船尾の滝」への入り口があるのですが、そこに至る手前に突如としてラブホが立ち並ぶ区域がある。
この看板がまず予告編です。

その入口です。

このゾーンへ入ってみようか。




ラブホ街の道はくるまがやっとすれ違う幅しかない。だが地元では裏道になっているのか、意外と走るくるまが少なかった。
それらのくるまはラブホ関係者か利用者かはわからないし、こっちも無粋にを覗いたしりないが、15分ほどの撮影の為だけの滞在時間に6台ほどすれ違ったですよ。
彼らも私を見た筈だ。撮影している私を見て不動産関係者と思ってくれた方が幸いだ。
私はコンパクトなレンタカーで来ているのですが、レンタカーのボディの色がピンク色なんですよ。イロがイロだけにこの界隈に妙に合うんだな。






これは廃業したのかな?現役かな?

そして15号線水沢街道メインストリートにもあるある。





これはさっき見た予告看板にあったもの。まだ新しそうだ。




ラブホはメインの街道沿いにもあるがむしろ裏街道の方に多い。木立ちに隠された道の両サイドに10数軒のラブホが立ち並んでいた。
前述の2施設よりも私が見たかったのはむしろこっちの方なんです。ヘンな下心があって事前に物色、下見をしたんじゃないですよ。この界隈を私はカテゴリー「廃墟」と勘違いしていたのです。でも来てみたらこれらは立派に現役でした。
ラブホたちは白昼見るとくたびれているが、夜になるとキレイにアヤしく光るんだろうね。飲み屋の赤提灯と一緒です。
だけどここはブクロ(池袋)でも渋谷道玄坂でも新宿歌舞伎町でもないぞ。この地でこれだけの需要があるのだろうか。
あのアヤしい2施設で欲情をかきたてられ、その先にあるこの施設に誘導するサブリミナル効果を狙ってのことか。まさかあの2施設とこのラブホ界隈は持ちつ持たれつ?
でも現在はラブホ業界は衰退しているそうである。ひとり暮らしの若者が増加したので、ラブホの代わりではないが下世話に言えば自分の部屋に連れこめばいいだけなのだ。若者のラブホ需要が減ったのである。
ビジホにもダブルが増えた。シングルを利用するビジネスマンだけ対象にしているわけにいかなくなってきたからです。
都内のラブホが存続する道は改正風俗営業法かも知れない。外国人旅行客の増加と、東京五輪前の一般ホテル需要の受け皿に転用する。旅館業法をクリアして普通のホテルになればいい。ラブホじゃなきゃいけないってことはないのだ。プライバシーが保たれるオンライン予約をすればいいだけのこと。
入れって?
何故入らないんだって?
ひとりで入るかよっ。。。

そこを抜けたら銘酒、船尾瀧ならぬホントの船尾の滝入口がある。
滝へ行かずに山へ向かえば伊香保温泉です。
いったい今日は何の記事なんだ。自分でもわからなくなってきた。
2018-05-24 07:19
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三県境 [風景]

ドラえもんの小道具の中で「どこでもドア」というのがありますよね。
行きたい目的地を声や念でインプットしてドアを開くとドアが開いたそこは目的地。あれはドアのノブに意志を読み取るセンサーのようなものが仕込まれているらしいが、そういうドアが無くても、群馬県にいて「栃木県に行きたい」「埼玉県に行きたい」「群馬に戻りたい」が瞬時に適う場所があります。
今日のネタは群馬ネタではありますが、群馬、栃木、埼玉を瞬時に行き来できる場所です。

JR宇都宮線の栗橋駅から東武日光線に乗り換えて2つめの駅、柳生駅。
柳生とな?
剣豪、剣聖でもいたのだろうか。
そうじゃない。東武のHPから。
「穀倉地帯であるこの地域は、渡良瀬川をはじめ八四川、間の川等多くの川が流れており、川の氾濫でたびたび水害を引き起こしていました。
そこで地域住民は水害対策の一環として、堤に根張りの良いといわれる柳の木をたくさん植えて水害から守ったそうです。
そんなところから柳生という地名が生まれました」
柳生駅の1日平均乗降者数は1400人で、この駅での乗車数は700人ほどいるらしいが、この時間帯は閑散としている。
無人駅ではない。係員が1人いた。ヒマそうにしていましたね。最後に改札を出た私と目が合ったのですが、何でこんな寂しい駅に配属されなきゃいかんのだとでも言いたそうに見えたよ。

駅前には何もない。サイクリストが2人いた。
線路に沿って栗橋方面へ戻り、

踏切を渡り、




案内版を信じてひたすら歩く、
事前に調べた距離だと、駅から400mとあったが。


狩り入れた後の田んぼにネコがのんびり寝ておった。

田んぼの中に何か見えるぞ。

どうもあれらしいが、ここまで来て目指すものらしきものが見えても、そこに一直線には行けない。柳生駅もそう。駅から来るにも、駅まで戻るにも真っ直ぐ行けない、ショートカットできないのです。公の道は全て迂回している。



近づいてきたぞ。


この用水路が交わっている場所、ポイント点は、群馬県、栃木県、埼玉県、三県の県境です。群馬県板倉町海老瀬、栃木県栃木市藤岡町、埼玉県加須市小野袋が接しているのです。
各県を示す看板の間に流れるY字型の側溝が境目になっている。Y字の枝に挟まれて3県が広がっている。
(さっきのネコは3県のどの県に寝てるのかな。おそらく群馬県側だと思うが。)
三県境は全国に40か所以上あるそうだが、こういう場所は殆どが山間部や河川に沿って存在するので、このように歩ける平地にあるケースは全国的にも珍しいとか。





手造り感満載である。


ご丁寧にカメラ台まである。

跨いでみる。私の短い脚ではこれぐらいの幅が限界である。


流れの中央の杭にはプレートが設置され、三県境界の文字と、加須市、栃木市、板倉町の各自治体名と緯度経度が刻まれていた。
北緯36度12分27秒、東経139度39分50秒

夏場だと草ぼうぼうで、下手に歩み寄ったら用水路に足を突っ込んで捻挫するかも。
田んぼの中の三県境の周辺は、農地の中に民家が点在するだけです。とはいえこうして童心に返って各県境を跨いでピョンピョンやっていると近隣の住民から遠目に見て「また県境の用水路で誰かが撥ねている」不審に思われないまでも、いいトシをしてあのオヤジ何をしているんだ?と思われるだろう。
グンマー側から2県を見てみる。

最初からこのように平地だったのではなく、この用水路のグンマーとトチーギの県境を現すラインと、それに沿った東側の土地はもとの旧・渡良瀬川で、川幅は広かったそうです。
ここからすぐ東、歩ける場所に渡良瀬遊水池がある。池は大正1年(1912年)から7年(1918年)にかけて渡良瀬川の上流で発生した足尾銅山鉱毒事件に絡んで「鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画」により作られたのが定説になっているが、渡良瀬遊水池を作る際に、もともとそこにあった谷中村(鉱毒反対運動の拠点だったとも)という村全域が買収され、強制廃村に追い込まれて現在も無人のままになっているそうです。手造りの解説板に「旧谷中村」と描いてあった。
渡良瀬遊水池はその性格上、洪水時に水が貯められる仕組みも兼ねているので、工事と同時に渡良瀬川の河川付け替え工事も行われ、藤岡町(現栃木市)東側を流れるように変更された。
(現在は渡良瀬遊水池の東側、渡良瀬緑地公園の中を流れてその先で利根川に合流している。)
だが県境の変更は行わなかったので、かつての旧河川の跡が現在でも県境として残っているのです。
旧河川は埋め立てられた。埋めた土砂は渡良瀬遊水池を掘った土だというから、三県境がこうして平地になり徒歩で行かれるようになったのは、偏った見方ではあるが足尾鉱毒事件が発端、原因である。
強制廃村に追い込まれた谷中村の犠牲によってできたのではないか。
日本最初の公害事件の遺物ともいえるのだが。そういうのは触れられていない。
三県境に接する2市1町は、この地を観光地として観光資源として活用しようと検討している。
幾つかググッてみて、デイリーポータルZというサイトから。
〇群馬県板倉町、三県境を紹介する観光チラシを独自に制作。
〇埼玉県加須市、三県境と道の駅きたかわべを繋げて観光資源に。
〇栃木県栃木市は・・・三県境と栃木県道、群馬県道、埼玉県道、茨城県道9号佐野古河線を合わせ、パワースポットとしてアピール???
三県三様だが、群馬県板倉町が最も自然で地道である。
埼玉県加須市が言うところは、ここはあくまで私有地なので、現在ある緯度経度のプレートや手造りの解説板以上のものは打ち出せないからだろう。
解説板にもこうある。「日本には40ヶ所以上の3県境がありますが、平地にあるここは大変貴重な存在と言われています」の次に「道の駅きたかわべ徒歩4分 手打ちそば新鮮野菜が人気です」???
突如として道の駅の手打ちそばと&野菜即売をアピールしているのは、この用水路、いや、Y字型の側溝だけではお金にならないからである。珍しい場所には違いないがこの場所でこれだけでは、これ以上どうしようもない。
なのでここか若干離れてはいるが「道の駅に来てお金を落としてください」ともとらえられる。ローカル地方都市の哀しさと言ったら現地の人に怒られるかも知れないが、何でも営利に結び付けるのは如何なものかね。
地主さんには悪いが、勝手を許されるならこの地を買収して道の駅にしてしまい、3県の手打ちそばを売り出してみてはどうか。
栃木県栃木市の「パワースポットとしてアピール」
3つの県境が何のパワースポットになるのだろうか。
要は3県ともどう観光地化したらいいのかわからないのかも知れない。今はただ単に「歩いて行ける平地の三県境」だけなのである。

三県境を後にする。

最後に振り開ける。

おや?くるまが停まったぞ。
中からご夫婦?とおぼしき男女が。



あ、三県境を見てる。ヒマだな~。
私以外のヒマ人がいたのである。道の駅でそばでも喰ってきたのだろうか。


ここから東武日光線柳生駅の東、約400メートルです。私はこの後、ひとつ先の板倉東洋大駅へ向かい、群馬県邑楽郡板倉町大字板倉2698の板倉町中央公民館にある「昆虫千手観音像」を拝観しに行こうとしたのだが、駅前にタクシーがなかった。
タクシー会社に電話しても心許ないので断念。
群馬B級スポット、もぎ氏の承認を得たのでリンクします。
http://www.b-gunma.com/kontyuusenjukannon.php
ただし閲覧注意です。虫が嫌い、苦手な方は避けた方が無難です。
2018-03-31 06:45
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そこに咲く花 [風景]







穏やかな気候が続いているので、桜の開花期間が長く感じられます。
「桜はいいねぇ」(ジャン妻)
「・・・」
「パッと咲いて、潔く散るから」
(またそれかい・・・)
「桜大好き」
「日本人で桜が嫌いな人なんているのか?」
いたのである。TVを見てたら、平成7年(1995年)3月20日に発生したあの地下鉄サリン事件、犠牲者のご遺族の方が「あれから桜が嫌いになりました」
お気の毒である。桜の開花と重なり、事件と傷がオーバーラップしてしまうんでしょうね。
平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災での犠牲者のご遺族の方にもそういう方がいるだろう。
咲く時期は人生の転機と重なるから、見る人には必ずしも楽しい花見になるとは限らない。哀しく切ない花見になるかも知れない。
昨夜群馬八幡の酒場で私の隣にいた人は、1年間の高崎勤務が解けて4月から他へ転勤される方だった。ここへ来るの最後かもって。
でも4月からの勤務地を聞いたら群馬県内だったの。それは転勤ではなくて異動じゃないの?「またここへ来れるでしょう」って言ったけどな。
でも私も平成25年の今頃はその彼と同じ気分だった。高崎羅漢町の桜に見送られ、家の近所に咲く桜に迎えられた。
春は出逢いと別れの季節ともいうし。そのドラマを彩るのもまた桜なのか。
「花見されるんですか?」
「しない。見るだけ」
ここで言う花見とは桜を見ながら飲む昔ながらの花見ですよ。そうやって楽しむたちを否定しないけど、私はそういうのしないの。
「花見とこれ(酒を飲む仕草)は別」
「別なんだ~」
「花見酒なんてのは桜の冒涜だとまで言わないけどさ。酔っ払いがいるしゴミとか汚すじゃん。飲まないで見てるだけでいい」
今週末に会津に行くのですが、鶴ヶ城内は酒肴持ち込んでの花見はNGになりましたからね。それもアリだと思う。
おそらく会津の桜も満開だろう。




そこに桜があるのをわかっている場所がある。公園や街路樹、川沿いの小路とか。高崎城の公園とか。「あそこへ桜を見に行きましょうよ」ですよね。
でも群馬をレンタカーで走っていると丘の斜面に桜が咲いていて「あ、こんなところに桜があったんだ?」と驚くことがある。他の木々に混じっているし、私は植物に疎いので、葉桜枝桜の状態だとそれがわからない。
目に留まった桜は初めて通る場所ではなく、何回も通り過ぎているんですけどね。くるまだとあっという間に過ぎちゃうのもあるが、人知れずある桜は満開にならないと気付かないものなのだ。







人々の人生に何が起きようと桜は咲く。
でもその時期は短い。
咲いた桜を見て何を想うかは人それぞれですが、今年は例年になく穏やかなので、もう少し愛でていられそうです。
2018-03-29 08:58
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ローズベイカントリー跡地に立つ [風景]



ゴルフ場があった丘には重機が稼動し、大型ダンプが行き交い、グリーン芝は土くれと化して砂塵が冬空に舞い上がっていた。
歩いたことがあるグリーンは何処へ消えたんだ?どの辺りだ?
クラブハウスがどこにあったのかすらわからない。
それらは全て消えた。無残なものである。



