SSブログ
想い出 ブログトップ

あれから10年と1日 [想い出]

その時間帯.jpg
総武横須賀線快速のG車内です。
私以外に客はいなかった。アテンダントの女性も来なかった。
あの日から10年経ったその時間帯、私は馬喰町から総武快速線に乗車してG車内にいたのです。
新車の香がした。G車内で黙祷した。
松屋1.jpg
陽が西に沈もうとしている頃、最寄駅近くの松屋さんです。
10年前のあの夜、この松屋さんでテイクアウトを購入してジャン実家で食べたんだ。
松屋2.jpg

メインの道路を挟んで松屋さん、反対側にでにファミレス「でにーず」があります。でにーずはもう何年も行ってないが、10年前あの日、でにーずは完全に停電で真っ暗だった。おそらく冷凍庫の中の食材は廃棄になったと思う。
以下5枚は10年前の写真です。
デニーズは消えてた.jpg
灯りが点いていた松屋さんは帰宅難民でいっぱいだったのです。

ジャン母が心配だったのでジャン実家へ行った。そこも停電で真っ暗だったが、ジャン実家の隣の町内会は電気が点いていた。
「お隣は点いているのよねぇ」(ジャン母)
「そのうち点くんじゃないの?」
ジャン母は一人で蝋燭に灯を点けてじ~っとしていた。蝋燭はジャン父(故人)の仏壇に置いてあったもので、普段は灯を点けたりしない。
その晩は泊まることにした。
「ご飯は冷えたのがあるけど」(ジャン母)
ジャーに電気が入らないから冷や飯になっている。冷や飯があってもおかずがないし、灯が点かないから調理できない。
なのでこの松屋さんにやって来た。
店内は超満員で従業員さんがてんてこ舞いだった。ここまで歩いて来た帰宅難民たちが、休息がてら今宵の糧を得ようと集まっていたのである。そこしか開いてないからね。
松屋1.jpg
松屋2.jpg
松屋大混雑.jpg
松屋大混雑2.jpg
あの頃の松屋さんは現在のようにタッチパネルの券売機じゃなかった。口頭注文だった。
スタッフの女性が言うには、
「お弁当の容器が無くなっちゃったんですぅ」
「じゃぁ牛皿は?」
「それは大丈夫です」
「2つ」
「ハイ、牛皿弁当二ちょう!」
すぐに提供された。
厨房では4人のスタッフが大忙しであった。
当時は今ほど多彩なメニュー種類もなく、プレミアム牛皿なんてのもなくて、普通の牛皿でしたよ。まだ吉野家さんの後塵を拝していたんじゃないかな。
「お待ちどおさまでした。牛皿弁当二ちょう、500円になります」
「ありがと。タイヘンだが・・・」
・・・の先は言えなかった。私が何を言っても、言わずとも彼ら彼女らはわかっている。日本人のまだまだ捨てたものじゃないいいところを最大限に発揮したに違いない。疲れた通勤難民と近隣の活力の場になっただろう。

だけど、無事に帰れたのだろうか。

テイクアウトの牛皿です。ジャン父(故人)の仏壇から蝋燭を借りてジャン母と夕餉、牛皿の他は漬物程度です。
今も営っている松屋さんの牛肉、この日に初めて食べたんじゃなかったかな。
ジャン実家の夕餉.jpg
松屋さんの牛肉を一口喰ったジャン母はこう言ったものです。
「しょっぱいわね」
「・・・」
「いつもこういうの食べてるの?」

21時にいきなり電気が点いた。東電さんはこの後でいろいろ大変なことになるが、現場は早期復旧に頑張ったに違いない。
そしてTVを点けたら、震源地の陸奥の惨状が映し出された。戦慄した。
松屋3.jpg
店内2-1.jpg
現在のあの松屋さんです。空いてる。
あの頃と違ってタッチパネルの券売機がウザったかったな。テイクアウトでプレミアム牛皿大盛り、お新香2つだけ買うのに何だか時間がかかったよ。わかり難いね。
「テイクアウト」
「ハイ、1番の番号札でお待ちください」