自分はこのトシまでゴルフやったことがないし、今後も知人にススメられてもやる気は全く無いですが。
そんな私が、おそらく生涯にただ一度だけコース上のグリーン上を歩いたことがあります。
群馬県安中市にあったローズベイカントリークラブ。そこでプレイしたのではなく、8番ホールにあった蔵人城という小城の説明板を見に行った。



ゴルフ場内にある城といえは、埼玉県入間郡毛呂山町の鶴ヶ島ゴルフ倶楽部内にある竜谷山城、武田軍と北条軍が激突した神奈川県愛川町にある三増古戦場一帯の東名厚木カントリー倶楽部脇にある武田軍の本陣跡・旗立山が知られるが、前者はゴルフ場内とはいえ町道が通っており、カートとすれ違うにせよ堂々と城域まで行けるし、後者は駐車場脇にあるため訪問が容易です。でも私が平成25年2月に訪城したローズベイカントロークラブの蔵人城は、ホントにゴルフ場コース内にあるのが異質で、普通に考えたらプレイヤーしか訪問できないのである。なのでクラブ支配人宛に書面で見学を申し入れ、折り返し連絡をいただき、空いている平日にアポをとって見に行った。
ゴルフはしないのに、往時の支配人・Fさんの運転するガソリンカートの後部座席に乗って見に行った。私だけでなく、見たいと言ってくる人は稀にいるそうである。
そのローズベイカントリークラブが地図上から消えたのを知ったのが昨年のいつだったか。実際は平成28年9月末に営業停止、閉鎖になっていた。


以下は他からの転載も含まれます。ローズベイカントリークラブは昭和50年から(株)サンエー開発が運営していたが、開発した関係会社の北村東信(株)が平成13年9月に破産し、サンエー開発も平成14年9月4日に特別清算を申請、精算申請前の平成14年7月に上場の(株)ビックカメラの創業者の資産管理会社が買収して傘下に収めていたという。
ゴルフ会員権の相場や売買情報を提供するサイトには「ローズペイカントリークラブが平成28年9月末をもってゴルフ場を閉鎖、跡地にメガソーラー建設」とあって、平成24年9月4日掲載の日刊工業新聞の記事で「(株)ビックカメラA会長の個人企業が出資するベンチャー企業である(株)クリーンエネルギー研究所が、ビックカメラが経営するローズベイカントリークラブの余剰地と市所有地を利用して、出力4200キロワットのメガソーラーを建設することが判明した。総事業費は十数億円。年間発電量は約420万KW時、一般家庭1100世帯分に相当し全量を東京電力に売電、災害時には非常電源として一般家庭向けにも供給する大掛かりなもの」・・・太陽光発電場になるというのである。
全体面積は4万1000平方メートル、パネルを約1万5000枚設置し(1万7598枚、パネル面積1万8000平方メートルとも)2100キロワット規模の設備を、安中市の所有地とゴルフ場にそれぞれ設けて運営する。太陽光発電としては群馬県最大規模だという。
おそらく(株)ビッグカメラは、このままクラブを運営しても先細りなので、前述にあるビックカメラA会長の個人企業が出資する(株)クリーンエネルギー研究所に、クラブの広大な敷地をメガソーラーに転用させようと目論んだのだろう。
また別情報で「ローズベイカントリークラブは余剰地と市所有地を利用して(株)クリーンエネルギー研究所が3980キロワットのメガソーラーを建設し、平成25年4月から東京電力に売電を開始しているとあった。ということは、私が群馬転勤が解けて泣く泣く東京勤務に戻らされた直後である。8番ホールにあった蔵人城の解説板を訪問したあの日には、既に敷地内の何処かの斜面で工事が一部完了して稼動していたということだろうか。
ゴルフ場跡地をメガソーラの敷地に転用するケースは他でもあるそうだが、閉鎖されたゴルフ場にソーラーパネルをズラズラ並べるだけではなく、現役のゴルフ場の閉鎖コースや空き地、クラブハウス屋根といった空間などを有効活用し、ゴルフ場の営業と併せて売電事業を営むケースも多いという。
ゴルフ場閉鎖の場合、会員権が絡むと様々な問題が発生するらしい。破綻したら単なる紙切れになるというのだ。ただ、ローズベイカントリークラブは会員権相場ではなくパブリック運営で転用が容易だったとか。
もっとも私はパブリック運営の意味すらよくわからないので、バブル時代に信州望月のゴルフ場の会員だったジャン妻に聞いてみた。
「ゴルフ場のパブリック運営って何?」
「普通はゴルフ場って会員制でないとプレイできなかったんだけど、会員無しでプレイできるんじゃないかな」
「ゴルフ場が破綻したら会員権はどうなるの?」
「紙切れ。株と一緒よ」
「戻って来ないんだ」
「来ないよ」
「アナタが持ってた会員権は?」
「あれはオヤジの会社のよ。売っちゃったんじゃないかな」
ジャン妻のオヤジ(私の義父)は不動産会社社長だったが、現在は廃業して相模原市内に引退している。
「売れたんだ」
「まぁ株と一緒だから。相場でね」
「会員だと何が特なんだろ?無料?」
「会員制だと安いのよ。会員がメンバーでメンバーが連れてくのがビジターなんだけど、ビジターが1万2000円するところを会員だと2000円でプレイできるのよ」
素人質問ばかりである。如何にこういう世界に私が疎いかがわかるでしょう。


話をローズベイに戻します。ローズベイカントリークラブは18ホールあった。その中の8番ホールに蔵人城の案内板が立っていた。それは近代的な白亜の楼閣があった城ではなく、たくさんの兵が駐屯できるスケールでもなく、この辺り一帯にあった防衛ラインの小城のひとつに過ぎない。仮想敵国は信州からやってくる甲斐武田軍である。
蔵人城訪問編です。http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-12



8番ホールには、プレイ中に雷が鳴った際の避難所、あずま屋があって「本丸跡」の扁額のようなものが架けてあった。説明版はその脇にあって、
『本城は蔵人城という梯郭式の山城である。南部の主郭部は北半分より10m以上高い。主郭部は南北50m、幅20mの本丸と、その南に掘切りを隔てた方20mのささ郭から成り、ささ郭南側掘切りが城の南限である。本丸北下10mには幅8m、総長50mの弧状の腰郭がつきこれと同じ高さの尾根が東北に向ってのびてそこに4個の郭がならぶ。西南端の郭は方20m、二筋の堀切りに挟まれ、その他の三郭は東北下りに三段となる。下郭の北側には東西150m、南北100mの三角形の地域に北段下りに数段の郭があり、東北面に追手虎口が開く。秋間7騎の一人、島崎蔵人忠国の城で、永禄六年武田勢の先方那波無理之助に攻略されたという。忠国は吾妻郡岩下の士であると伝える。』

蔵人城にいた島崎蔵人は越後国からやって来て安中一帯を支配した安中顕繁に付いていた秋間七騎という家臣団のひとり。他の6人は赤見藤九郎、五十嵐団右衛門、内出玄蕃介、奥原新左衛門、東城但馬、深堀藤右衛門といった面々だった。
上州には甲斐武田、越後長尾、小田原北条、駿河今川、といった大きい支配者は現れなかった。下野の宇都宮、安房の里見クラスもいない。国人衆がバラバラで、それらを纏めて「敵の敵を味方に」して甲斐武田軍に立ちはだかったのが上州箕輪城の長野業政で、島崎蔵人もその一翼、枝葉に過ぎない。
攻めて来た武田軍の先手、那波無理之助は実は群馬県伊勢崎市にいた那波氏の流れだという。故郷を追われて故郷に武田軍を先導してきたぐらいだから、複雑な背景、事情を背負っていたのだろう。
8番ホールそのものが城内で、コース内に郭だの堀切だの遺構があるのではない。8番ホールは本丸でも何でもない。支配人・Fさんが言うには「実際の蔵人城はもしかしたらここではなく、この先の山に(コース外を指す)何でも重機が入れない場所があって、そこなんじゃないかとも言われています」と仰っていた。


安中市の史料を見ても、何だかクラブとズレた北東の位置に蔵人城と表示されていたのです。そこは遠目には草ぼうぼうのヤブになっているかに見えた。このあずま屋と説明板はどうも城外らしいのである。
でも実際の城域であるヤブに説明板を立てても誰の目にも触れない。プレイヤーに限られるとはいえ、人の目に触れるこの位置でよかったと思ったのだが。
ローズベイカントリークラブは昭和50年に開かれたそうだが、私が訪城したのは平成25年(2013年)2月だから、Fさんが仰っていた「当クラブは今年で40年になるんですが、私がきた頃から蔵人城の小屋と解説板はありましたよ」と一致する。
地元の誰かが立てたらしいのだ。もとの土地所有者だろうか。
「小屋の屋根を葺いたり時々補修はしているんですが・・・」
あの時、支配人Fさんは・・・の後何を言いたかったのだろうか?もしかして、この蔵人城の案内板がそう遠からずして消える運命にあったのを知って私を案内してくれたのだろうか。そうに違いない。

工事現場事務所にも立ち寄った。
「前にここで遊んだ者ですが、何を作ってるんですかね?」
遊んだのはウソじゃないよね。人のよさそうなオッさんが、
「太陽光発電を作るんですよ」
そんなこたぁわかっているが、それ以上の会話にならなかった。
位置関係を覚えていないのだが、この工事事務所がクラブハウス跡地のような気がする。支配人・Fさんが「ゴルフ場はゴルフをしない人が入っちゃいけないことはないんです。レストランのご利用とか全然かまわないんですよ」と言うので、蔵人城見学の後もレストランで数回食事した。
レルトラングルメ編
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-26-1
美味しいけど高かったな。
フロアに高校生としか見えないボーイがいて、あんな小僧を就業させて労基上大丈夫なのかと訝しんで「あの小僧は幾つなんだ?」と聞いたりしたからね。
私は誰が見てもゴルフプレイヤーという恰好ではなくダークスーツでレストランに行ったので、私の姿を見て「あの、お昼ですか?」と怪訝そうに聞いてきた女性スタッフもいた。「昼飯だよ。見りゃわかんだろ。不審に思うなら支配人Fさんに聞けよ」とそこまでツラ難く言ってはいないよ。
レストランにレジが置いてなかった。当時の記事にコメントを下さったナワさん(息災でしょうか?)によると、ゴルフのプレイ中に財布は持たないもので、ロッカーに置いとくものだと。支払いはサインするだけだと。最終決済は帰るときにフロントで行うんだって。ホテルに宿泊したときの支払いと同じようなものか。だからレストランにレジがないのか。

太陽光発電、メガソーラの謳い文句は「環境を壊さない・自然に優しい」
だがこれを見るとそう見えないね。だがゴルフ場の建設そのものが、多からず少なからず環境を破壊して作られるものだから、それをまた破壊するのに躊躇ないのだろう。


あの時歩いたグリーンです。
真冬だったので芝は色あせている。それでも芝は芝なので、ゴルフ場の芝肌とはこういうものかと思った。手入れが大変だ。



さっきも述べたように本当の蔵城跡はコース外にあるらしい。
よく城郭遺構が高速道や宅地建設等で破壊されて悲嘆されているサイトを見かけるが、蔵人城の遺構は閉鎖されたコース外にあるらしいので、現時点でそこまで開発の手は伸びていないようである。
本来の城域とズレているのが幸いしたというか。だがいつかは破壊されるかも知れない。
本当の蔵人城の場所にどんな縄張り、遺構があるのかはわからないのだ。安中市の図書館には縄張り図があるが、現在は足を踏み入れられない草ぼうぼうの荒地らしい。下写真のどこかにそれがある。



現在は蔵人橋にその名を留めるのみです。

「ゴルフしないのにカートに乗ったんだぜ」
「・・・」
「グリーンも歩いたし」
「・・・」
ジャン妻に自慢気に語ったものだが、私がただ一度だけ歩いたグリーンは消えた。
麓からも見えたあのあずま屋も撤去されて今はない。
支配人・Fさん、レストランの小僧じゃなかったボーイさん、女性スタッフたちは何処へ去ったのか。次の社会人ステージで息災でいると思いたい。
2018-03-24 07:38
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あの頃、歩いて通った道 [風景]
ルートインを出て弓町の交差点へ。
平成24年~1年間、向こうに見える古いマンションの何処かに滞在していました。角部屋でいい部屋でした。

マンションの前、高崎駅方面へ歩く路地に立って見る。
左手には区画整理で立ち退いたうさぎCafeの跡地で、現在は保育園が建っています。
うさ子は移転先の椿町で古民家Cafeを営んでいます。


私とうさ子が生ゴミを出していた場所です。
前の晩にうさ子の店で飲んだ翌朝とかバッタリでくわしたことがある。
マンションを引き払う朝、うさ子はウチの最後の瓶、缶のゴミを引き受けてくれた。


江戸吉寿司の手前に停まっているくるまの場所に社用車を止めていました。
寿司屋の駐車場と勘違いして停めるくるまが何回かありましたよ。あまり寿司を食べない私は、この寿司屋に転勤が解ける寸前に一度行っただけだが、間違って駐車される度に寿司屋の暖簾をくぐって「誰か俺んとこに停めてんだろ」って言うハメになったものです。恐縮しながら対応してくれた店主は見た目は叡山の僧兵みたいだが、妙に腰の低い方だった。

かつて、毎朝毎夕歩いた路地を歩いてみた。
あの頃ウチらは矢島町に事務所を借りていました。そこまで徒歩で通い、群馬県内郊外に出る時はマンション駐車場まで社用車を取りに戻っていた。
赴任当初、「群馬にいつまでいなきゃいけないのかなぁ」と都落ち気分で塞いでいた私を、「この街で生きよう、何年でもいてやる」と思うようになったのがこの店、旧ロツレと・・・

・・・この店(左、月輪)だった。

ロツレの店主は高崎界隈でイロんな意味で有名な方で、現在はこの写真の右に移転してまだ現役です。

このマンションは当時は無かった。駐車場だった。ロツレの旦那が停めてましたね。

肉味噌ラーメンを喰わないヤツはバカとまで言われた東竜の跡地にはまだテナントが入っていないようです。
私は肉味噌より他のものが好きだったけどね。


Cafeだったり食堂だったり蕎麦屋だったり、それでいて夜は会員制のカラオケスナックだった鬼道楽はもだ現役のようです。昼に利用していただけなのが、いつの間にか夜のお仲間に入れて貰い唄いました。

そして8周年を迎えた酒悦七。
ジャン妻は「高崎で最も料理が美味しい店」と言っている。
いつまで経ってもおとおしがイマイチな店だが、歳月を重ねて料理の内容がどんどん上がっていったのです。
駿河大納言卿(徳川忠長)が眠るお寺の参道です。

七の先の路地、左の高層マンションにウチらの上司が住んでいた。
会社契約だったので、部屋を引き払う時は私らが立ちあったのですが、私らのマンションより遥かに豪華だった。
それを東京で言ったら私とソリの合わないオンナが「いいんですよエラいんだから」と言い放ったのにカチンときたね。
私はその上司ともソリが合わなかったのですが、群馬に来て後半はその上司はしょっちゅう東京に呼び戻されて群馬不在が多くなり、私はその間に群馬の子たちを掌握して関係作っちゃった。
今はそヤツは西国にいます。飛ばされた。ザマミロって思ったよ。
こないだの雪の時、ジャン妻は出張先で久々に会ったそうです。「〇〇さん(私のこと)まだグンマに関わってるの?」と驚いていたそうです。


この店は前は「揚子江」という名の中華料理屋だった。
ウナギの寝床のように長い店で、一度、座敷を使って社内接待に使ったことがある。
料理と味の記憶が無い。東京本社から来たおエラいさんたちがクダを撒き、それを私とソリの合わない上役が持ち上げ持ち上げヨイショしているのをじーっとガマンしながら聞いていた。
くだらねぇ飲み会だったなあれは。往時のおエラいさんたちは殆どがどっかに飛ばされたか現役を引退したが、何人かは監査役やら顧問という名誉職で寄生虫のように未だ居すくっている。人間はいったん権力を持つとそれに執着するんだね。
それきり利用しないまま終わった。店のせいじゃないがあまりいい印象の無い店。

この打ちっ放し、スケルトンの空きテナントは私がいた頃はフレンチだった。料理だけUpしたことがある。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-09-05
この過去記事のとおりですが、店のおねいさんでひとり感じの悪い女性がいた。笑顔無くムス~ッとしてるので、会社の宴会に利用しようとしたが止めました。
シンフォニー通りに出た角に、カナヤという洋服屋があって、そこで2回、アヤし気なガラ系のシャツを買ったことがある。

でも閉店した。不動産屋になっていた。駅前の大きい百貨店に客が流れたんだろう。OPAもできたし。
そこの横断歩道を渡ると今日くるまを借りるニッポンレンタカー支店が見えた。



近年の出張ではここで10回ぐらい借りています。小さいくるまでいい。ハイブリッドはイヤ。できれば禁煙車両がいい。GS入れるよりキロ清算で。ナビは無くても大丈夫。
今回は事前に予約していますが、一度飛び込みで入ったらナビの搭載されていないのしかなかったことがあった。
「ナビ不要でよろしいでしょうか?」
「要らない。3つの山さえ見えれば大丈夫だよ。自分が今いる位置と3つの山のどれかが何処に見えるか。それで自分の今いる場所がだいたいわかるさ」
「へぇ。凄いですねぇ」
別に凄くも何ともないんだけどね。山さえ見えれば私は群馬県内で道に迷いません。
赤城山が雲に隠れて見えない時に、伊勢崎~太田辺りの平地で「あれ?」迷ったことがありますが、大抵は大丈夫です。

停車中にこんな写真を撮ってますが、道交法が改正されたら運転中にスマホいじった場合の罰則が強化される。
携帯電話を注視、操作しながら車を運転すると、現状の「3月以下の懲役、または5万円以下の罰金」から「1年以下の懲役、または30万円以下の罰金」に引き上げるそうです。厳罰といっていい。
ただでさえ群馬はくるま所有者と警察が多い。群馬に来た平成24年4月~7月まで3回捕まっています。前橋大橋付近で走行中に携帯、安中市内で一時不停止、前橋駅前けやき通りでUターン禁止、白バイ、パトカー、白バイです。それまでゴールドだったのに。

で、公用の合間に出向いた先は。。。
平成24年~1年間、向こうに見える古いマンションの何処かに滞在していました。角部屋でいい部屋でした。

マンションの前、高崎駅方面へ歩く路地に立って見る。
左手には区画整理で立ち退いたうさぎCafeの跡地で、現在は保育園が建っています。
うさ子は移転先の椿町で古民家Cafeを営んでいます。


私とうさ子が生ゴミを出していた場所です。
前の晩にうさ子の店で飲んだ翌朝とかバッタリでくわしたことがある。
マンションを引き払う朝、うさ子はウチの最後の瓶、缶のゴミを引き受けてくれた。


江戸吉寿司の手前に停まっているくるまの場所に社用車を止めていました。
寿司屋の駐車場と勘違いして停めるくるまが何回かありましたよ。あまり寿司を食べない私は、この寿司屋に転勤が解ける寸前に一度行っただけだが、間違って駐車される度に寿司屋の暖簾をくぐって「誰か俺んとこに停めてんだろ」って言うハメになったものです。恐縮しながら対応してくれた店主は見た目は叡山の僧兵みたいだが、妙に腰の低い方だった。

かつて、毎朝毎夕歩いた路地を歩いてみた。
あの頃ウチらは矢島町に事務所を借りていました。そこまで徒歩で通い、群馬県内郊外に出る時はマンション駐車場まで社用車を取りに戻っていた。
赴任当初、「群馬にいつまでいなきゃいけないのかなぁ」と都落ち気分で塞いでいた私を、「この街で生きよう、何年でもいてやる」と思うようになったのがこの店、旧ロツレと・・・

・・・この店(左、月輪)だった。

ロツレの店主は高崎界隈でイロんな意味で有名な方で、現在はこの写真の右に移転してまだ現役です。

このマンションは当時は無かった。駐車場だった。ロツレの旦那が停めてましたね。

肉味噌ラーメンを喰わないヤツはバカとまで言われた東竜の跡地にはまだテナントが入っていないようです。
私は肉味噌より他のものが好きだったけどね。


Cafeだったり食堂だったり蕎麦屋だったり、それでいて夜は会員制のカラオケスナックだった鬼道楽はもだ現役のようです。昼に利用していただけなのが、いつの間にか夜のお仲間に入れて貰い唄いました。

そして8周年を迎えた酒悦七。
ジャン妻は「高崎で最も料理が美味しい店」と言っている。
いつまで経ってもおとおしがイマイチな店だが、歳月を重ねて料理の内容がどんどん上がっていったのです。
駿河大納言卿(徳川忠長)が眠るお寺の参道です。

七の先の路地、左の高層マンションにウチらの上司が住んでいた。
会社契約だったので、部屋を引き払う時は私らが立ちあったのですが、私らのマンションより遥かに豪華だった。
それを東京で言ったら私とソリの合わないオンナが「いいんですよエラいんだから」と言い放ったのにカチンときたね。
私はその上司ともソリが合わなかったのですが、群馬に来て後半はその上司はしょっちゅう東京に呼び戻されて群馬不在が多くなり、私はその間に群馬の子たちを掌握して関係作っちゃった。
今はそヤツは西国にいます。飛ばされた。ザマミロって思ったよ。
こないだの雪の時、ジャン妻は出張先で久々に会ったそうです。「〇〇さん(私のこと)まだグンマに関わってるの?」と驚いていたそうです。


この店は前は「揚子江」という名の中華料理屋だった。
ウナギの寝床のように長い店で、一度、座敷を使って社内接待に使ったことがある。
料理と味の記憶が無い。東京本社から来たおエラいさんたちがクダを撒き、それを私とソリの合わない上役が持ち上げ持ち上げヨイショしているのをじーっとガマンしながら聞いていた。
くだらねぇ飲み会だったなあれは。往時のおエラいさんたちは殆どがどっかに飛ばされたか現役を引退したが、何人かは監査役やら顧問という名誉職で寄生虫のように未だ居すくっている。人間はいったん権力を持つとそれに執着するんだね。
それきり利用しないまま終わった。店のせいじゃないがあまりいい印象の無い店。

この打ちっ放し、スケルトンの空きテナントは私がいた頃はフレンチだった。料理だけUpしたことがある。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-09-05
この過去記事のとおりですが、店のおねいさんでひとり感じの悪い女性がいた。笑顔無くムス~ッとしてるので、会社の宴会に利用しようとしたが止めました。
シンフォニー通りに出た角に、カナヤという洋服屋があって、そこで2回、アヤし気なガラ系のシャツを買ったことがある。

でも閉店した。不動産屋になっていた。駅前の大きい百貨店に客が流れたんだろう。OPAもできたし。
そこの横断歩道を渡ると今日くるまを借りるニッポンレンタカー支店が見えた。



近年の出張ではここで10回ぐらい借りています。小さいくるまでいい。ハイブリッドはイヤ。できれば禁煙車両がいい。GS入れるよりキロ清算で。ナビは無くても大丈夫。
今回は事前に予約していますが、一度飛び込みで入ったらナビの搭載されていないのしかなかったことがあった。
「ナビ不要でよろしいでしょうか?」
「要らない。3つの山さえ見えれば大丈夫だよ。自分が今いる位置と3つの山のどれかが何処に見えるか。それで自分の今いる場所がだいたいわかるさ」
「へぇ。凄いですねぇ」
別に凄くも何ともないんだけどね。山さえ見えれば私は群馬県内で道に迷いません。
赤城山が雲に隠れて見えない時に、伊勢崎~太田辺りの平地で「あれ?」迷ったことがありますが、大抵は大丈夫です。

停車中にこんな写真を撮ってますが、道交法が改正されたら運転中にスマホいじった場合の罰則が強化される。
携帯電話を注視、操作しながら車を運転すると、現状の「3月以下の懲役、または5万円以下の罰金」から「1年以下の懲役、または30万円以下の罰金」に引き上げるそうです。厳罰といっていい。
ただでさえ群馬はくるま所有者と警察が多い。群馬に来た平成24年4月~7月まで3回捕まっています。前橋大橋付近で走行中に携帯、安中市内で一時不停止、前橋駅前けやき通りでUターン禁止、白バイ、パトカー、白バイです。それまでゴールドだったのに。

で、公用の合間に出向いた先は。。。
2018-03-23 06:42
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グンマから呼び出しが。。。 [風景]
会社の行き先ボードに「グンマに行くぜ!!」と書き殴ったら、私が出た後で、私と長年ソリの合わないオンナが周囲に聞こえる声で、
「また〇〇さん(私のこと)こういうことを書くっ!!」
言いながら消したそうである。
ジャン妻に向かっても「旦那さんに注意しといてください」と言い放ったとか。いつもいつも生意気なオンナめ。お前はまだグンマを知らないと言ってやりたいぜ。

ただいまぐんまちゃん。
また来るハメになったのです。12月初旬です。

駅西口コンコースに直結した新しいビルは高島屋よりエラそうだ。

OPAオーパというのですか?
北関東で最大のファッションビルを謳うOPAとは、オリエンタル・パーク・アベニューの略だそうです。
http://shutten-watch.com/kantou/15


飲食店も11:00スタートで23:00閉店(ラストオーダーは22:30)とある。高崎の個人飲食店は11:30OPENの店が多いし、開店時間になってもまだ開かないマイペースな店が多い。そんなのんびりしてるとOPAにお客が流れちゃいますよと言いたいね。
でもこのビルでランチをしようという気にはならなかった。
今度の正月のだるま市も駅西口駅前通りで開催か。
少林山とは決裂したままなのかな。


デッキを下りて徒歩で西口の商店街を歩く。

私が平成24年にこの地に来て、最初に入った居酒屋がこれです。最初にボトルを入れた店でもあります。
刺身が極端に少ないのに驚いたものです。
下仁田ネギのパスタ、他、肉系がイケますよ。
でも来て最初の頃は都落ち気分でややブルーだった。この街で生きようと決めたのは、ロツレ、月輪、酒悦七、浜潮、亮さん他を知ってから。
そしたらこの店に足が向かなくなってしまった。

あ、上州山賊麺大大坊が何故ここに?
通町から移転したきたのだろうか。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-06-02-1
美味しいけど小さい店でね。スープがトテモ少ないのです。この店ケチだなって思ったモン。
でも11:30なのにまだOPENしないんですよ。


酒悦七の前に立つ。
今宵は来るかも知れない。来ないかも知れない。八幡か七か、確率は五分五分。
「七に行きなさいよ」(ジャン妻)
転勤が解けた平成25年3月30日の夜、翌日は帰京する私たちの為に地元の方たちが送別会をしていただいた店はお休みだった。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-20