会計しながら、
「10年前の今日の夜、ここでテイクアウトを買ったんだよ」
「!!!」
「容器が無くなっちゃってさ。家から持ってきたんだったかな」
「そうでしたか」
これは私の記憶違いで、実際は無くなったのは牛丼の容器で、牛皿の容器はあったのである。
テイクアウト1-1.jpg
テイクアウト2ラベルを剥がす.jpg
テイカウト3白菜浸1.jpg
テイカウト4白菜浸2.jpg
テイクアウト5牛皿.jpg
出勤当番日だったジャン妻は、やや遅く帰宅した。
置いてあるテイクアウトを見てすぐに理解した。
「あ、あの日のを買ってきたのね」
皿に移すの?そのまま食べようよあの夜のように。
「アタシは店のパックで出すのはイヤ」
寿司でも何でも、お皿に移して出すのが彼女のルールなのです。牛皿はレンジでチンした。
皿に移す1.jpg
皿に移す2.jpg
「そんなにしょっぱくないじゃん」
「しょっぱいわねぇ、いつもこんなしょっぱいの食べてるのかって言われたんだよな」
ジャン妻は白菜漬を別に買ってきたので、それと松屋さんのを味比べ、塩気を比べてみようと要求したら、
「塩分濃いからこれ以上はダメっ」

西新宿4.jpg
10年前のあの日、ジャン妻は本社(移転前)に1人で泊まった。
近隣で出前を取ったって。その出前を取った店も再開発でビルそのものがなくなっている。耐震基準が厳しくなったからである。そこたじゅう建て替わってましたね。
ジャン妻とは翌日の午後に家で再会できたが、落ち着いたら家で泣きだした。
「次にああいうのがあったら歩いてでも帰って一緒にいる」
今でもそう言っています。
こっちは震源地から遠かったからね。主要交通機関が止まったから帰宅難民になったわけで。
でも電車内で見た広告スローガンには「帰宅困難者対策、むやみに移動を開始しない、あなたの身を守る為に」が基本だという。私はラッキーなことに大倉山でタクシーをフン捕まえることができたが、歩いて帰れたかどうかはわからない。
次にああいうことがあったらって?
無いことを願うよ。
コメント(6) 

不味かった記憶 [想い出]

勝田台1.jpg
JR総武線、西船橋で東葉高速線(随分高い運賃だな)に乗り換えて終点の東葉勝田台で京成線に乗り換えるとこですが。
勝田台2.jpg
勝田台3.jpg
地下の東葉勝田台駅と、地上にある京成線の勝田台駅は構造ではTの字になって連結しています。
このラインで昼前後だったら大手町辺りから東西線に乗って妙典で途中下車して「かさや」さんに行くのだが、この日は10:30前だった。
私はやや急いでいた。習志野市へ出向いてから千葉県庁と、別の千葉県の窓口に行かなきゃならないのだ。
習志野市が終わったら11時過ぎるだろう。市の窓口は京成大久保駅ですが、何年も行ってない札幌ラーメン、パンケ以外は全くソソラないし、味噌ラーメンの気分じゃない。
習志野市を出て千葉県庁に着くことは12時だろうな。12時に受け付けてくれるかなぁ。千葉県庁って地下に売店と食堂があるのですが、飢えた職員さんたちで凄い大行列するんですよ。でもその食堂売店で千葉県の証紙(収入印紙みたいなの)を買わなきゃならないしなぁ。
千葉駅界隈を思い浮かべた。千葉駅から県庁前の辺りにいい店あったかなぁ。
よし、勝田台改札を出たスタンドでパックの焼きそば買って県庁前の公園で食べようっと。
https://funayama-shika-3.blog.ss-blog.jp/2019-01-18
だがシャッターが閉まってる、撤退したか?
閉まってやがる1.jpg
えっ、開店前かよ。
閉まってやがる2.jpg
朝から開ければいいのに。朝の通勤時間帯に開ければ売り上げ倍増するだろうに。昼の弁当に繋がるジャン。
日昼の東葉勝田台駅なんて人まばらですよ。昼の売り上げだけで営ってなんてもったいないことだ。
駅の改札にあるスタンドは朝から開けなきゃ意味ないです。
これを買いたかったのだが。(過去の写真)
これを狙ってたのに.jpg