もう時効だから書いちゃいますが、白銀町のこのビルにはレンタル会議室があって、よく会議で利用したものです。

浜潮のマスター&女性は何処へ行ったんだろう。

高崎市の某行政に向かう途中、この昭和食堂でランチ。後で掲載します。

10月は群馬に来れず。無理矢理に来た11月末の出張は業務内容的には現地の部下(草6号)に任せられる簡単なもので、ボリューム的にもたいしたことがなかった。
他の案件(本庄市&前橋市)と併せて日帰り工程も可能だったのですが、そこを1泊する為に強引に出張申請したのが昨日までの記事です。
その業務終了時の自己満足度は低かった。やはり仕事というものはある程度の難易度とボリュームが無いと達成感が得られないものなのだ。
こっちの社員に誰とも会わなかったし、あまり天気もよくなかったので、曇り空そのままグレーな気分で帰京した。もう年内はこれでラストかなって。
「もうアナタは群馬の担当じゃないんだから」(ジャン妻)
「・・・」
「静岡の子たちに入れ込んでいるクセに」
誤解を招く言い方を。平等に接してますよ。
だが。。。
12月に入って現地のEという社員から連絡があった。
Eは過去に何回も登場しています。
「会って話したいことがあるんだけど」という友達調子のメールが来たのです。
仮にも私は上役だぞ。
「長くなるので電話はいいです。いつ来れますか?」
これ、原文のままです。いつ来れますかったって。。。
どうも穏やかではなさそうである。何かあったのか。
現場部門の頭越しに行くのはマズイのでその方面にスジを通そうとしたが、私が出向くことについて本社の現場部長はさして興味の無い態度であった。面倒くさそうに、
「Eさん?あのうるさいオバさんですよね。わかりました。Eのガス抜きだけお願いします」って。
ガス抜きだけねぇ。
Eはガスタンクじゃないけどね。
あくまで話を聞くだけで、Eから何を言われてもその場で私は決定しないという条件でOKが出たのです。
ウチの管理部長も怪訝そうに、
「???何で〇〇さん(私のこと)に言ってきたんですか?」
上申する流れが違うのではないかと言いたそうであった。
確かにその通りで、私はもう群馬の担当でも何でもないのだから。
なのに未だに私に言って来るってことは?
「連中は単にアナタに甘えてるだけよ」(ジャン妻)
私は管理部門長に向かって「アンタたちより自分の方が向こうの連中に馴染まれてるんだよ。信用されてんの」と豪語したかったが、それを言っちゃぁ相手の小さいメンツを潰すことになるから言わなかった。
「さぁ。何でですかねぇ」ってトボけた。
「面談だけで出向くと目立つので、〇〇さんの本来の業務のついでに立ち寄ったから、のような感じで行ってきては如何ですかね?」
私の本来の業務のついでなら行っていいよと。
数日経ったらEは焦れたように「いつ来るの?皆、待ってるよ」
「皆って何人いるんだ?」
「アタシとぉ、Aさんとぉ、Tさん(聖なる酔っ払い女)とぉ、Sさん」
4人も??全員が平成24年赴任以来の連中だが、徒党を組んで私に何を言いたいのか。
「4人とも同じ内容か?」
「アタシとAさんは話が被るけど、TさんとSさんは別件だと思う」
という訳ありでやって来たのです。面談は今日の午後です。何をギャーギャー言われるのやら。まぁ聞いてりゃいいんだから楽さ。で、行ったら、面談する場所は現場の休憩室なのですが、そこのテーブルにこんなものが置いてあった。

Eがいて「食べていいわよ」
「いいよ。要らないよ」
傍らにいたT(聖なる酔っ払い女)が「〇〇さん(私のこと)の為に買って来たんですよ~」
わ・ざ・わ・ざ・買いに行ったのか。
私を餌付けしてるつもりか。
「食べながら待っててくれる?もう少ししたら全員が昼休み終わるから」
その間ボリボリ食べてたのですが、さすがに全部は喰わなかった。半分残して輪ゴムでくるんで置いといた。

そしたら聖なる・・・が、
「お持ち帰っていいですよ」
「持ち帰りぃ?ホテルへかぁ?」
この餌付けの代償というか、見返りは当然要求された。面談時間は3時間半に及び、社員の愚痴、不平不満を聞きなれている私もバテてしまったのだよ。
4名のうちでひとりめの聖なる酔っ払い女と、ふたりめの話はたいした内容ではなかった。
くだんのEの話は「アタシの一身上の都合で、他県への異動願を出したいがそれは可能ですか?」というもの。
あとひとり、最後の4人めが問題で、案の定自身の給与待遇についてだった。お金の話ですよ。
「何とかしてください」と1時間以上に渡って切実に訴えられたが、私はオーナーじゃないし、お給料に不満な社員には「だったら他社へ行けば?」な人なのですが、本社の部長たちから「聞くだけでその場では結論づけないでください」と言われてるのでその場では言わなかったけどね。
最後の子の不満は群馬特有のもので都内では絶対に通用しない。キーワードは、①群馬はくるまが必須、②土地が余っていて安い、③郊外にマンションが無く家を建てやすい
詳細は今は伏せますが、この①②③については群馬通の私にしてもこれまで気付かなかった点だったのである。これに④世間知らず、が加わるのだが、①②③を群馬の特に校外・平野部の問題点としていつか取り上げたい。
でもそれを本社の執行部に理解を得ようとしても無理なのだ。
結論出せず(出すなと言われたのもあって)私は現場を後にした。聖なる酔っ払い女が高崎までくるまで送ってくれた。
「確かにあの子の希望はかなわないと思います。でもかなわないまでも、群馬の子たちはこういう思いを抱えてるのを東京本社の人にわかってほしかった。だから呼んだんです」
平成24年に赴任した時は親元にいた小娘だったのが、5年6年経って諸事情が変わったということ。
「変わったなアイツ。前はあんなこと言ってこなかった」
「・・・今夜は何処で飲むのですか?」
「う~ん・・・そうだな・・・」
「また〇〇さん(私のこと)こういうことを書くっ!!」
言いながら消したそうである。
ジャン妻に向かっても「旦那さんに注意しといてください」と言い放ったとか。いつもいつも生意気なオンナめ。お前はまだグンマを知らないと言ってやりたいぜ。

ただいまぐんまちゃん。
また来るハメになったのです。12月初旬です。

駅西口コンコースに直結した新しいビルは高島屋よりエラそうだ。

OPAオーパというのですか?
北関東で最大のファッションビルを謳うOPAとは、オリエンタル・パーク・アベニューの略だそうです。
http://shutten-watch.com/kantou/15


飲食店も11:00スタートで23:00閉店(ラストオーダーは22:30)とある。高崎の個人飲食店は11:30OPENの店が多いし、開店時間になってもまだ開かないマイペースな店が多い。そんなのんびりしてるとOPAにお客が流れちゃいますよと言いたいね。
でもこのビルでランチをしようという気にはならなかった。
今度の正月のだるま市も駅西口駅前通りで開催か。
少林山とは決裂したままなのかな。


デッキを下りて徒歩で西口の商店街を歩く。

私が平成24年にこの地に来て、最初に入った居酒屋がこれです。最初にボトルを入れた店でもあります。
刺身が極端に少ないのに驚いたものです。
下仁田ネギのパスタ、他、肉系がイケますよ。
でも来て最初の頃は都落ち気分でややブルーだった。この街で生きようと決めたのは、ロツレ、月輪、酒悦七、浜潮、亮さん他を知ってから。
そしたらこの店に足が向かなくなってしまった。

あ、上州山賊麺大大坊が何故ここに?
通町から移転したきたのだろうか。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-06-02-1
美味しいけど小さい店でね。スープがトテモ少ないのです。この店ケチだなって思ったモン。
でも11:30なのにまだOPENしないんですよ。


酒悦七の前に立つ。
今宵は来るかも知れない。来ないかも知れない。八幡か七か、確率は五分五分。
「七に行きなさいよ」(ジャン妻)
転勤が解けた平成25年3月30日の夜、翌日は帰京する私たちの為に地元の方たちが送別会をしていただいた店はお休みだった。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-20

もう時効だから書いちゃいますが、白銀町のこのビルにはレンタル会議室があって、よく会議で利用したものです。

浜潮のマスター&女性は何処へ行ったんだろう。

高崎市の某行政に向かう途中、この昭和食堂でランチ。後で掲載します。

10月は群馬に来れず。無理矢理に来た11月末の出張は業務内容的には現地の部下(草6号)に任せられる簡単なもので、ボリューム的にもたいしたことがなかった。
他の案件(本庄市&前橋市)と併せて日帰り工程も可能だったのですが、そこを1泊する為に強引に出張申請したのが昨日までの記事です。
その業務終了時の自己満足度は低かった。やはり仕事というものはある程度の難易度とボリュームが無いと達成感が得られないものなのだ。
こっちの社員に誰とも会わなかったし、あまり天気もよくなかったので、曇り空そのままグレーな気分で帰京した。もう年内はこれでラストかなって。
「もうアナタは群馬の担当じゃないんだから」(ジャン妻)
「・・・」
「静岡の子たちに入れ込んでいるクセに」
誤解を招く言い方を。平等に接してますよ。
だが。。。
12月に入って現地のEという社員から連絡があった。
Eは過去に何回も登場しています。
「会って話したいことがあるんだけど」という友達調子のメールが来たのです。
仮にも私は上役だぞ。
「長くなるので電話はいいです。いつ来れますか?」
これ、原文のままです。いつ来れますかったって。。。
どうも穏やかではなさそうである。何かあったのか。
現場部門の頭越しに行くのはマズイのでその方面にスジを通そうとしたが、私が出向くことについて本社の現場部長はさして興味の無い態度であった。面倒くさそうに、
「Eさん?あのうるさいオバさんですよね。わかりました。Eのガス抜きだけお願いします」って。
ガス抜きだけねぇ。
Eはガスタンクじゃないけどね。
あくまで話を聞くだけで、Eから何を言われてもその場で私は決定しないという条件でOKが出たのです。
ウチの管理部長も怪訝そうに、
「???何で〇〇さん(私のこと)に言ってきたんですか?」
上申する流れが違うのではないかと言いたそうであった。
確かにその通りで、私はもう群馬の担当でも何でもないのだから。
なのに未だに私に言って来るってことは?
「連中は単にアナタに甘えてるだけよ」(ジャン妻)
私は管理部門長に向かって「アンタたちより自分の方が向こうの連中に馴染まれてるんだよ。信用されてんの」と豪語したかったが、それを言っちゃぁ相手の小さいメンツを潰すことになるから言わなかった。
「さぁ。何でですかねぇ」ってトボけた。
「面談だけで出向くと目立つので、〇〇さんの本来の業務のついでに立ち寄ったから、のような感じで行ってきては如何ですかね?」
私の本来の業務のついでなら行っていいよと。
数日経ったらEは焦れたように「いつ来るの?皆、待ってるよ」
「皆って何人いるんだ?」
「アタシとぉ、Aさんとぉ、Tさん(聖なる酔っ払い女)とぉ、Sさん」
4人も??全員が平成24年赴任以来の連中だが、徒党を組んで私に何を言いたいのか。
「4人とも同じ内容か?」
「アタシとAさんは話が被るけど、TさんとSさんは別件だと思う」
という訳ありでやって来たのです。面談は今日の午後です。何をギャーギャー言われるのやら。まぁ聞いてりゃいいんだから楽さ。で、行ったら、面談する場所は現場の休憩室なのですが、そこのテーブルにこんなものが置いてあった。

Eがいて「食べていいわよ」
「いいよ。要らないよ」
傍らにいたT(聖なる酔っ払い女)が「〇〇さん(私のこと)の為に買って来たんですよ~」
わ・ざ・わ・ざ・買いに行ったのか。
私を餌付けしてるつもりか。
「食べながら待っててくれる?もう少ししたら全員が昼休み終わるから」
その間ボリボリ食べてたのですが、さすがに全部は喰わなかった。半分残して輪ゴムでくるんで置いといた。

そしたら聖なる・・・が、
「お持ち帰っていいですよ」
「持ち帰りぃ?ホテルへかぁ?」
この餌付けの代償というか、見返りは当然要求された。面談時間は3時間半に及び、社員の愚痴、不平不満を聞きなれている私もバテてしまったのだよ。
4名のうちでひとりめの聖なる酔っ払い女と、ふたりめの話はたいした内容ではなかった。
くだんのEの話は「アタシの一身上の都合で、他県への異動願を出したいがそれは可能ですか?」というもの。
あとひとり、最後の4人めが問題で、案の定自身の給与待遇についてだった。お金の話ですよ。
「何とかしてください」と1時間以上に渡って切実に訴えられたが、私はオーナーじゃないし、お給料に不満な社員には「だったら他社へ行けば?」な人なのですが、本社の部長たちから「聞くだけでその場では結論づけないでください」と言われてるのでその場では言わなかったけどね。
最後の子の不満は群馬特有のもので都内では絶対に通用しない。キーワードは、①群馬はくるまが必須、②土地が余っていて安い、③郊外にマンションが無く家を建てやすい
詳細は今は伏せますが、この①②③については群馬通の私にしてもこれまで気付かなかった点だったのである。これに④世間知らず、が加わるのだが、①②③を群馬の特に校外・平野部の問題点としていつか取り上げたい。
でもそれを本社の執行部に理解を得ようとしても無理なのだ。
結論出せず(出すなと言われたのもあって)私は現場を後にした。聖なる酔っ払い女が高崎までくるまで送ってくれた。
「確かにあの子の希望はかなわないと思います。でもかなわないまでも、群馬の子たちはこういう思いを抱えてるのを東京本社の人にわかってほしかった。だから呼んだんです」
平成24年に赴任した時は親元にいた小娘だったのが、5年6年経って諸事情が変わったということ。
「変わったなアイツ。前はあんなこと言ってこなかった」
「・・・今夜は何処で飲むのですか?」
「う~ん・・・そうだな・・・」
2017-12-12 07:44
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ぶらり [風景]
アタマが重い。
飲み過ぎたか昨夜。

旭町の路地を歩いているところ。
弓町の交差点を渡ると、私が1年住んでいた小さい羅漢町。

高崎駅近くをくるまで走っていると、交差点で信号機が青になってスタートしてもすぐ先の信号が赤になるので、なかなか一気に走り去ることができない。
道路を拡張したことで横断する歩行者への配慮なんだろうけど、歩行者はあまりいないですよ。