勝田台4コンコース.jpg
仕方がないな。勝田台駅の乗り換えコンコースにずーっと前からあるスタンドが目に入った。
スタンド1.jpg
こういう時に食べた後で後悔するのがわかっていて、止めときゃよかったってなるケースが多いのに、スタンドの香りに惹かれて入ってしまうのです。スタンドそばには不思議な力があるものだ。
随分以前からあったスタンドですが、コンコース内が薄暗いのもあって何だかやる気が感じられなさそうだな。でもJR系じゃないし。
入ってしまった。
店内1.jpg
券売機が無くて口頭でオバちゃんに注文する旧態依然としたスタイル。メニューが少ないので券売機を導入するまでもないんだな。
やっぱりやる気の無さそうなオバちゃんが2人いて暇っそうにしてた。
まぁ無難にかき揚げそばにしたのですが。
そば1.jpg
茹でたそばを湯切りして丼に入れて、その上に載せられたかき揚げはまぁるいカタチをしていました。その上に刻んだ葱を載せて、出汁を注ぎます。
そばは伸びが早いし、かき揚げはカップめんの乾燥かき揚げとも違うフワフワしたスッカスカの乾物にみたいな代物みたいだった。丸い型にはめた既製品の作り置きだね。
そば3.jpg
そば2.jpg
そば4.jpg
そばもかき揚げもモソ~ッとしています。そのうち汁を吸ってフニャフニャしてきた。それ以外はあまり特徴のないそばだが、懐かしいそばだな。
そば6.jpg
写真なんか撮ってるとどんどん伸びてボリュームが増えてくるぞ。
濃口の汁に馴染ませたらそばとかき揚げの雑炊みたいになってくるんだな。お決まりのパターンです。汁の濃さとかき揚げ&そばのヘタリ具合が妙に合ってるな。
そば5.jpg
幸いというか汁は濃いめ、関東風かな。汁は悪くはないです。かき揚げから旨味が出てきた。
学食や前職の工場食堂よりはイケるかなというもの。そしたらイヤな記憶を思い出した。私の学食の蕎麦は味が薄いだけの不味さだったが、前職の工場の食堂が弁当もそばもとにっかくマズかったのですよ。
そこは大手企業の大工場なのに、おっそろしくマズい弁当やそばを従業員に食わせて平気な世界だった。昼がユーウツだったもの。
私が社会人なり立ての頃だから30年以上前、もう時効だろうから書きますが、その工場のお抱え食品会社の弁当のせいで関連子会社が体調崩したんです。100%食中毒ですよ。
でも親会社はもみ消しましたね。緘口令のようなものが敷かれたよ。「騒ぐな」って。保健所が立ち入ったら即アウトです。
あの頃工場時代の食堂や弁当は何を食べてもマズかった。他社の弁当を扱ったがそれも不味かったのです。その頃の私は今みたいに舌が驕る以前の若造ですよ。でも塀で閉鎖された工場内だから他に選択肢が無かった。
大企業の大工場なので、幾つも関連会社や子会社があった。私のいた会社は下の方で立場が弱かったのですが、私の結婚披露宴にも出席したウチの所長は気骨のある人で、頑としてその食品会社の弁当を扱わず他から取っていた。親会社から物言いがついてもはねつけてましたね。
「あんな豚のエサが喰えるか」
そう社内で公言してたし、その下の部長職の男性もひとくち食べて、
「弁当屋殴りたくなってきたなぁ」
私が不味そうに食べてたら、
「お前よくそんな不味い弁当喰えるな」
私、食べてんだけど。食べてる当人に向かって言うか普通?
でも今の私の人格形成に相応しい会社だったのがおわかりでしょう(笑)私はその会社の所長以下、上の者たちの口舌や社風の影響をモロに受けて13年在職しました。
「弁当屋殴りたくなった」「よく食えるな」この人とは今でも年賀状の遣り取りはあります。毎年年賀状が届くと思い出すものです。
私も内心では「よくこんなものが喰えるな」とは思ったけど、20代の若造がそんなこと言えないじゃないですか。
言えない代わりに昼の仕出弁当やそばのマズさに閉口した私は昼を抜くようになった。くるま通勤だったので朝から営っててこのBlogにもよく取り上げる「大将」というラーメン屋を発見、朝から立ち寄ってラーメン&ライスをかっこみ、昼は殆ど抜いていたのです。売店のパンぐらい齧ったかな。
そういう時代に比べたら全然マシと言ったらこのスタンド店に失礼だが、申し訳ないけど個人の記憶として言えばそんな感じです。
絶滅してしまった昭和の駅そばですな。味以前に良くも悪くも懐かしいというか。
そば7.jpg
そば8.jpg
何だこれは?壁際、隅っこに積んであるぞ。
店内2倉庫かよ.jpg
ネギ、ヒゲタ醤油、宝中華ってラーメンの業務用スープの素かい?
そういえばメニューにラーメンがあったような。誰も注文してなかったけどね。
でもこんなとこに置いといたら「ウチのラーメンは業務用スープで出します」がバレバレじゃないか。こういうのは片付けた方がいいよ。お客さんが見える位置に置かない方がいい。そこまで言いませんでしたけど。
スタンド2.jpg
いい意味でも悪い意味でも懐かしい記憶を呼び起こしてくれてありがとうよ。この後千葉県庁に向かって、つい最近まで千葉県の担当者とすったもんだあったのですが省略します。

で、おまけというか、これは最近都心まで乗り入れて悲願を達成した相模鉄道、相鉄線いずみ中央駅の駅そばです。
相州2.jpg
相州3.jpg
汁はまぁまぁ。たぬきの揚げ玉、まぁるい揚げ玉、スーパーでブラ下がって売ってるカタチつくったまぁるい揚げ玉なのにガッカリした。天かすじゃないのだ。
相州4.jpg
ハーフのカツカレーはフワフワした薄っぺらなカツでカリッとしてません。フワッ、モサッ、冷やっとしていた。
相州6.jpg
この店も券売機の無い店で口頭注文でした。ひとりで営ってたオバちゃんが「ちょっと待っててねぇ。時間あるぅ?」「あるよ」程度の会話があっただけマシです。
タッチパネルの券売機なんか導入しないから人対人の口頭注文で余裕があれば会話もあるし、そこはいいと思いますよ。
私このスタンドその本店に行ってます。
https://funayama-shika-3.blog.ss-blog.jp/2019-01-22
起点である海老名駅ホームにあった相州そばは撤去されて今はありません。
都心に乗り入れ直結したはいけどJR東日本の線路を借りて走ってるんでしょう。いずれJRから「ウチのそばスタンドを導入しろ」って申し入れがあると思うな。もとからあった個性溢れるスタンドそばを一掃して絶滅させたJR東日本の子会社NREからね。
相州1.jpg
私にはヒイキのお蕎麦屋さんがない。
蕎麦通でも何でもない。挽きたて、打ちたて、茹でたて、そういう拘りなんか全然ない。湯野上温泉の蕎麦宿は蕎麦懐石ですが、私が声を大にして「蕎麦が美味しい」というほどでもないのよ。蕎麦を食べに行くのが目的じゃないです。他の要素がある訳でさ。
高崎のBARのマスターにススめられて行った「下山」さんはさすがに「これぞ真の蕎麦!!」だったが、上品過ぎて私なんかの行く店じゃなかったなと。
昨今、何処も同じになってしまったJR駅スタンドそばには厳しいですよ。蕎麦とそばは違うんだなってね。
でも他に選択肢が無くて中途半端な早い時間だと、そういう駅そばを利用せざるを得ない時もあります。
明日から旅紀行です。
コメント(8) 

船山温泉最大のライバル宿 尚文 [想い出]