私が1年間だけ住んだマンション。
左手には移転前のうさこのCafeがあった。
これがその頃のCafeです。

現在の同じ場所です。うさこのCafe跡地は幼稚園?保育園になっている。


江戸吉寿司。
アスリートでもある旅人の惑星さんが打ち上げる寿司屋さん。
正面から見ると焼津のどんた久にそっくりな店構え。
赴任が終わり、東京に引き上げる前に1度だけ入った。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-12
私は滅多に寿司屋に行かない人でして、寿司屋より居酒屋に足が向くのですがネタはよかったですよ。
外見に似ず妙に腰の低い店主で「お待たせしてごめんなさい」をやたらと繰り返すんだよな。店主ひとりで握る割りに客数が多いから。
「(群馬県)知事さんは『私は高崎市が好きなんですよぉ~』って言いながら江戸吉寿司でベロベロになってる」
「そりゃ高崎の票が欲しいからだよ」
のような会話を飲み屋で聞いたことがあるよ。

私が停めてた駐車場の一画。
稀に間違って江戸吉寿司のお客が停めたりするので、寿司屋の中に入って「誰かウチんとこに停めてないか?」聞く為だけに入店したことが2~3回ある。
この道を歩いて事務所まで通った。
ロツレ(現在はワインバー・ルケ)、少し右に少し入った路地に月輪、現在のラのロがあります。


この電柱がゴミ出し場所で、私とうさこが家庭ゴミを出していた。飲んだ翌朝バッタリ会ったりしたものですよ。
わずか1年だけとはいえ私は高崎城下町に、いや、城内に住んでいたのです。調べたのですが、平城の高崎城には木戸が7つあって、羅漢町口にも木戸があったそうです。
葉っぱに覆われつつある味一味。。。
ゲストのチエさん、もと田舎娘さんと初めて飲み喰いしたんだった。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-18

店主も料理も雰囲気も豪快で餃子が美味い。この店の餃子を食べると水商売の女性が出勤できなくなるという。
何故か転勤が解けてからは足が向かなくなった。

よく利用した洋食系の亮さん。
ここはステーキ、パスタ、カツ系の揚げ物、サラダ、ピザ他、料理が秀逸。
あまり混まないのが不思議。駅から遠いからだと思う。
ここでも転勤が解けて引き上げる前、チエさん呼んで別杯を挙げたな。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-08
アーケードに向かって交差点を渡る。
この洋菓子屋さんも取り上げたことがあります。笑ふ女にケーキをあげたの。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-20-3

店内にCafeスペースもあるのですが喫煙可なのです。ケーキ屋さん、洋菓子屋さんで地元の婆さんたちが吸う煙草の煙にケーキが燻される光景は異様だった。
過去記事に登場した「笑ふ女」は現在新しい伴侶を得たので最近は遠慮してこちらからは連絡しなくなった。
10月半ばに一度電話があって「だ、だ、誰に聞いていいかわからないので〇〇さん(私のこと)に聞けばいいかなって。ぶふふっ(笑)」
「それは私に聞くんじゃなくて・・・」
・・・の後は担当部署に回したのですが、群馬担当の草の者・6号の成長もあって、近年ようやく私から「親離れ?」しつつある。

平成26年の大雪でアーケード天井が落ちてしまい再建中の工事現場。
市は全面的に改装する計画だが、そうなると今あるディープな世界が真新しくなってしまい、健全な街になる代わり、立ち退く店も出て来るだろう。
でもテナントが老朽化し、火事が発生したりしたので、工事の動きは加速するかも。

見上げたら梁が太い。
「アーケード2階もテナント入るの?」
「いえいえ、1階だけですよ」



梅ふくの路地、まだ眠っている。
もーちゃんは昨夜も20時以降、ベロベロだったに違いない。
「でもどんなに酔っぱらっても翌朝はちゃんと起きて仕入れに行くんですよ」

田じま食堂の跡地。
川崎の丸大ホール食堂のミニ版だが、クセ、アクが強い客ばかりだった。
店にグダグダ集っていたアクの強い老人たちは何処へ行ってしまったのだろう。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-07-6

ニュー田じまも撤退してしまったようだ。あまり入ってなかったからね。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-12-13
私の部下といっていい草の者6号はニュー田じまのデカいアジフライを今でも懐かしんでる。閉めちゃって残念って。
激シブ食堂の三好。
この店はさすがに入る気にならなかった。Bスポサイトに詳しいです。
http://www.b-gunma.com/miyoshi.php


アーケードを抜けて行政へ向かう。

すみれ食堂。高崎の食堂にしては珍しく完全禁煙の店。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-23
あ、値上したね。前はラーメンが350円だった。


すみれは再訪したので後日取り上げます。

そういえば。
この城にいずれ、この子が来たんだっけ。
だがその滞在期間は短かった。(続く)
飲み過ぎたか昨夜。

旭町の路地を歩いているところ。
弓町の交差点を渡ると、私が1年住んでいた小さい羅漢町。

高崎駅近くをくるまで走っていると、交差点で信号機が青になってスタートしてもすぐ先の信号が赤になるので、なかなか一気に走り去ることができない。
道路を拡張したことで横断する歩行者への配慮なんだろうけど、歩行者はあまりいないですよ。

私が1年間だけ住んだマンション。
左手には移転前のうさこのCafeがあった。
これがその頃のCafeです。

現在の同じ場所です。うさこのCafe跡地は幼稚園?保育園になっている。


江戸吉寿司。
アスリートでもある旅人の惑星さんが打ち上げる寿司屋さん。
正面から見ると焼津のどんた久にそっくりな店構え。
赴任が終わり、東京に引き上げる前に1度だけ入った。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-12
私は滅多に寿司屋に行かない人でして、寿司屋より居酒屋に足が向くのですがネタはよかったですよ。
外見に似ず妙に腰の低い店主で「お待たせしてごめんなさい」をやたらと繰り返すんだよな。店主ひとりで握る割りに客数が多いから。
「(群馬県)知事さんは『私は高崎市が好きなんですよぉ~』って言いながら江戸吉寿司でベロベロになってる」
「そりゃ高崎の票が欲しいからだよ」
のような会話を飲み屋で聞いたことがあるよ。

私が停めてた駐車場の一画。
稀に間違って江戸吉寿司のお客が停めたりするので、寿司屋の中に入って「誰かウチんとこに停めてないか?」聞く為だけに入店したことが2~3回ある。
この道を歩いて事務所まで通った。
ロツレ(現在はワインバー・ルケ)、少し右に少し入った路地に月輪、現在のラのロがあります。


この電柱がゴミ出し場所で、私とうさこが家庭ゴミを出していた。飲んだ翌朝バッタリ会ったりしたものですよ。
わずか1年だけとはいえ私は高崎城下町に、いや、城内に住んでいたのです。調べたのですが、平城の高崎城には木戸が7つあって、羅漢町口にも木戸があったそうです。
葉っぱに覆われつつある味一味。。。
ゲストのチエさん、もと田舎娘さんと初めて飲み喰いしたんだった。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-18

店主も料理も雰囲気も豪快で餃子が美味い。この店の餃子を食べると水商売の女性が出勤できなくなるという。
何故か転勤が解けてからは足が向かなくなった。

よく利用した洋食系の亮さん。
ここはステーキ、パスタ、カツ系の揚げ物、サラダ、ピザ他、料理が秀逸。
あまり混まないのが不思議。駅から遠いからだと思う。
ここでも転勤が解けて引き上げる前、チエさん呼んで別杯を挙げたな。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-08
アーケードに向かって交差点を渡る。
この洋菓子屋さんも取り上げたことがあります。笑ふ女にケーキをあげたの。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-20-3

店内にCafeスペースもあるのですが喫煙可なのです。ケーキ屋さん、洋菓子屋さんで地元の婆さんたちが吸う煙草の煙にケーキが燻される光景は異様だった。
過去記事に登場した「笑ふ女」は現在新しい伴侶を得たので最近は遠慮してこちらからは連絡しなくなった。
10月半ばに一度電話があって「だ、だ、誰に聞いていいかわからないので〇〇さん(私のこと)に聞けばいいかなって。ぶふふっ(笑)」
「それは私に聞くんじゃなくて・・・」
・・・の後は担当部署に回したのですが、群馬担当の草の者・6号の成長もあって、近年ようやく私から「親離れ?」しつつある。

平成26年の大雪でアーケード天井が落ちてしまい再建中の工事現場。
市は全面的に改装する計画だが、そうなると今あるディープな世界が真新しくなってしまい、健全な街になる代わり、立ち退く店も出て来るだろう。
でもテナントが老朽化し、火事が発生したりしたので、工事の動きは加速するかも。

見上げたら梁が太い。
「アーケード2階もテナント入るの?」
「いえいえ、1階だけですよ」



梅ふくの路地、まだ眠っている。
もーちゃんは昨夜も20時以降、ベロベロだったに違いない。
「でもどんなに酔っぱらっても翌朝はちゃんと起きて仕入れに行くんですよ」

田じま食堂の跡地。
川崎の丸大ホール食堂のミニ版だが、クセ、アクが強い客ばかりだった。
店にグダグダ集っていたアクの強い老人たちは何処へ行ってしまったのだろう。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-07-6

ニュー田じまも撤退してしまったようだ。あまり入ってなかったからね。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2015-12-13
私の部下といっていい草の者6号はニュー田じまのデカいアジフライを今でも懐かしんでる。閉めちゃって残念って。
激シブ食堂の三好。
この店はさすがに入る気にならなかった。Bスポサイトに詳しいです。
http://www.b-gunma.com/miyoshi.php


アーケードを抜けて行政へ向かう。

すみれ食堂。高崎の食堂にしては珍しく完全禁煙の店。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-23
あ、値上したね。前はラーメンが350円だった。


すみれは再訪したので後日取り上げます。

そういえば。
この城にいずれ、この子が来たんだっけ。
だがその滞在期間は短かった。(続く)
2017-12-09 12:18
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藤枝イルミ [風景]
冗談TALKも交えてようやく信頼関係が構築されてきた静岡の某現場の女の子が、
「〇〇さん(私のこと)今日も藤枝にお泊りですかぁ?」
「そうだよ」
「(静岡)市内じゃないんだ?」
「(ホテルの予約が)取れなかったのもあるんだけど、市内に泊まると明日のアサイチの為に早く起きなきゃならないから」
「いいですね藤枝」
「???」
「今の時期だとイルミネーションがありますよ」
それは知っている。昨年もあったし。
この子は登場しています。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-08-14
「お家でもイルミするんですか?」
これからの時期、各家々でも小さいイルミを点灯させる家ってありますよね。
「私はしたいんだけどね。ウチの(ジャン妻は)は12月22日が誕生日だから、クリスマスよりアタシの誕生日を優先しろ、ウチにクリスマスはない、あれは商業戦略に載せられてるだけだ、って言い張るからさ。ハロウインの時もそんなこと言って全否定していたな」
「ああ、そうなんですか。だったら奥様の誕生日優先ですよね」
「お、おくさま?(笑)自分は世界中が優しくなれるクリスマスが大好きなんだけどね。家でイルミもやってみたいし」


























「意外と藤枝って呼び込みが多いんだよ」
「声かけられるんですか?」
「それがさ」
「???」
「一度も声かけられたことない」
「そうなんですか?」
私は新宿でも新橋でも、呼び込みに声かけられないのです。
かけてくるのは高崎の銀座アーケードだけ。
イルミをウロついた後、ホテルに戻るまでも声かけられなかった。避けてるんです。
「何でですかね?」
「さぁな・・・」
「もしかして・・・?」
「???」
「同業者と思われてるんじゃ?」
「〇〇さん(私のこと)今日も藤枝にお泊りですかぁ?」
「そうだよ」
「(静岡)市内じゃないんだ?」
「(ホテルの予約が)取れなかったのもあるんだけど、市内に泊まると明日のアサイチの為に早く起きなきゃならないから」
「いいですね藤枝」
「???」
「今の時期だとイルミネーションがありますよ」
それは知っている。昨年もあったし。
この子は登場しています。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-08-14
「お家でもイルミするんですか?」
これからの時期、各家々でも小さいイルミを点灯させる家ってありますよね。
「私はしたいんだけどね。ウチの(ジャン妻は)は12月22日が誕生日だから、クリスマスよりアタシの誕生日を優先しろ、ウチにクリスマスはない、あれは商業戦略に載せられてるだけだ、って言い張るからさ。ハロウインの時もそんなこと言って全否定していたな」
「ああ、そうなんですか。だったら奥様の誕生日優先ですよね」
「お、おくさま?(笑)自分は世界中が優しくなれるクリスマスが大好きなんだけどね。家でイルミもやってみたいし」


























「意外と藤枝って呼び込みが多いんだよ」
「声かけられるんですか?」
「それがさ」
「???」
「一度も声かけられたことない」
「そうなんですか?」
私は新宿でも新橋でも、呼び込みに声かけられないのです。
かけてくるのは高崎の銀座アーケードだけ。
イルミをウロついた後、ホテルに戻るまでも声かけられなかった。避けてるんです。
「何でですかね?」
「さぁな・・・」
「もしかして・・・?」
「???」
「同業者と思われてるんじゃ?」
2017-11-23 10:16
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藪塚の石切場跡 [風景]
どなた様かは存じ上げませんが、朝早い時間から見て下さってありがとうございます。

さて、キリのいい7月31日で上州プチシリーズ在庫一掃を済ませる予定だった。
8月1日からは通常ネタに戻そうと。私は記事数とカレンダーを照らし合わせてそこまで拘るのです。
安中市内の自動車に乗った観音様の翌日にブラウザがオカしくなって。それを1話入れたらシメのこの記事が8月1日にズレ込んでしまったというワケ。