湯檜曽駅を出て閃いたことがある。
そういえば、あの宿はまだ営ってるのかな?
尚文1.jpg
尚文2.jpg
その宿の駐車場に滑り込んだ。デカくて陽に焼けた精悍な男性が板塀から道路に出た木を切っていた。
宿にカメラを向けたら訝し気にこっちを向いた。
尚文4.jpg
「大分前(2008年)にこちらに一度泊ったんで」
「ああそうですか-、今日はどちらに-?」
「昨日泊ったんで今日は帰ります-」
「笑」
当時の若旦那だと思う。
会話はこれだけです。
泊った棟です。
尚文5.jpg
2008年の写真を掘り起こしました。
宿1.jpg
サッパリとしてカッコいい宿だった。
豪雪時に訪問したのです。高崎から渋川までは晴れていたのに沼田から先は雪が降りだして、水上に着いたら軽く吹雪いてたのです。
確か宿の送迎で宿入りしたんだと思う。
駅だけなら水上より湯檜曽の方が近いのです。
館内2.jpg
宿にINしてロビーの椅子に座って周囲を見渡していたら、柱の陰からスタッフがいつの間にか現れて、私の膝の前に座って御用聞きの体勢になってたのを覚えている。現れ方が気配を感じさせなかったのです。軒猿(ノキザル)か。
館内にスタッフの気配が感じられないのです。誰も館内をウロウロしていないの。事務方も全く見えず、受付にも誰もいなかったですね。
宿泊客に対して余計な気配を消しているのか。
館内はやや暗かったが、外が雪景色なので雪が館内を照らしてくれた。
館内3.jpg
館内4.jpg
館内6.jpg
雪景色11.jpg
雪景色12.jpg
雪景色2.jpg
全部で7室で部屋は角部屋の「かたくり」布団は敷きっ放しだった。スタッフは部屋に入ってこなかったですね。それと女性スタッフが皆無だったのです。男っぽい宿だった。
かたくり.jpg
部屋1.jpg
3室が部屋に風呂付きなので、館内4つの貸し切り風呂はいつも何処かしら空いていた。
雪見風呂1.jpg
雪見風呂2.jpg
雪見風呂3.jpg
夕餉時は配膳係が男ばかり4人もいて、突然作務衣姿のイカつい男性が暖簾を潜って「失礼します」ヌッと現れるのです。女っ気ゼロの個室居酒屋みたいな食事処だった。
山の幸の夕餉は先付、胡麻豆腐、山人小鍋、ここまでは最初からセッティングされていた。
残っている写真だけUPします。
夕餉2.jpg
夕餉4.jpg
造りは紅鱒と馬刺、特注の岩魚活け造りは薄造りではなく野趣溢れるブツ造りで身が厚かった。岩魚はまだ口をパクパクさせてた。
夕餉6.jpg
夕餉3.jpg
これまた特注の牛陶板焼は二人前で、まだビールが残っていたので途端に焼肉屋みたいになった。
夕餉5.jpg
他、上州豚のあぶり焼、煮物、揚げ物と続き、馬・牛・豚・魚、山の動物性蛋白質が続く。
夕餉7.jpg
夕餉8.jpg
何故この子がいるんだ?
夕餉9.jpg
夕餉10.jpg
サプライズも。先に平らげた岩魚造りの残りが骨煎餅山盛りは頭、骨、尻尾、数えたら兜首と尻尾が四匹分あったような気がする。
夕餉11.jpg
今はどうかわからないが、あの頃の温泉サイト掲示板で囁かれたのが、宿の料理提供スピードが速いというもの。
二人前を焼いて喰うのに途中で固形燃料を取り替えました。焼くのには時間を要するので、ようやくそこで配膳がインターバルになって落ち着いた。
夕餉12.jpg
夕餉13.jpg
酒は譽国光(ほまれこっこう)熱燗二合を三本でした。配膳スピードが快速急行なので適量で打ち止めになったんだった。
おっ、ジャン妻、若くて細いです。
そういう時代もあったんだね。
で、何故、ドライヴの御守りがいるんだ?
細かった若かった.jpg
この時の私の感想は、
「尚文は船山と似ているがスタッフはあっさり感、距離感を維持している、それは単に無口、寡黙なのかも知れないけど、上州は寒いからだろうか?」
そう思ったのですが、上州人が寡黙なんてのは全くの間違いで、後年私は上州高崎に1年住んでわかったのですが、上州人って寡黙でも何でもないですよ。むしろお喋りだと思う。この時は宿側が単に無口だっただけです。なので人間ドラマは希薄です。こちらから話しかけなければね。
夜はこんな感じだった。
夜1.jpg
夜2風呂.jpg
夜の館内2.jpg
あのナイタースキー場は大穴スキー場だと思う。
大穴スキー場?.jpg
あの頃の呟きⅠで、尚文と船山を比較したテキストがあったので再掲載します。
尚文が船山より勝るものは?
船山は全12室、貸切風呂が2つ、2室とも使用中な時があります。
尚文は全7室、4室は露天風呂付き、館内の貸切風呂は4つだから、必ずと言っていいほど貸切風呂のどれかは空いていた。
7室-4室=3室で、4風呂-3風呂=1風呂余るからです。
全部の部屋の客が一斉に出てくれば4つ全部使用中になるが、まずそういうのは少ないと思う。

船山に2つあって、尚文には全く無いもの。
大浴場と部屋の鍵です。尚文には大浴場は無い。鍵も部屋にひとつです。
でも大浴場は第三者と使用するからその時だけプライベート感が消えるじゃないですか。尚文は大浴場が無いが故にプライベート感が終始統一貫で限りなくパーフェクトに近づいていた。
相方と喧嘩でもしない限り鍵はひとつでいいのです。

船山が尚文を凌駕するものはあの当時の宿泊料金ですな。今の料金じゃないですよ。船山は今でも年間通しで同じ金額ですが。高くなったからね。
それと13時~翌日11時までの圧倒的に長い滞在時間です。

人はどうか。どちらもプロですが、船山の方がアットホームでフレンドリーさが感じられた。冗談も通じるし明るい。いい意味で洗練されてなくもある。
船山のスタッフはこのBlog知ってるし、ヘマやらかしたら何を書かれるかわからん警戒心と、これネタにどうです?的なところもあるからね。
尚文のスタッフは宿泊客を冷静沈着に見守っていた。俯瞰しているんです。加えて武士の接待のような緊張感があった。感情が表に出てなかったのです。意図して消しているのかもしれない。

船山はスタッフが料理をカートでゴロゴロ運んで来るのが丸見えで、ガチャガチャ音も丸聞こえ。食事処の個室によっては動線が見えますからね。
尚文は調理場が見えない。運んで来る音や洗い場の音も全く聞こえないからカッコいいです。ホテルに近い。生活感はゼロといっていい。

船山は宿側がコンセプトを意識して客側に伝えているけど、尚文は宿の努力姿勢を隠しているような印象でした。余計なことは言わないというか。そういうのは殊更にアピールしないというか。
まぁとにかくカッコよかったんですよ。

山のもの、朝ごはんです。
朝餉1.jpg
朝餉3.jpg
朝餉5.jpg
朝餉4.jpg

雪景色14.jpg
雪景色15.jpg
雪景色17.jpg
雪景色181.jpg
雪景色191.jpg
雪景色201.jpg
宿2.jpg
尚文3.jpg
尚文は1回しか利用していません。初回の豪雪時のインパクトが強過ぎて、他の季節、春夏秋に訪問する気にどーしてもなれなかったのだ。ただ一度だけのあのメモリーで充分印象に残ったし。温まった部屋の外は吹雪いていた。その雪景色も功を奏し、予想を遥かに超えた高ポイントを稼いだ。あの素晴らしい第一印象を消したくない。
ただ一度の宿泊でしたが、私の中では今でも船山温泉の最大のライバル宿なのだ。
今も健在、営っててよかった。
コメント(6) 
想い出 ブログトップ