太田市の北、藪塚温泉街。
平日だからか客が見当たらない。地元群馬ナンバーのくるまが時折通り過ぎるくらい。
藪塚温泉の成分は炭酸水素塩(HCO3)だからこないだ載せた安中市郷原の井戸と似たようなものか。シュワシュワしているか塩気があるか。
泊まりにきたわけでも湯治に来たのでもないです。ホテルふせじまを目の前にして左折、細い道を上がり、T字路を右折して坂を下り、その先にあるものを見に。。。

この辺りにくるまが数台停められます。
舗装はされていませんが砂利が敷き詰められた敷地がある。
その辺りに人家が1軒だけあって、その先には勝負沼(新田軍と北条軍が闘った?ホントかな?)でドンつまりになる。
イノシシ捕獲用の檻があった?あたりまえのように置いてあった。

森へ誘う獣道の入口に、こんな表示がありまして。

石切場跡??
私はそこへ徒歩で向かいます。探検心にワクワク。



木々が生い茂って先が見えないがそれほど歩きません。


途中の三叉路。表示を見たら石切場まで100m足らず。これがゼロ1桁多かったら引き返したかもしれないが。

あ!!
立入禁止のトラロープが。



石が崩れてるのだろうか。いや、足場が悪いのです。丸木や板が敷き詰められているが、湿気でポコポコに腐っていて途中に穴も開いており、踏み抜きかねない箇所がある。
暑さ、湿気もジャングルを思わせる。その先に岩を手掘りで切り開いたような迷宮への入口が見えてきたぞ。





高さ30mもの巨岩の壁が四方を取り囲んで垂直に切り立っていた。
これは人口建造物ではない。石材を切り開いた跡なのです。




さきほどの入口の斜面にあった解説板から引用します。ダラダラ長いので途中、改行します。
『今から凡そ二千年前位に多くの火山活動によって堆積された軽石凝灰岩が地殻の変動で隆起し各地に露出したものが藪塚石となった。
この薮塚石は明治の中頃から小規模に採掘をしていたが、明治三十六年より薮塚石材株式会社が創立され盛んになり始めた。
質はやわらかく細工もしやすく価格も安かったので、建築物の土台や塀、熱に極めて強かったのでカマドとして発売された。
大正二年に東武鉄道が敷設されると、販路も関東諸府県から長野県に至るまで藪塚石の名は広まった。
当時労務者は三百五十人位であった。しかし藪塚石の最大の欠点は水に弱く、中に小石がある事、層に割れ目が多い事などで、同質の大谷石と比べ多くの人件費がかった。
質に於てだんだん嫌われていった。そして、現在各所にこの様な大きな採掘跡を残して昭和三十年頃に閉山のやむなきに至ったのである。』


薮塚石材株式会社社長は葉住利蔵という人。この人は慶応2年(1866年)生まれだから世は戊辰に突入する直前だった。
実業家です。太田町商工会を設立して初代会頭。明治31年(1898年)に新田銀行(現在の群馬銀行)を設立して頭取に就任。利根発電を設立して太田に電気を引っ張った。
そして明治36年にここ藪塚石を量産採掘する藪塚石材株式会社を設立して、切り出した石材を運ぶ人車軌道、藪塚石材軌道の免許を取得。これが太田軽便鉄道を経て現在の東武桐生線になる。
私が立つ周囲を覆う巨石には無数の筋が刻まれていた。これらは石工たちの手によるもの、手斧によるものだろうか。だとすれば長く見積もって明治36年(1903年)創業から昭和30年(1905年)閉山、その間50年に渡って無数の石工たちが打つ、切る、砕く音がこの森の中に木魂していたに違いない。
藪塚石は火山灰の堆積によるものという。
では何処の火山か。赤城山かな。
火山灰でできた岩に火山弾や小石が混じってたので大谷石に破れ去って消えていた。現在は森の中に打ち捨てられた巨岩の壁が残るのみです。


どの面を向いても石の壁に圧倒される。
屹立した岩壁上からモンスターやクリーチャーが覗きこんだりしそうだ。魔界の迷宮に迷い込んだ気分がする。


この洋画のようにいきなり壁が動きだしたりしないだろうか。






確認していませんが、隠し砦の三悪人、仮面ライダー鎧のロケ地にも使われたとか。
予告編から。ロケ時には足場はしっかりしていたのかな。



更に奥へ行こうとしたら足がズルッと取られた。
ドス黒いヘドロ状態だったのである。ベチャッとしたヘドロに足を阻まれた。
あ~あ、また靴を汚しちまったよ。ジャン妻に「何処をほっつき歩いてたの?」って責められるな。
そこから先は雨水がたまって水たまり、浅い池になっており、そこで何かが動めく気配がした。
何かがいる。
突如、それは撥ねた。
太いヘビのようなものがジャンプしてポチャンと落ちた。それも2匹。連続してピョン、ポチャン、ピョン、ポチャン。
カエルだろうか。だがその生物は前足後足が無かった。エイリアンのチェストバスターの黒くて長いヤツだった。ヘビ?まさかツチノコ?
この石切り場の水たまりにいる何かの生物については他サイトでも触れていた。。
http://www.xn--b-qfu4au7hq634c7ydh29d.net/o2.html
確実に何かがいます。
後ずさりして引き返した。彼らは私を闖入者と思って威嚇したのだろうか。

ここは整備されていない産業遺産、産業廃墟といっていい。
立入禁止のトラロープが無ければ誰でも見れるが、足場を含めて今後、整備されるかどうかはわからない。
行かれるなら自己責任でお願いしますよ。
http://ons.or.jp/publics/index/13/


くるまのある場所に戻った。
広場になっている。炭火を炊いた跡がある。
ここでひとつの疑問符が湧いた。切り開いた石を藪塚駅までどうやって運んだのか。

現在の東武桐生線の前身、藪塚石材軌道は明治36年(1903年)藪塚石材株式会社設立から5年後、明治42年(1908年)に設立されている。
太田停車場(現在の太田駅)~両毛線の大間々停車場を結んで、藪塚石を運んだ。
馬車鉄道を目論んだが、その頃、免許を取得しやすかった軽便鉄道法による人車鉄道に変更して、石材運送と併せて旅客営業も行った。藪塚温泉への湯治客だろうか。
東武鉄道の資本も受けてたので、1913年頃にお定まりの譲渡と相成り、蒸気化に併せて軌間(レールの間)も変更した。それまでは単線で、現在の治良門橋駅(西慶寺辺り)に交換施設があったらしい。
石切場から藪塚駅までは距離1kmあって徒歩だと15分くらいかかると思う。駅まで人力で運ぶ非効率な手法で運ぶだろうか。
もしかしたら、石切場の入口まで、引込線が敷設されていたのではないかい?
下写真は現役時代の藪塚石材軌道です。
藪塚停車場か太田停車場かわからないのですが。
下のサイトからご承諾を得て拝借しました。
http://yamada.sailog.jp/weblog/

太田市史料から。
大三章・変革期の太田の三、交通の発達に藪塚石材軌道の項があったが、そこには、
「明治36年(1903)に設立された藪塚石材株式会社を発展継承した藪塚石材軌道株式会社が設立されたのは明治41年で、東武鉄道が太田まで通じたのは翌42年のことである。藪塚石材軌道は資本金6万円、社長は葉住利蔵である。太田・藪塚間にトロッコ専用レールを敷き、藪塚本町や強戸村大字西長岡村などから産出した石材(藪塚石)を運搬した。それは現在の東武桐生線藪塚駅のやや太田寄りの場所(現藪塚本町西野)から太田への勾配を利用した人車軌道であった。現治良門橋駅や鳥山の西慶寺付近では上り下りが交換できるよう複線になっていた。通常は人力で石材の運搬を行っていたが、呑竜様の開山忌などにはトロッコを祝幕で飾り、また幌をかけ、女性や子供を乗せて運んだ。」
帰途の藪塚踏切です。
非日常的空間から日常へ戻ったところ。

石切場の奥にいたあの異生物は何だったのか。
撥ねて落ちた動作がまだ脳裡に残っている。
巨大な石の壁に囲まれた迷宮にいた証拠に私の革靴には迷宮でつけたヘドロがこびりついたままだ。北関東自動車道波志江PAのWCで洗ったが全部は落ちなかった。そのまま帰京。くっついたままお持ち帰りになった。
革靴の泥を見たジャン妻の表情は。。。

さて、キリのいい7月31日で上州プチシリーズ在庫一掃を済ませる予定だった。
8月1日からは通常ネタに戻そうと。私は記事数とカレンダーを照らし合わせてそこまで拘るのです。
安中市内の自動車に乗った観音様の翌日にブラウザがオカしくなって。それを1話入れたらシメのこの記事が8月1日にズレ込んでしまったというワケ。

太田市の北、藪塚温泉街。
平日だからか客が見当たらない。地元群馬ナンバーのくるまが時折通り過ぎるくらい。
藪塚温泉の成分は炭酸水素塩(HCO3)だからこないだ載せた安中市郷原の井戸と似たようなものか。シュワシュワしているか塩気があるか。
泊まりにきたわけでも湯治に来たのでもないです。ホテルふせじまを目の前にして左折、細い道を上がり、T字路を右折して坂を下り、その先にあるものを見に。。。

この辺りにくるまが数台停められます。舗装はされていませんが砂利が敷き詰められた敷地がある。
その辺りに人家が1軒だけあって、その先には勝負沼(新田軍と北条軍が闘った?ホントかな?)でドンつまりになる。
イノシシ捕獲用の檻があった?あたりまえのように置いてあった。

森へ誘う獣道の入口に、こんな表示がありまして。

石切場跡??
私はそこへ徒歩で向かいます。探検心にワクワク。



木々が生い茂って先が見えないがそれほど歩きません。


途中の三叉路。表示を見たら石切場まで100m足らず。これがゼロ1桁多かったら引き返したかもしれないが。

あ!!
立入禁止のトラロープが。



石が崩れてるのだろうか。いや、足場が悪いのです。丸木や板が敷き詰められているが、湿気でポコポコに腐っていて途中に穴も開いており、踏み抜きかねない箇所がある。
暑さ、湿気もジャングルを思わせる。その先に岩を手掘りで切り開いたような迷宮への入口が見えてきたぞ。





高さ30mもの巨岩の壁が四方を取り囲んで垂直に切り立っていた。
これは人口建造物ではない。石材を切り開いた跡なのです。




さきほどの入口の斜面にあった解説板から引用します。ダラダラ長いので途中、改行します。
『今から凡そ二千年前位に多くの火山活動によって堆積された軽石凝灰岩が地殻の変動で隆起し各地に露出したものが藪塚石となった。
この薮塚石は明治の中頃から小規模に採掘をしていたが、明治三十六年より薮塚石材株式会社が創立され盛んになり始めた。
質はやわらかく細工もしやすく価格も安かったので、建築物の土台や塀、熱に極めて強かったのでカマドとして発売された。
大正二年に東武鉄道が敷設されると、販路も関東諸府県から長野県に至るまで藪塚石の名は広まった。
当時労務者は三百五十人位であった。しかし藪塚石の最大の欠点は水に弱く、中に小石がある事、層に割れ目が多い事などで、同質の大谷石と比べ多くの人件費がかった。
質に於てだんだん嫌われていった。そして、現在各所にこの様な大きな採掘跡を残して昭和三十年頃に閉山のやむなきに至ったのである。』


薮塚石材株式会社社長は葉住利蔵という人。この人は慶応2年(1866年)生まれだから世は戊辰に突入する直前だった。
実業家です。太田町商工会を設立して初代会頭。明治31年(1898年)に新田銀行(現在の群馬銀行)を設立して頭取に就任。利根発電を設立して太田に電気を引っ張った。
そして明治36年にここ藪塚石を量産採掘する藪塚石材株式会社を設立して、切り出した石材を運ぶ人車軌道、藪塚石材軌道の免許を取得。これが太田軽便鉄道を経て現在の東武桐生線になる。
私が立つ周囲を覆う巨石には無数の筋が刻まれていた。これらは石工たちの手によるもの、手斧によるものだろうか。だとすれば長く見積もって明治36年(1903年)創業から昭和30年(1905年)閉山、その間50年に渡って無数の石工たちが打つ、切る、砕く音がこの森の中に木魂していたに違いない。
藪塚石は火山灰の堆積によるものという。
では何処の火山か。赤城山かな。
火山灰でできた岩に火山弾や小石が混じってたので大谷石に破れ去って消えていた。現在は森の中に打ち捨てられた巨岩の壁が残るのみです。


どの面を向いても石の壁に圧倒される。
屹立した岩壁上からモンスターやクリーチャーが覗きこんだりしそうだ。魔界の迷宮に迷い込んだ気分がする。


この洋画のようにいきなり壁が動きだしたりしないだろうか。






確認していませんが、隠し砦の三悪人、仮面ライダー鎧のロケ地にも使われたとか。
予告編から。ロケ時には足場はしっかりしていたのかな。



更に奥へ行こうとしたら足がズルッと取られた。
ドス黒いヘドロ状態だったのである。ベチャッとしたヘドロに足を阻まれた。
あ~あ、また靴を汚しちまったよ。ジャン妻に「何処をほっつき歩いてたの?」って責められるな。
そこから先は雨水がたまって水たまり、浅い池になっており、そこで何かが動めく気配がした。
何かがいる。
突如、それは撥ねた。
太いヘビのようなものがジャンプしてポチャンと落ちた。それも2匹。連続してピョン、ポチャン、ピョン、ポチャン。
カエルだろうか。だがその生物は前足後足が無かった。エイリアンのチェストバスターの黒くて長いヤツだった。ヘビ?まさかツチノコ?
この石切り場の水たまりにいる何かの生物については他サイトでも触れていた。。
http://www.xn--b-qfu4au7hq634c7ydh29d.net/o2.html
確実に何かがいます。
後ずさりして引き返した。彼らは私を闖入者と思って威嚇したのだろうか。

ここは整備されていない産業遺産、産業廃墟といっていい。
立入禁止のトラロープが無ければ誰でも見れるが、足場を含めて今後、整備されるかどうかはわからない。
行かれるなら自己責任でお願いしますよ。
http://ons.or.jp/publics/index/13/


くるまのある場所に戻った。
広場になっている。炭火を炊いた跡がある。
ここでひとつの疑問符が湧いた。切り開いた石を藪塚駅までどうやって運んだのか。

現在の東武桐生線の前身、藪塚石材軌道は明治36年(1903年)藪塚石材株式会社設立から5年後、明治42年(1908年)に設立されている。
太田停車場(現在の太田駅)~両毛線の大間々停車場を結んで、藪塚石を運んだ。
馬車鉄道を目論んだが、その頃、免許を取得しやすかった軽便鉄道法による人車鉄道に変更して、石材運送と併せて旅客営業も行った。藪塚温泉への湯治客だろうか。
東武鉄道の資本も受けてたので、1913年頃にお定まりの譲渡と相成り、蒸気化に併せて軌間(レールの間)も変更した。それまでは単線で、現在の治良門橋駅(西慶寺辺り)に交換施設があったらしい。
石切場から藪塚駅までは距離1kmあって徒歩だと15分くらいかかると思う。駅まで人力で運ぶ非効率な手法で運ぶだろうか。
もしかしたら、石切場の入口まで、引込線が敷設されていたのではないかい?
下写真は現役時代の藪塚石材軌道です。
藪塚停車場か太田停車場かわからないのですが。
下のサイトからご承諾を得て拝借しました。
http://yamada.sailog.jp/weblog/

太田市史料から。
大三章・変革期の太田の三、交通の発達に藪塚石材軌道の項があったが、そこには、
「明治36年(1903)に設立された藪塚石材株式会社を発展継承した藪塚石材軌道株式会社が設立されたのは明治41年で、東武鉄道が太田まで通じたのは翌42年のことである。藪塚石材軌道は資本金6万円、社長は葉住利蔵である。太田・藪塚間にトロッコ専用レールを敷き、藪塚本町や強戸村大字西長岡村などから産出した石材(藪塚石)を運搬した。それは現在の東武桐生線藪塚駅のやや太田寄りの場所(現藪塚本町西野)から太田への勾配を利用した人車軌道であった。現治良門橋駅や鳥山の西慶寺付近では上り下りが交換できるよう複線になっていた。通常は人力で石材の運搬を行っていたが、呑竜様の開山忌などにはトロッコを祝幕で飾り、また幌をかけ、女性や子供を乗せて運んだ。」
帰途の藪塚踏切です。
非日常的空間から日常へ戻ったところ。

石切場の奥にいたあの異生物は何だったのか。
撥ねて落ちた動作がまだ脳裡に残っている。
巨大な石の壁に囲まれた迷宮にいた証拠に私の革靴には迷宮でつけたヘドロがこびりついたままだ。北関東自動車道波志江PAのWCで洗ったが全部は落ちなかった。そのまま帰京。くっついたままお持ち帰りになった。
革靴の泥を見たジャン妻の表情は。。。
2017-08-01 05:46
コメント(6)
Hail Storm [風景]

上り東名を快走中です。
ちょこんと載ってる2匹のマスコットは「さらの木」夜記事http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2017-01-30で登場済みのプチ(プチペンギン。スズメではない。)&ヴィー(TOYOTAVISTAで貰った)が定位置でドライブの御守。
彼らを載せてから無事故な私です。違反はありますけど。
(昨日半休取って運転免許更新しました。だんだん裸眼がキツくなってきた。)

昨日Upしたヘンな十割蕎麦屋の30分後です。蕎麦屋の上空はまぁまぁ青空だったのに、吉田ICから入ってしばらくしたら空模様がアヤしくなった。
静岡県が如何に東西に広いということですが、焼津ICを過ぎた辺りで前方に何か降っているような。
何だあの黒いカーテンは?
雨か?ゲリラ豪雨?
このまま進行方向に揺れている黒いカーテンに突っ込まざるを得なさそうだが。
前方にイナヅマが光った直後。。。

黒いカーテンのその正体は雨ではなかった。

バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ
フロントガラスとボンネット、くるまのボディ全体に衝撃音が。
雹(ヒョウ)だったのです。
大量の小石を浴びたような衝撃。直径5mm以上が雹でそれ以下が霰(アラレ)だそうですが。目視で見るところ5mmぐらいだったと思います。
バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ。。。バチバチが鳴りやまない。ボタ雪と違ってフロントガラスやボンネットにぶつかっても溶けず、バチバチ弾き返されて路上に飛んでった。氷の玉がコロコロ転がってるのが見える。
私の前後左右を走るくるまが一斉にハザードランプを点滅させて50kmに減速した。
室内の温度を上げて曇りを消した。

バチバチが続いている。時折大粒が混じっているのか、フロントガラスからボンネットに落ちる際に、トントン音がした。
なんなんだこの洗礼は。俺が何かしたか?何かの苦行かよ。
逃げ場はある。日本坂PAがすぐ左手に迫っている。左車線のくるまはそっちへ退避せんと逸れたくるまもいた。
この時に即座に左にチェンジングレーンすればPA退避は可能だったが、PAへ退避してそこでじっとしてても、そこへデカい雹が落下したらフロントガラスが破損するのではないか?
それにこういう時に限って傘がない。PAに入っても売り場内に避難する過程で私のアタマにぶつかった雹のせいでアタマ怪我しないか?流血したりして。
デカい雹はガラス窓を割ったり、傘やビニールハウスを突き破ったり、土より上の野菜の葉を穴だらけにしたりするが、雹そのものでケガをするよりも、雹が割ったガラス破片で怪我をすることの方が多いらしいが、雹で流血したら笑い者になるは必定である。
バチバチ音は物凄いが、さすがに車の屋根を貫通することはない。フロントガラスは家々の窓ガラスとは違う安全な割れ方をするそうです。でも不慣れな女性ドライバーだとパニック起こす人もいるそうですね。
さてどうするか。バチバチ雹は長時間降らない。群馬にいた時、西毛の何処かで突然雹に出くわしたが、私が運転する進路が逸れたら止んだものです。
でも今雹を降らせている積乱雲と私は東方向に向かっている。雲の流と並行して走ったらどちらかが左右に(南北に)逸れない限り、ずっとこのままのバチバチ状態が続くのではないか。
そんなことを考え考えじっと耐え忍んでハンドル握ってたらレーンが増えた。前方はワイパーで退ければ見えるのですが、サイドミラーがよくみえなくなってきた。
この先の日本坂トンネルは左右に分岐する。しばらくしたら私の右に上り右ルート車線が加わった。日本坂PAへの退避区間は過ぎてしまった。

バチバチバチバチトントントントントン。。。
バチバチはフロントガラス、トントントンはボンネットを叩く音。雹は降り続いている。
嫌がらせのようなものである。しつこいったらありゃしない。
前方に日本坂トンネルの坑門が見えてきたところで閃いた。
あのトンネルは東名で最も長いトンネル(全長2380m上り線左ルート)である。長を幸いトンネルでこの嫌がらせのような雹を追い抜こうというもの。
台風のニュースでよく聞くのは「時速およそ30kmの速度で東へ向かっております・・・」・・・こっちがトンネル内で速度を上げたらいい。100km以上のスピードで2380mを走れば追い抜けるのではないか。
日本坂トンネルが貫通している山々を焼津アルプスという?その山々が雹と積乱雲を多少は遮ってくれるのではないかと。
トンネル抜けてもまだ雹が降ってたらシャレにならないけど。
トンネル内にパトカーいたりして。

行くしかないのでトンネルに入ったと同時に追越レーンにチェンジしてスピードを上げた。トンネル内は車線変更禁止・・・じゃなかったと思う。
速度メーターは130km。
日本坂トンネルは上り4車線、下り3車線の計7車線。昭和54年(1979年)、日本坂トンネルでは当時の下りルート(拡幅工事後、現在の右ルート)で、173台の自動車が炎上(7人死亡)というトンネル事故最大規模の現場でもある。それが脳裏に浮かんだりした。
トンネルを出たらまた雹が降って渋滞しているのでは?そういう危惧もあったので、抜ける直前に減速して前方を見た。
順調に流れているのが確認できた。
トンネルは1分足らずで抜けた。走行距離(2380m)/走行速度(時速135km)/1000×60×60=65.9秒です。
抜けたら雹は無かった。小雨になっていた。その先は薄曇りで射している日の光も言える。
だが背後から雹が追いかけてきてるかも知れない。背後を振り返らず、その先の清水JCTで、東名よりもっと長大トンネルの多い第2東名に逸れて帰京した。
帰宅してから机上で雹のメカニズムを調べてみたら。
積乱雲の中には水滴があり、そのまま地表に落ちてくれば雨なのですが、上空に寒気があるとそこで氷粒になります。
その粒は下降するのだがまだ小さくて軽いので、積乱雲の強い上昇気流の為に地上まで落ちてこないで、積乱雲の中で上昇下降を繰り返します。
その間、雹にどんどん水滴が付着していく。雹粒が大きくなっていく。
最後に上昇気流が重さを支えられなくなって地上に落ちていくという始末の悪いもの。
雪は風情というものがあるが、雹はウルさいだけである。

(この図はソネブロのさるBlogからお借りしました。)
この一連の写真をジャン妻に見せたら、
「高速に入った時は晴れてたんだがな」
「何これ?あ、雹だったんだ。ガラス傷つかなかった?」
「それは大丈夫だった」
「運転中に写真撮ってるんじゃないっ!!」
「・・・」
くるまの御守、プチ公はチビのクセに鼻高々である。
「オイラのおかげで無事だったんだい」とでも言いたそうである。

明日からUpするさらの木で。
2017-04-06 06:59
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彷徨い [風景]
羅漢町。5年前に1年間住んだ町。
旧中山道に面して、酒場とマンションと区画整理された新しい住宅が混在する静かな街だった。

住んでたマンション隣のお寿司屋さん。

このデカい寿司屋は外観が焼津のどんた久にそっくりである。
でも1回だけのご縁で終わった。私は寿司屋に食指が湧かない人なのです。だって寿司しかないじゃん。(そんなことないのかな。)
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-12
どうもこれが旧中山道らしい。

このワインバーになる前の店主の料理が秀逸で、この街に長くいたいと思うようになった。
バーになってからは入ったことがない。


その店主は場所を変えて同じ界隈の一画に新規OPENしている。
まだまだ味も腕も落ちていなかった。伝説は健在のようである。

2つの店の位置関係はこう。

ジャン妻が「ボケママの店」と呼ぶ天然ママの居酒屋はマンションの1階奥にある。

6000円のお会計で1万円札を1枚渡したら、五千円札1枚と千円札1枚を渡されたことがある。
5600円のお会計で10000円と600円を渡したら5400円の釣銭を戻そうとしたり。
「よくあれで商売やってる。絶対お客に会透けられてる」(ジャン妻)
でも都落ち気分で塞いでいた私を癒してくれた。お客さんがいい人ばかりでしたね。
いい街だと思い直し去りがたくなった。
2つの店の位置関係はこうです。

3店舗の位置関係はこう。

繁華街でなく、閑静な住宅地でご近所どうしなのです。
店主は声の大きいラガーマン。お客のオーダーが自分の声に負けてしまいオーダーオチがよくあった焼き鳥屋。オーダー確認して洩れてるのがわかった時だけ済まなそうに身体とお声が小さくなる。
具が殆ど無いドロッドロのソース焼きそばが絶品だった。この店のおかげで私の中で脳内革命が起き、焼きそばの概念が変わったのである。


この通りにレンタル会議室があってよく利用した。
青く光る看板に名前が変わる前の不動産屋さんから羅漢町のマンションを紹介されたんじゃなかったかなぁ。
担当者から「1年で解約したりされないですよね」って聞かれ、賃貸交渉に長けるジャン妻がその時期は「それはないと思います」と答えている。
でもきっかり1年で去ることになってしまった。
銀座中央アーケードや柳川町とは別に、私はこの通りが高崎西口でもっともアブない通りだと思っている。
中途半端に人がいるのからである。
一度、アヤしいドラッグをヤッている若者の群を見たことがある。




羅漢町の西、田町。
CoCo壱隣にあった浜潮が突然閉店してしまった。
今年の2月半ばに新店舗がOPENした。



お任せコースだけのようですね。
まぁその方が気楽な場合もあるけどね。

浜潮の店主、女性スタッフの消息は今日まで聞かない。
おそらく同じ空の下にいる筈。元気でいて欲しい。

この店も大事な店だったな。
串カツ、ピザ、大根のステーキ、パスタ。
日本酒は全くといっていいほど置いてないです。

「酒悦七には行ってるんですか?」(ラのロ、店主)
「今年はまだ行ってないんですよ」
ラのロ店主は、酒悦七の店主は俺が教えたんだ~といふ。ホントかなぁ。

上州を去る前夜に歌いまくった店。
歓迎会が送別会になった不思議な夜だった。

これは寿司懐石らしいが、未訪のまま終わったね。

お世話になった魚屋さん。
覗いたら店主も女将さんもまだまだ元気そうだった。いきなり去ってごめんね。

ASLIの近くも毎日のように歩いたのだが、店内の画面をカラオケと勘違いして素通りだった。
ご縁ができたのは上州を去ってからのこと。
店内は俗世から離れた不思議な空間です。

住んでたマンションの前にあったうさぎCafeは椿町に移転した。
現在は保育園が建っている。


この交差点を右に曲がった細くて暗い路地に現在のうさこの店がある。

あ、閉まってやんの。
まさか廃業しちゃったかと思ったらそうではなく、(水)(木)連休にしたらしい。

上州の定宿ですが、どうも最近スタッフの質が落ちた。特に男性。

今年になって、ノーネクタイ、無精髭、ノーネームプレートで接客されたので、
「髭ぐらい剃れよっ」
ウチの社員はそういうの御法度なので叱りつけちゃったですよ。失礼だってね。
明日明後日とお世話になるけど改善されてなかたら怒るよ。
旧中山道に面して、酒場とマンションと区画整理された新しい住宅が混在する静かな街だった。

住んでたマンション隣のお寿司屋さん。

このデカい寿司屋は外観が焼津のどんた久にそっくりである。
でも1回だけのご縁で終わった。私は寿司屋に食指が湧かない人なのです。だって寿司しかないじゃん。(そんなことないのかな。)
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-04-12
どうもこれが旧中山道らしい。

このワインバーになる前の店主の料理が秀逸で、この街に長くいたいと思うようになった。
バーになってからは入ったことがない。


その店主は場所を変えて同じ界隈の一画に新規OPENしている。
まだまだ味も腕も落ちていなかった。伝説は健在のようである。

2つの店の位置関係はこう。

ジャン妻が「ボケママの店」と呼ぶ天然ママの居酒屋はマンションの1階奥にある。

6000円のお会計で1万円札を1枚渡したら、五千円札1枚と千円札1枚を渡されたことがある。
5600円のお会計で10000円と600円を渡したら5400円の釣銭を戻そうとしたり。
「よくあれで商売やってる。絶対お客に会透けられてる」(ジャン妻)
でも都落ち気分で塞いでいた私を癒してくれた。お客さんがいい人ばかりでしたね。
いい街だと思い直し去りがたくなった。
2つの店の位置関係はこうです。

3店舗の位置関係はこう。

繁華街でなく、閑静な住宅地でご近所どうしなのです。
店主は声の大きいラガーマン。お客のオーダーが自分の声に負けてしまいオーダーオチがよくあった焼き鳥屋。オーダー確認して洩れてるのがわかった時だけ済まなそうに身体とお声が小さくなる。
具が殆ど無いドロッドロのソース焼きそばが絶品だった。この店のおかげで私の中で脳内革命が起き、焼きそばの概念が変わったのである。


この通りにレンタル会議室があってよく利用した。
青く光る看板に名前が変わる前の不動産屋さんから羅漢町のマンションを紹介されたんじゃなかったかなぁ。
担当者から「1年で解約したりされないですよね」って聞かれ、賃貸交渉に長けるジャン妻がその時期は「それはないと思います」と答えている。
でもきっかり1年で去ることになってしまった。
銀座中央アーケードや柳川町とは別に、私はこの通りが高崎西口でもっともアブない通りだと思っている。
中途半端に人がいるのからである。
一度、アヤしいドラッグをヤッている若者の群を見たことがある。




羅漢町の西、田町。
CoCo壱隣にあった浜潮が突然閉店してしまった。
今年の2月半ばに新店舗がOPENした。



お任せコースだけのようですね。
まぁその方が気楽な場合もあるけどね。

浜潮の店主、女性スタッフの消息は今日まで聞かない。
おそらく同じ空の下にいる筈。元気でいて欲しい。

この店も大事な店だったな。
串カツ、ピザ、大根のステーキ、パスタ。
日本酒は全くといっていいほど置いてないです。

「酒悦七には行ってるんですか?」(ラのロ、店主)
「今年はまだ行ってないんですよ」
ラのロ店主は、酒悦七の店主は俺が教えたんだ~といふ。ホントかなぁ。

上州を去る前夜に歌いまくった店。
歓迎会が送別会になった不思議な夜だった。

これは寿司懐石らしいが、未訪のまま終わったね。

お世話になった魚屋さん。
覗いたら店主も女将さんもまだまだ元気そうだった。いきなり去ってごめんね。

ASLIの近くも毎日のように歩いたのだが、店内の画面をカラオケと勘違いして素通りだった。
ご縁ができたのは上州を去ってからのこと。
店内は俗世から離れた不思議な空間です。

住んでたマンションの前にあったうさぎCafeは椿町に移転した。
現在は保育園が建っている。


この交差点を右に曲がった細くて暗い路地に現在のうさこの店がある。

あ、閉まってやんの。
まさか廃業しちゃったかと思ったらそうではなく、(水)(木)連休にしたらしい。

上州の定宿ですが、どうも最近スタッフの質が落ちた。特に男性。

今年になって、ノーネクタイ、無精髭、ノーネームプレートで接客されたので、
「髭ぐらい剃れよっ」
ウチの社員はそういうの御法度なので叱りつけちゃったですよ。失礼だってね。
明日明後日とお世話になるけど改善されてなかたら怒るよ。
2017-03-19 08:32
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Lakeside Jurassic Park [風景]
群馬県は東を除いて山々に接しているから、そこを源流に平野部へ流れる水が多いです。
でも自然の湖は少ない。有名なのは榛名湖ぐらい。
中禅寺湖?あれは栃木ですよ。
首都圏の水瓶だからダム湖が多かったりする。他は平野部にある灌漑用の沼とか。
群馬県の湖沼データです。↓
http://www13.plala.or.jp/gunmanotabi/jb-kosyo.html
富岡市妙義町に大桁湖という人造湖がある。
県や市のデータから。湖面の面積は0.14平方km??どれだけの量かわからないが、湖の周囲は2kmほど。

このダム湖は発電ではなく、灌漑、貯水というよりも、大桁山の麓から流れ出す大桁川の下流への洪水対策、調整湖の意味合いが強い。砂防ダムなんですな。
船山温泉の敷地内を流れる船山川はやたらと堰堤があるがダム湖はない。大桁湖は思い切って上流を堰き止めちゃったんですな。

これから行くところは、安中市内から松井田方面へ抜けて、松井田妙義ICから上信越自動車道に入ろうとして道をわざと間違え、妙義町に入って南下、妙義CCの更に南の山奥にあります。下仁田町との境に近い。説明し難いので地図で見てくださいな。

妙義町を初めて走りました。
途中で見た妙義の雄姿です。



ダンプが走ったりします。途中で大桁湖方面への一本道に入ると、山を下って来るくるま2台とすれ違った。この辺りはもう大桁山の中腹に入っている。
駐車場は私のくるまだけだった。他は停まっていなかった。
無人の休憩所がある。管理人がいるのかどうかわからない。荒れてはいないので定期的に人が立ち入っていると思います。

公園化された湖畔の散歩道に下りてみる。
ワカサギが釣れるそうですが。誰もいない。
ホント誰もいないね。来ていい場所だよねここ?

静かな湖面です。鏡のようだ。




ゴジラの背中のような妙義が見える。


湖周は整備されて足場は悪くない。
私は釣りに興味の無い人間ですが。マイボートの乗り入れ禁止。凍結時の氷上釣りも禁止だそうです。
湖に沿った散策路を先に歩むとその先にあるものは・・

ゲッ!!

あ!!レックスもいる!!



だいたい何でここにこういうものがあるのか。
ここは観光地なのかな。
妙義山が見えて、景色がい場所プラス、リアルな恐竜がいるのに人がいないんです。
いるのは恐竜たちと、私だけ。





出迎えてくれたのは2頭の肉食恐竜だった。
ティラノサウルスもディメトロドンも結構リアルな造りではある。
だけど何で君たちはここにいるのかい?
ここでずっと佇んでいるのかい?
誰かが訪れるのを待っているのかい?
最初は、「どうだ驚いただろう」とでも言いたげな目をしてたが、すぐに慣れて、「お前たちなぁ。初めて来た人は見てビックリするだろうけど。その時その一瞬だけだぜ」と心無いことを囁いたら2頭とも寂しそうな目になった。遊んで欲しいのかも知れない。
ナイトミュージアムみたいに夜になったら動きだしたりして。

口から火でも吹きそうである。



私は2頭に、「じゃぁな」と声掛けして踵を返した。
(ディプロドクスもいるそうだが気付かなかった。)

クマ情報です。平成25年10月にこの公園でクマが目撃されたとか。

社で、「群馬の魅力って何ですか?」と聞かれたら、「B級スポットが多い」と返すようにしているが、あまり詳しく説明すると怪訝な表情をされる。
群馬スネークセンター、太田藪塚石切り場跡、碓氷峠の鉄道施設遺構、岩鼻火薬製造所跡、柳川町旧赤線地帯、上越線モグラ駅土合、ブラジルタウン大泉町、日本のポンペイ鎌原村、南牧村の人面石、伊勢崎華蔵寺公園遊園地の大観覧車、太田市某所の焼きそば丼、渓流魚専門店・魚籠屋、永井食堂、徳川家発祥地、高崎炭田跡、日本プロレス終焉地・吉井町体育館、富岡製糸場二町通り遊郭跡、大胡城と隣接する何かの廃施設、
他、廃墟の数々。。。
幾つかは私も行きましたが探せばまだまだありそうです。これらに混ざって、恐竜たちが今にも動き出そうに屹立しているこのパークもそれらB級スポットに数えられてよかろうかと思います。
帰りに撮った妙義の雄姿を。



「何よこれは?」(ジャン妻)
「・・・」
「またこんな場所に」
「・・・」
このジュラシックパーク、正式名称は大桁緑地公園といいます。
でも自然の湖は少ない。有名なのは榛名湖ぐらい。
中禅寺湖?あれは栃木ですよ。
首都圏の水瓶だからダム湖が多かったりする。他は平野部にある灌漑用の沼とか。
群馬県の湖沼データです。↓
http://www13.plala.or.jp/gunmanotabi/jb-kosyo.html
富岡市妙義町に大桁湖という人造湖がある。
県や市のデータから。湖面の面積は0.14平方km??どれだけの量かわからないが、湖の周囲は2kmほど。

このダム湖は発電ではなく、灌漑、貯水というよりも、大桁山の麓から流れ出す大桁川の下流への洪水対策、調整湖の意味合いが強い。砂防ダムなんですな。
船山温泉の敷地内を流れる船山川はやたらと堰堤があるがダム湖はない。大桁湖は思い切って上流を堰き止めちゃったんですな。

これから行くところは、安中市内から松井田方面へ抜けて、松井田妙義ICから上信越自動車道に入ろうとして道をわざと間違え、妙義町に入って南下、妙義CCの更に南の山奥にあります。下仁田町との境に近い。説明し難いので地図で見てくださいな。

妙義町を初めて走りました。
途中で見た妙義の雄姿です。



ダンプが走ったりします。途中で大桁湖方面への一本道に入ると、山を下って来るくるま2台とすれ違った。この辺りはもう大桁山の中腹に入っている。
駐車場は私のくるまだけだった。他は停まっていなかった。
無人の休憩所がある。管理人がいるのかどうかわからない。荒れてはいないので定期的に人が立ち入っていると思います。

公園化された湖畔の散歩道に下りてみる。
ワカサギが釣れるそうですが。誰もいない。
ホント誰もいないね。来ていい場所だよねここ?

静かな湖面です。鏡のようだ。




ゴジラの背中のような妙義が見える。


湖周は整備されて足場は悪くない。
私は釣りに興味の無い人間ですが。マイボートの乗り入れ禁止。凍結時の氷上釣りも禁止だそうです。
湖に沿った散策路を先に歩むとその先にあるものは・・

ゲッ!!

あ!!レックスもいる!!



だいたい何でここにこういうものがあるのか。
ここは観光地なのかな。
妙義山が見えて、景色がい場所プラス、リアルな恐竜がいるのに人がいないんです。
いるのは恐竜たちと、私だけ。





出迎えてくれたのは2頭の肉食恐竜だった。
ティラノサウルスもディメトロドンも結構リアルな造りではある。
だけど何で君たちはここにいるのかい?
ここでずっと佇んでいるのかい?
誰かが訪れるのを待っているのかい?
最初は、「どうだ驚いただろう」とでも言いたげな目をしてたが、すぐに慣れて、「お前たちなぁ。初めて来た人は見てビックリするだろうけど。その時その一瞬だけだぜ」と心無いことを囁いたら2頭とも寂しそうな目になった。遊んで欲しいのかも知れない。
ナイトミュージアムみたいに夜になったら動きだしたりして。

口から火でも吹きそうである。



私は2頭に、「じゃぁな」と声掛けして踵を返した。
(ディプロドクスもいるそうだが気付かなかった。)

クマ情報です。平成25年10月にこの公園でクマが目撃されたとか。

社で、「群馬の魅力って何ですか?」と聞かれたら、「B級スポットが多い」と返すようにしているが、あまり詳しく説明すると怪訝な表情をされる。
群馬スネークセンター、太田藪塚石切り場跡、碓氷峠の鉄道施設遺構、岩鼻火薬製造所跡、柳川町旧赤線地帯、上越線モグラ駅土合、ブラジルタウン大泉町、日本のポンペイ鎌原村、南牧村の人面石、伊勢崎華蔵寺公園遊園地の大観覧車、太田市某所の焼きそば丼、渓流魚専門店・魚籠屋、永井食堂、徳川家発祥地、高崎炭田跡、日本プロレス終焉地・吉井町体育館、富岡製糸場二町通り遊郭跡、大胡城と隣接する何かの廃施設、
他、廃墟の数々。。。
幾つかは私も行きましたが探せばまだまだありそうです。これらに混ざって、恐竜たちが今にも動き出そうに屹立しているこのパークもそれらB級スポットに数えられてよかろうかと思います。
帰りに撮った妙義の雄姿を。



「何よこれは?」(ジャン妻)
「・・・」
「またこんな場所に」
「・・・」
このジュラシックパーク、正式名称は大桁緑地公園といいます。
2016-10-22 06:33
コメント(6)


































































































































































































































































































